第三幕 狩りの支度 ①
鳥の鳴き声がどこからか聞こえてくる。
空は昨日と同じように雲ひとつない快晴。血に塗れたままの軍服も、血がついたシーツも、全てを柔らかく包み込むような日差しが安眠しているリーゼに注ぎ込んでいた。
僅かに開けられた窓からは小さな風が吹き悪戯に頬を撫でる。
そして。眠りを妨げるように、ドアが壁へと叩き付けられ轟音が響いた。
「な、なんだ、襲撃か?」
破砕音に驚き、剣を抜こうとしたリーゼの上へと飛び込んできたのは、赤髪の小さな子供。
「リっちゃんリっちゃん朝だよ朝だよー! ご飯だよ! あははは、あ、まだ寝てる! ダメだよ起きないとー。イニーだってもう寝たんだよ! 危ないよ!」
華奢な身体がリーゼの腹に乗る。
揺すられ胡乱な眼をしながら、混乱したかのような顔で周囲を見渡したリーゼは、朝から溜息をついて力なく呟いた。
「……おはよう。随分と目覚めのいい起こし方だけど、全員にやってるのか?」
やや不機嫌を全面に押し出して言うも、ルカにそんなものが通用するわけもなく。
首を横に振る事で答えが返ってきた。
「違うよー。えっとね、ゲンちゃんが危ないから今日は起こしてやれって」
馬乗り状態のルカを押しのければあっさりとどいた。
そのままベッドの下に降り、身体を伸ばしながら今の言葉を反芻する。
して、気づく。一日で嗅ぎ慣れた血の臭いが部屋の外から漂ってくることに。
「……なるほど。危ない、危ない、ね。一応聞くんだが、外に何かあるか?」
「もう何もないよ?」
求めていた答えではないものの、それはつまり、血の臭い漂う何かはあったという事だろう。
「ああ、そう。そうか」
「うん。でもリっちゃんだと夜寝る時はちゃんと誰か置いておかないと殺されちゃうよ? ゲンちゃんがイニーに言っててね、それで殺してたんだ。あはは」
つまりリーゼの命を守るためにイニーを配置したと言ったところか。
そのために殺すというのは後味が悪いが、そもそも殺しに来た相手なのだから問題はないのだろう。
ついでにイニーへ生贄を捧げたと見れば一石二鳥で手間が省けるとも取れる。
「……そうか、わかった。それで飯だったか」
立ち上がりもう一着あった上着を羽織る。臭いは気になるが、それよりも空腹の方が先に立つ。
着替えている間は、本当に子供のようにベッドに座り足を揺らすルカ。
それだけを見ればただの子供だ。
「うん。じゃあいこー。一階だよー」
「……その前に壊れたソレ、どうするんだ」
「んー。勝手に直してくれるんじゃないかな」
着替え終わったのを見計らい外に出た小さな背を追いかける。
中は昨日と同じように暗い。しかし活気というか、それとも生気と言うべきか。人が活動している気配は感じ取れた。
「そういえば。特務以外は何人構成なんだ?」
微かなざわめきを耳に入れながら、階段を楽しそうに下りるルカへと問いかける。
跳ねるようにしている状態を保ちながら後ろを振り向き、時たま足を踏み外しそうになるがすぐに体勢を立て直す。
「んー? えっとね。色々な事されてる人たちは沢山いるよ! 居なくなるのも早いよ!」
的を射ない感想に苦笑いを浮かべる。
消耗が激しい、という事なのだろう。任務か、諍いか、特務に殺されてか。そこはわからないが。
「なるほどな。まぁ、食堂でソイツらも見れる、か」
「うん! でもリっちゃん以外の皆はあんまり食べないんだー。他の人たちは食べれる物決まってるし、皆は食べない時もあるしー。付き合ってくれるのゲンちゃんだけなんだー」
残念そうな顔をしたと思えばすぐさま笑顔になる。かと思えば難しそうな顔をしたりの百面相は見ていて微笑ましい。
と、歩いていると前から不健康な顔をした者が近づき、ルカの姿を見た瞬間に壁に背を付ける。
恐ろしいものを見るように。おぞましいモノを見るように。
背を付けて避けるなんてものはまだ生やさしいもので、酷い男は顔を青ざめて逃げていく。
「……ルカ、何かしたのか?」
「え? ううん。何もしてないよ?」
そんなわけはない。近づいたら死ぬとでも言わんばかりの様子を見て、その言葉を額面通りに受け止められるものではない。
何もしていない、その言葉の前にはおそらく「特別な事は」という言葉が付くはずだ。
狂人の言葉を額面通りに捉える事は出来ない。
「今日はお肉と卵かなぁ。ご飯とってくるからリっちゃんは席お願い」
通路を進んだ先には広間があった。机と椅子が並べられた食堂。配給係りのような女が暗い眼で食べ物を置いていく様は食欲を失わせる。
ただこの場に居る者はそれを気にしてはいないようだった。
喚きながら食う男、泣きながら食べる女。眼が明らかに正気でない男、などなど。外に向ける程の余裕がない者が大半。数少ない正気を保っているように見える奴らは全く気にしていない。
慣れなのだろうが、それもまた恐ろしい話だ。
「席って言ってもな」
ルカが通るたびに割れる人波に半笑いを浮かべ余り人の居ない端へと座る。
微かに残った者はぎょっとした顔で服を見て、飛び上がるように周りから消えた。
「ただいまー。はいリっちゃんの」
料理は簡単な物で、焼いた肉と目玉焼き。
山盛りのが自分のらしく並ぐらいの方を渡し、ルカは早々に食べ始める。
急いで食べているわけではない、はずだ。食べ方は教育を受けたように見える程度には綺麗だ。なのに、何故か粗雑とも言える食べ方に見えるのは何故だろうか。
考えて気づく。味わっているように見えないからだと。どうでもいいことだが。
一口食べて、味わうものでない事に気づく。言うなら摂取か。胃に入れて消化するだけの物なのだ。
到底この世に出していい食事ではない。
「ルカは他の奴と仲がいいのか?」
ふとリーゼは気になった事を問いかけた。
無邪気、とは言い切れないのかもしれないが明るい性格だ。核となり皆を繋げる存在が誰なのかを知る必要があると思い、問う言葉に返るのは否定。
「んー。仲がいいとかないと思うよー? リっちゃん変なのー」
笑顔で言う言葉ではない。普通の部隊ならば。だがしかしここは常識の通じない場所でもある。
仲の良さなどないのならば、彼らが殺しあわないのは単純に利益からだろう。
殺さないからお前も殺すなという暗黙の了解か。
「あくまで仕事仲間、って所か?」
「うーんと。一緒に居ても逃げないから、一緒に居るのかなぁ。えっとね。皆に会う前に仲が良かったのはキーツなんだけど、キーツと居た時と違うから仲がいいとかじゃないと思うよ?」
首を捻りながら言葉を探していたが、すぐに諦めたのかまた食事に戻る。
逃げないから、一緒に居る。
難しく考えればいろいろと答えが出た気になるだろう。それなりに納得の出来る言葉だ。
狂人といえども一人は嫌だと言うことだろう。
単純にルカの欲求を叶えるのに一人では物足りないからかもしれないが。
「ちなみにそのキーツって奴は誰なんだ」
「仲良しだった人ー。もう居ないけどね!」
特務に入る前に共に居て、そいつが死んだために特務に来たとリーゼは判断する。
死んでおらず何かがあったのだとしてもおそらく何の関係もないだろう。
「ご馳走様でした! それじゃあ私は行くねー、リっちゃんはごゆっくり!」
楽しく話しをするというわけでもなく、待つことも無く立ち去った後ろ姿を見送り、周囲の視線を感じてリーゼも急いで胃へと飯を入れていく。
その間にも、先ほどまで感じていた恐怖からの視線は、ルカが居なくなった事で殺気に近いものへと変貌している。
このまま此処に居ればおそらくそう遠くない内にリーゼへと害を為そうとする動きが見られるだろう。
「おいおい隊長さんもうちょいゆっくり味わえよ。つってもここの飯なんか不味くて食えたもんじゃねぇか。ルカは舌も苛め抜く体質だから笑えねぇよなぁ」
殺気が収まり先ほど以上の恐怖の視線、いや畏怖の篭った視線が集まった。
原因は、言うまでもなくニアス。
「道理で最高の飯だと思った。お前らが来ないのは自分の舌を大事にしてるからか?」
「舌を満足させねぇなら生きてる価値はねぇ奴らが大半でよ。隊長さんもそうなら次から来ねぇ事をお勧めすんぜ」
つまりマズイ料理とそれを食う苦行が趣味のルカしか来ない、という事だ。
「……なら、何で他の部隊の奴は来てるんだ?」
「そりゃ特務に関しちゃ食事制限かかってねぇからな」
「おい。食っていいものなのかこれ」
「不味いって点を除けば問題ねぇんじゃねぇの」
不安になる言葉しか返ってこなかった。だが、実際にルカが食べてなんともないのだから平気だろう、と曖昧な気分のまま流す。
「それで? 何の用だ?」
「愉快な任務が入ったぜ。つい癖で見ちまってよぉ。ほらよ」
丸められて投げられた紙を受け取り開く。
軽く目を通し、息を吐く。
生ぬるい自分が抜け切らないもどかしさ。完全に復調していない事は自覚していながら、それでも抜け出せない感覚。
知らず知らず自分が泥の中に居たのだなとリーゼは自嘲気味に内心だけで笑った。
自分の鈍さに対して。
「わかった。構成と作戦を決めよう。リベイラの部屋がいいんだったか? 案内ついでにお前も参加しろ」
「読むのはぇーなぁ。了解了解、んじゃ行くか」
周囲からの視線を意図的に無視して歩く。
頭に入れた紙を燃やして灰にしながら思考を加速させる。
王都内部で不穏な動きをしている傭兵が居るのでそれの調査。
場合によっては殲滅も視野に入れての行動。
候補となる傭兵団の名は『獣戦士傭兵団』であり。そこは、今現在ベルグが所属している傭兵団だ。どういう風に動くにせよ、一度会っておく必要がある。説得できるのならばその方がいい。
一瞬でそこまで判断するのは昔とった杵柄といえるものだ。そして、そうでしかないものだ。
「そうだ。任務の紙、以後は気をつけてくれ。他のことに口を出す気はないが、流石にそれは不味いだろ?」
互いのために、と視線だけで釘を刺す。それはニアスも十分に理解しているだろう。
なのに情報を取った理由。紙が一枚であったという保証すらもないのだ。
そこですら気が抜けない。
「ああ、あいよ。今度からは気をつけるぜ」
「頼む。しかし、お前らは本当に何をしてるんだよ。この怯え方は尋常じゃないだろ」
ルカが歩いていた時よりも状況は酷い。
歩けば人波が割れる、どころではなく。歩けば人波がいっせいに引いていく。
元隊長として何をやっていたのか想像に難くない。
「見せしめに殺しただけだっての。後は部隊の奴らに手出して勝手に死んでく奴らが多いからな」
王国の軍内部でここまで殺伐とした話が聞けるとは誰も思わない。いや、噂ではそういう話もありはしたのだが。
まさか噂の六割以上が真実とは誰も予想出来るはずがない。
「はは。じゃあそのついでで俺に手出すやつが居なくなればいいのにな」
「無理だろ。俺らへの怨恨で死んだ隊長さん一人居たぞ」
嘲笑するような顔で言われリーゼの肩が重くなる。
砦内で殺されかねない状況が頻繁にあると言われたようなものだ。それもまた仕方がないだろう。
「ルカあたり、砦内の護衛に……無理か」
「遊んでやればやってくれんだろうよ。そこらはわかり易い奴だからな」
傷つけてやれば護衛をしてくれる、という事だが、控えめに言って頭がおかしくなりそうな状況だ。
命を守るためならばそれも仕方がないのかもしれないが。
「おうリベイラ。隊長さんが一発やらせろだとよ」
「言ってない。一言もだ。それに俺は貞操観念ってもんを養父に嫌ってほど叩き込まれてるからな」
「ああ。緑髪将軍の……。孕ませていい女は三人までだったかしら?」
「そいつは道徳的だ。感動的だなぁおい」
王国は一人の男に五人までの女性が嫁ぐ事が可能となっている。とは言っても女性の嫉妬と金銭的な事から多くて二人というのが一般的だ。
婚姻関係、恋人関係ない女性と一夜を共にする事は特に問題視されてはいないが、仕事仲間と行う事は白目で見られやすい。命を預け合う立場だと言うのに優先順位が決まってしまうからだ。
自制が出来る者たちならばそこまで言われる事はないが、あまりいい顔はされないものだ。
と、考えればリーゼの習った事はお世辞にも行儀がいいとはいえないものになる。
「……養父の右腕に遊びで女を抱くなって教わった。クソ養父の教えを知ってるとはな」
「父が何度か診た事があったのよ。私は面識ないけれどね」
実際にリーゼの養父は常に女性を侍らせていたような存在だ。曰く『強い男は女を抱く権利がある。それが俺の部族の方針だ』なんて言っていたが、
リーゼ自身はそれを言い訳か何かだと思っている。
「まぁそんな事はどうでもいい。調査任務なんだが、情報のあてはある。王都内で俺の護衛。そして調査を行う班に分けようと思うんだが」
「無理よ。彼女たちが命令に従うわけないじゃない。護衛ぐらいならルカがやってくれるでしょうけど、調査なんて真似……ニアスが可能なぐらいじゃない?」
「俺は別件があっからやらねぇぞ。命令違反で罰するかい、隊長さん」
出来ないだろうと高を食っている、のではない。現実的にやればどうなるのかを理解してニアスは言っている。
初日で理解できるように、この部隊の面々は自由だ。権限がどこまで与えられているかについてリーゼは知らないが、権限の有無に関わらず無理に動かせばいつ闇討ちされるのか、いやこの砦内で殺されそうになっても無視する可能性すらある。
後々の事まで考えればこの場はルカだけを連れていくのが無難だ。
「……罰する意味がないな。死体はこの軍内部で手に入れる以外に道はあるのか?」
「いや、ねぇぜ。任務の時に外に出た奴が死体処理に言って貰うぐれぇだな。生きたままなら情報吐かせてから貰うって所かね」
しかし、無難を選ぶぐらいならば、軍に戻る事はしていない。
「可能な限り生かして学者二人に渡す。ついでに、山脈の話。これで引き受けるか?」
「山脈たぁ、ふっかけてきたもんだ。未踏山脈の情報なんて出回るもんじゃねぇってのによぉ」
「話せるのは未開地に住む種族の情報だ、金にすればとんでもないが。これでアイツらを引っ張りだせるな?」
大判振舞いであるという自覚はある。リーゼとしてもこんな情報をばら撒くつもりはない。
しかし、物事は最初が肝心だ。最初にでかい情報を渡せば有効価値を認められる。余りにも魅力的な場合は命に関わるのでそこの些事加減が問題なのだが。
「問題ないと思うわ。ニアスも、あんまりいじめたら可哀想だからやめなさい」
「ハッ。流石お医者様はお優しいこって。情報収集はついでにやってやる。解体馬鹿と研究馬鹿も引っ張りだしてやるが。てめぇの動き次第だぜ」
要は、参加はさせるが面倒なら動かないということだろう。
扱い辛い。肩書きで渋々ながらでも従う者ならばまだ理解も可能だが、目的のみで動く奴らほど扱い辛い兵は居ない。
「わかった。一応聞くが、イニーは除外していいんだよな?」
「大通りを殺戮現場にしてぇっつー愉快な趣味持ちだとは知らなかったぜ」
予想通りと言うべきの返答だ。
実際に殺意の塊とでも言うべき存在が敵味方の区別を、いや戦闘者か否かの区別を持って殺すとは思えない。
流石に強敵との戦いの最中にそれを放り出してまで殺すなんてアホなまねはしないと思いたいが。
今回はとりあえず、ルカを護衛にするので決まりか。
八軍の食事 …… 拷問と言ってさしつかえない。
五人と結婚可能 …… 金と顔と性格と強さがないと無理です。ハーレム気質だったらいける。
未踏山脈 …… 危険過ぎて未開となっている山脈。交流はあるけど情報は出てこない。
殺戮現場 …… イニーさんはイイ性格してます。




