女子高生、成層圏にてバイト中──時給は秘密。
女子高生が宇宙でバイトをしてはいけない。
法律にも、校則にも、そしてだいたいの良識にも反している。
十八歳未満の宇宙渡航は、保護者同伴が絶対条件。ましてや労働なんて、労働基準法が成層圏を越えて適用されるのかは知らないが、とにかくダメなものはダメなのだ。
だが、ダメだと言われるとやりたくなるのが若さであり、その若さを安く買い叩きたがるのが大人という生き物である。
その若さを全面に押し出すのが……
「ねえ湊、一緒に行こうよ! 三人で行けば絶対楽しいって!」
明日海は、私の返事を聞く前から、もう決めていた。
「由依も行くって言ってるし!」
私は、断る言葉を探した。
でも、見つからなかった。
「……考えとく」
「やった! じゃあ決定ね!」
明日海は、私の「考えとく」を「YES」として受け取った。
いつも、そうだ。
彼女は、人を巻き込むのが上手い。
それを悪気なくやる。
そして私は宇宙にいた。
金曜の夜に地球を離れ、連休を挟み月曜の夜に帰ってくる予定だ。
親には「友達の家に泊まる」と嘘をついている。
「ねえ、湊。これ、マジで地球見えんの?」
隣で由依が言った。彼女は制服のスカートの下にジャージを履いている。宇宙だろうが近所のコンビニだろうが、彼女のスタンスは変わらない。「ダルい、眠い、腹減った」の三拍子だ。
「見えないよ、ここ倉庫だもん」
私は答えた。出来るだけ無愛想に。
「えー、つまんね。あすみー、地球見えないってよ」
「心の目で見れば見えるよ!」
コンテナの向こうから、やたらと元気な声が返ってきた。明日海だ。彼女はこの違法バイトの発案者であり、宇宙オタクであり、そして私たちがここにいる元凶だ。
「心の目とかいらないから、お菓子食いたい」
「あとで休憩あるでしょ。ほら、手動かして」
私たちが押し込まれているのは、貨物船の予備コンテナだ。正規のルートで上がれるわけがないので、いわゆる「荷物」として運ばれている。
振動がすごい。ジェットコースターの比じゃない。内臓が一度口から出て、挨拶をしてからまた戻っていくような感覚。
私は膝の上で拳を握りしめていた。
手汗がひどい。
宇宙なんて、来たくなかった。
本当は、死ぬほど怖いのだ。
でも、それを二人には言っていない。言えるわけがない。
「湊はしっかりしてるから、宇宙でも頼りになるね!」なんて、明日海にキラキラした目で言われて、断れる女子高生がいたら連れてきてほしい。
『到着まであと十分』
船内放送……ではなく、密航の手引きをしてくれた怪しいおっさんの声がスピーカーから響いた。
「うぇーい、宇宙キター」
由依がやる気なくピースサインをする。
「うわぁ、ドキドキするぅ!」
明日海が身を乗り出す。
私は、吐き気をこらえるのに必死で、曖昧に頷くことしかできなかった。
これが、私たちの修学旅行代わりの、秘密の週末の始まりだった。
バイト先は、軌道上にある古い中継ステーションだった。
名前は〈オアシス・ベータ〉。名前だけは立派だが、実際は宇宙の掃き溜めに浮かぶ巨大なブリキ缶だ。
主な業務は、倉庫整理と清掃。
自動化が進む宇宙産業において、なぜ人間の、それも女子高生の出番があるのか。
理由はシンプルだ。
「ロボットより、お前らの方が安いからな」
雇い主の店長(通称・ハゲ店長)は、葉巻のような形をしたチョコバーをかじりながらそう言った。
無重力空間でハゲ頭が光っていると、妙に神々しい。
まるで天体だ。
でも、言ってることは最低だ。
「違法就労っすよね、これ」
由依がガムを噛みながら指摘する。
「人聞きの悪いこと言うな。これは社会科見学だ。お礼として小遣いを渡すだけだ」
「小遣いにしては、桁が多いっすけど」
「口止め料込みだ」
店長はニヤリと笑った。この笑顔が、大人の汚さを凝縮していて素晴らしい。原油流出事故のニュース映像くらい心がざわつく。
仕事は三人一組で進められた。
明日海は、とにかく楽しそうだった。
無重力で浮くホコリを見つけては「星屑みたい!」とはしゃぎ、汚れたフィルターを交換しては「ステーションの肺を綺麗にした!」と感動する。ポジティブさが成層圏を突破している。
「ねえ湊、見て見て! 窓の外、デブリが流れてる!」
作業中、明日海が丸い窓にへばりついて叫んだ。
私は背筋が凍るのを感じた。
窓。
そこには、無限の闇と、絶対的な死が広がっている。
「……作業、遅れるよ」
私は窓を見ないようにして、リストをチェックするふりをした。
「湊ってば、クールだなぁ。もっと感動しようよ、宇宙だよ?」
「仕事しに来たんでしょ」
「そうだけどさぁ。将来、私がここで働くときのために、予習しとかないと」
明日海の夢は、宇宙飛行士か、ステーションの管理官になることだ。彼女の部屋には星図が貼ってあるし、待ち受け画面はハッブル宇宙望遠鏡が撮ったなんとか星雲だ。
「由依は? 楽しい?」
「んー? まあ、体が浮くのは楽でいいけど。トイレ行きづらくね?」
由依が宙に浮いたまま、器用にモップを回す。
彼女は本当に、友達だから来ただけだ。「湊と明日海が行くなら、私も行くわ。一人で地上いても暇だし」というノリだ。その軽さが、今は少し救いだった。
私は、と言えば。
心拍数を悟られないように必死だった。
ステーションの壁一枚向こうは真空だ。
空気が漏れたら終わり。
デブリが当たったら終わり。
システムがダウンしたら終わり。
かつて、私が小学生の頃。
家族旅行で行った成層圏体験フライトで、機材トラブルが起きた。
窓の外が真っ暗なまま、二時間。酸素供給システムの警告音が鳴り響く中、大人たちがパニックになるのを見た。
泣き叫ぶ子供、祈り出す老人。
そして、嘔吐する父親──いつも強い父が、子供みたいに震えていた。
宇宙は、死の匂いがする場所だ。
私にとって、ここは夢の舞台じゃない。巨大な棺桶だ。
それでも、来た。
明日海が「どうしても三人で行きたい」と言ったから。
断ったら、二人が遠くに行ってしまう気がしたから。
バカだなぁ、と思う。
友情ごときで、トラウマの現場に舞い戻るなんて。
「おい、そこの女子高生ども」
店長の声がインカムから聞こえた。
「D区画の荷物が崩れたらしい。直しに行ってくれ」
「はーい」
二人が能天気に返事をする。
私は小さく深呼吸をした。
吸い込んだ空気は、循環システム特有の、少し焦げたような機械の味がした。
D区画は、ステーションの最深部にあった。
照明が半分死んでいて、薄暗い。
古い資材や、用途不明の機械部品が山積みになっている。
「うわ、なんかお化け屋敷っぽーい」
由依が面白がって懐中電灯を振り回す。光の筋がホコリの中を走る。
「お化けなんていないよ、宇宙には」
明日海が得意げに言う。
「霊魂だって質量保存の法則はあるはずだから……」
「そういう理屈っぽいのはいいから。さっさと片付けよ」
私は二人の背中を押した。早くここから出たかった。
崩れていたのは、飲料水のタンクだった。
固定ベルトが劣化して切れたらしい。巨大な水枕のようなタンクが、無重力の空間をゆらゆらと漂っている。
「でかっ。これどうすんの?」
「押し込んで、新しいベルトで留めるしかないでしょ」
三人でタンクに取り付く。
重くはない。無重力だから。
でも、質量はある。一度動き出すと、止めるのが大変だ。
「せーのっ!」
かけ声に合わせて、タンクを棚に押し込む。
ブニョブニョした感触が気持ち悪い。
その時だった。
ドォン、という鈍い音が響いた。
床──というか、壁全体が大きく震えた。
「きゃっ!」
明日海がバランスを崩して回転する。
由依が近くの手すりを掴む。
私は、恐怖で体が硬直した。
あの時と同じ音だ。体験フライトで聞いた、絶望のファンファーレ。
「な、なに? 今の」
明日海の声が裏返る。
直後、照明が消えた。
完全な闇。
非常灯の赤い光だけが、回転しながら明滅し始めた。
ウーッ、ウーッ、という警報音が、鼓膜を直接殴ってくる。
『警告、警告。外郭に微小隕石衝突の可能性。気密レベル低下。区画を閉鎖します』
無機質なアナウンス。
そして、プシュゥゥゥン、という重い音がして、私たちの背後の隔壁が閉じた。
閉じ込められた。
「え、嘘でしょ?」
由依の声から、余裕が消えている。
「ちょ、店長? 店長!?」
明日海がインカムに向かって叫ぶ。
ザザッ、というノイズしか返ってこない。
私は、暗闇の中で震えていた。
息が吸えない。
喉が詰まったみたいに苦しい。
暗い。狭い。怖い。
過去の記憶がフラッシュバックする。
泣き叫ぶ声。
「酸素がもたないかもしれない」という大人の囁き。
「湊? 大丈夫?」
明日海が私の腕に触れた。
その手も震えている。
私は答えようとしたが、声が出なかった。
過呼吸になりかけている。
ヒュー、ヒュー、という自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえる。
「ねえ、これ、ヤバくない?」
由依がスマホのライトをつける。
その光が、私の顔を照らしたらしい。
「湊、顔色悪いよ。めっちゃ汗かいてる」
「……だ、大丈夫……」
嘘だった。全然大丈夫じゃない。今すぐ地球に帰りたい。お母さんに会いたい。布団に入りたい。
「気圧、下がってないかな──」
明日海が腕時計型の計器を見る。
「……少し下がってるかも。でも、まだ安全圏内」
彼女は努めて冷静に振る舞おうとしていた。さすが宇宙オタクだ。
でも、声の端々に恐怖が滲んでいる。
「どーすんのこれ。酸素なくなって死ぬとか、マジ勘弁なんだけど」
由依が苛立ったように足をバタつかせた。
その言葉が、私のストッパーを外した。
「……帰りたい」
「え?」
「帰りたいよぉ……ッ!」
叫んだ瞬間、涙が溢れ出た。
もう、我慢できなかった。
「私、宇宙なんて嫌いなの! 怖いもん! あんなの、もう嫌だ!」
二人が呆気にとられているのが気配でわかった。
いつも冷静(ぶっている)私が、子供みたいに泣きじゃくっているのだから。
「湊……?」
「昔、事故にあって……死ぬかと思って……だから、本当はずっと怖かったの! あんたたちが一緒に行こうって言うから……断れなくて……」
最悪だ。
こんな時に、仲間割れみたいな空気を作って。
でも、口は止まらなかった。
「明日海はずるいよ! 自分が行きたいからって、周り巻き込んで! こんなボロいステーションで、死ぬかもしれないのに!」
明日海が息を飲む音がした。
沈黙。
警報音だけが、馬鹿みたいに鳴り響いている。
やっちゃった。
そう思った。
これで友情もおしまいだ。
宇宙の藻屑になって、友情も壊れて、最悪の最期だ。
その時。
ふわりと、体が抱きしめられた。
「……ごめん」
明日海の声だった。
「ごめんね、湊。私、全然気づいてあげられなくて」
「……う、うう……」
「怖かったよね。無理させちゃったね。ごめん」
彼女の体温が、宇宙服越しに伝わってくる……わけはないのだが、なんだか温かい気がした。
「ていうかさー」
由依の声が割り込んできた。
「湊、水臭いって。嫌なら嫌って言えよ」
「……ごめん」
「謝んなくていいって。私も、別に宇宙好きじゃないし」
由依は、あっけらかんと言った。
「でも、あんたらと一緒なら、まあ悪くないかなって」
由依も、反対側から抱きついてきた。
狭い。
女子高生三人が無重力で団子状態。
「明日海のせいにするのは後でいいからさ。とりあえず生き残ろうぜ。私、まだタピオカ全種類制覇してないし」
由依の言葉のチョイスが、あまりにも由依らしくて、私は少しだけ力が抜けた。
「……湊」
明日海が私の顔を覗き込む。
「ここから出る方法、考えよう。私、構造図覚えてるから」
「……うん」
「由依は力仕事担当ね」
「へいへい。で、湊は?」
「私は……」
私は涙を拭った。無重力だから、涙が玉になって飛んでいく。
「……計器見る。数字なら、信用できるから」
「よし、役割分担完了!」
明日海が無理やり明るい声を出した。
私たちは動き出した。
恐怖が消えたわけじゃない。
足は震えているし、心臓は早鐘を打っている。
でも、一人で震えているよりは、三人で震えている方が、振動が相殺されてマシな気がした。
結論から言えば、私たちは助かった。
明日海の記憶にあった通気ダクトを手動でこじ開け(由依が「火事場の馬鹿力!」と叫んでハンドルを回した)、私が気圧差を計算してタイミングを指示し、隣のブロックへ脱出した。
そこには、呑気にカップラーメンを食べている店長がいた。
「おお、自力で出てきたか。やるな、女子高生」
店長は、私たちが必死の形相で現れたのを見て、少しだけ目を丸くした。
「警報、止めてくださいよ!」
明日海が食ってかかる。
「ああ、あれな。センサーの誤作動だ。よくあるんだよ、このボロ屋は」
「誤作動!?」
「隕石じゃなくて、たぶん誰かが捨てた空き缶か何かがコツンと当たっただけだろ。大げさな機械だ」
私たちは三人同時に、その場へ崩れ落ちた。
由依に至っては、店長のスネを蹴っ飛ばそうとしたが、無重力だったので空振りして回転していた。
「……マジで、許さない」
私は呟いた。
「ま、無事で何よりだ。これもいい経験だろ」
店長は悪びれもせずに言った。
「「「経験で済むかーッ!」」」
三人でハモった。
その声が、ステーションの薄汚い壁に反響した。
帰りの貨物船の中。
行きよりも、空気は幾分リラックスしていた。
いや、疲労困憊でぐったりしていただけかもしれない。
私は小さな窓から、遠ざかるステーションを見ていた。
あんな場所、二度と行きたくない。
でも。
「……ねえ、明日海」
「ん?」
「宇宙飛行士、なるの?」
明日海は、少し考えてから笑った。
「んー、わかんない。でも、やっぱり宇宙は好きかな。綺麗だし」
「……私は、やっぱり嫌い」
「だよね」
「でも、あんたがなるなら、応援はしてあげる」
明日海は嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。じゃあ、私が船長になったら、湊を一番安全な席に乗せてあげる」
「由依は?」
「私はファーストクラスで、イケメンの客室乗務員付きなら乗ってやる」
「注文多いなー」
三人で笑った。
笑い声が、狭いコンテナの中に満ちる。
地球が見えてきた。
青くて、丸くて、重力のある星。
私はそれを美しいと思った。
宇宙から見る地球が美しいのではない。
あそこに帰れるという事実が、美しく思えたのだ。
「あ、そうだ」
明日海がリュックをごそごそと探る。
「店長から、バイト代もらったよ」
「マジ? いくら?」
由依が身を乗り出す。
明日海が取り出したのは、分厚い封筒だった。
期待が高まる。命をかけた報酬だ。それなりの額が入っているはずだ。
封筒を開ける。
中に入っていたのは──
見たこともない肖像画が描かれた、数枚の紙幣だった。
「……なにこれ」
「『月面都市共通通貨ルナ・ドル』だって」
「……え、ここ地球圏なんですけど」
「『いつか月に行くとき使え』ってメモが入ってる」
沈黙。
エンジンの振動だけが、ブーンと響いている。
「あのハゲェェェェッ!!」
由依の絶叫が、大気圏突入の轟音にかき消された。
私たちは地球に帰る。
手元には、使えない紙幣と、筋肉痛と、少しだけのトラウマ克服の記憶。
まあ、悪くないか。
そう思えるくらいには、私は大人になっていたのかもしれない。
あるいは、単に酸素不足で頭がおかしくなっていただけかもしれないけれど。
重力に引かれて、体がシートに沈み込んでいく。
その重みが、今はたまらなく愛おしかった。
「着いたら、焼肉行こ」
誰かが言った。
「賛成」と私が言った。
時給は秘密。
でも、この経験の値段は、たぶんプライスレスだ。
なんて、CMみたいなことを考えて、私は目を閉じた。
まぶたの裏には、星空ではなく、ジュージューと焼けるカルビが浮かんでいた。




