18話 誘いと甘言
「その子をお願いね、隊長さん。逃げていて良いわよ」
蛇腹剣を、刺突剣を、斧を地面へと放り投げるリベイラの言葉にリーゼは頷き駆ける。騎士が邪魔をするかと思われたものの、眼前のリベイラに集中するためか今は放置しても良いと考えたのか身じろぎ一つせずにその背を見送る。
リュミールを抱き上げたリーゼは走る。背後の戦闘は多少時間が掛かるものの、放置していても構わないものだという予測があった。
そして、無事に処置を行なった後にはリベイラはニアスらの援護へ向かう手筈になっている。
「……大丈夫か? 汗も顔色も良くないが」
腕の中に居るリュミールの顔色は非常に悪い。雨で濡れたのも原因の一つだろう。
それを哀れに思う心はある。同情もする。しかし、どうすればいいのかと持て余す感情もあった。戦術的には完全な足手まといだ。だがそれはリーゼの存在も同じ。
「……私、きっと、死ぬんです」
心細さと体調の悪化から来るものだとリーゼは過去の経験から判断を下す。いや、そうしそうになる。
確かに内乱でそう言って者は多く居た。その内に三割は死ななかったが。しかしリュミールと兵たちでは状況が違う。
「何かをやられたのか?」
離れた場所、大きな木の下で立ち止り、痛むように胸を押さえる彼女への問いかけは冷静で冷徹な指揮官としての顔。
其処には彼女を心配する個人としてのものは何一つ混ざっては居ない。
「薬を、飲まされて、友達みたいに、死ぬんです」
「どういう風に死んだんだ、その友達は?」
顔を青くして震えるリュミールはリーゼの表情の変化に気づかない。ただ妙に優しい声に応じるがままに答える。
「胸から、身体が崩れていって、それで、周りの壁も一緒に、崩れて。わ、私は特別だから、もっと凄いことになるって、さっき、騎士の人が」
だから。
その答えを知ったリーゼは、拳を握る。爪が食い込み手の平から血が流れる程に強く。
荒くなるリュミールを前にリーゼは状況の打開を、最善の打開を脳裏に浮かばせていく。
「安心しろ、すぐに、楽になる」」
けれど。情報が足りない以上は結局の所、解決する手段は数少ないのだろう。
―――――――
「けど意外だなぁ。君みたいな人はさぁ、こんなに熱くならないと思ったよー?」
「おいおい。俺のことを知らねぇ癖に人物評か? 趣味が悪いぜ?」
斧が長剣で捌く。先日ならば不可能だったその一撃。今は僅かに精細を欠いているのは、補充した分の腕がためなのだろう。
それも他人の腕だ。馴染むまでは時間がかかる。
「見た目で、君は復讐者なんだってわかったからさぁ。同類なんじゃないかなーってねぇ」
「あぁん? それとこれがどう絡むんだっつーの」
否定も肯定もせずに逆に問い返す。実際にそれは肯定をしているとわかっていながらも。
斧が剣を弾く。ほぼ片腕で振るう状態はそれはまだ軌道が分かり易い。前回のように不可思議な挙動を行なわないのは、幾度も防がれているからか。それとも片腕が慣れていなければ逆に狩られると確信を抱いているためなのだろうか。
「うーん。簡単に言うとねぇ、別に無茶な命令に従う必要なんかないんじゃないのぉ? ほら逃げちゃったり、仲間を見殺しにしたりさぁ」
「悪ぃが別に隊長さんらに恨みはねぇし、それぐらいで晴れる何かを持ってるわけでもねぇんだよ」
振り下ろされる斧を受け流そうとして、技術と重さに半ば失敗する。体重の乗った一撃は遥かに重い。
更に地面の状態が悪いのも流せない原因の一つ。足場まで気にする余裕は今のニアスにない。墓標の天幕も、僅かに離れたこの場所までを覆っていないのはニアスの炎術を気遣ってなのだろう。もしくは術力の残りを気にしてだろうか。
「それは残念だねぇ。私と君は気が合うと思ったのになぁ。でもさぁ、ほら。君は私を殺したいの? ここは仲良くだらだらしないかなぁ?」
「ハッ。あのガキに何をしたのか教えてくれんのかい?」
炎槍を後方から放ち、左右に炎の獣を展開。前方からはニアスが突っ込む。お得意であり、そして一度見せた術式。
使うのは悪手だとわかっている。いや、それを使ったのは相手が打ち破るという確信と共に更なる一撃を与えるためだ。だとしても完全な悪手。
「空間系術式を使える術士相手に、実は多方向からって意味はないんだよねぇ」
空間が歪む。本来、物を入れるだけの空間が開かれ。その内部へと炎槍が入り。
「目くらましにはなるかなぁ」
直線に進んだ炎槍は、ラウベイルフの前方へと抜ける。左右から迫る犬は左を破壊しもう片方を氷術で仕留め。
ニアスはそれを見ながら、舌打ちと共に術式を霧散させるも遅い。
「首とーった」
前に一歩進んだラウベイルフが狙うのは首。根元から刈取るように進む斧の軌道は変えられない。死の予感が背筋を通りぬけ、途端にラウベイルフが一歩後ろへと下がった。
「大丈夫っすか!?」
「うわぁ、こっちが危なくなるー!」
命を救ったのは予想外にも双子。水術を紡ぎ、牽制の一撃を放ったのだろう。そのため攻勢だった二人と騎士ら三人は逆転し今は攻撃を防ぐ事に集中している。
自爆をしないのは力量差からだ。あと一歩で殺せそうに見える彼らを殺すのに、命を捨てることに躊躇いを覚えてしまうのだろう。
これが他の相手ならば話は違った。即座に自爆と共に相手に手傷を負わせようとしただろう。運がいいのか、それとも悪いのかは未だわからないが。
「後で酒奢ってやるよ!」
後悔をする時間はない。命が助かったのと等価に双子は危機に陥っている。それに対して申し訳なく思う心はニアスにないが、だとしても後味が悪くなるのは御免だと言う気持ちならば、存在する。
「いい仲間だねぇ。悪くないかなぁ。あははぁ、それでさ、あの子に何をしたのかだっけ?」
状況は最初に戻る。常ならば殺しきれた事を不満に思う事もなくどこか刹那的な笑みを浮かべるラウベイルフの表情に疑問を持っていても、解消されずとも構わない。
「教えてくれんのか? 優しいこった」
「四大術式の研究だけどねぇ、王国もやってるだろうけど帝国もやってるんだよねー」
斧が振るわれ、受け流すよりも先に離される。挑発のような一撃だが、それに引き込まれれば死ぬと直感が告げる。
対抗できるのはニアスが小技を繰り出しているだけだ。足捌きも、視線の移動も、狙いの誤魔化しも、術式の補助も。考えられえる限りを尽くして、片腕が上手く扱えない相手に対等。
「精神侵食は聖皇国と殺しあうためにやってるけど進まない。けどさー、崩壊促進に適正のある子を探してきて、わざと術力を暴走させるとねぇ」
先は言われずとも推測が出来た。
「アンタら、外道だな」
「そう言われてもねぇ。子供の方が発展性があるみたいなんだよねー。それで暴走させれば色々終わるかなー。抑制する薬も服用させれば暴走するまでの時間は延びるから大丈夫だしねぇ」
兵器としてならばある程度は使い物になると言うことなのだろう。だが、一人しか生き残っていないという効率の悪さ。また子供を犠牲にするなどは外聞が悪い。
いかに帝国が死後に英霊になる事を美徳としても、領域は存在するのだから。
「んで、研究成果はどうなんだ? 成功したのか?」
「それなりにはかなぁ。悪くないけどぉ、良くもないねぇ。費やしたお金と見合わないんだよねー。一度限りのこういう場面でなら効果的なんだけど大々的に使うのは困っちゃうよねぇ。聖皇国ならきっと聖戦とか言って使うんだろうけどぉ」
国民が全て宗教の下に統一されている、いや洗脳されている国でなければ使えないという事は、失敗だったのだろう。
国民感情を考慮するか否かではなく明らかに人道を外れている行為だ。特務を抱える王国も他国に言える立場ではないにしても。
「だから今回はそれの処分もあるんだよねー」
「……失敗しても成功、成功したらそれでよしって所か? なら本気でアンタはよく付き従ってんな、おい」
斧の一撃は微かにニアスの腕を裂く。断てない以上は対した傷ではない。
「どうにしてもこの作戦は成功だし、私は負けないかなぁ。こっちの都合も悪くないからねぇ。あはは、どう? 君たちは勝てる?」
「個人的なもんがあるな、テメェ」
どこか投げやりな気配にニアスの眉が中央に寄る。そもそも、よく考えてみればこうして打ち合えている時点でおかしい。
確かに片腕が馴染んでいないのは不利だろう。しかしその程度の苦境に対しニアスが一人で打ち合えるまで実力は落ちるかという疑問。
「んー。そうだねぇ。ないとは言えないかなぁ? もう今更だけどねぇ、全部」
「それは愉快だな。いっそうちに来るのはどうだ? 隊長さんなら歓迎するだろうよ」
「君の隊長さんがそれなりに非凡だっていうのはわかるけどねぇ。だけど帝国の軍人を受け入れるほど王国軍っていうのは寛容だっけぇ?」
「さぁな。ムーディルの馬鹿が居るんだから平気じゃねぇのか?」
会話の合間も剣と斧の応酬は続いている。決して緩まぬ互いの攻撃はその会話がただの冗談だと知ってのものだ。
いや、すぐさま武器を捨てるならそうなる可能性もある。
「それもあるし、そういう未来があっても面白かったかもねぇ。でもやっぱりさぁ、最初の目標を達成するのはやりたいからなぁ」
斧がニアスの首を掠める。動きが変わったと感じるのはおそらく錯覚ではない。
歩き方が変わった。重心の置き方が変わった。先ほどまで長く握られていた斧の柄が、僅かに短くなった。
「じゃあ稽古を付けてあげるねぇ。生き残ったら参考にしていいよー?」
動く。姿は追うことが出来る。しかし、気づいた時にはもう遅い。
「ッ!」
避けられたのは奇跡ではない。炎術による蜃気楼を発生させ僅かに距離感を狂わせたためだ。そうでなければ、空中から飛び出した斧により首を両断されていただろう。
「これは参考にならないかなぁ? じゃあこれならどうー?」
更に一撃。術式を使う事なくラウベイルフは視界から消えうせる。
下だと言う予感は的中。身を異様に低くしながら音を出さず、斧を地面に付けず、身体を両断するように振るわれた斧に対し、よろけるように一歩下がる。
「君はやっぱり才能あるねぇ。それとも私の斧に嫌われてるのぉ?」
「ああ、何故かあんまり武器にゃ好かれてねぇようでな。寂しいもんだぜ」
軽口を叩く程度にはまだ、思考に余りはある。ニアスならばもしかすると死ぬ寸前まではその余裕を残しておくのだろうが。
しかし僅か二手。斧を振られた二回だけで彼我の実力差が明らかになる。
「それはいいなぁ。私は変態とか、痛いのに好かれてるみたいなんだよねぇ。昨日会ったあの子にあげたいなぁ」
「そりゃルカも喜ぶだろうぜ!」
更に下がる。斧が鼻先を掠め、風圧が目にたたきつけられ、一瞬だけ瞑りそうになる。
「ルカって言うんだあの子。鬼族で子供で、あんなに強いのかぁ。百年後には二十座に入ってるんじゃないかなぁ? 死んでないならだけどぉ」
斧を振るう感覚が短くなる。それらは全て防げることが出来ている。
違う。防がされている。
力量差があり過ぎた。それが最大の理由だ。殺して居ない理由を推測するのならば遊んでいるのか。もしくは……先ほどの言葉通りに本当に稽古を付けようとしているのか。
「君は何で復讐をしようとするのかなぁ? あー。でもわかるよぉ。賢いから出来るまで待つんだよねぇ? うんうん、わかるよぉ」
にやにやとした顔とともに繰り出される斧は重い。その一撃はニアスから返答の余裕を奪おうとするかのようだ。
だからこそ反抗するためにニアスは笑みを浮かべる。
「でもそれは飼われるのと何が違うのかなぁ? 小さな復讐を重ねてるかもしれないけどぉ結局のところはただの飼い犬なんだよねぇ君はぁ」
「馬鹿言ってんな。俺は選定の器を破壊しようとしたぜ?」
「あははぁ。確かに王国を壊すには悪くないけどぉ、壊せてないなら一緒だよねー。小さな世界で、小さな復讐をしようとあがいて、結局それも出来ないんだよねぇ」
斧は身体を殺そうとする。そして言葉は心を痛めようとする。それが届くわけはない。それでも、嗜虐を浮かべながらラウベイルフは言葉を続ける。
「君はきっといつか、復讐を諦めるよぉ。これは予言かなぁ」
斧は振られる。
「目先に囚われてぇ、後ろを気にしてぇ、手を引かれるままに前を歩いてぇ」
斧は断ち切るために振るわれる。
「その先に待つのがきっとぉ、私と同じ隷属だって知りながらさぁ」
斧はニアスの心を断ち切るために振るわれる。
「……ハッ。何言ってんだ。俺はアンタみてぇにはなるはずねぇだろ」
「そうだねぇ。そうだと、いいねぇ?」
嘲笑するように笑い蔑むように斧を振るうラウベイルフにニアスは防戦に回る。
打開の手は、無い。




