第一話 柳が流れる
「ぱぱぱぱぱぱぱあ! 死体! 死体、流れてるぅぅぅぅ!」
夏の初め、家族と川に鮎釣りとバーベキューを楽しみに来た週末。
身長より何倍も長い竿を操って、ピカピカに綺麗なアユを釣り上げるお父さんに感動していた。
私はお母さんと一緒に、野菜の準備をしていたのだけど、その視界に何か白いものが入って首をそちらに向ける。大きな水どりでも来たのかなと期待して。
でも、上流からどんぶらこ、というよりはぷかぁぁ~っと流れてきたのは、たぶん、服を着た何かで……
白く長い髪に、生成りの服。
大きくはない。
つい昨日十一歳の誕生日を迎えた私よりもだいぶ小さい。髪の毛と服がなければ、動物の死骸だと思ってた。
悲鳴を上げた私に、お父さんとお母さんは素早く動き出す。
「ま、まじかぁ!? まじかまじかまじか」
「雪、こっち来なさい!」
手にしていた竿をすぐに畳みだすお父さん。口も手も忙しい。
お母さんは私の両目を覆うようにして私を胸元に抱きよせた。お母さんの手から、さっきまで切っていたピーマンの匂いがする。
死体、なのかな。
ドックンドックン跳ねる私の心臓の音。
私を抱きしめるお母さんのエプロンの奥からも同じ音が聞こえる。お母さんも、怖いのかも。
ジャバジャバと音を立てているのは、お父さん。死体に近づいているの?
怖い怖い怖い。
推理小説で読んだことがある。水死体って気持ち悪いって。ぶくぶくでどろどろだって。
「……子供?」
お父さんの声がして、思わずびくりと体を揺らす。
見上げたお母さんの顔は真剣な表情で、川を見つめている。振り返りたくなる衝動と戦っていると、お父さんの声がまた聞こえた。
「息がある! 由衣! 救急車だ!」
「分かった!」
すぐに返事をしたお母さんは、左手で私を抱きしめたまま、エプロンのポケットからスマホを取り出して電話を始めた。
救急車? 119番するの? すごい。すごい。
滅多にできない経験だと、お母さんをまじまじと見てしまう。すぐにお母さんはてきぱきと状況を話し始めた。
「川に遊びに来ていて、意識のない子供を救助しました。場所は……」
その間にザバザバとお父さんが川から上がってくる音。
お母さんの腰のあたりを叩いて開放してもらって振り向くと、お父さんの両腕の中には小さな、白い子供がいた。
「髪が、白い?」
「外国の子かな。雪、タオルを持ってきて」
「うん!」
どきどき、ドキドキ。こんな大事件が起こるなんて。
車に戻って、川遊び用に持ってきていた大きなタオルを掴む。お父さんにも必要かなと思って、他にも数本。
両手にタオルを持った私を見て、お母さんがありがとうと言ってくれた。電話、終わったんだ。救急車が来るのかな。
山奥ではないけれど、ちょっと人里離れているから時間がかかるかも。
「雪、今のうちにバーベキューのコンロとか片付けるのを手伝って」
「うん」
せっかくの誕生日のお祝いBBQだけど、仕方がない。
お父さんが白い子の服を脱がせて一瞬顔を上げる。お父さんとお母さんが怖いくらいに表情を硬くした。
「どうしたの?」
「いや、雪は見るな」
「え、うん」
どうしたんだろう。なんで、見ちゃダメ? あ、裸だからかな。私よりもだいぶ年下っぽいけれど、勝手に見ちゃだめだよね。
折りたたみチェアを片付け、車に積みこむ。
お母さんが焼きおにぎりにする予定だったおにぎりを差し出す。
「お昼、ちゃんと食べれなさそうだから、雪は食べておいて」
「お母さんたちは?」
「私たちも食べるよ。ありがとね」
お母さんの言葉に頷き、クーラーボックスからお茶を取り出す。もぐもぐとおにぎりを頬張りながら、お父さんとお母さんの分のペットボトルも用意。
救急車が来たら私たちも移動だしね。
そうやってバタバタとしていたら、思ったよりも早く救急車が到着して驚いた。
遠くからサイレンが聞こえ始めた時にはどきどきして、目の前に止まった時にはさらにドキドキ。救命士が降りてきた時には心臓が爆発しそうだった。
だって目の前でこんなこと一生に一度の経験だし。
お父さんは救急車に一緒に乗って、お母さんは連絡を取り合いつつ車を運転して安全にあとを追いかけることに。
びちゃびちゃになったあの子の服はビニル袋に詰め込まれた。出発する赤いランプに続いて、お母さんがゆっくりとクルマを発進させる。
それが、私田島雪那と柳の出会いだった。