表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

脱線

作者: 夜葉憂人


暗闇に浮かぶ一筋の線路上を、電車が走っている。次々と現れては去っていく風景を、ひっそりと照らす。

車両は一つ。そこに、男が一人佇んでいるだけだった。

窓は寒さのせいか靄がかかったかのように白く曇り、中から外を眺めることは憚られた。月の明かりだけが微かに窺える。

男は空席に座ることなく、古びた吊革に手を掛け、ただ虚空を見つめている。窓に自分の顔が映ったのを見ると、数秒固まり、長い、溜め息をついた。その目に光は灯っておらず、口には落胆の色が浮かんでいた。

突然、男は笑い出した。

「アハハハハハッ」

空の車内に響く、渇いた笑い声。

「ハッハハ……はぁ」

すぐにそれも溜め息に変わった。男は吊革を持つ手を替え、呟く。

「これからどうしたものか……」

何処へ行くのか、目的地はまだ決まっていなかった。そして男自身、何故此処にいるのかさえ忘れているのだった。

「どこまで逃げるの」

小さな囁くような声。

男が振り返ると、座席の片隅に、十くらいの少女が座っていた。幼い顔立ちとは裏腹に、その表情は凛としている。

「どこまで逃げるの」

少女は男を真っ直ぐ見つめ、繰り返し問う。

「逃げる……」

男はその言葉を反復した。そして気付く。自分が此処にいる理由を、思い出した。

「ずっと遠くまで。誰もいない、世界が私を貶めない、静かなところまで」

「なんで、逃げるの?」

男は口を噤む。言いづらいことだったからだ。

「なぜ逃げるの?」

少女は頑なに繰り返す。

やがて、沈黙に負けた男が口を開いた。

「人を殺したから」

答えた後、男は、年端もいかぬ子に聞かせるような言葉ではない、と後悔していた。

「そう」

しかし少女は表情も変えず、小さく頷いただけだった。


ガタン、と車両が大きく揺れた。男は体勢を崩し、慌てて吊革を持つ手に力を込める。

その様子がおかしく見えたのか、少女は初めて、小さく笑った。

それを見て、男は今更、この少女が奇妙に感じてきたのだった。

こんな夜に一人で、何処へ行くのだろうか。人を殺したと聞いて、何も感じないのだろうか。そう思うと、男は自然と口を開いていた。

「お嬢ちゃんは何処へ行くんだ?」

「わたしはどこへも行かない」

少女はすぐに答えたが、それは、少し的を外れた答えだった。

「何処へも行かない?」

「そう」

男が反応しかねていると、少女は続けた。

「わたしは、ずっとここにいる」

その意志のある言葉に対して、男が深く考える事はなかった。代わりに、別のことを尋ねる。

「私が人を殺したと聞いて……怖くないかい?」

ふるふると、少女は首を動かした。

「怖くない」

男は信じられなかった。

「……どうして? 君くらいの子なら、泣いて逃げるのが普通だと思うが」

「あなたは――」

男は耳を澄まして、少女の次の言葉を聞き取ろうとする。それは、耳を疑うものだった。


「あなたはもう――生きていないから」


「……生きてない?」

思わず男は聞き返してしまう。

少女は続けた。

「あなたが殺したのは、あなた。わたしはここで、あなたを見送るだけ」

少女の姿が、徐々に薄くなっていく。後ろの窓が透けて見えた。

「……君は!」

「これからあなたは選ぶ。この電車を降りるか、降りないか」

「……」

「あなた……は、まだ――死んでいない」

そして少女の影は、完全に消えてしまった。



しばらくの静寂の後、男は前を向いた。そしてまた、白く曇った窓を見つめる。そこに映った顔は、先程よりも少し、晴れているようだった。

吊革を持つ手を替えると、男は呟いた。

「これからは、ずっと此処に居ることにしよう」


電車が揺れ、軋む音は、もう聞こえない。


車内を照らす淡い光が、月の光に溶けていった。










この小説は私の処女作を推敲したものです。

拙い文章で書かれた物語ですが、感想よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 少女が「何処まで逃げるのか」そう言った意味が最後まで読むことで、なんとなく分ったように思います。 宮沢賢治の銀河鉄道の夜のような雰囲気がしました。 僕は絵を描くのですが、書きたいと思わせる…
[一言] 格好良い三人称が、不思議な雰囲気を醸し出していて面白かったです。 世界観(?)が好きなので、連載のほうも読んでます。
[良い点]  とにかく面白かったです。作品全体を覆う暗欝でミステリアスな雰囲気といい、少女の淡々としたおそろしさといい、すべてが僕好みでした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ