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大陸記~王国騒乱~  作者: 龍太
間章 追憶の日々
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研狂者

 言葉が止まったムーディルを怪訝そうな顔で見ながらダラングは酒を浴びるように飲み続ける。

 しかして思考は止まらない。

 酒を応用した術式があれば、相手の動きを止められるのではないか。

 ならばどのような式になるのか。どういう場面で使えるものか。

 無数の思考が泡のように浮かび上がり、頭の中で繋ぎ合わせていく。

 考え考え考え。

思考の渦は回り続け止まることはない。溢れ出す思考の奔流はいつだって彼女と共にある。

 それは呪いのように、祝福のように。

 いつだって彼女は思考に操られるように生きてきた。止められないのならば乗るだけで。乗ったのならば、試すしかない。

「……過去、ね」

 先ほどムーディルの言った言葉を実践するために過去から何かを掴み取ろうとする。

 多くを犠牲にした過去を。




 ―――――――




 研究者として、ダラング・ハーベーにはこれ以上ない環境が整っていたと言っていい。

 術式のついての本は当然として、専門的な学術書から始まり、現在でも数少ない辞典が置いてある。

 王国の術学者として、主に自然操作の術式に妄執する父。

 王国の生物学者として、主に狂獣の生態に執念を抱く母。

 その二人に、片手間のように育てられた彼女は幸いにして研究を嫌うことはなかった。

 当時はまだそこまで研究に対して異常と呼ぶほどの好奇心はなく、また非凡と呼べるほどの才能もなかった。

 それながらに術学者としての道を歩んだのは、半ば惰性だったのだろう。

 いや、それしか道がなかったというべきか。

 何はともあれ。

 彼女は戦争に巻き込まれるような事もなく、狂獣の進行に遭遇するようなこともなく。

 平凡に緩やかに成長し、やはり順当に住んでいた学術都市の学院へと入る。成績も優秀であり、親にしてこの子ありとまで言われるダラングは淡々と、作業のように研究を行い。

 いつしか学園一の才媛と呼ばれるまでになる。





「あ、ダラングじゃない何してるのー?」


 中庭の木陰で一人寝転んでいたダラングへと声をかける少女が一人。

 炎のような赤い髪を短く切りそろえ、布を幾重にも巻いたような服を纏う鬼族の女はダラングにとって慣れ親しんだ相手だ。


「あら、ラングーニ。どうしたの? 貴女も自然に授業から逃げてきたのかしら」


 欠伸をしながら目の端に涙を浮かべるダラングはそれだけで絵になった。実際に絵画を趣味といている者などは許可を取り描いているぐらいだ。

 ひときわ目立つ美貌、緩んだ口元。そして、今まで恋人が居ないという情報。

 それだけの条件は多くの男を、時には女性を虜にする魅力がある。


「ううん。私には授業より大事なお仕事があるのですよ」


 悪戯っぽく微笑むラングーニが視線を後ろへと向けると、人族の青年が彼女の後方に見受けられた。

 名前はヲルトル・ペネトレウス。術学者としてはこの都市でも有能な方だろう。


「そう。遊びに行くのね、羨ましいわ」

「全然羨ましそうじゃないね? というかダラングも作ろうと思えば彼氏の一人や二人できそうだけどなー。まっ、いいや。それじゃあ行ってくるね」

「ええ。……ヲルトルさん? 自然に頑張ってね」

「ああ」


 口数も少なく頷いた男は足早に去っていく。その後ろ姿を追ってラングーニは謝るように手を挙げた。

 人付き合いを好むラングーニと、他人との関わりを厭うヲルトル。この二者が恋仲というのは、少々不自然に見えなくもない。


「不自然なものね、本当に。何が起きるのかわからない、というのは面白いけれど」


 とは言うものの、ダラングには関係のない話だろう。


「……私も、どうしようかしら。どうせしばらくは暇だし、ああ、でもあの人たちが居ないからしばらく一人なのよね。夕食を何にするかでも自然に考えていようかしら」


 面倒くさそうに溜息を吐いてそのまま空を見上げ続ける。どこまでも突き抜けるように蒼い空。先行きの明るさを暗示しているようで、ダラングは根拠もない思考に小さな笑みを漏らす。


「ああ。けれど、雲の動きから風術について考えてみるのも悪くはないかしら。それよりも火山を術式で再現するほうが自然に先なのかしらね。どちらでも、暇を潰すには役に立つでしょうけれど」


 術式についての才能をさほど持たないダラング。とは言え、適正に関しては通常の者を遥かに上回るものを持っている。

 ただ、それを有効に用いるための思考が出来ないだけだ。

 興味の薄さからきているのだろう。作り出すということにかけてはこの学院で右に出る者は居ないとは言え、使用に関して彼女はおそらく、最低に属する。


「術士の訓練でも、始めようかしら。不自然かしらね」


 呟きは先ほど都市の外へと向かっていた二人を想像して向けられたものだ。前衛型術士としては光る物があるラングーニ。そして後衛型術士として頭角を現してきているヲルトル。二十座になるようなものはないが、きっと名を馳せることは出来るだろう。


「何はともあれ」


 栗毛色の髪についた草を手で払い、ダラングは立ち上がる。


「研究を始めないとね」


 自然に、と最後に呟いてダラングはいつものように自身の研究室へと歩く。



 ―――――――



「はぁ。そろそろ、限界かしらね」


 溜息を吐いて研究室にある死骸を片付けるダラングの姿には僅かに気疲れが見え隠れする。すでに研究は行き止まり。

 彼女が考えられる範囲ではもう全てやり尽くしたと言ってもいいだろう。いや、厳密に言えばあるのだろうが、やる気のない彼女には思いつきそうにもない。


「けれど研究以外をやれる気もしないのよね。どうしたものかしら、このままじゃ自然に軍人になるしか未来はないし」


 軍属の研究員ならば身の危険はなく、給料も悪くはないだろう。


「自然に規律は好きじゃないのだけれど」


 彼女の両親は軍に所属しては居ない。だが、都市から出る際には必ず許可書の提出を求められる。

 ダラングもそれは同様だ。流石に護衛こそ付かないが、僅かでも国へ貢献する可能性の高い術学者を他国へ行かないように警戒するのは当然だ。

 術式一つで戦局を左右するとまでは言わないが、戦場を左右する動きにはなる。そしてそれ以上に、新たな種類の術式が発見されれば他国を出し抜くことに繋げることが出来る。


「それでも、生きるためには色々と我慢も必要でしょうし……。……自然じゃないわねぇ」


 再度、溜息と共に献体の処理を負わせてダラングは学院を出る。

 行き止まりであり、袋小路。この先へ進むために必要なのは何かを考えるために。

 そして。

 その答えはあっさりと見つかった。


 ―――――――



「それでね、ヲルトルったら『狂獣などにお前の肌を汚させない』なんて言ってさぁ、もう聞いてる私が恥ずかしくなるぐらいだったわよ! 他にも、私より体力ない癖に毛皮とか肉とか無理に持とうとしたりそこが可愛いんだけどねー」


 陽が中天に輝く時刻に中庭で二人の女性が会話をしている。いや、会話というよりは惚気を聞かされてると言う方が正確なのだが。

 言うまでもなく喋っているのはラングーニ。そして、聞いているのはダラングだ。

 一人で捲くし立てるように話す内容は一貫してヲルトルとの事。


「帰り道でも『お前との愛を断ち切る者はない』なんて言ってもぉ、恥ずかしくて警戒がちゃんとできるか不安だったわよー」


 顔を赤くしながら身振り手振りで元気良くその情景を語る姿は微笑ましい。

 昼前から続いていなければ、なのだが。だが、ダラングも慣れたもの。数時間続けて惚気を聞かされる日がある事を考えれば、この程度は苦でもないとばかりに微笑みながら頷いている。


「それで昨日は、私の家に泊まってさぁ。ご飯は美味しかったけど、あの人ったら夜はもう、ね? いつもは静かなのに夜は荒々しいんだよ! もう困っちゃうよー」

「あら。それは予想外ね。夜は貴女が攻めるほうだとばかり思っていたわ?」

「そういう時もあるけど基本的にはヲルトルかな。こっちからそうやってするのって、やっぱり恥ずかしいし」


 えへへと顔を赤くする姿は可愛らしい。朱色の肌もいつもより赤みを増しているようだ。


「そう。色々、胸焼けでもしそうだわ……。ねぇ、ヲルトルさん?」

「……レーン」


 背後から聞こえてきた声に、ビクリとラングーニの身体が震える。ギギギという音が出そうな動きで振り向けば。

 ヲルトルが、相変わらずの無表情で立っていた。とは言え見る者が見れば耳が仄かに赤いのがわかるだろう。慌てているラングーニは気づかないが。


「あ、ヲルトル。えっと、これは、ほら、私の恋人がいかに格好いいかを、ね? そういう、あれで、ええと」

「……すまないハーベー女史。時間を奪ってしまっただろう」

「いいえ。気にしないで。こちらも自然に楽しめたもの。可愛い顔を独り占めしたい気持ちはわかるけれど、あまり表に出さないでくださいな。怖いわ」


 茶目っ気を聞かせた笑みを浮かべるダラングにヲルトルが僅かに苦い顔になった。つまりは図星を突かれたという事なのだろう。


「……ギトイカバスを知らないか?」

「ん? 誰なの?」


 ラングーニが首を横に傾げるという事は、それ程親しい人物ではないのだろう。ダラングもまた名前がわからないようで首をかしげている。


「同じ炎術学の者だ。昨日から姿が見えないらしい」


 淡々と言う表情に変化はないが、声からして心配しているのだろう。一日居ないというだけで探すというのは、少々大げさであるとも思えるが。

 しかし決して休まない生徒ならばその心配もありえると見るべきか。


「なら、ここは私も探すとした方が自然ね。知り合いにも聞いてみるわね?」

「私も誰かに聞いてみるね? ヲルトルは、心配しすぎて倒れないようにしないと」

「そんなに顔色は悪いか」


 白い肌は、やや青みを増しているように見えるが、ダラングは興味のないために判別は出来ない。だがラングーニが言うのならば、そうなのだろう。


「うん、悪いよ。ごめんねダラング。私も一緒に探していってみるよ。あ、今日は行くから、それじゃあまた夜にね!」

「ええその方が自然よ。それじゃあ料理でも作って待っているわね。行ってらっしゃい。こっちも探しておくから」


 歩いていく二人を見送りダラングは息を吐く。

 人が居なくなるのは良くある事だが、やはり学生が居なくなるというのは問題だ。

 この国の将来を担う者だからだろう。ダラングも自らが居なくなれば騒ぎになるのだろうなと考えながら自分の家へと向かって歩き始めた。


 ―――――――



 闇の中で響く声は甘く、懇願するもの。

 熱に魘されるようなか細い声で、快楽を求めるのを恐れるような耐える響き。

 掛けられるのは羞恥心を煽るような言葉で。べたつく言葉は、彼女の脳髄を麻痺させる。

 粘り気のある音が闇に静かに響き、それが彼女の何かを決壊させたのだろう。

 一際大きな嬌声で、彼女は啼いた。






 ドンドンドンと重い音が家屋の内部へと響いた。

 腐った肉の臭いと、甘い蜜の臭いが混じる中で彼女はその音を気にせずに研究を続けていく。

 思考は留まることはなく。その腕も止まることがない。

 結局の所、彼女は興味を向ける方向を見失っていただけなのだろう。

 幼い頃に、小さな獣や小さな虫の四肢を切り落とし、遊ぶように観察していたような子供だ。

 大人になるに連れて常識を学ぶたびにその興味を封印していたとは言え。

 しかし、結局の所、彼女の本質は無邪気さにある。子供のような残酷な無邪気さ。

 考え付いたら実行せずにはいられない。それを抑えこんでいたから、今までが平凡であったとも言える。

 いや、片鱗のみで優秀と呼ばれていたと言う方が精確なのだろう。


「……五月蝿いわね。ああ、でもバレたのかしら」


 焦れたのか、ドアが強引に開けられる音が聞こえ幾人かの足音がそれ程広くはない家の中へ響く。

 紙に書いていた記述を止めることなくダラングはその音がこの部屋の前まで着くのを聞き、しかし動じることなく、興味を向けることもなくその筆記を続け。


「ダラング・ハーベー!」


 数日前に聞いたヲルトルの声が耳に入る。そして、同時に幾人かの悲鳴。


「……どうも、ヲルトルさん。何か用かしら? 今の私は研究意欲に溢れているのだけれど」


 ダラングが視線を向ければ、其処に立っているのはラングーニの恋人であるヲルトル。そして、幾人かの軍人。

 一様に彼らの顔を青く、中には吐瀉物を撒き散らしている者も居た。

 それも、当然だ。

 幾多の獣や、幾多の屍を見ているはずの彼らでも嘔吐を抑えきれない死骸がこの部屋には山のようにあるのだから。


「ダラング、ダラング・ハーベー!」


 死骸の中には勿論、ヲルトルが最も愛した女の死骸も――



【とある兵士の日記】


ダラング・ハーベーの自宅に突入したとき、凄惨な光景を眼にしなれているはずの兵が思わず倒れ、吐き気を催すほどの惨劇がそこにあった。

 研究室に積み重なるのは幾つもの死骸。

 どこか誰の部分だったのかわからない程の形にされた老若男女の死体の中心で、ダラングは只管にメモをとっており。

 私たちは身の毛もよだつ程の恐怖を覚えた。

 その場に居た学生は怒りの表情を浮かべ、ダラングに掴みかかるも他の兵士に取り押さえられる。その後ダラングは王国の首都に存在する監獄に投獄された。


【機密文書】


 監獄内でダラング・ハーベーが発表した術式の理論から考えるに彼女を生かす方が有益だと判断。

 内乱の最中は死体を使い理論の実験を行なう。

 内乱終了後、特務への入隊が打倒だと判断。ハルゲンニアス・ワークの指揮下に移動が妥当だと思われる。

 なお、関連人物であるヲルトル・ペネトレウスの姿が見られない件については調査が必要。


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