2・稀代の天才
真帝国、後の歴史で後真と呼ばれるこの国は、大陸を支配した前真の後継国である。
前真には600年の歴史があったが、その間に腐敗や汚職、後継者争いで次第に力を落としていき、200年ほど前に事実上の崩壊を迎えていた。
それでも真帝室は生き残り、隠然たる力を残して居たが、あくまで仮初めの存在に過ぎなかった。
そんな中で前真時代から産業が盛んであった燭の領主、初葛家に生を受けた人物こそ孔盟であった。
燭は河川交通の要衝を抑え、周辺には鉱山が多数存在していた。
そうした事から、大陸において燭は真に替わる最有力と見做されており、それに異を唱える旧臣領邦達からの攻撃に晒されていた。
最有力と見做されるだけの力を持つ燭に産まれた次代、孔盟は幼少の頃から才能を発揮し、12才にして、初陣を果たす頃には旭や西方諸国からの知識、技術を取り入れ、燭の近代化を強力に推し進めるまでになっていた。
18才の時には旧臣領邦による包囲を受けて父が戦死、若年での当主就任は家臣からは絶大な支持を受けるも、敵である領邦達からは攻めるチャンスと見做された。
孔盟はあろうことか異母兄との争いを始め、初葛家は俄に御家騒動で混乱を来した。
この機を逃す領邦達ではない。
領邦達は異母兄、或いは孔盟への助力を申し出て更に争いを大きくさせていく。
御家騒動とあって燭では武器の増産が進み、最新式の武器を開発、生産する為に旧習の排除も厭わず、異母兄派、孔盟派共に西方や旭に劣らぬ速度で産業革命を成し遂げていく。
もちろん、後には自分達の利益になるからと領邦達もその流れに乗り、批判を強引に退けながら導入を進めていった。
そんな時、領邦のひとりの領地で反乱が起きる。
真から続く家柄にあった者が産業革命によって利権を奪われたのである。
河川交通には多数の人夫を必要とする。湊から陸路には馬が必需品であった。
だが、燭に傾倒する領邦は移動手段として機船の導入を進め、船漕ぎ、船引きを行う人夫に頼らなくなった。
これには人差しと呼ばれる人夫の取りまとめを行う地域の名主達は溜まったものではない。
機船の様な高価な船はおいそれと手に出来ない。領邦が半ば独占している。
湊から街へ向かう荷役も同じである。
馬を手配して地域の名主となっていた馬屋は機船で運ばれ、街へと敷かれる鉄路に唖然とした。
機船と並ぶ輸送手段、汽車が走り出したのだ。
その変化はわずか10年と少しで急激に行われている。
人差しや馬屋が対応する暇なく、社会が変わったしまった。
名主も人夫も仕事を奪われた。
怒りの矛先は機船や汽車へと向く。
しかし、直接戦闘ではなく経済戦争に明け暮れる燭は待ってはくれない。
もし立ち止まれば一気に燭に喰われてしまう。
そう考えた領邦たちは機船や汽車を襲う賊を厳しく取り締まる。
そんな事をすればどうなるか。
なぜ、真は崩壊したのか。
孔盟の見立てはシンプルだった。
腐敗や汚職、後継者争い。
確かに崩壊のきっかけではあった。
だが、決定的だったのは新技術の導入であった。
技術導入を行ったのは北海。もとは真の冊封国であり、鉄の産地である。
ここに新型の高炉が導入され、燃料にはコークスを利用する様になると、それまでより上質な鉄製品が大量に出回る事になった。
これを売りさばいたのが後の燭であり、自らも技術を導入して工業生産力を高めていった。
こうする事で前真にはくまなく鉄の農具が普及した。
それまでは貴重な鉄は刃先に僅かに使われるだけであり、それすらない木鋤や木犁すら使われていた。
それが100年もしないうちに総鉄製の刃を持つ鋤や犁に置き換わったのだ。
その生産力は凄まじく、場所によっては生産量を2倍、3倍にも増やす事になる。
労働が楽になり、より多くの年貢を納める事が出来て農民は喜んだ。
自らの食い扶持や種籾まで取り立てられる恐怖から解き放たれたのだから。
領主たちも喜んだ。
農本主義によってたつ彼らは、年貢高で格が決まる。
その年貢高が飛躍的に増えて困るはずがない。
だが、彼らの喜びは長くは続かない。
農民はより収入を得ようと開墾を進め、領主もそれを奨励していた。
これによって穀物価格は下落し、その日の為に煮炊きするだけではなく、貴族や宮中にある「料理」に手を出す余裕が街に住む町人たちに出てきた。
真料理とは、この時に生まれたと言って良い。
穀物価格の下落。
これは領主や農民には死活問題である。
年貢を売って資金とする領主は収入が大きく減った。
農民も食うには困らなくなったが、穀物価格の下落で農具代が相対的に高騰した。
多量の収穫を宛に農具を買い求めた農民達には死活問題である。
こうして、より年貢を求める領主への反発が生まれ、販売価格の統制から価格の高止まりによって料理を楽しむ余裕を奪われた町人たちも領主に不満を募らせていった。
真は最終的に製鉄技術の発展で崩壊した。
孔盟は同じ事を領邦たちに仕掛けていた。
人夫や馬から機船や汽車への流通革命によって。
何のことはない、御家騒動は周辺領邦を誘い込むための罠に過ぎなかった。
そして、目先の獲物を求めて飛び付いた領邦たちは、気がついた時にはもはや後戻り出来ないところまで足を踏み入れていた。
名主と争い滅びるか、燭に降り、新たな社会を受け入れるか。
それから十数年である者は滅び吸収され、ある者は降り、吸収された。
そして、最後に孔盟は真帝室を向かい入れ、真の再建を宣言し、自らは宰相の地位に収まる事になる。
残る領地は北海国と定め、着々と準備を進めて来たのだった。