偽りの聖女
現代日本で平穏に暮らしていた主人公
桐宮 薫
ある日突然、彼女は異世界にあるエルディア王国へと拉致されてしまう。
その国の国王や貴族たちは、彼女を世界の危機を救う「聖女」として祀り上げ、都合よく利用しようとする。だが、理不尽に日常を奪われた彼女は黙っていなかった。
「私には向こうでの生活があるの。明日も、明後日も、続いていくはずだった私の人生が。それを一方的にゴミ箱へ放り込んでおいて、救いを語るなんて……反吐が出るわ」
あなた達の思い通りになんてなってやらない。
私は絶対にこの世界で帰る方法を見つけて、元の平穏な暮らしを取り戻してやるんだから。
私は、聖女召喚とか異世界転移とかいう類の小説や漫画をよく読む。
現実離れした展開は心が躍るし、エンタメとしては最高だ。
…しかし、いざ自分がその立場に立ったらどう思うか。
答えは決まっている。「ふざけんな」の一言だ。
考えても見てほしい。仕事の帰り道or学校の帰り道。
いきなり足元に魔法陣が現れて、目を開けたら異世界。
そこで待っているのは「世界を救ってください」という他力本願な奴ら。
いや、誰が救うねん。
せめてアポとれよ。
こっちにだって都合があるんじゃい。
となるのがふつうである。
私に至っては大好きな漫画が完結するまでは死ねないというモットーがある。
死ぬのを通り越して異世界拉致とか、理不尽の極みでしかない。
みんな「聖女召喚」っていう言葉を美化しすぎなのだ。これを現代語に翻訳したら「他人が勝手に作った借金を、拉致られた挙句に返せ」て脅されてるのと一緒である。
しかも、たいていの物語じゃ元の世界に帰る方法は無い。
家族や友達に別れも告げられず、勝手に人生を踏み躙られる。
自分の世界に未練がないならいいが、みんながみんな同じ考えではない。
しかし、ここまで不満をつらつらと並べてきたが、やはり読者視点としては異世界系の物語は面白い。
それは認める。
ただ、自分が同じような経験をしたくないだけなのである。
しかし、一読者でありながら、理不尽な設定に文句を垂れ、矛盾にも漫画を読んでいたのが、よくなかったのかもしれない。
そう、よくなかったのだ…
私は夜中に信号待ちをしていると、まんまと、読んでいた漫画の導入通り、魔法陣に照らされていた。
次に目を覚ませば、空から真っ逆さまに落ちている最中である。
「いや、意味がわからん……!」
視界が歪んだと思った次の瞬間、私は空に放り出されていた。
それも夜とは対極的な太陽にきらきらと照らされ、晴れ渡った空に。
鼓膜を劈く風の音。胃が浮き上がるような、あの不快な感覚。
眼下に広がるのは、中世のジオラマを無理やり拡大したような、見たこともない街並みと、点のように小さい人々。
せめて自分の世界で死にたかった。
せめて、あの長編漫画の最終回を見届けてから死にたかった。
理不尽な強制召喚の末に墜落死なんて、私の人生、バッドエンドにも程があるでしょ。
私はあきらめて目を閉じ、最後の瞬間を待った。
――だが、待てど暮らせど、地面にたたきつけられる衝撃は来ない。
代わりに、ふわりと体が浮き上がるような感覚。
そして、ガチリ、と。
鋼のように強固で、けれど驚くほど温かい「何か」に、全身を包み込まれるような感覚があった。
「……ご無礼をお許しください。……聖女様」
鼓膜に直接響くような、低く、落ち着いた声。
恐る恐る目を開けると、そこにはフィクションを煮詰めて具現化したような、暴力的なまでの「美」があった。
(……え、何これ、CG?)
至近距離。
真っ先に目に飛び込んできたのは、夜の闇をそのまま切り取ったような深く静かな黒髪だった。
そして、次に私を覗き込む黒曜石のような瞳――わずかに切れ上がった冷徹な眼差しの中に、今は隠しきれない焦燥と、痛いほどの熱が宿っている。
極めつけには彫刻のように高い鼻梁に、薄く、形の良い唇がトッピングされていた。
「……っ」
ドクン、と。
心臓が、自分でも驚くほど大きく、一度だけ跳ねた。
落下によるアドレナリンのせい?
それとも、死の直後に現れた救世主へのときめき?
吊り橋効果というやつだろうか?
わからない。
けれど、私の体温よりもずっと高い彼の胸の鼓動が、重厚な軍服の生地越しにトクトクと伝わってきて、頭の中が真っ白になる。
彼は、抱きかかえた手をゆっくり下におろすと、私を地面におろしてくれた。
そこで私はようやく正気を取り戻した。
「……聖女」
私がこぼしたかすれた声に、彼は淀みのない動作でその場に跪いた。
マントの裾が風に翻り、草原を撫でる。
「はい。その御髪の色、そして夜を溶かし込んだような黒い瞳。それは、古の誓約にある通り、救世を司る聖女様の証です」
麗々しく頭を下げるその姿は、絵画のように完成されていた。
普通なら、ここで「王子様みたい…」と見惚れるのかもしれない。でも、私の中の冷めた理性が、急速に冷水を浴びせかけてくる。
(……救世?聖女?証?)
ああ、そうか。
目の前のこの彫刻イケメンは、私を「私」として助けたんじゃない。
「聖女」という名前の、この世界を救ってくれる道具が壊れないように、あわてて拾い上げただけなのだ。
「……ご紹介が遅れました。私は、ヴァルデミッド王国騎士団が長、アルカード・ディートリヒにございます。……貴方の降臨を、この国は千年の時を超えて待ちわびておりました」
「…………」
ときめきは、一瞬で死んだ。
代わりにこみあげてきたのは、どす黒い不快感。
目の前のアルカードの美貌が、今は私を縛り付けるための「最高級の檻」に見えてくる。
「……はぁ、そう」
私は冷たくあしらった。
彼がピクリと眉を動かし、わずかに顔を上げる。
「助けてくれたことには感謝するわ。でも、挨拶なら結構」
彼女の態度に唖然とするアルカード。驚きのあまり、黙り込む。
なんとも言えぬ、形容しがたい空気が流れていると、遠くからバタバタと数十人の足音が近づいてきた。
いかにもな服装をした神官たちが、汗をかきながら駆け寄ってきたのだ。
「大変申し訳ございません!召喚陣に一部誤りがあり、座標がズレてしまいました。お怪我はありませんでしたか!?」
駆け寄ってきた神官たちは、揃いも揃って派手な法衣の裾を泥で汚しながら、額の汗をぬぐっている。
その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが「ブチッ」と音を立てて切れた。
(召喚陣に誤り?座標がズレた?死にかけたのは、そのケアレスミスのせいなわけ?)
「お怪我はありませんでしたか、じゃないわよ」
私の冷え切った声に、神官たちがびくりと肩を震わせる。
アルカードは跪いたまま、その鋭い視線を神官たちに向けた。
「……後ほど、魔導院には厳重な沙汰を下す。今は聖女様を玉座の間へ」
有無を言わせない彼の言葉に促され、私は豪華なーーそしてひどく悪趣味に見える王城へと連行された。
玉座の間。
高い天井、金箔をあしらった柱。その中央に鎮座する王は、私を見るなり、救世主を見つけた熱狂的な信者のような目を向けてきた。
「我が名はゲドリック・フォン・エルディア聖女よ、よくぞ我が国の呼びかけに応えてくださった。今この国、エルディア王国は魔の軍勢に浸食され、民は怯え、滅びの淵にある。どうか、その聖なる力をもって、この世界を救っていただきたい」
王の言葉に、周囲の貴族や神官たちが一斉に跪く。
「救世」「平和」「慈悲」……そんな聞こえの良い言葉が、まるで呪文のように私の周りを飛び交う。
だが、私の答えはもう決まっていた。
「嫌よ」
私は、広間に響き渡る声で断言する。
「……何とおっしゃった?」
王が唖然と私を見つめる。背後に控えていたアルカードも信じられないものを見るかのように私を見つめていた。
「嫌って言ったの」
だから私はもう一度、聞こえるように、はっきり、と言葉を紡いだ。
あたりがシンと静まりかえる。その沈黙を破ったのは私の後ろに控えていたアルカードだった。
「聖女様、それは……あまりにも無慈悲ではありませんか」
アルカードの低く、重厚な声が玉座の間に響く。彼の端正な顔は、今や義憤に近い苦悶に歪んでいた。
「今この瞬間も、魔物に怯え、家を焼かれ、救いを求めて祈り続けている人々がたくさんいるのです!彼らの絶望を、貴方はたったの一言で無造作に切り捨てるというのですか!」
騎士としての正義、民を守る盾としての矜持。
彼の言葉には、一点の曇りもない。だからこそ、その「正しさ」が私を余計に逆なでする。
「……ふふ、あははははは!」
私は笑い声をあげた。笑いが止まらない。
アルカードが困惑したように眉を寄せ、私を凝視する。
私は一歩、彼の方へ歩み寄った。
「無慈悲?無慈悲なのは、あんたたちの方でしょ。……よく聞きなさいよ。私は、あんたたちに『呼んでくれ』なんて一言も頼んでないわ。何の了承も得ず、勝手に拉致してきて、目を開けたら『世界を救え』?私の意見は?私の同意は?」
私はアルカードの胸元を指さした。
「私の人生、私の生活、私の大切な人たちとの時間……あんたたちはそれらを全て考慮もせず、勝手に、乱暴に、奪い去ったのよ。それなのに、会ったこともない人達の命を、何の関係もない私に背負えって?……あんたたちの図々しさこそ、世界で一番無慈悲だって気づかないわけ?」
アルカードが息を呑み、言葉を失う。
彼の整った顔から、みるみるうちに赤みが引いていく。
「私には向こうでの生活があるの。明日も、明後日も、続いていくはずだった私の人生が。それを一方的にゴミ箱へ放り込んでおいて、救いを語るなんて……反吐が出るわ」
玉座の間を支配していた「聖女への期待」という熱狂が、一瞬で凍りついた。
アルカードの瞳が揺れる。
自分たちが「加害者」であることを突きつけられたからだ。
玉座の間は、重苦しい沈黙に支配された。
私の言葉は、金色の柱や大理石の床に跳ね返り、そこにいる全員の「正義」を真っ向から叩き割ったのだ。
特に、目の前に立つアルカードの動揺は激しかった。
先程まで騎士としての誇りに満ち満ちていたその双眸は、今は行き場を失ったように泳ぎ、自身の拳をギリギリと握りしめている。
「………っつ」
彼は何かを言いかけ、喉の奥で言葉を押し殺した。
王国の民を救うのが、彼の正義だ。
けれど、そのために一人の少女の人生を踏み躙ったという事実は、どう言いつくろっても消えはしない。
私が突き付けた「加害者」というレッテルが、彼の喉元に鋭い刃となって食い込んでいた。
玉座に座る王は、あまりの気圧されようにパクパクと口を動かしている。
その横から、沈黙に耐えかねたのか一人の老神官が、すり足で前へ進み出てきた。
「……ま、まあ、聖女様。どうか落ち着いてください。お怒りはごもっとも…しかし、この地へ降り立たれたのも何かの御縁。まずは高ぶったお心を沈めていただくのが先決かと」
「そ、そうですとも。今はお疲れで冷静な判断ができていないのでしょう。今日はもうお休みになられてください。また後日お話をさせていただきますので」
(あくまでも私の意見は無視ということか)
次々と、爺どもが口を開いては、私の体を労わっているかのように見せかけ、この話はもう終わりだと伝えてくる。
その猫撫で声に、卑屈なまでの微笑みが、さらに私の神経を逆なでした。
「だから…っ」
「長旅……いえ、急な召喚で御身も酷使されたことでしょう。幸い、我が国には聖女様の聖力を安定させ、心身を癒すとされる特別な食べ物が用意されております」
別の重鎮が、私の言葉を遮り言葉を紡ぐ。
「さあ、まずは一口でも。この国の恵みを口にすることが、聖女としての目覚めを助け、貴方様をこの世界の理へと導く……いえ、馴染ませてくれるのです。それがひいては、元の世界を懐かしむ辛さを和らげることにもなりましょう」
「……この世界の理へと導く?」
私は眉をひそめた。その言い草、まるで「早くこっちの人間になれ」と急かされているようで、薄気味悪い。
執拗に、それこそ何かを成し得るために食事を勧めてくる彼らの目は、どこか濁っていた。
「結構よ。あんたたちが差し出すものなんて、水一杯だって口にしたくないわ」
ぴしゃりと言い放つと、重鎮たちの顔が目に見えて強張った。
絶望、あるいは焦燥。なぜそこまで食にこだわるのか、その時の私には知る由もなかったけれど。
「……下がれ」
不意に、背後でアルカードの声が響いた。
それは先程の義憤に満ちた声ではなく、ひどく冷え切った、それでいて何らかの決意を固めたような響きだった。
「ディートリヒ騎士団長?しかし、聖女様には早く食べ物をーー」
「下がれといったのが、聞こえなかったのか?」
彼は私と重鎮たちの間に割って入るように立ち、彼らを一瞥した。
その眼光は、先ほど私に向けられていた「情熱」とは正反対の、拒絶を含んだ冷徹なものだった。
「何を……!?我らは聖女様のためにーー」
「黙れ。聖女様のおっしゃる通りだ。我らは一人の少女の人生を一方的に奪い、踏み躙った。その非道を棚に上げ、これ以上の無理強いなど、この騎士団長アルカードが許さん」
騎士団長とはいえ一介の騎士が重鎮をのける。本来なら不敬にあたるはずのその行為を、王さえも咎めることができなかった。
この国の防衛の要であり、最強の武力を有する彼を、今この状況で怒らせるわけにはいかないからだ。そして何より、アルカードが放つ圧倒的な威圧感に彼らは気圧されていた。
「……下がれ。これ以上、聖女様の視界を汚すな」
アルカードの最後通告に、重鎮たちは忌々し気に、けれど恐れをなして、蜘蛛の子を散らすように下がっていった。
嵐が去ったような静寂の中、私は内心で感嘆の声を漏らしていた。
(す、すごい……彼の言葉一つで、あのクソ爺共が一瞬で退散したわ)
これほどまでに見せつけられれば、アルカードが王をも凌駕する実質的な権力……あるいは、彼一人がいなくなればこの国が詰むという、圧倒的な武力を背景にした立ち位置にいるのは明白だった。
(案外すごいのね)
私がどこか他人事のように彼に感心していると、彼がゆっくりと私の方へ向き直った。
その顔は、先ほどまでの「正義の騎士」の仮面が剥がれ落ち、隠しようのない自責の念に染まっている。
彼は一度だけ深く、深く頭を下げると、掠れた声で私に告げた。
「……聖女様。度重なる不敬を、どうかお許しください。……これからお部屋へご案内いたします。ついてきて……くださいますか…?」
声といい、表情といい、負のオーラを全開にした彼を目前にして、これ以上意地を張るのも気が引けた。
私は良心の呵責を覚えながら、コクリと頷くと無言で彼の背中についていった。
豪華な廊下を歩いている間。彼は一度も私の目を見ようとしなかった。
前を歩く彼の大きな肩が、私の投げつけたことばという重荷を背負ったかのように、わずかに震えているのが見える。
まるで、歩くたびに彼という人間が内側から崩れていくような……そんな、痛々しい背中だった。
やがて到着した部屋は、一人で過ごすには広すぎるほどの豪奢な寝室だった。
アルカードは扉を開け、私が入るのを待ってから、深々と一礼した。
「本日はこちらでお休みください。……護衛は私が、この扉の前で務めます。何かあれば、何なりと」
その丁寧すぎる言葉が、今は私を縛り付ける鎖のように聞こえる。
私は部屋に入り、彼が扉を閉める直前、どうしても抑えられなかった苛立ちをぶつけた。
「……偽善者」
ぽつりと零した一言は、アルカードの心に鋭い刃となって突き刺さった。
わずかに見えた彼の、今にも泣きだしそうな、それでいて絶望を受け入れたような表情が、私の脳裏に焼き付く。
(……なによ、その顔)
扉が重鳴りを上げて、外界と私を遮断する。
扉の向こう側からアルカードが言葉を紡いだ。
「……ゆっくりと、おやすみください」
その声は先程よりもさらに暗く、深く沈んでおり、私の心をぎゅうぎゅうと締め付けた。
(どうして私が、こんなに苦しい思いをしないといけないの……?)
悪いのは、勝手に私を連れてきたあっちでしょ。
なのに、どうして私の方が、こんなにも汚い罪悪感に苛まれなきゃいけないの。
私はずるずると扉を背にして座り込み、膝に顔を埋めた。
この世界の夜は、驚くほど静かだ。
聞こえるのは、自分の不規則な呼吸音と、遠くで時折なる風の音だけ。
けれど、背中を預けている扉を通して、微かに、本当に微かに「熱」が伝わってくる。
そこに、彼がいる。
騎士団長なんて呼ばれているくせに、今は私と同じように、床に直接座り込んで絶望を噛み締めている男の気配。
扉という境界線がなければ、私たちの背中は今頃、ぴったりと重なっていただろう。
(……大嫌い。あんたも、この世界も、全部、全部大嫌い)
心の中で呪文のように繰り返す。そうしないと、今にも扉を開けて、その逞しい肩に縋り付いてしまいそうだったから。
一人にしないでと、泣き叫んでしまいそうだったから。
憎しみは、この暗闇で私が唯一「自分」を保つための命綱だった。
窓の外では、見慣れない星々がゆっくりと空をめぐっていく。
冷たい扉の感触と、向こう側にいる男の体温。
私たちは一言も交わさないまま、けれどお互いの存在という呪縛から逃げられないまま。
白々と明けていく異世界の空の下、一度もまどろむことなく、ただ静かに、最悪な一日の始まりを待っていた。
これはだいぶ前に書いてた小説で、ファイルの整理をしていたら出てきたので投稿してみました。
結構展開的にはシリアスめになるかもしれません。
それでもよろしい方はぜひぜひ次の投稿お楽しみに♪
ではまた次の話でお会いしましょう。




