9・リヴァイアサンを討伐せよ
聖暦1918年5月、先月末から始まった真帝国による大洋通商破壊戦は本格化し、5月に入ると3隻の商船が相次いで撃沈される事態が訪れた。
旭も座して指を咥えていた訳では無いが、大洋はあまりにも広すぎ、追い掛ける敵が何隻居るかも判然としなかった。
さらに海軍は逃げ回る潜水艦がわざわざ通信を傍受している筈がないと高を括り、平文による交信によって位置情報や交代連絡などを行う始末で、それらが全て巡洋潜水艦に筒抜けになっていたのだからどうしようもない。
第三艦隊も西旭日諸島を抜けて大洋に出ている事に疑いは無いと周辺に巡洋艦を哨戒させる措置をとるが、効果は芳しくなかった。
これには旭と真の潜水艦に対する運用思想の違いも大きく、旭の一般的な乙級潜水艦が5ノット巡航で60〜80カイリの潜航航続力を標準にしていたのに対し、真は巡洋潜水艦に130カイリ以上の潜航航続力を求めていた。
結果、旭は自分達の潜水艦の行動範囲を基準に哨戒しており、見つける事が出来ないのも当然と言える。
これはさすがに批判する事が出来ない事情であった。
改善しようにも巡洋潜水艦の能力が分からないのではどうしようもない。
単に電池性能や電動機性能だけを見るなら大差は無いのだから、自国の倍近い距離を潜っているなど気付きようもなかった。
そうした齟齬もあり、本来哨戒すべき海域より狭い範囲しか哨戒を行わない旭皇国海軍は巡洋潜水艦をなかなか発見出来ずにいた。
そんな6月17日、興納谷島東方沖で飛行船が航跡を引いて走る潜望鏡らしいものを発見し、周囲の艦艇に通報した。
それを受信した丙202は自身がもっとも近くに居る事を知り、すぐさま索敵を開始、程なくそれらしき機械音を捉える事に成功し、音のする方へと全速で向かった。
それから20分後、一度減速して再度聴音によって音を探れば、ごく至近で響く機械音を捉えた。艦長はすぐさま潜望鏡を上げたが海上には何もなく、音は敵潜水艦であると判断しすぐさま6本の魚雷を発射する。
しかし、待てど暮らせど爆発音も聞こえず水柱も見えず、魚雷の不具合ないし射程不足だったのだろうと結論付けられた。
丙202は既に追跡するだけの電池残量を残していなかったので艦橋を海面に出し、攻撃失敗を打電、他の潜水艦や水上艦へと後を引き継ぐことにした。
これが世界初の潜水艦による対潜水艦戦闘であった。
この後、後を引き継いだ艦船は潜望鏡を発見することが出来ず、そのまま取り逃がしてしまう事となった。
一時期この攻撃が本当に潜水艦に対して行われたのか疑念を抱かれることになる。なにせ音のみを頼りに攻撃しており、誤認の可能性も考えられたからだ。
しかし後年、真帝国の海軍史資料を調べた研究者によって、聖暦1918年6月17日に巡8号潜水艦が海峡突破を行っており、その日誌にも複数の魚雷らしき航走音が聞こえたという記録が残されていたことから、攻撃は間違いなく真潜水艦に行われていたことが証明される。
この時魚雷は命中しておらず、近くを通り過ぎる音のみが聞こえたと記録されている事から、見越し距離を誤っていたのではないかと見られている。
その後、6月中に潜水艦の通過が予想される西旭日諸島にある海峡3か所に地上観測所が開設され、より確実な監視が可能になった。
しかし6月中に通過を確認することは出来ず、次に通過が記録されるのは7月5日の事であった。
この時は照安登島観測所で観測されたものの、分析に時間を要し、潜水艦情報が発令された時には既に東へと抜けた後であった。
その後もなかなか発見することは出来ず、ひたすら観測所での聴音手練成と正確に音を聞き分け迅速な発令を行う事に努力を払う事になる。
8月2日夜明け前、飛行船が潜水艦らしき大型の船影を照安登島北西で発見し通報した。
このとき、偶然にも飛行船が見えていなかったらしい潜水艦はしばらく東へと浮上航行を続けていたため、すぐさま巡洋艦や駆潜艇が現場へと急行した。
しかし、巡洋艦が到着した時にはすでに潜水艦は潜航した後であり、発見する事は出来なかった。
今回現場へは丙202と新たに配備された丙204の2隻が向かっており、雪辱に燃える丙202は慎重に、飛行船が報告してきた海域からの通過ルートを推測して待ち伏せする事を選んだ。
発見海域に近かった丙204は全速力で発見海域へと向かったが、配備から浅い経験不足もあって電池を使い果たしてしまって潜水艦の発見に至らなかった。
対して丙202はゆっくり静かに辺りに耳を聳たせて機械音が響いて来るのを待った。
そして1時間半後、とうとう近づいて来る機械音を探知する事に成功した。
「左5、機械音接近中」
そう告げた聴音手の声に
「注水、深度30」
という命令を出す艦長。
その命令には副長や乗組員たちも疑問を持ったが、復唱して従った。
「方位そのまま、いまだ接近中」
しばらくすると聴音手からまたそう報告が来る。
「注水、深度50」
また深く潜れという艦長。この当時の魚雷にその様な深度での発射能力などなかったので、誰もが疑問に感じた瞬間である。
「左15、いえ、20。機械音」
そう聞いた艦長は新たな指示を出す。
「速度5、前進」
これには首を捻る乗組員たち。
「聴音より発令所、機械音消えました」
そう聞いた艦長は反転を指示する
すると
「左20、15、5・・・正面、機械音」
そこで艦長はようやく魚雷の撃てる深度への浮上を指示する。
「深度15、浮上」
そして、聴音手も耳を研ぎ澄ませ、音を聞き続けた。
「方位正面、機械音そのまま」
それを聞いた艦長は魚雷発射を命じる
しばらく艦内には緊張が張り詰め、呼吸の音だけが響く時間が続いた。
そして、ドンという爆発音がひとつ響く。
丙202は浮上し、海面を確認すれば、2キロほど先で泡立っているのが確認できた。
すでに空も明るくなり、少しすれば水柱を見止めた飛行船も近づいて来る。
丙202は海上を捜索し、複数の浮遊物や油膜を確認した事から撃沈を宣言した。
聖歴1918年8月2日午前7時52分の事であった。
これよりふた月半の後、真帝国海軍では巡6号潜水艦が帰還せず、行方不明と記録されることとなった。
10月中旬、真帝国では初葛亮孔盟の病状が思わしくなく、功をはやる側近の暴走によって保全主義に徹していた主力艦隊を出撃させ、一挙に北海国へ打撃を与えようという動きが活発化していた。
その動きを察知し、危険を押して出撃した旭皇国艦隊との間で10月22日に生起した戊海海戦によって真帝国主力艦隊はほぼ壊滅。このままでは旭皇国による力攻めを受けかねないと初葛亮孔盟が皇帝に直訴した事から12月13日に停戦する事となった。
その結果、北海国から真帝国軍は撤退する事となり、暴走した側近らと穏健派による政治闘争が繰り広げられ、その事態収拾に尽力した初葛亮孔盟は無理が祟って聖歴1922年1月4日、失意のうちに没したのであった。
この戦争に投入された巡洋潜水艦、巡3型は10隻。そのうち6隻が行方不明となっており、旭側の記録では丙200級によって3隻を、仮装巡洋艦や巡洋艦によって2隻を撃沈破したとある。この事から1隻は事故により沈没したと見られている。
ちなみに、3隻のうち2隻は丙202による戦果であった。