11話 惨劇の嵐
南部との境にある街でダラングが一人歩いている。見かける紙は質の良し悪しに関わらずその場で購入し、すぐさま空間系術式で繋がった場所に入れていく。
商人は決して荷物が入るようには見えない袖の中に紙の束を入れるダラングを驚いたような眼で見るが、その種がわかるはずもない。
「王都ほどではないけれど質は悪くないわね。これなら城へ戻るまでは自然に劣化せず済むかしら。溜まっていることもあるし楽しみだわ」
いっそ鼻歌でも唄いだしそうな雰囲気を浮かべるダラングは乙女のようだ。
周囲の男たちも、そして中には女も良いものを見たという顔で隣を通りすぎていき。
「見つけた」
低く、へばり付くような、掠れた、醜悪な、歓喜に打ち震える声が通りに響く。
「とうとう」
直感に従いダラングは耳をピンと立て、考える間もなく防御のために全力で術式を展開。
水術が上方へと広がり、土の壁が大通りの道を完全に塞ぐ。
「とうとう」
そして、ダラングは脚力を重点的に強化して駆ける。目指す場所は特務部隊の面々が居る宿屋。まだ到着していないにしろ、僅かな間を防ぐ事なら可能だという淡い計算を組み上げる。
砂糖菓子のように甘い希望を。
「殺せる!」
枯れた草に燃え移った暗い炎とでも形容すべき声。三つの猛獣の声が通りに響くと同時に場は炎獄へと変貌を遂げる。
更に上空からの鳴き声は雷を呼び家屋を破壊。
先ほどまでの賑わいは一転し悲鳴と恐慌が場を支配した。
「誰かしら?」
背後から迫る殺気は人生でも浴びた回数が少ない程に上質なものだ。
全員を突き刺し、切り刻むような殺気は少しでも気を抜いてしまえば意識が飛んでしまいかねない。
実際に気絶している者も幾人か見受けられたほどに。
「忘れたか、だろうなぁ!」
剣と共に風術を使用しているのか、風が巻き起こり土の壁が完全に砕かれる。
「俺は覚えているぞ、あの日から、十年、二十年! 夢の中ですら繰り返されたあの光景を!」
声が迫り剣がダラングの背を掠める。
次は直撃すると理解したダラングは、己の持つ術式を無造作に乱発し、更に空間系術式を展開。内部に保存されていた実験段階の術式を放つことにより、被害は拡大した。
風が吹き荒れ炎が舞い上がる。氷の柱が突き上げられ石畳が捲れ上がり津波のように男へ襲いかかる。
「温い」
獣も鳥も吼えることなく、その全ては男の振るう剣から放たれた剣により吹き飛ばされれ、更にダラングもまた風により弾き飛ばされ二度、三度と水溜まりの上を跳ねる。
死。幾度かはあったその気配が悪寒となり背筋を震わせる。死ぬわけにはいかないと思える程の理由はない。だが、死んでもいいと思う理由もまた存在しない。
「……誰かもわからないで殺されるのは自然に気に喰わないので問いたいのだけれど、誰かしら? 生憎と暗殺者に狙われる覚えはないのだけれど」
特務の一員として狙われるのならば納得はいく。しかし個人として狙われる覚えはダラングにはない。
ならば学術都市に居た時に殺した者の縁者かと思うが、無差別に見えたとは言え殺す相手は近縁の者が居ない者のみだ。だからこそ、疑問に思う。
何故この男は自分を狙うのか。
前に立ち剣を突きつける男の表情を下から仰ぎ見る。
「忘れたか、だろう。アレから何十年が経ったのか、も覚えて居ない。彼女が殺されてから、俺がどのように生きたのかも貴様には興味がないだろう」
陰鬱だと評された男の顔には暗い、復讐を遂げる者の笑みを浮かんでいる。吐き気がするほどに醜悪な顔だと、どこか遠くでダラングは考える。
髭面の陰気な顔。重ねた年月を感じさせる聞き取り難い掠れた声。
「……ああ。そう……貴方」
誰なのかを、思い出す。記憶の水底に沈んでいた記憶が浮かび上がる。
共通点など灰色の髪と低い声しか存在しない。記憶に残る男はここまで強くはなかった。何が彼を変えたのか、そのぐらいはダラングにも思い至る。
だがしかし、まさか。
「まさか、あの程度で人生を捨てて復讐に走るなんて不自然ね」
思わず失笑する。ダラングにとってはあの程度。だがきっと彼にとっては人生を捧げてもいい程のことだったのだろう。
「ねぇヲルトルさん。恋人の死がここまで貴方を変えたのかしら」
かつて起こした惨劇の犠牲者ラングーニ。研究材料の犠牲となった彼女が愛した存在が目の前に立つヲルトルだとは、ダラングには思えない。
しかし、それでも。
「思い出したか、ダラング・ハーベー」
名を言い当てられ喜色に顔を染めるヲルトルを見てはそれを信じざるを得ない。
一介の学生だった青年は、ダラングの覚えている限り三十三年前の出来事を忘れることなく復讐鬼となり果てた。
人族ではないダラングにとってはそれほど長い月日ではない。だが人族のヲルトルにとっては人生の半分を過ぎる程の期間を復讐だけを夢見て過ごしてきたという事になる。
「狂っているわね。自然とまともでないようだけれど、医者を紹介しましょうか?」
逃げ出すための方策を頭の中で巡らせる。しかし、ヲルトルの後方には三つ首の犬が警戒を敷き、空では鳥が飛んでいる。
こうなれば命を捨ててどれかを殺すのが最善だろうと、と判断を打ち出す。特務に対して恩などはないがこの場で何もしないで居るほどダラングは無能ではなく。
そしてまた、復讐を素直に受ける程に無力でもない。
「ッ!」
動くために術式を紡ぐ。己の持つ最高の空間系術式。それは攻撃として扱えるものではない。だが、この場の打開策としては上等。
「チッ」
腕が空を舞う。ダラングは肩を下から断たれ、首を僅かに切り裂かれる。得られた時間は僅かなものだ。しかしそれでも、ダラングは獣二体の足止めに成功する。
空間系術式により作り出された四角の空間。同じ空間系術式で破壊するか一定の時間が経たなければ破壊されない簡易的であり強固なる檻。
振り返ることなくダラングは駆ける。追われるのならば、後は特務が援軍としてくる前の僅かな希望にかけるしか道はない。果たして、ヲルトルは動かない。
「だがまだ機会はある」
獣が三つ首の獣が吼え空間系術式が破砕される。その間は、およそ三十秒。獣を放置する事によって負う被害を考えれば、まだ機会のある復讐と違い獣を優先するのは当然といえた。
「悪いのだがその機会は訪れないぞ」
「おや、まかさ三つ巴となりますか? これは」
「ふん。獣一匹と騎士を目標とするぞ。しばらくすれば他の馬鹿共も来るであろう」
降りしきる雨の中。周囲に響くのはうめき声と炎術により燃え盛る家屋の音。
被害者たちに絶望を齎したダラングの退場した舞台に現れたのは三人。
右の屋根に立つのは帝国騎士が副長ルハエーラ。
左の屋根に立つのは特務部隊員ヒロムテルンとムーディル。
「……甘く見られたものだ。だが、時間をかければ不利になるのはこちらか」
時を費やせば費やすだけ不利になる可能性は上昇する。だが、今回ダラングに手を出したことにより両者が同盟を組む可能性がなくなった事は帝国側にとっては朗報と言えた。
「行くぞ『空の王者』『陸の蹂躙』」
三者三様の思惑を持って、三者は激突する。
―――――――
「双子はリュミールの護衛を。ルカ、ニアス。食い止めろ」
「うーん。ちょっと難しいよー? 痛くなるようにするのも難しいかもなー」
「あいよ。アンタはさっさとソイツら連れて逃げてくれよ」
特務部隊の面々と合流するまでがリーゼにとって死を覚悟する間だった。雨の中でもわかる、背後から迫る死の気配。狩る側が放つ気配は何度も味わいたいと思うものではない。
それでも素直に合流を目指したのは、相手の狙いが透けて見えるからだ。
「ダラングが居ないのは厳しいが、変なところで仕掛けてくるもんだな帝国騎士」
背後から現れたのは、当然のように女だった。騎士団長『斧』ラウベイルフ。先日見た巨大な斧は手に持たず長剣を構えている。
周囲に騎士の姿はない。ならば相手の狙いは。
「……なるほどな。大方、ただの騎士が騒ぎを起こし、副長あたりが足止めをして更にアンタが残った分の足を止めるって所か」
この状況、不確定要素を除外して考えればそうなるのも当然だ。しかしそれにしては随分と強引といえる。
相手へのイメージとしてはそぐわないものとも。
「いやー、それは違うかなぁ。こっちも道化師団が騒ぎを起こすとは思わなかったよー。でも騒ぎを起こされたなら便乗するしかないよねー」
「何? ……だがアンタらの意図は変わらない、そうだろう?」
「さてねぇ。そうだとしても易々とは口にしないでしょー?」
構えるニアスとルカ。二人は今や猟犬のように女へと相対している。だがはたしてどちらが狩られる側となるのか。
「任せる」
「わかったー。それじゃおねーさん私と一緒にあっそびっまっしょ!」
「ガキにヤってる姿なんか見せるもんじゃねぇからさっさと行かせろよ隊長さんよ!」
二人が動き、ラウベイルフもまた動く。彼らの戦闘を背にしてリーゼらは走る。目的地は獣車。その中に居る鬼札の一枚イニー。もしも解放すれば代償として更に死者も増えるだろう。
必要な犠牲だとリーゼは思えない。けれどそれぐらいならば自分が死ぬとは決して思う事は出来ない。だがリベイラと双子ではまず帝国騎士の全てを撃退する事は出来ない。
「獣車に行く、イニーを使うぞ。リュミールのことは守っておけ、出した瞬間に誰でも殺しかねない」
苦虫を噛んだかのような顔で告げられた言葉にリベイラも同じく表情になった。
帝国騎士を殺す事で満足するようならそれで構わない。だが、状況が状況だ。阿鼻叫喚の嵐ともいうべき場所でイニーに殺さない理由がない。
「それよりも先に獣車につくかどうかっすね。騎士らの姿はないっすけど確実にどこかで来るでしょうし」
兄オルテットが刺突剣を二本掴み警戒しながら歩き、妹テニアスもまた戦槌を片手に持ち、もう片手でリュミールの手を握り締める。
どちらもこの雨で僅かに握りが甘くなっているが解決する手段は今のところはない。布などがあればマシだがそうも
戦場の空気に当てられ、更に体調の悪さも重なり青かった顔色は最早土気色と形容できる色になっていた。今に倒れてもおかしくないような色だ。
「近くによってきた人は全員殴り飛ばしますけどいいですかね?」
リュミールの手を握り締め、有無を言わさない鋭い問いかけは道理がある。この面子で完全な警戒をするのは不可能。
不可能ならば一般人だろうと最初に一撃を加えれば問題は免れる。
「……急所は狙うなよ」
「はい。手加減はします。騎士だったら防御をするでしょうけど」
一般人が避難するのは軍の施設だ。中央にある大きな館。そこに逃げ込むか四方にある避難場所へ向かう。一方でリーゼらが向かうのは街の入り口。そちらに向かう商人などの数は少なくない。
門が商人たちによって込み合っていたのがここで裏目に出るとは、と考えたものの過ぎ去った過去ばかりはどうしようもない。
「ッ!」
不意にテニアスが動く。後方から迫る気配に対し全力で戦槌を振り抜けば腕には確かな感触が伝わる。
「数が多いし、ちょっと厄介かしら」
前に五人。後ろに殴り飛ばしたの男を含めて六人。前後あわせて十一人の騎士。双子が相手を出来るのはリーゼの予測で三人。防戦に限ればリベイラならば四人を相手に出来る。だがそれでも残る四人へ対処が足りない。
リュミールを含めたリーゼら五人を前後から挟み込むように立ち、逃げていく商人たちはその不穏な雰囲気に焦り更なる恐慌が起きる。
「逃げ道は……ないし交渉の余地も」
「ないでしょうね。まだ獣の方がありそうな予感がしてこないかしら?」
同じ形の剣を構える騎士。援軍はない。これ以上の戦力は端から期待できない。
だが元よりこの程度は承知の上での移動だ。それを覆してこそのリーゼ・アランダム。
それこそが墓碑職人。
「テニアス、オルテッド」
初めて、リーゼが二人の名を呼び。
「死ね」
「了解っす」
「はぁい。わかりましたー」
三つの戦端が開かれた。




