塞翁が馬
古代中国、趙の国の話である。
ここでの趙は、戦国時期中の趙のことを謂うのだと思えば良い。そうなると、紀元前の四〇〇から三〇〇年ほどの時期である。
この国は古来、胡の鈔掠を許してきた。
しかし、それ故に軍事において一層の盛況と発展を見せ、胡服騎射という語句を言えば、一般に其の軍兵の装束を言うほかに、趙の武霊王期に行われた軍制改革を包括して言うことが多い。
この国はそういった一人ずつの装束を変化させるほかに、北辺に塞を築くことも行った。
敵たる胡は騎馬を以って猛進してくるのが常であるが、その勢いを遏める為には、頑強な壁を用いることが、この時代での一つの常道である。
この境をもとに長らく胡(この時期でいえば匈奴のことである)と対峙していたが、その緊張は多くの面で変革を齎している。
そのうちの一つと数えてよいのが畜馬の文化である。
匈奴と対峙しているということは、全きに対立しているという構造を感じ取ることも多いが、文化的な関わりという部分でいえば、むしろ地理的要因も相まって活発であったと睹ることができる。
それ故に、胡の持つ馬事文化というものは大きな影響を与えたと言って良いだろう。それはただ軍政の中のみで行われたものではなく、民間にも浸透する気風はあったと思われる。
先に言った胡服騎射を実現するためにも、民間にそういった文化が浸潤することこそが重要である、ということの考えが及ばなかったわけがあるまい。
さて、胡との文化の接点の最前線たる塞の上に、一人の男が住んでいた。
木々の合間から除く陽光を見て、心を鎮めることがこの男の日課である。
常々、男は
──葉は風に揺らげば形を変える。人も同じようなものではないか
と考えていた。
一時の変化に身を委ねていれば、心というものは其の安息を見ることはない。
己が動じないようにするためには風を受けるだけの立場に在るのはならず、己から地を踏み、風に蹤いて行かぬことも時には重要なのである。
それが男の悟性の発揮の仕方であった。
しかしながら、己の指針というものが定まらないうちにそれを行えば、ただの驕慢といえる。
独立独歩を呈していても、何かに従う精神がなければ、根の無い草のようなもので、風が其れを飛ばすことは容易いのである。
故に、男は天意というものを信じ、それを確かめるために易をした。
易とは即ち、占いのことである。
陰陽を六つの棒で定め、それをもとに己の持つ気を図る。
人には陰の気と、陽の気がある。それが混淆して初めて、人を為す。
己の知らぬ己を知ることができるのが易の面白さであり、そして己の内省を深められるのもまた、易の面白さである。
男は何かがあると度々、筮竹を用いて己の陰陽を図った。
陰が出れば悪く、陽が出れば善い、或いは其れに反しているのだという単純なものでは無い。
陰には陰の理があり、陽には陽の理がある。ただそれだけであり、それをどう捉えるのかというのも、その先を如何なるものとするのかも、己の考え次第なのである。
また、この男は馬を愛した。
この辺りでは邑どうしの距離も遠く、さらに胡との距離も近いせいで馬がなければ話にならない。
何か用事があれば馬に乗って移動するのが、この辺りの人々の常である。
男もまた同様の生活様式をしているのだが、馬に対する愛情というものは、少なくとも同邑の輩の内では、一番であった。
常に、畜している数頭の毛色の違う馬を牽いて邑の中を歩き、人々からは
──かの男は、馬を我が子のように扱っている
ということを言われていた。そのことを揶揄う者も居たが、男は
「与えたものは還ってくる。そういうものです」
とだけ言って、その揶揄した人を責めることも無かった。
しかし、その逆にこの男を誉めそやす様な人が居たとしても、この男は
「そう見えるのは私ではなくて、この馬と、天の御蔭です」
と言って、決して誇るようなこともしなかった。
人々はこの男を評して
「塞上之父」
と謂った。それには多少の皮肉も在ったと見て良い。
この男には老いた父と母がいる。とはいっても、この時代は四十にも成れば既に老であり、この男の両親は六十に行かない程度である。
父は時折、癇癪を起こすような人であった。
その意味では、息子たるこの男とは対極であるということを言えそうではあるが、しかしこの男はそう言った考え方をしない。
──己は陰であり、父は陽である
ということを思っている。
父が癇癪を起こすのは父の中の陽の気が時折発露するからで、己が筮竹をもって内省に励みたがるのも、陰の気の発露に過ぎない。これらは表裏一体で、これを切って離すことはできず、故にこの父を責めるのは道に順っているとは云えない。
周りの人々は己に害が及ぶことをも恐れて
──あの父とは手切れをしたほうが良いだろう
ということを幾度もこの男に申し出たが、男は
「自分が父から離れれば場の気が乱れる端緒になります。自分は父の面倒を見なければならぬのです」
といって、父の元を離れようとはしなかった。
この男の母もまた、老いてから病に罹りやすくなっていた。
夏には熱を出し、冬には寝込んだ。しかしながら、何とか生きることができているという有様である。
男は、馬の世話をする以外はこの母の看病をして過ごした。
熱くなりすぎないように粥を煮て、近くに薬に使えるものがあると聞けば其れを摘んだ。
時に足を蹌踉めかせることもあった。時に過労で肩を担がれることもあった。
それでも尚、男はこの孝行を忘れることは無かった。
──そこまで、はたらくことはなかろう
と周りの人々は言ったが、男は
「親に尽くせない苦しみというものがあるのです。この地に住んでいる以上、両親に尽くせるのはむしろ恵まれていると謂えますまいか」
と言った。
この男の言は確かである。この地は戦役の多さから片親か、孤児になった者は多い。故に、それに纏わる怨嗟は已むことを知らない。
男に忠言した者たちが喉より出掛かった言葉を飲み込むのには充分の倫理であった。
男は或る日、飼っている馬に草を食べさせる為、邑の外に出たことがあった。
ほんの一刻の内の間と思って、家を出た。引き連れている馬も良く馴れているものが三頭しか居なかったので、男は
──少しばかり眠っても良いかもしれない
と思い、青々とした草の筵の上で微睡に落ちた。
しかし、この男は日頃からはたらき過ぎていた。
思ったよりも疲れていたらしく、気付けば日は傾き、赤光となって大地を照らし始めていた。
──まずい
と思った男が体を起こすと、二頭の馬が男の頭に鼻面を寄せていた。
「おお、離れずに居てくれていたのか」
と男はその鼻を撫でたが、もともとは三頭いた筈である
周囲を見渡すと、どう目を凝らしてみても見つけることができない。
かの馬は葦毛であるから、この辺りにいれば目立つはずであった。それなのに、姿を見つけることはできない。
男が一番に可愛がっていた馬である。
残念に思う気持ちが無かった訳では無いが、しかし男は
──馬はもともと地を馳せるものである。己に羈縻されているよりも好かろう
と思って、残っていた二頭を家に連れ帰った。
家に帰ると、母が柴を家の中に運び入れている。
「母上。体は好いのですか」
と問うと、母は
「ええ。お前の御蔭で、今日は調子が良いんですよ」
と、不得手ながらも声を張り上げ、己の体が壮健であると示した。
──この母も、まだまだ若いのかもしれない
と思いながら、男は家の裏にある厩に連れ帰ってきた二頭を繋いだ。
その様子を見た母は
──おや
と思い、男にひとつ訪ねた。
「おまえが甚く気に入っていた白い子が居ないじゃないですか。誰かに売りでもしてしまったのですか」
母は、まさかそんなことをするのだろうか、と目を見開きながら言った。
男はその疑問に答えて
「いえ、逃げてしまいました」
と答えた。
──まあ
母はさらに目を見開き、細い喉から声を出して、我が子に叱咤した。
「馬飼いでありながら、馬を逃がしてしまうとは何事ですか。余りに不注意ではありませんか」
男は母の言は尤もだとしつつも、己のその時に思った通り
「馬は地を馳せるのが生き方というものです。仕方がありますまい」
と言った。
母は
──この子は間が抜けているのか、やさしいのか
と思って嘆息した。
男の葦毛が逃げた、というのはすぐに邑中に広まった。
それは、其の葦毛というものがこの辺りでも特段よく走る駿馬だったからであり、そんな馬が居なくなったことを悵む人が多かったということであった。
「嗚呼、あれほどの良馬が邑から居なくなるとは。何とも、口惜しい」
邑の壮年がそういうことを言ったのを聞くことも多い。男は、経緯も含めて確かに己に非が在ろうと思っていたが、しかし同時に
──このことに一喜一憂もしていられまい
と思っていた。
そののち数日。男は多々の邑輩に
「あの馬はお前も可愛がっていただろう。しかも駿馬だった。さぞや残念ではないか」
と弔み憐れまれた際に、泰然として
「此何遽不為福乎」
と言い放った。
周りにいた人々は
「ここから逃げたならば、必ず胡の地に行っただろう。良いことがあるものか」
と思い、この男の言は、むしろ物惜しみを言ったのであると考えた。
馬が逃げてから数月が経った。
男はあの葦毛のことを忘れてはいない。むしろ、鮮明な記憶を胸裡に遺していた。
ただ、そこに固執すべきでないということは知っている。
ならば、新しい天地を馳せている彼の馬が健壮であることを祈るのみである。
男は
──それでも、ここまで尾を引いてしまっているのも善くない
と考えて、こういう時は天に頼ればよいと、いっそ易に頼ろうと考えた。
六本の筮竹を振る。床に落としたものを拾い上げ、掌の中で揃え、総覧してみた。
上の卦が山であり、下の卦が天であった。
つまり、山を押し上げるほどに気が盛んになっている、或いは昇ろうとする気を山が抑えているとも理解できる。
──なるほど
と男は思った。これはつまり、洞となっている部分があれば、このように満たせと言われているのではないか。
男はさらに、この卦を
「山天大畜」
と云うのを思い出して
──もしや、馬に関わるのではないか
と考え、馬の為の秣を貯め込んだ。
邑の人からは
「馬は二頭しかおらんだろう」
と言われ、必死になって秣を収めようとする男の行動を不思議に思ったが、男は
「いや、こうしないと後で大変なことになりかねないと思ったのです」
と、その手を止めることはなかった。
そのせいで、男の家には馬五十頭すら養えそうな量の秣が集まった。
「どこぞの富豪の廩でもあるまいに」
と、手伝った者は口々に言ったが
「無駄になることだけはないでしょう」
と、男は己の意見を曲げることはなかった。
密かに
──これで、天祐があろう
と、男は思っている。
その通りになったのは、秣を廩に収めてから五日目の夜のことであった。
大きな物音が家の外から聞こえたのを聞いて、男は目を覚ました。
男は深い眠りの中にあって朦朧としていたので、意識がはっきりとするまでには時間がかかった。
眠い目を刮り、家の外に蠢く衆くの影を認めると、男は気づかれないように物陰からその様子を観察した。
すると、その影の中に夜陰にも目立つ一頭の白い姿があるのを見つけた。
四肢があり、肥えた胴と太い首を持ち、尾の部分が風にたなびいている。
男はその陰に見覚えがあった。あの動きの癖はまさに其れであろうと感じた。
──おお、還ったか
口に出す前に男はその陰の傍に行き、首筋を撫でた。
影の主も、男を覚えていた。数月前に逃げてしまった、あの葦毛の馬である。
懐き方は全く変わってはいない。
「心配したぞ」
男はほっとして、普段ならば出さぬ本心を馬に告げた。馬は嘶きを以って応えた。
──そういえば
と男は馬に問いかけた。
「お前はどこで何をしていたのだ」
そういった途端、馬はその首を上げて辺りを見回した。
男もそれに順うと、数十とある周りの影が、実体を持って見えてくるようになった。
みな四肢を持ち、足蹴と同じような胴と首、尾をもっている。
──これはみな、騊駼と呼ばれる馬ではないか
と気がついた。
騊駼とは、北方に生まれる野生の良駿のことである。
腹回りがよく肥えていて、脚も太い。
「そうか、お前はこの群れの長となったのだな」
そうと考えなければ、このような奇遇があるわけがない。朝を待って廩を開け、秣をこの馬たちに与えた。
男は馬たちの無事を祝ったが、それと同時に
──ここで浮かれてしまっては、この天祐もまた意味を為さなくなろう
と思うに至った。馬が幾ら居ようとも、己の器が足らざれば、即ち失われるものである。
己ひとりでは養いきれぬと悟った男は、日を改めて邑の人々に
「皆で馬を養いませんか」
と持ち掛け、その理を説いた。
邑の者たちは最初、突如として現れた馬の大群に肝を抜かれたが、改めて考えて
──なるほど、馬を産むことは己らに利がある
と考えて、この男に賛同した。
さて、この男には一人の子がある。歳は十八を数えた頃であり、幼いころから馬を親しんだせいもあって、馬に乗ることをよく楽しんでいた。
そのおかげで、他の子らよりもよく馬を御することができたし、邑中で一目置かれるような存在であった。
しかし、男にとってはその息子の軽々とした感じが気に入らなかった。
──生き方に腰の据わった様子がない
と感じていた男は、常々この子に
「もう少し、学ぶということをしたらどうだ」
と持ち掛けることがあった。男にとって、我が子が風に吹かれているように感じるのは、学が無いからだと見えていた。
この男の家は貧乏なわけではない。むしろ、富んでいるといって良い。そうでなければ、男が易を学ぶこともできなかっただろうし、馬を数頭ばかり養ったり、廩を用意することもできなかったであろう。
故に、何か学びを得るという経験の素地は子にも引き継がれているはずであるが、それが生かされるとは限らないものである。
馬に乗ることに耽っているこの子供は、男の諫めを聞くこともなく、馬から降りることはしなかった。
男も、このことを
──己が至らないだけの杞憂であればよい
と思っているが、我が子の事と為るとなかなか不安が拭い去れないのが普通であった。
そのことに気を取られている間、男は共に馬の肥を運んでいた輩に
「これだけの数の馬に恵まれたんだ。これで俺たちは富めるだろうな」
と言われた。
──あまりに楽観的過ぎる
と思った男は、この輩の言を戒めた。
「この馬たちを瘦せ細らせれば富むことは決してありません。肥やすことができたとしても、その馬が使うに値するかはわかりません。使うに値したとしても、売れるかはわかりません。この世には思う儘にならないことばかりなのですから、あまり将来を楽観してはいけないのです」
と、この輩を窘めた。
輩は
──面白くない
といった顔をした。繁栄を賀ぶことが悪いのか、ということだったのだが、男にとってみれば、繁栄というものは前もって来るものではないのである。
必ずその時には天意が関わるし、天意が無ければそのままでしか有り得ないのである。
子は騊駼のうちの一頭を駆って野を往くことを楽しんでいた。
──将軍になりたい
と言って憚らないような子である。
泰然とせよと言っても、この性向を持つ人間が聞き容れるはずはなかった。
周りの人間には、馬に親しみ、次第に優良児となっていく男の子供をみて
──この子は勁強となろう
という期待を懸けない者は居なかった。
馬が衆くなったのを境に、子の持っていた其の性癖は更に強まった。
──男児は強いことが何よりも貴い
そう思っていた邑の輩は、男に賛辞を贈った。
しかし、男はそうは思っていない。
──この子の性は必ずや禍を呼ぶ
と思っている男は、子を誉めそやしている輩の言を聞いたときに
「此何遽不能為禍乎」
と言って、一人嘆息した。
子に禍が直ちに来ることは無かったものの、心の落ち着かない日が続いた。
其れが来たると解っていて来ないということは、むしろ心毒である。
男は
──やはり、己は未熟だ
と思いながらも、馬が還ってきた時のように筮竹をもって卜占することを決めた。
上は火と出て、下は山と出た。
──これは困難だな
ということを男は思った。
火の出る山というのは往くに困難の多いものである。
足下に火がある状態で、その勾配を登らなければならない。
火というのはそのまま燃え盛るものを指さずに、盛んな陽、即ち旱を指すとも考えられる。
乾いた山というのは、登れば登るほどに体を疲弊させる。それを越えられるかどうかは、正しく天運である。
この卦は
「火山旅」
と云うではないか。
人生における艱難を指していると睹て、まず間違いない。
──子には、越えねばならない艱難が訪れるのか
男はその日から、備えを怠ることをしなかった。
この卦が出てから暫く後のことである。
子が馬を駆っていると、その馬が暴れ始めた。
どうも、子は馬が耳を絞っている内にその背に跨ってしまい、それを気に入らなかった馬が子を振り落としにかかったらしい。
子は手綱を引き懸命に摑まってはいたものの、馬の膂力に人が敵うはずも無く、結局子は其の背から投げ飛ばされてしまった。
子は地に打ち付けられた。近くに居た者がすぐに子を庇い、馬を御すことも出来たのだが、子は脾を抑えて動けなくなった。
男は
──禍とは、このことであったか
と仰天して、すぐにその場に向かった。
子が地に寝そべって動けなくなっているのを見て
「具合はどうなのか」
と、この肩を支えていた者に訊ねると
「脾をやられているみたいなんだ。すぐに医者に見せよう」
ということを言ったが、生憎、近くにそういう人間はいない。
──仕方がない
と、男は痛みに悶える我が子を背負って家にまで連れ帰った。
ひたすらの看病が続いた。
日が経つに連れて子が熱を出すようになり、これ以上悪くなっては敵わぬと、男も眠れぬ日が続いた。
男の妻はこの容態を見て
「あなたは術を善くするというのに、何故このことが予見できなかったのですか」
と、男を詰った。
男は筮占を善くするが故に
──己の指針を見直すのに使うもので、決して予見をするものではない
ということを識っているので、この言葉には夫ながらに呆れたが、言い返すことはしなかった。
──もとはといえば、己が子の不明を匡すことのできなかった己のせいである
ということを、男は承知していたからである。
男の子は、命を落とすまではいかなかった。
極端な外傷もなく、体の腔にも巣くうものが無かったからである。
しかしながら、その軽腰の代償は大きく、子は跛を患った。
跛というのは、脚が思うように動かなくなることである。
男の周りは悲しみを隠さなかった。
健康な体を持ち、軍を帥いたいとまで言っていた男児が、このことによって己の生活すらも不自由になってしまった。
このことに子も塞ぎ込んでしまい、以前のような溌溂とした姿が見られなくなったことも、その悲嘆の情を強くさせる要因であった。
「誠に残念である」
ということを父老に慰めとして言われ、男の両親もたじろいだ。
普段、頭に血が上ると手の付けられなくなる癇癪持ちの父でさえ
「わが子よ、わが孫よ。決して悲しんではならぬ」
と優しく言うほどであった。
しかし、男は毅然としてこう言い放った。
「決して、この一時の難事で向後の生が変化するということはありません。この子には、必要なことだったのです」
この言を聞いた村の人は、男に対して嚇然とした。
──わが子に、これ程の災難があったというのに、なんと薄情なのか
その見方は正しいと、男も認めている。
ともに嘆き、悲しむ。そういう感情の一致がきずなを生むのだということは知っている。
しかしながらその一方で、その一時の感情の燃焼は、長続きすることは無いと思っている。
だいいち、感情を共にすれば信であるとするのは、普段は同体ならずと言っているようなものではないか。ならば自分は敢えて感情を一にしないことで、まことの父子の信というものを示そうと考えていた。
ゆえに、男は子が跛になってしまったことを弔んだ輩に対して
「此何遽不為福乎」
と壮言したのである。
そののち男は妻とともに、子が不自由しないように馬の手入れを教えた。
それは激しく動く必要のないものである。
毛の整え方、体の洗い方、秣の管理、蹄の手入れ。
そういったものを教えていく内に、この腕前はみるみると上達した。
──やはりこの子は、馬を敬うという才がある
男は子の異才を看破していた。もともと、子の軽い腰を諫めたのも、その才が無駄になると考えていたからである。
──子は巨人にはなれないかもしれない。しかし、後塵を帰する人物でもない
という感想を持ちえたのは、父子という関係を踰えた易者としての人物眼が在ったからである。
その勘は間違ってはいなかった。
子が脾の骨を折ってから一年が経ったころには、馬養いとしてはとっくに父を超えた。
──なるほど、こういう道があるのか
と人々は喜び、男もまた称賛された。馬ならず、我が子をも上手に育てたのであるから、その賛辞に異論は無かった。
このころ、冬に入らんとする頃で、邑の人々は
「またぞろ胡が来るかもしれん」
ということで恐慌していた。胡が来る頃には、必ずや兵役を課せられる。
──幾ら人が死ぬのかわからぬ
人々は憂いていた。
男もまた、その憂いを抱える人の一人である。
いくら自若を心がけていようとも、戦と天意に於いては己は無力であると痛感する。
さらに言えば、子は丁壮になっている。ここでいう丁壮というのは、二十歳を過ぎた頑丈な男子を謂うと思えば良い。
その時分になった男子は、必ずや戦に駆り出される。
──世情は如何に進むのか
男には其れが気になった。
──己が無力であるならば、力の有るものに身を任せようか
と思った男は、天意というものを測ってみることにした。
六本の筮竹は上が地を示し、下が水を示している。
──地下で何かが蠢いているのか
男は今度起こるであろう出師が、より一層不穏なもののように思われた。
地下に水が渦巻いているのであれば、それが一気に噴出したときには濁流となり、多くのものを鯨呑していってしまう。
それは彼我に関わりない。
──これではまずい
と男は思った。
己がいくら巨石のように鎮まっていようとも、奔流の前では無意味である。
頭を抱えたとき、男はあることに気が付いた。
──いま術を為したとき、己を軸と据えなかったではないか
いま易をしたときに測っていたのは、世の中がどうなっているのか、である。
焦る余り、易をするのに一番に必要な、己は如何にすべきか、という主体を見落としてしまっていた。
──これでは意味がない
そう思った男は己の気を落ち着けて、我が子の顔を念じながら筮竹を打った。
──地天泰か
男の筮竹はそう言っている。
地は重力を持ち、天は揚力を持つ。即ち陰陽が圧し合うことで釣り合って、均衡を呈しているのだという。
──これから戦が起きようというのに、なぜ泰らかと云えようか
男からすれば、この結果は全く不思議であった。
一月後、胡が抄掠せんと塞を侵した。
塞の近くにいた丁壮の徒はその悉くが兵役を課せられ、塞の防備にあたることになった。
胡が襲来した時、その兵は弓や弩を引いてこれを禦ごうとした。しかし胡はあまりに精強で、十中の九が命を落とし、惨憺たる景色が広がった。
子は跛であったが故に
──役には耐えられまい
と見做されて、塞の近くに住む丁壮の者としてはただ独り、戦場に駆り出されることはなかった。
男は子が戦場に行かず、父子ともにその身を相保ったのを受けて
──地天泰とは、このことであったか
と理解をした。
子の体には己が昂揚したせいで起きた跛という陽の禍があった。
そして、世情には戦という死という陰を伴った禍が起ころうとしていた。
その陰陽二つの気が押し合い、むしろ平らかとなった。
──この世とは、全く不思議なものである。
そのことを思った男は、いっそう己の知見が増えたような気がした。
のち、この跛を持った子は馬を養うのに優れた器量を見せた。
父もまた、己の持ち得るものを以って家を支えた。
馬には駿馬が多く、それを売って財を成すことができたが、奢侈に耽ることは無かったという。
さて、男も年老いて、家業は子に任せ、昔のことを面白く語る立場になった。
男は既に白髪を靡かせるようになって、このことを幾度となく同じ邑に住む輩に話した。
そしていっぺんに語りきった後には、しみじみとして必ずや最後にこう言った。
「故福之為禍(だから福が禍を為すとも)
禍之為福(禍が福を為すともいえるのだ)
化不可極(どうなっても果て無く続きはしないし)
深不可測也(推し測ろうとしても知り尽くすことはできないのだ)」
これがつまり
「人間万事塞翁馬」
ということなのである。