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8・嵐の前の静けさ

 聖歴1918年3月、旭皇国宮瀬戸(みやのせと)


「右20度、機械音近い」


「右20度、何も居ないぞ」


 旭皇国は大きく3つの島から形成されている。そのうちの一つは東大島で、本土と言える2つの島から1400キロほど南東に離れている。本土との間には東旭日諸島が連なるため、古来より往来は盛んであった。


 宮瀬戸は南旭と元旭の間にある東西320キロ、最大幅80キロになる海峡であり、内海航路で栄える場所である。

 丙200級潜水艦3隻は2月に引き渡された後、まずは波穏やかな宮瀬戸において練成に励んでいた。


 中でも艦船への搭載はまだ僅かしかない聴音装置を搭載している事からその運用には特に気が払われており、操艦訓練の合間はずっと聴音訓練が続いていた。


 ただ、聴音装置の実用化からまだ5年にもならず、まず初めに設置されたのは地上施設から海底へと延されたものだった。

 艦船への搭載は2年前に試験的に搭載され試験が行われ、昨年初めて仮装巡洋艦に装備しての運用が始められたばかりであり聴音手の数は少なく、経験と勘を要する職種でありながら、未だベテランと呼べるような人材は未だ育っていなかった。

 そんな最新機材を一足飛びに導入した丙200級だったが、水上を行く仮装巡洋艦と水中を進む潜水艦ではまた勝手が違い、何もかもが手探りの状況であった。


 そして今回もそうである。


 聴音手は艦首上部に配置された聴音機5個を次々切り替え、海中を伝播する音を聞き分けていたのだが、すぐ近くに聞こえた音を発令所に伝え、発令所が潜望鏡で確認をしたところ、近在する船舶は存在しなかった。


「まあ、そう言う事もある。精進しろよ」


 発令所からそう返答があって首を捻る聴音手。


 これはまだ変温層や塩分濃度の違いなどによって音の伝播速度が異なり、海水温や塩分濃度の異なる境界層を隔てた近くの音が聞こえなかったり、遠くの音が聞こえる現象なのだが、この頃はまだソナーの装備とともに海洋音響学に手を付けた段階であっり、そう言った現象が詳しく解明されておらず、どういう原理によって「影」を掴まされているのか分からず、戸惑う聴音手も多かった。

 


 映画などでよく耳にするポーンポーンという音を発するものをソナーだと理解している読者も多いだろう。それは発振探信儀、アクティブソナーと呼ばれるもので、この頃はまだ実用化されていなかった。

 西方において開発されていた発振機器を輸入、開発中の段階にはあったが実用化は戦争に間に合っていない。

 もし丙200級に搭載されたとしても探知距離が短く、発振すれば当然敵にこちらの存在を知らせることになるため、索敵に使う様な装置ではなく、まずは聴音機、パッシブソナーを用いて敵の音を聞き取り、敵の存在に確信を持った後に正確な位置を把握するために使う装置となっていただろう。


 ただ、実用化当初の装置は大型で電力も多く消費したため、小型な丙200級にすぐさま搭載できたかは疑わしい。


 それに何より、丙200級は船体が小型で蓄電池容量も少なく、自慢の水中速力は全速では1時間しか行動できず、水中での航続力も4ノット巡航において60海里、約110キロと言う性能であった。

 巡航速力では真の巡洋潜水艦と大差ないうえ、航続距離も劣るとあって、敵の捕捉、攻撃はいかに良い位置取りで敵を待ち構え、特徴である水中高速力を生かして短時間で接近するかにかかっていた。


 さらに当時の潜水艦は水上航行も重視されるため、その点では非常に劣悪な性能を示す事からしばしばやり玉にあがることになったが、水中機動に特化するという設計思想であるため、水上性能を高める改設計に関しては造船卿に拒否され、代わりに半潜没航行でも内燃機関を駆動できるようにシュノーケルの性能向上を行い、浮上航行を出入港時や乗組員の休息時に限るという、今日の潜水艦と変わらない様な運用が行われることとなった。

 そのため、当初より半潜没航行に適した流線形の艦橋となっており、半潜没時は艦橋のみが海面を這っており、船から見たならば、まさにイルカやサメが泳いでいる様な光景であった。

 造船卿の自信を示すようにイルカ型潜水艦の名にふさわしい水中運動性を発揮したという。ただ、乗組員がその操縦に慣れるまでは必ずしも安全とは言えず、丙202は練成訓練中にシュノーケルを閉じる合間なく潜航を開始してしまい、浸水事故を起こして危うく沈没するところであった。

 というのも、当時の潜水艦の急速潜航は2分程度を基準に定められ、わずか30秒で急速潜航可能な丙200級が特別な存在であった事に尽きる。

 その様な事情から、錬成訓練中の浸水事故例がいくつも記録に残されている。


 対する真帝国海軍の巡洋潜水艦であるが、こちらも2月には4隻で活動を開始したものの、まずは大洋において旭の商船が用いる航路の特定や旭皇国海軍の哨戒線の偵察から始める慎重な物であった。


 こちらもその後も破られることのない水上速力25ノットを誇る特異な潜水艦であり、さらに蒸気タービンを用いることもあって丙200級とは真逆に急速潜航は非常に苦手としていた。

 そのため、旭側の哨戒線がどこにあるかは死活問題であり、偵察によって範囲や周期性などを割り出し、なおかつこちらもボイラー煙路や吸気筒という運用の難しい機構を備えるため乗組員の習熟にもかなりの時間を要していた。

 もちろん、こちらも高速航行中に高波を被る事故を起こしたり、訓練中に煙路閉塞が完全ではなく浸水事故を起こしたりしている。

 そして、戦時中の喪失艦の中には浸水による事故で失われたものがあるものと考えられ、戦後の運用においても1隻が浸水事故で沈没している。


 双方が慣れない特異な艦を運用していた関係から、皇都砲撃から1年を迎える聖暦1918年4月の段階では、まだ大きな動きを見せていなかった。


 まず大きな動きを見せるのは真側であり、4月28日に東大島西方沖において天塩丸(3200トン)が撃沈された事を皮切りに、本格的な通商破壊作戦が開始されることとなった。


 この時丙200級潜水艦はようやく本拠地である照舞島において最終訓練を始めた段階であった。


 この後、飛行船との連携が機能する6月までは巡洋潜水艦を捕捉するに至っておらず、第三艦隊が空しく巡洋艦や駆潜艇を走らせているだけであった。


 

 

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