1・皇都に砲声響く
聖暦1917年春。旭皇国は大陸の覇者である真帝国との戦争に突入していた。
桜の咲き乱れる綺麗な並木道を歩む者たちにはしかし、戦争など何処か遠い出来事であった。
戦場は都を遥かに離れた大陸から突き出す半島で行われており、直接戦火が降り掛かることはなかった。
旭皇国は昔から半島を治める北海国とは友好関係を結んでおり、北海国も真が伸張する以前は地域の巨頭ですらあった。
しかし、真の初葛亮孔盟は大陸に割拠する諸侯をまとめ上げ、わずか三十年で真を大陸一の大国へと成り上がらせたのである。
そして、彼の野望の矛先は残された大陸の一部とみなす半島へと向けられる。
そこに待ったを掛けたのが旭皇国だ。
そうした事情から、旭皇国、それも都の者たちからすれば手伝い戦という認識であり、まかり間違っても自国の半分にも満たない海軍力しか持たない真が海を渡り、旭へ攻撃を仕掛けて来るなど、微塵も考えていなかった。
4月3日は恒例のお花見が開かれる日であり、海浜皇桜公園にはたくさんの人々が訪れている。
元来は惣構えの水城として築城されたが、産業の発達によって古城は防壁としての意味を失い、今や桜の咲くこの時期に平民、貴族、皇族が共に集う憩いの場へと変貌していた。
「どうやら天子様はお出でにならないらしいぞ」
「そうなのか?たしかに戦争してるとはいえ、真が攻めてくる訳でもないのにな」
「ああ、船の数じゃ圧倒的なんだろ?んなもん軍人に任せておけば良いのに、真面目だねぇ〜」
いつもは皇王や皇太子が行幸するのだが、前年夏に生起した真との戦争の影響から、今年の御花見は一部皇族のみが出席するばかり、この日は遠目とはいえ平民も皇族を直接目にする事の出来るイベントであり、皇族の中には平民にお声がけする者まで居た。
皇王と皇太子こそ居ないが、複数の皇族や貴族の姿が見える。
そんな中で酒を呑む男たちは、いつもの様に他愛もない不平を口にしていた。
そんな時、大きな音が響く。
「何だ?花火か?」
赤ら顔でひとりがそう口にする
「花火なんか上げる訳無いだろ、風情がねぇ」
余興か何かだと気にしないひとり。
「おい、煙だ」
辺りを見回したひとりが指差してふたりに伝えた時、更に爆発が起きる。
今回は距離が近いため、それが爆発だと三人が認識した頃には、立て続けに周辺が爆発し、桜の木や人が吹き飛ばされていく。
「何だよ、何が起きてー」
男たちの至近でも爆発が起こり、彼らの意識は掻き消されてしまった。
皇桜公園沖合いには一隻の船が居た。
「もう良いでしょう。次の目標へ向かいますよ」
「射撃止め!潜水準備!」
立派なヒゲの主が発した声を聞いて隣りの男が艦内へとそう命令する。
「しかし、皇国はここまでザルなんですな。花見の日にまるで警戒していないなど、考えられません」
命令や指示を一通り終えた男はヒゲの主へと声を掛ける。
「まさか、そうではないでしょう。公園には近衛や警官が配置され、皇族暗殺に備えていたと思いますよ。皇国の海軍力を考えれば、こんな目と鼻の先から砲撃される事が想像の埒外だったのでしょう」
ヒゲの主はもう一度、煙立ち込める公園へと視線を向けると、艦内へと潜っていく。
「確かに、我々で無ければこの様な事は出来ませんでしたな」
付き添う男も報告に指示を返す傍ら、そう答えるのだった。
彼らが姿を見せたのは10分と少し。皇国がその姿を認めて動き出した時には海中へと没し掛けていた。
それから三時間後の皇国兵部省は蜂の巣を突いた様な騒ぎであった。
「海上からの砲撃だと?」
公園における救助活動や被害調査が進む中で齎された情報である。
「爆発痕から推察される砲口径は20センチ級。それを沖合い6キロから発射したものと見られます」
部屋に居る一同は黙り込んだ。
皇国は世界屈指の大海軍国である。自称などではなく、大陸諸侯を糾合して日の浅い真はおらか、遠く離れた西方諸国を見回しても、比類する国など片手で足りた。
真の海軍力は旭が有する二個艦隊程度、六個艦隊を有する旭には、真との戦争の最中であってもまだまだ余裕があった。
「潜水艦か。しかし、アレは駆逐艦程度の豆鉄砲しか積まぬ小船ではなかったか?」
次々と情報が集まる席上で一人がそう尋ねる。
「そうですね。砲自体は商船を拿捕する脅し程度の豆鉄砲しか備えていません。それ以上の砲を積む意味もないですし」
聖歴1900年ごろに登場した実用的な潜水艦であったが、本格的な戦闘は今回の戦争が初めてであった。そして、初の戦果を挙げたのは、忌々しくも真の潜水艦である。
旭と北海国の間には海が横たわっており、旭が北海国を支援するには海を渡る必要がある。
真は北海国の主要な港湾へ至る海域に潜水艦を潜ませ、旭が支援のために送り込んだ船団へと攻撃を仕掛け、複数の商船を拿捕、撃沈する戦果を挙げる。その事で真と旭は関係が悪化し、直接矛を交える事となった。こうして戦争がはじまると、旭が誇る艦隊をも真の潜水艦が襲撃し、複数の艦艇を屠る戦果を挙げていた。
それが開戦劈頭から3カ月程の間で起きた出来事であった。
旭は対策として仮装巡洋艦や漁船を徴用して武装した特設駆潜艇を北海国との間の航路に多数遊弋させて潜水艦への監視を強化し、空にも飛行船を飛ばして監視にあたった。
未だレーダーの様な装置はなく、ソナーもようやく実用的な品が幾つか完成していたに過ぎない。それらが急遽導入され、実験的に運用がはじめられたばかりの事であった。
もちろん、潜水艦は既に数千キロの航続力を有し、真の潜水艦が皇都周辺に出没する事は物理的には可能であったが、主兵装は魚雷であり、10センチ前後の砲こそ装備していたものの、水雷艇の積む5センチ機砲の弾が一発命中しただけで潜水不能になるほど脆弱であり、あえて危険を冒して旭沿岸にまでやって来るとは考えられていなかった。
もちろん、20センチ級などと言う巡洋艦より戦艦に近い巨砲を潜水艦が備えているなど、もはや埒外と言う他なく、襲撃の事実すら耳を疑う者が多数であったのは仕方がない。