9話 暗雲の兆し
二匹の狂獣を連れた男が戦闘の跡を見ていた。
地面が不自然に抉られ、そこに雨が溜まり非常に歩き難くなっていた。こんな真似が出来るのは、彼も一度戦闘を行なった団長であるラウベイルフだろう。
ならば、それに対抗したのは特務の内誰なのか。
「特務で空間系術式を使用できるのは、二人か」
アイルカウ。そして、ダラング・ヒストネク。片や武器に込められた術式で、片や己の才能で。
直撃するとは思わない、常に動き回る標的に対し空間系術式を使うのは非常に難しい。
ルカの武装による一撃ならばもしかするとという事もあるが、単なる術式で戦闘に用いるのは何度が一つ二つ上だろう。
「だが」
そう、だが。特務の者ならばそれを行なうのではないかと言う疑念。過去の戦闘では使ったという情報こそないがそれ故に奥の手である可能性は否めない。
「獣とて扱うのだ。なぁ『陸の王者』よ。貴様の母たる獣のように」
過去の話だ。まだ男が二十台半ばの時に殺した獣。竜種ではないかと思う程に巨大な一匹の四足歩行の三つ首の獣。
大人二人分はあろうかと言うような大きさだった。
森の中を彷徨った男は、その獣と殺し合った。かろうじて勝利を拾い、そして生まれたばかりの獣が現在彼の隣に侍る陸の王者だ。
成長は百年単位なのか、それともどこかを機に大きくなるのか。二十年以上が経つ今も隣に座る獣は男の半分程度の大きさしか持たない。
果たして男が死ぬまでに過去に出会った親獣と同じ大きさになるのだろうか。
「……何か居たのか?」
突如『空の覇者』が警戒するように鳴く。刹那の間もおかず剣を抜き、更に周囲へと水弾を浮かばせる。
「団長、やっぱり凄いですね。私だったらもう追っていますよ」
「そうかなぁ? まー、でもこのぐらいはやれないとねぇ」
左右の森の中から、二十人ほどの騎士が男の前へと現れる。『陸の王者』は三つの首を別の方向へと向けて呻り『空の覇者』はすでに鳴くことを止めて男の肩を掴んだ。
互いに手を出せば無事ではいられないと言うことがわかる緊張感。
「用は、なんだ?」
「それは私らの台詞なんだけどねぇ。ねぇ、道化師団さん。アンタらが何を企んでいるのかは知らないけどさぁ、迷惑なんだよね」
ラウベイルフはすでにその巨大な斧を肩に担ぎ、ルハエーラは二本の剣を構えて即座の殺し合いに応じられる姿勢を見せている。
帝国騎士らは抜剣こそしているものの、団長と副長の後方へ円を描くように立っている。
戦力以上に逃亡を防ぐための布陣と見るべきだろう。
「何故、名を知った?」
男は逆に問い返す。それが最も不可解だというように。
「まさか帝国人には耳がないって話を信じてるわけぇ? 生憎と諜報網ぐらいは調えてるかなー。あんな派手に動かれたら誰だってねー」
聖皇国がすでに動いていたのだ。ならば帝国の耳に入らないわけがない。
だがそれ以上に。
「何故、道化師団だと初手で理解した?」
関連性など何もない。リュミールを助けるために動いた時も、その後にも道化師団だとは何も言葉にはしていなかった。
だと言うのに、何故露見したのか。
「ああ、こっちとしては引っかかれば面白い程度だったんだけどねー。王国の誰かなら目立ちそうなものだしねー」
狂獣を二匹連れた者ならば否応なく目立つ。だと言うのに帝国の耳に入ってこなかったのは何故かと考えれば、ここ最近で現れた道化師団の線が出てくる。
どちらにせよ、相手の所属など彼らにとっては大した意味を持ちはしないのだが。
「そうか。困るな」
「何が――っと!」
水弾が破裂する。小さな飛沫はそのまま、微小にして強靭なる針と化した。触れた場所から削り劣るような回転。
それに対してルハエーラは、常人では出せぬ反応速度でそれに応対する。炎術を展開し自分とラウベイルフの前に炎の壁を展開。小さな水は即座に蒸発し消えうせる。
しかし、後方にまで散った水の針は騎士の内幾人かの心臓を貫き、貫かれた騎士らは回復のために意識を肉体へと向けた。
「くっ!」
三つ首の獣が吼える。右の首が吼えれば炎が現出。灼熱の地獄に変えるような熱波が吹き荒れ、左の首が吼えることにより騎士らに向かい風の塊が放たれ、僅かに陣形が崩れる。
「切り裂け『空の覇者』よ」
『――――!』
キィン、と言う音がこの空間内に何故か、不可思議にも反響する。
全員の顔が歪むほどの音。精神系術式が織り交ぜられているのか、強烈な不快感を与える苦痛の鳴き声。
「まだ、死ぬには早い。特務に一人勝ちさせるのも、こちらは癪だ」
逃走のために全力を用いる。崩れた陣形を獣と共に駆け抜ける。その背中へと雷が放たれるも、しかし。
真ん中の首が吼えることにより、空間もろとも雷は砕け散った。
「さらば。またいずれ」
最後に置き土産として巨大な炎弾と水弾をぶつけ合わせ煙幕代わりの水蒸気を発生させる。
「待て!」
「追わなくていいよー。追ったら狩られる側になっちゃいそうだしねー。あーあー。あの三つ首は厄介だなぁ。三つの術式とかちょっと笑えない強さでしょー」
蒸気が晴れた後に残るのは、僅かな肌寒さのみ。それはこの気温から来るものかそれとも相手の強さを実感したからか。
何にせよ、奇襲を食らえば無事では済まない。逃走の手並みを見るに決して狂獣だけに頼っているわけではないのだから。
「団長、今ので殺せなかったのはやっぱり厳しいんじゃないですか?」
「私かそっちが死んでも良かったかもね。どっちが死んでも計画に支障はないしぃ。いっそ二人で殺しにかかっておけばよかったかなぁ」
「それでも逃げられそうですよね。ほら、特務の一人勝ちを許せないそうですし」
言葉を信じるのならば、最低でも特務を一人ぐらい殺しておかなければ勝負にも応じないだろう。だがそうなるような状況なら帝国騎士らは手遅れなのだが。
「まっ、彼らと真っ向から勝負するだけ損だしねぇ。君を犠牲にするのももったいないしぃ。どうにもこうにも難しいものだねー」
無傷で特務から少女を奪うのは難しい。だがある程度の傷を覚悟すれば難しいものではない。
決死の策を仕掛ければ不可能ではないのだから。
「逃走経路と、そこで可能なら幾人は始末した方がいいだろうしー。軍への警戒も必要だけど騎士数人を犠牲にすればどうにかかなぁ。そうすると鎧とかは放棄しないとなー」
彼らが掲げる大作戦『最後の騎士計画』が成功するには最低でも計画の名前通りに一人ぐらい生き残っていた方が成功率は高まる。
「手配は俺がやっておきますよ。んじゃ、さっさと行きませんか? 安全だと確信できる場所まで行かなきゃいけねぇっしょ。流石に、いつ奇襲受けるかわかんねぇっす」
どこかへ去ったあの男がまだ監視している可能性は非常に高い。
「それだな。移動しましょうか団長」
「そうだねー。よっし、それじゃあ時間の問題もあるし、早めにやっちゃおう。次の都市であの子を奪還するよー」
各自気だるげに返事を上げる。
皆が移動する中、ラウベイルフの目は挑戦的に森を射抜く。
「止められるものなら止めてみなさいな。こちらの作戦はどう転ぼうと失敗はないんだからねぇ」
挑発的な、それでいて妖艶な笑みで放たれた言葉は誰にも届くことなく冷たい風に紛れて消える。
―――――――
曇天の下でニアスの怒声が響いた。
「ア? 殺すぞハゲ頭」
「ふん。我をそう易々と殺せると思うか? 童子共ならばともあれ、貴様で我を即殺は出来ぬであろうが」
言い争う二人をリュミールが怯えた目で、顔色を青くしながら見つめていた。少女の前に居るダラングは我関せずとでも言うように術式の講義を続けている。
「術式の始まりはまず、行なえるという確信なのよ。貴方は自分が何でも出来ると思ったことはあるかしら? その感覚こそが術式の最初よ。突き詰めるならば自然と理論を学ぶ事も必要になるけれど。まずは、炎を出す練習から始めてみましょうか」
困惑顔のリュミールを意に介すことなく、しかし語る口調は学院の教師でも務まるのではないかと言う程に淀みない。
「……何があったんだ?」
騒ぎを村人から聞いたのか、怒声が耳にまで入ってきたのかリーゼが溜息混じりに睨みあっている二人の元へとたどり着く。
手に持つ術式阻害の短剣を使うかどうかは、その場次第だろう。
「大した事ではないわよ。単純にいつもの喧嘩だしね。足を踏んだかどうかなんて自然にくだらないと思わない?」
それぐらいでここまで殺気を撒き散らす事体になるか。そこを疑問視するほど特務に不慣れではない。
問題なのはそれぐらいで術式を使うか否かの展開になっていることだ。
「おい馬鹿二人。子供の前で恥ずかしがれよ。喧嘩を見られて興奮する変態性まで持ってるのか?」
「お節介焼きな隊長さんなことだな。ったく。そろそろ移動か?」
「ふん。喧嘩を売ったのはこやつだ。我は買うことすらもせぬ。先に獣車へ戻っているぞ」
空気が悪い。普段からこんなものだと言えばそうなのだが、やはりどこか歯車が噛みあわないとでも言うべき違和感が残る。
原因はやはりリュミールなのだろう。子供の扱いが原因となり元から薄かった関係に亀裂が入っていると見るべきか。
荷物を纏めに小屋へと入るニアスと背を向けて歩くムーディル。二人に限らず、他の部分も注意する必要があるだろう。
「厄介なもんだ。……食料を積み終わったら移動だ。術式はもう使えるようになったか?」
雰囲気を僅かでも変えるためにリーゼが問うも、教師役のダラングも生徒役のリュミールも首を横に振る。
「その、あまり、才能が」
「才能ではないでしょうね。最初の一歩は年齢が重なるほど遅くなるものよ。だから自然と術式は若いうちに覚えるものだけれど……。帝国騎士たちが教えていないのが問題よね。普通は六歳の内に日常用の術式ぐらいは覚えるものだけれど」
術式を全くと言っていい程に教えてもらえなかったのだろう。
逃亡を防ぐためなのか。他に何かしらの、術式を使える程の能力があってはまずいのか。
そこまでを知る術はないのだが。
「詳しく聞いてなかったが歳は幾つなんだ? 見た所、十二、三ぐらいだろうが」
他の者に言っていたとしてもリーゼの耳には入っていない。精確な年齢も調べようもないだろうという事で後に回していた情報だ。
実際知ったところで何かの役にも立たないのは間違いはない。
「えっと。私は、十三歳です。あの、ニアスさんと、ムーディルさんは、大丈夫ですか?」
「いつも通りだ。あの程度は道中でも何度かあるだろうが気にしなくてもいい。しかし十三か。俺がその歳の頃は何をしてたもんだったか」
村に着くまでは御者として。そして着いてからは眠らずに隊長として今後の計画を組み立てていたのだ。眠るのは獣車の中で行なうに限ると決めたのだろう。
道中で襲撃の可能性はあるにしてもそうなっては策など役に立たない。
「今、えっと。リーゼさんは何歳、なんですか?」
「ん? 確か、今年で二十三か四だった気がするな。……そろそろ雨も降りそうだ。早く獣車に戻った方がいい。俺は村長に挨拶をしてくる。ダラング、頼んだぞ」
「私に? 不自然ね……。いいわ、ニアスと一緒に向かうわね」
念の入れすぎではあるが護衛として二人を残しリーゼは一晩宿を貸してくれたことを感謝しに村長の村へと向かう。
空に浮かぶ暗雲は雷が落ちかねないほどの暗さ。また雨が降るのもそう遠くはない。
「やれやれ。行こうとしてこれか。先行きが不安だね」
幾度目ともなる言葉を呟きリーゼは、やはり幾度目かわからない程の溜息を漏らした。




