2話 少女は雨と共に
ヒロムテルンは後ろから飛び出ると同時に周囲へ術式弾を左の森の中へと撃ち込む。
御者である二人は驚いた顔で、弾の放たれたことを見て、前に倒れる少女を急いで拾い上げる。
「な、なんすかいきなり! 獣でも出たんすか!?」
「なんかこの子全然反応ないんですどぉー?」
獣車を引くのは戦闘用ではない獣だ。臆病さと足の速さが特徴なのだが、それが反応しないと言う事は敵も対処方法を心得ているという事だろう。
「ニアス! ルカ! 出ろ! ヒロムテルン敵の数は!?」
「五人です!」
言葉と共に、騎士が雨の後特有の臭いを放つ森の奥から飛び出す。その姿は確かに五人。
全てが黒塗りの鎧に、片手もちの長剣という揃いの姿。
「ムーディル、ダラングは術式展開」
「もうすでにやっている」
「そのぐらいはね。私たちは自然に子供じゃないのよ?」
帝国騎士が走る先に巨大な氷の壁が作られ、更に左右から炎槍が二十ほど展開される。
突破するか、それとも上から逃げるか。
騎士たちの判断瞬時に行なわれる。
すなわち、三方向。
一塊となっていた騎士たちは中央に居た男が上に、そして四人は左右に分かれる。
「悪ぃな騎士共。数の暴力で死ねや」
気だるい口調で、左に待機していたニアスが踏み込み剣を一閃。鎧の上から無理やりに騎士の上半身を叩ききる。
しかし、ぬかるんだ地面だからか、それとも腕の調子故にか断ち切るとまではいかず。
「ッ!」
身体を断たれる寸前の騎士がニアスの腕を掴み。
後方の騎士が捨て身覚悟で剣を振るう。
「ムーディル、ダラング」
「捨て身は怖いわね」
「ふむ。……必死であるというのは、恐ろしいものであるな」
右側のルカも同じ状況。それを左右に別れた状態を見たと同時に予測していたリーゼは予測の通りに命令を下し、氷の剣が騎士の四肢を裁断し解体すると同時に炎の槍がルカに迫る騎士の頭ごと焼きとばす。
「最後だ、双子。しっかりやれよ」
「あいあいさー!」
「問題ないっす!」
兄の細剣が突き出されるが、騎士は空中で身をよじることによって避ける。更に、上空へ跳んだ妹、テニアスの振り下ろす戦槌を強化された片腕で殴りつけることで無効化。
だが。
「綺麗な殺し方だな」
「それ程でもありません。……リベイラが睨んでますよ?」
殴りつけた瞬間にヒロムテルンが短剣を投擲。黒い兜の隙間から眉間へと突き刺さり呆気なく騎士は絶命する。
そもそもリーゼが戦闘面で双子に期待できることはない。使うとしたら、本命への繋ぎが精々だ。そして双子もそれくらいは理解している。
「油断できる相手じゃないだろ。そもそも、こっちだって万全じゃない。下手に自爆術式でも使われたらと考えればな」
即座の判断で決死を選択できるような者を相手にしていては、油断をすればリーゼらが狩られる立場となる。
これから先の長さを考えれば可能な限り消耗を避けるべき。そう考えるリーゼにリベイラを抜いた全員が賛成するだろう。
「……リベイラ、そんな眼で見られても困る。というか今にも殺しそうな眼で見るな」
「理性では理解しているわよ。ただ感情的には納得がいかないというのは覚えておいて。……たまに、貴方たちを首だけにした方が死者は少ないような気がしてくるわね」
例えこの場に居る全員を首だけにしても被害は変わらないだろう。それでもと思ってしまうのはリベイラの性質によるものだ。
だがしかし、騎士を逃せば更に被害が増えるのも確実と言っていい。
「悪いな。それで、その子はどうだ?」
リベイラが抱えているのは青い髪をした人族の少女。襤褸切れのような布を申し訳程度に纏っており、髪は非常に汚い。
顔立ちは整っているが拭われた泥の跡が見える。どこにでも居ると言えばどこにでも居る。問題なのは。
「ヒロムテルン」
「うん。その子を追うような気配だったよ。焦りがあったように感じたけど。……気絶しているのかい?」
抱えられている少女を見るためにニアスとヒロムテルンが寄ってくる。研究者二人とルカは興味がないのか獣車の中へと戻っていく。
「ええ。肉体的な疲労が随分溜まっているのと、私が抱き上げた時に意識を失ったから精神的なものもあるでしょうね。騎士に追われるなんて随分と物騒な子ね」
「そうだな。ついでだ、中に入れておいてくれ。……なんだニアス」
「いや。なぁに。どうすんのかと思ってよ。妙なガキを放り出すのはアンタ的にどうなのかってのも気になっただけだ」
にやにやとした人を馬鹿にするような笑みは変わらない。だが違和感があるのはリーゼだけではないようだ。
リベイラやヒロムテルンも眉を潜めてニアスの顔を見ている。
「……騎士が追いかけたのなら何かあるだろうからな。下手に都市においても襲撃される危険がある。なら俺たちが連れていた方がいいとは思うが。……何にせよ、その子が起きてからだ」
明確な断定を避けはするものの、見る限りニアスの心情は少女を保護する方向に傾いているのだろう。それは過去のことがあるせいなのか、なけなしの良心がためなのかは判別が付かないが。
「はぁん。まっ、それならいいけどよ。おい双子ぉ。鎧剥いで死体燃やすぞ」
「あ、はいっす」
「わかりましたー」
それだけを言って後ろ姿を見せるニアスにリーゼは怪訝な顔を浮かべる。
南部都市を破壊した男、ハルゲンニアス・ワーク。原因や理由などは一切不明。
子供のことが何か関係しているのか、と想像するのは当然と言える。それでもやはり、不明瞭であるのは確かな事だが。
「……どうにもだな」
リベイラが殺す事への忌避を見せるのはいつもの事で、ニアスの機嫌が悪いのもいつもの事。そして特務が乗り気でないのもまた平常と言えるが。
「大きな事にならなければいいが」
仰ぎ見た空からまた雨がポツポツと降り始めた。しばらくすれば、雨足は強くなるだろう。
「……雨も厄介だな。襲撃は特に警戒しておくか。やれやれ、ろくな事にならなそうだ」
―――――――
「んー。リっちゃーん。その子どうするのー?」
獣車に揺られながら半分眠っている状態のルカが問う。ヒロムテルンは警戒を絶やしてはいないものの、顔には疲労が見えている。
これ以上の移動は全員の疲労を見るに難しい。
「さてな。……ダラング、ムーディル。調べ終わったか?」
少女の服を剥がして調べている二人へと問いを投げる。術式陣が刻まれていないか、血族ではないか。
もしも身中の虫となる者ならば、ニアスも殺す事に賛成するだろう。
「何もない、というのがわかったわよ。これで何かあるなら私は死んでもいいと自然に思うわよ」
「同意見であるな。我は命までは賭けぬが。何かあるにしても逃がす意味がわからんであろう。何かあるとしてもここまで入念に隠したというのに、我ら程度に差し向ける意味があると思うか?」
特務部隊は確かに厄介だろう。華々しい活躍こそないものの、耳聡い他国の者ならば聖騎士と互角の戦いをしたと聞いていても不思議ではない。
しかし、最高峰の術士であるムーディルとダラング、更には医術士であるダラングの目まで欺いてまで隠した術式陣込みの少女を特務に差し向けるには早すぎる。
「……そうだな。ルカ、お前服の代えあるだろ。それを後で着させてやれ。ヒロムテルン、敵の気配はないな?」
「うん。特にはないね。村が近いのはわかるけれどね。今日はそこで休むかい?」
問いかける形だがそれは事実上の決定事項だ。此処で急いだとして、それは特務部隊の反感を買うことになるだろう。
そして警戒を移動する獣車の中でするのは難しい。諸々の事情から此処で一度止まるしか道はない。
「だな。……ん?」
獣車の速度が緩み始める。雨により道がぬかるんでいるため元から遅いが更にゆっくりとしたものとなる。
それに反応したのか少女の身体が僅かに動き、小さな声を上げた。
「……ニアス、リベイラ。お前らが担当してくれ。……子供、苦手なんだ」
苦々しい顔で言う姿は、どこか笑いを誘う。
ルカなどは思いっきりニヤニヤとした笑いを浮かべてリーゼを見ているぐらいだ。
「えー? じゃあ私とかイニーも苦手なのー?」
「お前らを普通の子供に見れるかっての。とりあえず頼んだ。……俺は着いたら宿の交渉をしてくる」
わざと子供から離れた位置に移動して聞き耳を立てるように座る。
そして少女は起きる。
「ぁ、ぅ……。ここは……」
か細い力ない声だ。情を煽るような弱さが篭った声にも聞こえる。
「……起きたか。あー、俺の名前はニアスだ。大丈夫か?」
最初に応じたのはニアス。いや、リベイラ以外は反応する気も見せていない。それはリーゼから言われた事以上に、興味を持っていないのだろう。
「あの、ここは……。騎士の人たちは、あ、助けてくれた人はどこ、ですか?」
「ここは、あー。獣車の中だ。俺らは軍人でよ。騎士に追われてたっぽいから助けた」
「……? 騎士じゃ、ないんですか?」
リーゼが横目で見れば、少女はただただ驚きが顔に浮かんでいる。裏にあるのは、怯えと安堵。逃げてこられた事に安堵しているのか、騎士たちに恐怖しているのか。
それとも計画が露見するかもしれないという怯えと、今のところは何の問題もない事に安堵しているのか。
人の内心を深く知る術のないリーゼらには知る由もない話だろう。
「ええ。ここは王国領よ。ところで、助けてくれた人と言ったわね。誰かに助けられたの?」
「そう、です。騎士の人たちに連れていかれて。それで、長く移動していた気がするんですけど。知らないおじちゃんが助けてくれて。走ってたら、あ、それで、怖い獣が出てきて、気がついたら、ここに居て」
安心は胸の内にある不安を外へと出す。だからだろう、立て板に水を流すように少女が言葉を吐き出すのは。
「それで、騎士の人に、村から連れていかれて、変な薬とか飲まされて、痛いときがあったりして、怖くて、他の友達も、死んじゃって、一人で」
「大丈夫よ、安心しなさい。ここに貴女を傷つける人は居ないから。ゆっくりと、ね」
リベイラが精神系術式を用いるのを確認した時にはすでに少女はことりと眠っていた。安堵のためか、軽い混乱が見られたからだ。
判断が間違っていないかをリベイラが横目で問いかけ。
「他には聞けないだろうし、焦っても仕方はないか。しかし、助けてくれたね。……誰だろうな」
「さぁ? 騎士に恨みのある人物でも居るんじゃないかしら。貴方たちには心当たりはあるかしら?」
特務の皆は一様に首を横に振る。帝国騎士と敵対する組織など無数にあるだろう。
それでもこの場に出てくるような者を思いつけというのは難しい。いや、五人の騎士が追いかけてきたのだからすでに死んでいると考える方が自然だろう。
「そっちも調べておきたいが、さてな。村での警戒はルカ、俺、ムーディルで行うぞ。子供はリベイラとニアスが交代で入れ」
「あら。私は自然に休憩かしら?」
「それでいい。明日にはムーディルの変わりに入れ。とりあえずは、そのぐらいだな」
「そういや、道化師団の動きはどんなもんなんだ? 動いてるつってたが、こっちに来るようならその警戒もしてたほうがいいだろ?」
子供を連れていく事になったからか、ニアスが警戒のために声を上げる。
道化師団が特務を襲撃する可能性があるのなら、考えておくべきことだ。もしも剣華の傭兵団が襲撃をするならば、帝国騎士以上の苦戦を強いられる事になるだろう。
万端の準備を整えたとしても半数以上を道連れにするのが精一杯だろうか。一体となった傭兵団は、いや集団は一つの群体と言っても過言ではない。
「いや、道化師団の動きは小さなものだ。目を凝らさないとわからないぐらいにな。ただ、剣華の居る場所は北東部だ。そこで目撃されている。ただアイツらの規模がわからない以上は何も言えないところじゃあるが」
百か千か万か。質は。情報網は。影響力は。
道化師団は暗部の懸命な調査にも関わらず全くと言っていい程に情報が入らない。それはリーゼの耳に情報が入らないだけなのかもしれないが、だとしてもリーゼが独自に構築している情報網にも掛からない。
「ふむ……。ならば留めていく程度の対策しか出来ぬだろうな。やれやれ、それが一番面倒なのだが」
「流石に、千は居ないと思う。規模が大きくなればなるほど多くの情報が出てくるからな。だがそれ以下だとしても、それなりの手練が居るのは間違いないさ」
「気軽に言うがよぉ隊長さん。その手練が問題だろ。二十座とか抱えられてたら俺らでも太刀打ちできねぇぞ。殺せねぇ事はねぇだろうが死ぬのは御免だな」
いつの間にか煙草を噴かせるニアスの警戒は常以上のものだ。子供が居るからか、いやそれ以上にこれは特務全体の不調を考慮しての話なのだろう。
「そこまでの実力者がこれまで名を聞かないのは、ありえないな。もしくは失われたはずの主格神具持ちならわかるが。何はともあれ、道化師団に関しては頭に入れておくぐらいでいいだろう」
予想を上回る動きを見せられれば、そこは相手が一枚上手だったとするべきだろう。
未然に予想外や予定外を潰すために、リーゼは独自の暗部や情報伝達方法を作ってはいるが。それが完全に機能するのはまだ先だろう。
「たいちょー、村につきましたー。というか寒いんで早く寝床確保してくださいよー」
「ああ、今行く! 当面は騎士を中心に警戒をしておいてくれ」
子供を起こさないように声量へ気を遣いながらリーゼは今晩の宿を借り受けるために村へと走った。
雨はまだ、止む気配を見せない。
 




