7話 暴雨の一撃
「向こうは動いたかい。ならば我らも動くとしようかいねぇ」
どっこいしょと、でも続きそうな仕草と共に、穏やかな印象を受ける声でその女は立ち上がる。
空に浮かぶ雲のような灰色を持つ髪に、ぼたん雪のように纏わりつく笑みを浮かべる女。
名をラウベイルフ・ガーグザッド。通称『斧』と呼ばれる第三騎士団長。
過去の戦争では五百の兵を率いて補給線を切り裂き回った有翼族の女。
「しかし隊長、いいのですか? どう考えても罠ですよありゃ」
副長に付き従っているのは貴族派の私兵から上がったものが多い。
そんな彼らを纏める彼女もそれは変わらない。貴族の思惑を悟れるぐらいに賢いというのを除けば。
「貴族の猟犬は反逆者のラクラントスを見逃せないでしょうし、坊やも元貴族としてねぇ。あの子も取り戻した方が楽だしねぇ。罠は罠でも引っかかる価値はあるかなぁ」
「はっは。いいっすね、俺らに死ねってことっすか。ったく、アンタの命令じゃなきゃ従いたくねぇっす」
彼女の下に付く騎士らは荒くれ者と言った方が正しい。私兵である事には確かだが、殺しても構わないような私兵たちを送りこむ貴族も居る。
彼らとて死ぬのは遠慮したいと考えるため必死で働くものだ。逃げたとしても逃げ場などはないのだから。そして恐怖以上に金が手に入る。
「正直、どうっすか? 俺ら生き残れますかい?」
雨は合羽を纏うことで防いでいるが、それでも気だるげに欠伸と共に身体を身震いさせる。男の欠片も信じていない口調に対してラウベイルフは何を思ったか、それとも何も考えていないのか。
「死ぬ時は死ぬし、死なないときは死なないでしょうねぇ。アンタ雪国で生き残れたの実力とか思ってるの?」
「そういやそうっすね。運はある方っしたわ。んじゃお前ら行くぞー。お前は全力で南部まで駆けて計画は問題なく進んでるって言っておけやー」
「ういーっす」
鎧を着込んでいない騎士が軽い返事で駆けて行くのを見送り、ラウベイルフは立ち上がる。
手には何も待たないまま、欠伸交じりにこれからどこかへ遊びにでも行くように。
「そんじゃ仕掛けてみようか。あー、こっちには今何人?」
「こっちは八人っすね。もう数少ない精兵なんで使い潰されたくはねーってのが俺らの総意っすよ」
「はいはい。でも三人ぐらいは死んでねー。こっちも遊びにいくわけじゃないんだしさー。それじゃ、少しはがんばろっか」
はぁ、ともう一度気だるげに息を吐くきながら歩く始める。その背後に従う男たちもまた気だるげに、しかし殺意を備えながら。
雨の降りしきる中を走れば、その獣車はすぐに見つかった。しばらく、半日ほどは副長らも仕掛けはしないと考えラウベイルフは内部を探るために意識を研ぎ澄ませる。
音は雨に紛れて聞こえない。御者は騎士なら時間はかかるだろうが殺せると確信できる程度の実力者。
内部に潜むのは、探れるだけで一人分。残りは気配を消しているのだろう。しかしいつまでもその気配を隠しきれるわけではない。
「相手が二手にわけたことだしこっちは四方から襲撃をかけようか。向こうに四人居るんだし、こっちもそんなものでしょ。周囲に敵もいなさそうだしねぇ。あ、三人は最初に自爆していいよー。その方が計りやすいし」
あっさりと口にされた死に部下の騎士たちは苦笑いを浮かべる。
並みの者ならば抵抗するだろう。腕に自信を持つ騎士たちならば尚更だ。
しかし、それが出来ない。彼女が持つ実力は言ってしまえば騎士らを凌駕する。
「んじゃ三人適当に選びますわ。お前とお前とお前な」
あっさりと決められたことに騎士らはやはり苦笑いを隠せない。どちらにせよこの仕事が終わるまで生き残れるはずもないのだから、最も苦痛の少ない死に方が与えられることに感謝すべきだろうと考えているのだろう。
「それじゃ半日後に突撃ってことで」
「ういーす」
止まることのない獣車を追うだけでも疲労は溜まっていく。ぬかるみの地面を走る以上、その疲労は常とはまた違う。
それでも早くの襲撃を避けるのは相手の罠を警戒してのことだ。ないと思考するのが普通。しかしここが敵地である以上は油断など出来るはずがない。
「でも、どこまで対応できるのかは調べておきたいんだよねぇ」
「なんすか?」
「んーや何でもないよ」
問いにラウベイルフは首を振る。言ったところで意味のないものだ。
しかし生き残れるのならば話してもいいと考えてはいるのだろう。
「それじゃあ、そろそろ行こう。散開、爆発、突撃ね」
ぬかるみを感じさせない足取りで自爆を命じられた騎士は、走る。
雨ゆえに音を殺すことは出来ていない。すでに近づいたことは露見しているだろう。ならば特務は後方から迫る彼らを相手にどのような動きをするか。
「とはいっても取れる手はあえて爆発に巻き込まれるか、普通に迎撃するかだし。特務の性質を考えると力押しかなぁ」
それなら更なる力で押し通ればいい。気楽に考えるラウベイルフは駆ける騎士らを眺め。
獣車の扉が開け放たれ、中から光が溢れる。一時的な目くらまし、だが走る騎士三人の足を止めるものではない。獣車の背後から更に迫り。
突然、彼らの姿はその場に崩れ落ちた。
「弓かー。うーん。術式の警戒はさせてたけどまさか弓で来るとは思わなかったなぁ」
「戦争の時ぐらいしか使えない物だっていうのに。ああ、でも特務の隊長は内乱経験者だったわね。でも普通は術式でしょうけどねぇ」
あえて弓を使って騎士を殺したのは術式に対して反応が出来ると予測したためだろう。
熟練の騎士は術力を感じるだけで身体が反応する。その点で言えば弓は術力を感じないものだ。視界を塞げば当てるための準備は出来る。博打としてはおそらく分の悪い賭けなのは間違いがない。
「それじゃ爆破は失敗したけど突撃しましょう。私も一撃目は全力でいこうかなー」
腕を振るうことで騎士らは四方へと散る。ラウベイルフもまた駆けた。そして何もない虚無へと腕を突っ込んだ。
まるで肘から先が消えたように見える光景だ。だが断たれていないのは今も動いているのを見ればよくわかる。
「帝国の製鉄技術と加工技術は世界一だからねー。悪いけどその獣車は壊しておかないとかなー」
引き抜かれた腕に掴まれるのは巨大な戦斧。彼女の倍以上もある大きさ。
帝国技術の粋を尽くして作られた神の武器へ届かせるほどの武器。
「ゲッ、まさかいきなり『拒絶の産声』っすか?」
「巻き込まれないように、他の騎士らにも伝えて頂戴ねぇ。遅いかもしれないけどさぁ」
口角を吊り上げ、獣車の右前方に回りこみ。
ラウベイルフはその斧に込められた術式を展開。
――空間が、破壊される。
「……損ねた。やるねぇ」
彼女の横を通り抜け獣車は走り去る。騎士らも吹き飛ばされることだけを主眼とした術式を食らったようで、死者も傷も見えはしないが獣車から離れた場所で膝を付いている。
「ウへ。マジっすか。何でも破壊できるように作られてるんじゃないんすかそれ」
「同じ空間系術式だと相殺されるよぉ? まー、これで相手の出方は概ね読めたかなぁ?」
武器の一手を晒した代償として、何をもって囮などをしたのか相手の戦力はどれ程か。
死者が三人と武器の力を晒して得られる情報としてならラウベイルフは上々だと考える。
「アレなら殺すのは難しくないねぇ。あ、追うのやめやめー。追うだけ無駄だよー。向こうにも報告しといてねー。南部で仕掛けようか本気でねぇ」
去っていく獣車は相当の無理をさせているのだろう、すでに豆粒ほども小さい。
「うっす。それじゃあお前とお前は報告と連絡だ」
「了解しましたー」
「ういーす」
二人の騎士が先ほど弾き飛ばされたときに頭を打ったのか兜を抑えながら頷き姿が掻き消える。
一団は去っていった獣車を見る事もなく、その姿を静かに消した。
襲われたリーゼらは、開かれた獣車の中で追う姿を探す。しかしその姿が見えない事に安堵の息を漏らした。
策とは言え、愚策に属するものだ。個々の実力に頼るなど策などと呼べる者ではない。
「それでもこれが最善と言うしかないか。おかげで相手へどれくらいの警戒をすればいいのかはわかった」
「そいつは嬉しい知らせだぜ。イニーを使わなかったのも含めてな」
使っていればあそこで足を止めての殺し合いとなっただろう。イニーを使うというのは互いが果てるまでの殺し合いを行なうという事に他ならない。
ウィニス副将軍が居たならばそれを行なうのも悪い手段ではなかっただろうが、言っても意味のない事だろう。
「んでどれくれぇの警戒が必要なんだよ」
「最大限だろうな。山にぶつかるとまでは言わないが、壁を殴る趣味でもあるなら別だぞ」
「生憎とルカみてぇな趣味じゃねぇよ。まっ納得するぜ。騎士らは殺すのに問題はねぇが、あの女はヤベェな。武器はともかく実力は頭一つ上だ」
リーゼが見たところでは彼女、ラウベイルフを殺すのにはイニーともう二人が必要だろう。だが生きているだろう副長ルハエーラのことも考えれば単純に戦力を分けることも出来ない。
各個撃破をしなければ危ういという確定情報。そして、隊長と副長は常に共に居るわけではないというのがもう一つの情報だ。そして命を捨てにくると確信を持てたのも、情報に入れるべきだろうか。
「そもそも情報を得るためにおびき寄せるのはどうかと思うわよ? 自然に殺せなかったの?」
「空間系術式を使った武器は、三格神具かそれ以上の可能性もある。それを軽々使える時点で戦闘は無茶だろう。相手も四方から畳み掛けられると厳しいしな。前衛が少ないのが痛い」
「同意見だ。俺ぁ分の悪ぃ他人の賭けに乗る気もねぇしよ。……おい馬鹿! 全力で走らせてっか?」
「走らせてますよー! 死ぬかと思いましたよさっき!」
内部から外部へと荒げた声をかけ、返答はやや涙ぐんだものだ。
最も死ぬ可能性が高いのが、今回御者だった。最初の一撃が術式でなく物理的なものであったのならば、ルカの初動が遅れていたとすれば死んでいた可能性が高い。
「あははは。あの術式変なのだったねー。私の『虚砕き』片方壊れちゃった」
そういってルカが笑いながら片手を上げれば、手甲と共に腕がひしゃげている。おそらく骨まで。
何か圧倒的な質量によって押し潰されたような有様だ。
「私の術式が間に合わなかったら自然に死んでいたわね。……空間系術式を攻撃に使う武装なんてないはずだけれど?」
「王国には、という事だろう。帝国では製造に成功しているか、それとも準格神具かだが。リベイラ、ルカの治療をしてくれ。ニアスとダラングは警戒を」
「アンタはどうすんだ?」
手持ち無沙汰になるリーゼに怪訝そうな声をかければ、問われた本人は仕方ないとでも言うように溜息を付いて前方を指差す。
「御者を代わってやるさ。あまり獣に好かれる方じゃないが、あと半日ぐらいなら構わないだろ」
面倒くさそうに溜息を付きリーゼは外へと出る。相変わらず雨の勢いは酷く、最低でも数十日はこの雨は終わらない。
同時に、騎士との攻防も簡単には終わらないという事を予想させた。




