15話 嵐の始まり
「ヒロムテルン、その眼で追えるか?」
「ん? それぐらいは出来るよ。けれど、なんでだい? 攫われたのは残念だと思うけれどそうする意味はないだろう? まさか……彼のためだなんて言わないだろうね?」
一塊となって傷ついた場所を治療する一団と、ルカやムーディルによって四肢を縫い付けられているニアスを横目にしながら二人は会話を行なう。
リュミールを攫われたと聞いたニアスの激昂具合は筆舌に尽くし難い。狂乱とまではいかずとも。怒りのままにリーゼを殺めようとした程度には判断力を失っていた。
「まさか。……陣の防衛を行なう事なくあの子を攫った、それも形振り構わずな。わざわざあの大斧まで捨ててるんだ。攫わせるべきじゃなかったのは確かだが、俺の予想以上に重要度の高い子のようじゃないか」
重要なのだと言うのは理解していた。だが所詮は補助材料なのだろうと楽観視していた部分は否めない。ルカの言葉こそを重要視するべきだったのだろう。
下手にリュミールを連れている事こそが枷となる。ならば殺してしまえば、頭を悩ます事態にはなりえなかった。
「一応聞くけれど、隊を別けないでいけばよかったんじゃないかな?」
「ダラングを捨てるのは惜しい。アイツの実力と頭脳はこの先も役に立つ。性質に関しても扱い難いほどじゃない。……そういえばダラングはまだか?」
「ん? いや。そうだね。もう帰ってきたみたいだ」
ヒロムテルンの指差す方向を見れば、確かに白衣に血をつけたままのダラングが歩いているところだった。
不機嫌そうな顔でご愛嬌と言った所か。
「大丈夫か?」
「そう見えるなら隊長さんはリベイラに頼んでその瞳をヒロムと変えてもらったらどうかしら? 前に血族の一部を常人に移植する方法を考えたから自然に可能よ。その書類は研究室にあるけど。……ところで私の腕を見ていない? ないなら落ちている騎士の死体から取るしかないけれど」
そう言うダラングには確かに片腕が存在していない。どころか、耳も半分程が切れている。不機嫌なのは腕よりも耳の被害が面倒だからなのだろう。
流石に、猫族の耳ばかりは自力で再生させるしか手がない。色などが変わってもいいのならば話は別だが。そこは己の誇りと折り合いを付けられるかにかかっているだろう。
「さぁ? 挽肉さんと争った時には見かけなかったけれどね。ところで、彼の目的は復讐らしいけれど心当たりは?」
「ヲルトルよ。姓は忘れたけど、被験者の恋人なのよ。対策は立てたから、獣が居ないなら私一人でも自然に殺せるでしょう。ところでアレは何をしているの? ルカと同じ趣味にでも目覚めたのかしら?」
磔にされているニアスを横目で見ながら、落ちている騎士の死体から腕を切断し形を整える姿は少々猟奇的に見えなくはない。
一々気にしていても始まらないことだが。
「狂ってる奴が更に狂うと正常に戻るのか興味があるな。……ニアス、さっきの話は聞いたか?」
「……あぁ。最高の気分だからよぉ。よく聞けたぜぇ。アンタが、あのガキを殺すつもりって事までな」
下がっていた顔を上げて、細められた目は鋭く射抜くようだ。曲解している、と言ういいわけを口に出すつもりはないだろう。
命を守り救えるような余裕はない。誰か一人の命を使い潰せばそれも行えるだろうが。
「ゲンちゃん。約束はね、破ったらダメなんだよ?」
先に約束をしたのはニアスにとって失敗だ。そもそもリュミールを生かしておくことにルカは反対していたのだから、こうなってしまえば最早ルカには殺さない理由がない。
死んでしまってはそれ以上に痛みがないのだから。
「……だがよ。騎士を全滅させりゃ、殺す理由もなくなるだろ」
「リっちゃん、ゲンちゃんが約束破ろうとするよ?」
二人の視線に曝されてしまえば板ばさみとなるのは自明の理だ。ルカの言い分は圧倒的に正しい。感情を、心情を抜きにすれば殺して当然だ。
一方でニアスの言葉も間違いではない。騎士さえ殺せば、もしかするとリュミールの生きる目は出てくるかもしれない。
僅かに判断を悩み。しかし。
「――結果論で全てを決める。ニアス、殺したくなければ死に物狂いで働け」
四肢を縫いとめていた氷の刃がムーディルが術式構成を緩ませることによって四散する。
ルカは僅かに不満そうな顔をしているものの、出来るならば殺したくないと言うのはリーゼにとっても同意するものだ。
わざわざ罪のない少女を殺す選択をしないのは、僅かに残る心を繋ぎとめるためなのだろうか。
「あいよ。……悪ぃなルカ」
「じゃあリっちゃん、早く追おうよ。追いつかないと大変でしょ?」
頭を下げるニアスに眉を潜め、顔を見る事もなくルカは問いかける。
今回は二人を同時に運用できそうにないと考えてヒロムテルンを見れば、その瞳は深い緑に変化していた。
「……場所は、うん。見つけた。西へ向かっているね。鉱山都市に向かっているようだ。あそこを破壊されるのはあまり楽しそうじゃあないね」
言葉はリーゼの予測通り。そこはギルハンベータが創り上げた都市でこそない。
しかしだからと言って見捨てるわけにはいかないのが軍人としてのリーゼらだろう。
「いい話だ。双子、獣車の用意をしろ。御者はニアス。追いついてからの作戦は車内で話す。行動を開始しろ」
リーゼの言葉を待っていたとばかりに双子は走り出す。そしてリベイラは先ほどリーゼから言われた、この都市に住む軍人らに事情を説明し陣を探させる命令を下しにいく。
「正直なところ、追いつけそうな距離か?」
「相手は駆けているから獣車なら難しいことではないだろうね。向こうもこれぐらいは予想しているから、森を抜けていくと思う。そこで襲撃をしてくるんじゃないかな?」
「間違いないだろうな。……ダラング、治療中に悪いが獣を使わせてもらえるようい打診してくれ」
「自然に人使いの荒い隊長さんね。わかったわ」
尻尾を不機嫌に揺らす背中を見送りながらリーゼの思考は先を見通していく。
森の中で殺しあうという状況。何をどうするかの思考。
誰と誰を、誰に当てるのか。それらを次々と埋めていく。リュミールの処理は、一時保留としながら。
「ふむ。興味で聞くが、どれ程の被害でるのであろうな」
「相手の手段がわからないが、とんでもない損失なのは確かだろうよ。わざわざ鉱山都市を狙うんだ。数ヶ月で再建できるような方法で来るとは思えないな」
鉱山都市の人口はリーゼが記憶している限りなら、五百万。現在リーゼらが居る境界線上の都市は一千万であり、その半分程度でしか居ないが、その五百万人が全て死ぬような事態になれば。
「何より、都市に住む者が死ねば国民は全て恐怖と不安と抱えることになる。王国への不信と共にな。今回の事件程度ならまだ言い訳が出来るが、流石に都市が一つ壊滅する状況で言い訳も何も出来るはずがない」
そうなれば。すでに国家として敗北を意味する。威信を取り戻すには国民を黙らせるだけの功績を見せなければならないだろう。
無論、帝国を滅ぼすという功績を。
「国家の危機という事か。よくもまぁ、そんな事態に遭遇するものであるな。貴様は我らを死地へ導く者なのかもしれんぞ?」
揶揄するように笑うムーディルにリーゼは苦笑しか返す事ができない。資料を読む限り特務はここまで大きな事態に直面はしていなかった。
リーゼがその厄介ごとを持ってくるというのは、笑えないものだろう。
「何はともあれ、って奴だ。早いところ阻止しに向かうぞ。何か見つかったらその解析はお前とダラングかかっているだろうからな」
新たな術式陣か。それともリュミールが関わる何かか。そこまでの予測をつけることは誰だろうと知りようはない。
だからこそ彼らはこうして此処に居るのだから。
「隊長! 準備終わりましたっす!」
「こちらもとりあえず自然に三頭借りてきたわよ」
計六匹の獣が来たのを確認し、リベイラもまた軍の要人らしき人物を伴ってきたのを確認し、一度だけ頷く。
「雪辱戦と行こう」
この遠征を締めくくるための最後の戦い。その幕が切って開かれる。
―――――――
これが夢だと『斧』ラウベイルフが気づいたのは、過去の光景だったからだ。
家族と共に過ごし。生活は辛くとも生きるために必死になっていた日々は、幸せと呼べる時間だった。それが変わったのは両親が生きるために彼女を貴族へと売った時だろうか。
それとも、異常欲と呼ばれる貴族に売られたと知った時だろうか。
「おぉ、私の可愛いお人形さん。今日も楽しく遊ぼうか」
三日に一度だけ呼ぶ狂獣のように醜悪な貴族。線の細さも、顔の作りも美しいが、人は美しさを持ったまま内面の醜悪さを曝け出すことが出来るのだと当時のラウベイルフは知った。
明確な不幸。憐憫を向けられる境遇。それでも彼女の心が砕けなかったのは類稀なる精神力、なんて御伽噺のようなものではない。
「君が頑張れば、君のご両親は生きていられるよ?」
耐え難き陵辱を耐え、反吐の出るような責め苦を受け入れたのは、陳腐な言い草ながら家族愛だったのだろう。
両親のためならば耐え切れる。豪華な衣服に身を纏い飢えることなく食事が出来る。
それはそれで形は違うが確かな幸福なのだから。
「飽きた」
その幸福は貴族の一言であっさりと打ち切られ、されど解放される事もない。精神力を買われたのか。それとも女である事に意味があったのか。
彼女は私兵としての訓練を受ける。
元々の才能か。それとも、捨てられることへの恐怖か。彼女は、おそらくは誰もが予想できない程に強さを得た。その報告に主である貴族も呆れ笑った程に。
それもそのはず。雪原を駆ける十匹の人の姿形を持った狂獣、本来ならば軍人三十人がいて討伐できるその獣を初陣で破った報告などを聞けば誰もが呆れ返るに違いない。
「いや、笑う。君は素晴らしい。実力は私の部下でも随一だ。だから、親衛隊で私のために働け」
底意地の悪い笑みを浮かべる貴族に頷き少女は軍へと入る事になる。
だから。そこまでの強さを得て、しかし心には忘れ難き恐怖を刻まれたのは不幸だった。
貴族の推薦で親衛隊へと入り、家族の安否を気にかけ。
――その家族が、彼女を売った半年後に死んでいると知っても復讐を考える事が出来ない程に、彼女は恐怖で縛られてしまっていたのだから。
「すでのこの親衛隊は王女の手を離れてしまっている。君が私の座に付くのも含めてね」
僅かに尊敬していた彼女の隊長が寂しそうに微笑んだのは立場の違いだ。それに対してそれほどの愚痴を言わず粛々と隊長の座を明け渡した隊長は、人格者だったのだろう。
代が変わることにより親衛隊は女王を守る盾、ではなくいつしかその首元へ剣を突きつけるものへと変貌したのは貴族が優勢だった証だ。しかし不穏なものはあった。
貴族の中でも女王派であったルハエーラが副長となった時点で、おそらく切り捨てられるのは確定していたのだろう。
「悪いが君らは死んで欲しい。ほら、失策をしてさ。女王は厄介だよ全く」
だから、劣勢になれば彼らは女王に不要とされた。元々秘密裏に行なっていた計画も露見していたのだろう。
いかに強くとも。いかに裏切りの心配がなくとも。貴族にとっては手駒の一つでしかなく。また帝国にとってもいかに強かろうと、数ある強者の一人でしかない。
「隊長。これから死ぬことになりますけど人生どうでした?」
元副長が笑いながら問いかければラウベイルフはそれに、満面の笑みを浮かべる。
「最低最悪の人生だったかなぁ」
「……どれくらい経ったぁ?」
「月が動くのも見えませんよ。雨も降っていますからね。しかし大丈夫ですか? 辛いならもう少し休まれた方が」
騎士らが都市から撤退しすでに一日以上が経過している。即座の追撃があると身構える騎士らの顔には僅かな疲労が見え隠れしていた。
常に、いつ襲われるのかわからない。襲わない可能性はないはずだ。ラウベイルフが逆の立場でも陣を放棄して逃げた相手を追うだろう。
「せめてもう少しいい場所に陣取りたいかなぁ。こういう時に彼が居ないのは痛いよねぇ」
去り際に一般人から奪った腕は、まだ完全に馴染んでいるとは言い難い。とはいえ命を捨てる覚悟でいけば、何人かは殺す事が出来るだろう。
「私を守るために、とは言え惜しいです。私が残っていた方が良かったでしょうか?」
「どうせこの後は殺し合いだしぃ、君を残しても量に圧殺されてたと思うよー? だから意味ないかなー」
ルハエーラの強さは折り紙付きだ。距離を取られない限り敗北はありえないだろう。
ただし、ルカのような生粋の前衛と殺しあえばどうなるかはわからない。加えてダラングやリベイラの援護、都市に駐在する軍の支援。それらを相手にしてまで生き残れるかと言えば否と言う他ない。
「でしょうか。……いいえ、ですね。では彼女を例の場所に連れていくのは誰にしますか?」
「んー。そこの君かな。私とルハエーラ、残りの騎士は全力で食い止めるから、後一日ぐらい全力で走ればどうにかなるでしょ。最悪、ここら辺を潰してもいいかな」
「わかりました。都市の一つでも巻き込めればいいんですけど……」
「ああ。そこは大丈夫かな。ここら辺は開発予定でもあるから。将来的な損をさせられるよ。それじゃあ行動開始といこうか」
距離を取った以上、昼間に動くよりも夜闇に紛れた方がまだ発見が遅くなるだろう。そう考えた騎士らの一行は昼間に休み夜に動くようにしている。
リュミールはその動きについていけないのか疲労の滲んだ顔をしていた。いやそれ以上に体調が悪化しているのだろう、顔色は死人のようになっている。
「はい。……いえ、何か、来ます!」
森の奥。聞こえるのは獣の嘶きと、車輪の音。
「早いわねぇ。早い男は嫌われやすいのに全く……。じゃあさっきの取り決め通りにやりましょうかぁ。ただ、先陣はルハエーラに任せてあげるよー」
「では全員仕留めてみせましょう。隊長らはお急ぎを。では、英霊の元で会いましょう」
「うん。それじゃあ行ってらっしゃい。英霊の元で会えたら楽しいねぇ」
闇の中でそれだけを交わすと騎士たちは散開し。
激突が始まろうとしていた。
 




