第七話 柳は首を垂れる
手に取ったマンガの表紙に眉を寄せる。
ぼいーん、ばいーんっとでかい乳。
異世界だからってこんな人間いるわけがないだろう。
実際に異世界人の俺が保証する。
それにヒロインはこんなに節操がない格好はしない。
ヒロインはもっと太陽が似合う、綺麗な笑顔を浮かべてる。
雪みたいな。
雪、雪那…‥俺の血のつながらない姉。
子供の頃に初めて見た空から降ってくる白い雪は、雪那と同じくらいに綺麗だった。
雪那は俺の髪みたいだって言ったけど、全然違うと思う。
ヒーローの話を誰よりも格好よく、凛々しく語る姿に憧れた。
ヒーローとヒロインがくっつくシーンでちょっと赤くなった頬に触れたかった。
雪は、雪那は、俺のヒーローでヒロイン。
誰よりも強くて、誰よりも守りたい人。
いつまでも一緒にいられると信じていた。
でも幸せな時間は突然終わった。
突如蘇る過去の苦痛。自分の中で蓋をしていた記憶が次々と浮かぶ。
帰りたかった。すぐに、あの温かな場所に。
でもその願いはかなわなくて。
諦めきれず、いつか帰れると信じて、過去に日本へ飛んだ場所へと何度も通った。
信じて、信じて、信じて……希望がもう無くなるかもしれないという時、あのクソ野郎から命令が来た。
──異世界から聖女を喚ぶ魔法を作れ
聖女?
鼻で笑いそうになった。
俺にとって聖女もヒロインもたった一人。
だから、俺はひっそりと魔法に印を入れた。
二度と雪がいる場所に戻れないのならば、雪をこっちに連れて来よう──そう計画して。
「まったく、柳の執着を舐めてたな」
「え?」
ニ十歳になってお酒が解禁になり、父親と酒を飲んでいる時に突然言われた。
もっとも、向こうではとっくの昔にニ十歳を超えていたからいつでも飲めたんだけど。
別に酒が大好きってわけでもないから、週末に一本だけビールを飲む父親に付き合うくらい。
凝ったビールグラスに大事に泡を注いた父親が、顔を上げる。
「魔法陣だよ。賢者の観察眼を舐めるなよ」
「あー、ばれた?」
「しっかり雪の名前が入ってるのもな。でも、俺たちまで引っ張る必要はなかっただろう」
「……雪が悲しむから」
「ああ、そういうやつだ、お前は」
一人で雪に寂しい思いはさせたくない。
だからもし転移する時、近くに父親や母親が一緒にいたら引っ張ってこれるようにも計算した。
だからあの召喚は偶然じゃない。
ばれるとは思わなかったけど。
でも父親の表情を見る限り、怒ってるわけでもなさそうだ。
探るような視線を向けると、ふっと軽く笑みを返される。
「子供の好き嫌いくらい見てれば、親は分かるもんだ。ガキの頃から全く変わってないからな、柳は。まるわかりだぞ」
「……そう?」
「雪はお姉ちゃんって呼ばれたかったのに、柳は頑なに名前で呼ぶのをやめなかったろ。そのころから『お、もしかして』ってのは思ってたな」
「自覚なかった……」
確かに、この家に来てすぐにお姉ちゃんって呼んでって言われて、「雪は雪」って返した覚えがある。
無自覚だけど、ただの姉と弟という関係は嫌だったのかも。
そんな俺を見て、くっくっと肩を揺らす父親。
勝てないなぁと思う。昔からそうだったけど、ひょうひょうと楽しいことだけを選んでいるように見えて、絶対に譲れないところは譲らない。
雪がまっすぐで朗らかで芯の通った強さを持っているのは、父親の影響が強いと思う。
賢者としてさらに広い視野と深い知識を持った今では、完全に負けっぱなしだ。
「でもさ、いいの?」
「何がだ」
「俺が、雪を好きなままで」
「いいんじゃねえか? 雪もまんざらじゃない感じだし」
「そう、見える?」
鋭い観察眼を持った父親の言葉に、口元が緩む。
ツマミの貝ヒモを口に入れて、もぎゅもぎゅと噛みしめる。ついでに今後への期待と希望も噛みしめる。
良かった。最近雪が俺を意識してくれてる気がしたんだけど、気のせいじゃなかった。
「あの、さ。俺、異世界人だけど……それは、どう思う?」
「あーん? そんなん雪は分かってるだろ」
何が問題なんだと首を傾げる父親に、真っ赤になりそうな顔を下げてぽつりと吐き出す。
渦巻いている不安。子供のころから、俺は生まれてはいけない存在だと言われてきて、本当に家族を持つことを望んでいいのかという恐怖。
「えっと、異世界人だから、子供とかできないかもしれないし」
雪との子供。想像するだけで転げ回りたくなる。
俺は子供は好きとか嫌いとかないけど、雪はきっと欲しがる。
だから、もし俺のせいでできなかったら悲しむと思うし。
そんなことをうじうじ考えている俺の頭の上から、ぶはっと変な音がして思わず顔を上げる。
そこにはお酒のせいだけじゃなく顔を真っ赤にしている父親がいた。
「ぶは! ぶはははは! そ、そんなこと、考えてたのか!」
パシパシと太ももを叩いて笑う父親をジト目で睨む。
そんなにおかしいことを言った覚えはないんだけど。
「ぐっふ、くふふふふ……柳、柳を助けた時、病院に入っただろ?」
「え、うん」
「で、色々血液採取して試験したりしただろ? こっちに戻ってきた後も」
「あ、うん。あ……そっか、そうだった」
「おう。明らかに地球人と違うDNAしてたら、今頃柳は実験材料になっててここにいないだろ」
「……だよね。すっかり忘れてた」
ぶははははっと腹を抱えて笑われる。
笑いすぎで溢れた涙を拭い、父親はさらに続ける。
「それとだな、自分の子供は可愛い。でも血がつながってなくても子供は可愛いぞ。だから子供ができなかったら養子に取ればいい。雪なら、真剣に相談すれば否定なんてしないだろうから」
柔らかい目で見つめられて、俺は瞬きを繰り返す。
本当に、何度、気づかされるんだろう。
自分の子供じゃなくても惜しみない愛情をくれた人たちの貴重さを。
こみ上げてくる感情に、俺は滲んだ涙を手の甲で拭う。
「ありがとう」
「おう。柳、幸せになれよ」
「うん。雪と一緒に、幸せになる」
「何か悩んでも俺たち親がいることを忘れるなよ」
「うん、ありがと……俺、田島家に拾われて良かった」
照れくささもあったけど、どうしても伝えたくて。
本心をてらいなく告げると、父親はクシャリと顔をゆがめて笑った。
「親が受け取れる最高の賛辞だな」
ヒーローにも確実に親がいて、誰かを助ける優しい心は親からもらったのだと理解する。
俺もいつかはなれるのだろうか。
誰かを助けるために手を伸ばすヒーローに。
手にしたコミックのカバーをぼおっと眺めていると誰かが横に立つ。
「へぇ、おにーさん、そういう女の子が好みなの?」
「……違う。全然、違う」
「ぷふふ、全力で否定したし」
からかう気マンマンな目で見上げられる。
全く、そういう仕草だけでこっちがどれだけ内心ドキドキさせられているか知りもしないで。
再会した雪は、上背だけ伸びた俺の肩よりちょっと上くらいの身長。
幼い頃の虐待のせいでなかなか身長が伸びなくて、元の世界に戻った十三歳の時でもまだ雪よりか背が低かった。
十年、長かった。でも雪との年齢差が縮まったのは最高の幸運だった。
なんだかんだで戸籍上はまだ雪よりも年下だけど。
「雪」
「ん?」
「なんでもない」
「なに、変なものでもついてる?」
そう言って自分の後ろを見ようとする雪の頬に手を伸ばす。
ラメが散った瞼がくすぐったそうに細められた。
信頼が嬉しい。それと同時に悔しい。男として見られていない気がして。
ふにっと目元をつまんで意地悪く口角を上げる。
「なんでもない」
「……な、な、な」
気にして。
もっと俺の事で慌てて。心の中がいっぱいになってしまえばいい。
ヒーローを悪の道に誘い込もうとする誘惑をばらまいて、そこに落ちてくるのを待っている。
雪だけのヴィランになりたい。
誰かのヒーローにもなりたい。
矛盾する夢が形になる日を夢見て俺は雪の手を取った。
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