前口上(プロローグ)
初めまして龍太と申します。
初投稿となります。開いてくださった方に感謝を。
雨が降る森の中。俺は前に立つこの人を見つめる。
背の低い少年だ。金髪の短い髪に、青い瞳。子供らしかならぬ表情はこの森の先にある戦場ではなく、まるで遠い未来を見据えているようだ。
「大丈夫? 緊張してるみたいだけど。安心しなよ、僕らは生き残れるさ。故郷の恋人と畑を耕さないとだろ、カルマン」
不意に振り向いた少年が俺の名と、酒の席で語った他愛もない夢を口にする。
それに少々の驚きを浮かべるが、しかしこの人は史上最年少で指揮官となったお人だ。そのぐらいは造作もない事なのだろう。
「隊長は、怖くないんですか。あんな戦場に出て死ぬかもしれないのに」
俺よりも一回りも下の少年――リーゼ隊長へと問う。
実力よりも運が作用する戦場へ行かなければならない。命を奪うのも、奪われるのも慣れたつもりだった。けれど、でも、怖い。盗賊や狂獣でもない、同じ軍の仲間だった奴らが相手だ。
手が震える、違う、手も足も、声すらも。雨も風も酷く冷たい。だけどこの震えは寒さから来るものじゃない。
俺はこんな様だし、他の仲間もあまり変わらない、かもしれない。
「怖くない奴なんて居ないんじゃないかな。誰だって死ぬのは怖いよ。現に僕だって我慢してるけど、内心じゃずっと怖がってる。でもさ、僕には君らが居る。君らを無事に帰すまで僕は死なないって決めたから」
そういえば、最初の出撃は、どうだったか。
役立たずと言われた俺らを率いて、盗賊団や狂獣を退治したあの時は。
思い出す隊長はいつだって笑顔だ。獣の声が怖くないはずなかっただろうに。それでもいつだってこの人は、弱いというのに俺らの前に立ってくれた。
自分より年下の、術式の才能も武術の才能もない子供が前に立ってくれるのに何で俺たちが後ろに引っ込んでられるだろうか。
「じゃあ俺らは隊長を無事に帰さないといけませんね。ユーファちゃん……いけね、ユーファ隊長が居ますし。彼女も補佐から繰り上がりましたしね」
「アイツに至上最年少の肩書きを取られちゃったのは残念だな。うん、帰ったら僕の奢りで呑もうか」
いつの間にか手の震えも足も震えも止まっていた。不安はまだ俺の内にある。
それでも生き残れるのだと信じさせる。生きて帰れるのだと、思わせてくれる。
「それは、いい事です。その時には最高の笑い話を聞かせますよ。忘れないで下さいね?」
「当たり前だろ。都合のいい事ばかりを覚えてるんじゃないよ僕の頭は」
柔らかい笑みを見せた隊長に頷きを返す。最初はいけ好かないと思った。次には手伝ってみようと思った。そして、今は頼もしく思える。
小さな背中が、俺たちを背負い、死んだとしても名前を、存在を覚えておいてくれるこの人の背中は大きく見えてくる。
「……隊長、ベルグさん突撃しました!」
小さく発せられた声が意識を引き戻す。恐怖は、薄い。けどそれは俺だけだ。
他の皆はまだきっと少しでも恐怖が残ってる。だから、何かを言って欲しい。この人に勇気をわけてもらいたい。
「皆、情けない話をしてもいいかな」
言葉に出すよりも早く隊長は口火を切った。ベルグさんが突撃した以上もう時間はあまりない。
「実はさっきから、口の中がからからなんだ」
何を言ってるのか、一瞬理解に遅れる。振り向いた隊長の顔はやっぱりさっき俺に向けたのと同じ笑顔だ。
「怖いっていうのもあるんだけど実は、ユーファと約束しててね。僕まだ初体験してないんだ。それで、無事に帰れたら一緒に寝ようって言われてるんだ」
何を言ってるんだこの人。けど、なんだか少し気が抜けた。緊張が少しだけほぐれたような気がした。
「僕は生きて帰りたい。男だしね。皆もそうだろ? 無事に帰ったら僕にはユーファが居るけど、皆を待ってるのは何だと思う?」
「……女、ですか?」
「うん、そうだよ。いいや、それだけじゃない。笑っちゃうような金も入るんじゃないかな? それに嫁さんに尻に敷かれるまではあの戦いを生き残った男だぞって胸を張れる」
隊の中から小さな笑い声が聞こえる。
「もう尻に敷かれてるって奴は、帰ったその日に組み敷いてあげればいいさ」
そこで、一息置いた。
「だからそのために生き残ろう。勝って笑い合って酒を呑んで、今日のことを過去にしよう」
握り締めた拳を突き出せば、声は出ない。
だがこの沈黙は隠れ潜むからこその沈黙だ。皆は笑みを浮かべ、剣の柄に手を掛けている。恐怖はまだ消せない。
さっき隊長が言ったように我慢するしか出来ない。それでも、我慢をさせてくれる人がここに居るから。
「撹乱の中へ横から殴り込むよ、そこでしばらく持ちこたえればユーファの方が――」
「隊長、伝令です! 半日ほどで援軍が到着すると――!」
援軍の知らせは朗報だ。待ち望んだ援軍。俺たちが命を賭けて守ったことの結果。
その言葉は爆発しそうなほどに希望に溢れ。噴出しそうになり。
「この雨で地面は歩くのが困難だろうね。だから援軍が来るのは、予測だと夜だ」
冷や水を打ったようにその熱が沈められる。冷静な隊長の言葉に困惑し、顔を見る。
全員の視線を浴びた隊長は、厳しい顔をした隊長は表情を崩し僅かな間を縫って言葉を叩き付けた。
「だから夜までに終わらせよう。援軍に戦功を取られたら、恥だろ?」
破顔して、俺たちに背を向けて隊長は剣を抜き払う。
「抜剣! さぁ、行こう。僕の事を知ってる奴は十倍の兵力差を押し返したことを思い出して。生き残って、大切な人を守るために!」
隊長の声と共に雄叫びを上げて森の中から戦場へと駆け抜ける。
そうだ。この人に付いていけばまた生き残れる。この人の部下ならば死んでも覚えて貰える。
あの術式が降り注ぐ戦場でも怯えずに立っていられる。
生きる場所と死ぬ場所を与えてくれる人が居る。
付いていこう。この人に付いていけばきっと――
―――――――
大陸暦三百四十五年、大陸全土を巻き込む戦争が起きた。
五つの大国が内の二つ。ストラスガルド帝国、スフィスト聖皇国。
強大なる二国に屈していた小国群が一斉に大国へと牙を剥き、それを契機とばかりに他の国々が戦端を切る。
五大国に名を連ねるカルネスセルト王国を除く全ての国が戦を起こした。長く、けれど短い戦乱の始まり。
王国は他の国々が争うのを傍観していた。
半年の間軍備を増強しながら戦乱に横槍を入れる機会を伺っていた。
いよいよもって軍を発したのは大陸暦三百四十六年。
同時、巨大な四つの領土を治めていた内、三人の領主が突如反乱を起こす。
選定の器という神具によって選ばれた王に対する反乱。
『今代の王は自国の益を考えず、王国の敵である帝国に肩入れをしている。前女王を殺めたのも王なのではないか!』
根拠のない主張であると呆れた者も少なくはなかった。
しかし戦乱の最中で帝国へ横槍を入れようとした所で実際に動かれるとなれば、根拠がなくともそれは雄弁だ。雄弁で強烈な毒となる。
絶対である王に対する反乱。誰もが想像しなかった事体。
十一年前から計画していたのか。それとももっと前からか。想像以上にその反乱は綿密であり計画的である、そう理解した者は恐怖した。
十年以上前からこの機会を伺ったのかと。他国の争いが始まってからでは間に合わないほどの計画と懐柔。
つまるところ、王国は分裂した。東北部、東部、東南部の三領と、王国本領、南部の二つで。
戦力は拮抗だったものの先手を取った反乱軍。砦を抜かれた場合、王都の首に刃を突きつけられために必死で戦った王国軍。
当初は有利だった反乱軍は最初の猛攻を凌がれることによって意気を挫かれ。
大陸暦三百四十八年。
たった二年と言うべきか。二年もかかったと言うべきか。
内乱は反乱軍の指導者たちの処刑により終わりを告げる。内乱が終わったのを見計らうかのように戦乱も大国の勝利という形で収束した。
三年あまりに大陸全土で勃発した戦乱。明確な理由もなく始まったソレは明確な死を持って終わる。
得られるものは少なく、失ったモノの方がよほど多い。
大陸全土を巻き込んだ過去の戦乱が百年続いたことを思えば、短いと言えるものだったのかもしれないが、全ての国が、数え切れない人々が負った傷跡を比べることは出来ない。
消えることのない傷跡を残し、戻らない人々を増やした。
それは、王国の軍に配属されていたとある一人の少年にも等しく訪れた喪失。
十代の少年は何が起きているのかわからずに戦った。
命を白刃の下に晒して兵を指揮し、死地へと向かう兵士たちを鼓舞し、部下と共に死線を潜り抜け、最小限の犠牲だけで生還し続けた齢十三頃である指揮官の少年。
特徴と呼べるような特徴もない少年は常に最善の手段と最高の方法を取り続けて生還した。
結果、味方の兵たちから信頼と希望を込めて、敵の兵たちからは畏怖と憎悪を込めて『墓碑職人』と呼ばれるようになる。
墓碑に刻まれる名を一人でも減らし、名もわからない敵の墓碑を作り出し多くの味方の命を生かすことの出来る指揮官。
多くの兵が尊敬し、国を支える次代の柱になることを疑われていなかった少年。
しかし三年後の大陸暦三百五十一年、各地の復旧も終わりの兆しが見えてきた時期に期待は裏切られた。
少年はあっさりと、全ての期待と信頼を裏切って軍を退役する。
当時部下だった者は泣きながら嘆願し、当時の上司もまた撤回を懇願するも、全てを振り払った。
友の声を振りきり、恋人の叫びに耳を塞ぎ。様々な者の声を切り捨てるように一介の民へと身を下らせた。
理由は誰にもわからない
憎む者も恨む者もいたが、しかし彼がいなくなったことはそれぞれの胸に空虚を残しながらも日々の忙しさの中で風化していき。
そして、更に三年の月日が流れた――
内乱 …… 大陸暦347~349年に起こった王国の内乱。色々あったけどまぁそれはそれ。ちなみにこの話の舞台は356年です。
術式 …… 簡単に言うと化学式を思い浮かべながら火が出る想像すれば火が出るよ! というもの。火が出るイメージだけでも火は出るけど威力弱い。