教育係は奏上する
奏上であっているよね。最初告解にしていたのを直したけど。
「陛下。申し訳ありません。お伝えしたい事があります」
アリスン・テーラーは王太子の教育係という立場でありながら雲上人である陛下にお目通りを願った。
陛下の傍には気難しそうな側近と護衛が数人いて、いきなり声を掛けたわたくしを警戒するようにじっと見てきている。
……正直、側近の方の眼力が怖くて逃げたい。以前噂でわたくしの五歳年下だと知ったけど、年齢差を感じさせないどころかあちらの方が年上と思えるほど貫禄も余裕もあって正直苦手意識を持ってしまっていた。
「どうしたテーラー学士。ルークの教育は妃に一任しているが、テーラー嬢のおかげで息子の能力は育ってきているし、最近少しずつ仕事に慣れさせようとと手伝いをさせているのだが、かなり助かっていると報告を受けていてね……」
陛下の嬉しそうな言葉に水を差してしまうのは確かだが、ここは言わないといけないので覚悟を決める。
「その事なんですがっ!!」
言葉を遮ってしまうとか聞かれてもいないのに口を挟むのはいけないと礼儀作法の教師として伝え続けてきたことを自分で破ってしまう事態に思うことはあったが事は一刻を争う。
「まず、これに目を通してください!!」
アリスンは隠し持っていた書類を鞄から取り出す。鞄を隠し持っていたのに気づいた陛下の側近が警戒したように間に入るがそれも当然だろう。側近を通して渡せるのならそれでも構わない。
…………秘密裏に消されていなければ。
側近は書類を一枚一枚確認して、時折奇妙な動きをするのはおそらく書類の間に刃物を入れていたりガラスの破片を入れている危険性。書類に使われているインクが毒性のあるものの可能性などを考慮しての対策だろう。
「――陛下」
確認が終わると側近はすぐに書類を陛下に差し出す。
陛下は最初は訝しげに見ていたが読み進めていくうちに目を大きく開いて凝視するが、それもすぐに王族として相手に感情を読み取らせてはいけないという考えですぐに消し去る。
「………テーラー学士。君の英断を称賛する」
陛下が告げると同時に側近に書類を渡し、
「すぐに関係各所に伝達しろ」
命じるとともに側近はすぐに動く。その際近くに控えていた護衛に陛下をより傍でお守りするようにとまで伝えて。
その後日。
大勢の雲上人にしか思えないたくさんの大臣が集まる場所に王太子と王妃殿下。そして、王太子の婚約者もいる。
王太子の婚約者に対してなんで彼女がここに居るのかと冷たい眼差しを向けている。
王太子の婚約者であるリーリエ嬢は公爵令嬢という立場を利用して婚約者になった我儘令嬢という噂があるからだ。
我儘放題で他の貴族に嫌がらせをしていると噂があり、その嫌がらせをされている貴族に王太子が真摯な対応をしているとか、王太子の株が上がっているともっぱらな噂だ。
………どこで嫌がらせをする時間があるのか。
と、その我儘令嬢として評判になってしまったリーリエ嬢よりもこの場に居るのが相応しくないアリスンは、雲上人である方々を前に肩身が狭い想いをしてこの場に居るのだが、それを許したのがその中で一番権威のある陛下なので内心びくびくしていた。
「大丈夫だ。心配ならとりあえず手のひらに何か字を書いて飲み込んでおけ」
「飲み込むって?」
側近に声を掛けられて言われるが意味が分からない。
「昔聞いたやり方だ。俺に教えてくれた人は【人】という字を書いて飲むとか。相手を人参とか野菜に思い込めと言っていたな」
「なんで【人】という字なんでしょう? 後野菜って、野菜嫌いな人には逆効果でしょうし、野菜の姿を知らない貴族子息子女って多いんですよね」
とつい呟いてしまうと。
「野菜を知らないというのは問題だな」
「ですよね」
小声でひそひそ話をしていたら側近の方が結構気さくな人なんだと驚いてしまう。後、気さくに声を掛けられて、野菜とか【人】の字とか言われたら緊張感もなくなってどんどん落ち着いてきた。
落ち着いたのを見計らってか側近の方は元の定位置である陛下の傍に控えてしまった。それに若干残念に思えたが役割的にここに来ていた方がおかしいので納得した。
「父上。お呼びと聞きましたが……ここにリーリエがいると言うことは」
どこか嬉しそうに笑いながら王太子が言葉を紡ぐ。
「ああ、お前とリーリエ嬢の婚約を破棄する」
そこで喜色満面の王太子とどこか辛そうに目を伏せるリーリエ嬢。
「ありがとうござい」
「――お前の有責でだ。ルーク」
お礼を述べようとした王太子の言葉を静かなそれでも威厳ある声で遮り、
「リーリエ嬢。貴方に妙な悪意ある噂が流れている事実に気付くのが遅れて申し訳なかった。それと」
一度言葉を区切り、周りを見渡し、
「王太子であるルークに任せた仕事をすべてリーリエ嬢が行っていた事にも気づかなくて申し訳なかった」
陛下の言葉に多くの大臣が反応する。知らなかったと動揺する者となぜ気付かれたと焦っているような反応の二種類。
側近がさりげなくそれら全員を確認しているのも。
「なっ⁉ いくら父上でも……」
陛下が側近に合図を送ると先日わたくしが陛下に渡した書類を皆にみえるように側近が高らかに掲げる。
「お前がした仕事の筆跡とリーリエ嬢の手習いの字が酷似しているのは偶然か」
「な、なんでっ……。えっと、それは……」
慌てて言い訳をしようとしている様はかつて授業で行き詰った時にそれを誤魔化すために口を動かしていた時と同じだ。
「お前には失望したよ。――いや、それに気付けなかった自分がふがいないだけか」
陛下が告げる。沈痛そうに、だが、王としてすべき事をすると覚悟を決めた声で。
「自分のすべき公務を婚約者であるリーリエ嬢にすべて任せて遊びまわり、婚約者がいる立場でありながら他の女性と懇意の仲になり、リーリエ嬢と婚約を破棄したいから悪い噂をばらまくとはな。しかも、冤罪に追い込んでその罪を償うためにと公務を丸投げをして、お前自身は慈悲深い王太子だと評価されるように計画を立てたとは。愚かな……」
そこまで大事になるとは思わなかったというのはアリスンの本音だ。
アリスンが最初に気付いたのは廊下に落ちていた書類をたまたま拾った時だった。その筆跡がリーリエ嬢のものだったのでリーリエ嬢はまだ婚約者の立場なのに公務に関わっているのかと感心したのだが、それが王太子が計画して進めている公務だと言われて困惑したのだ。
それでも最初は王太子の悪筆を代筆しているのかと思ったが何か妙に気になったので調べられる範囲で調べてみた。そこでわかったのは王太子が行うべき公務をすべてリーリエ嬢が代行している事実。
それは問題があるのではないかと奏上したのだ。処分を承知で。
そして、その奏上を元に陛下が調べさせたら出るわ出るわ一介の教育係が聞いてはいけないのではないかと思えるほどの闇深い案件が。
リーリエ嬢の公爵家をよく思っていない派閥が公爵家を潰したいと思って今回の噂に便乗して広めていき、我儘で他の貴族を甚振っているというのはその派閥が流した噂で、下級貴族の相談に乗っている慈悲深い王太子は相談という名目で王太子と親しくなりたい貴族と王太子の浮気相手のことであり、彼らに乗せられた結果。
そして、冤罪でリーリエ嬢をこき使おうと王太子が目論んだという数人の悪だくみがたった一つの奏上で発覚してしまったのだ。
その時にはもう内部までがっちり関わってしまったので今更聞きたくないと逃げる事は出来ずに陛下の信頼できる部下として内側に取り込まれて、こんな状況になってしまった。
「お前のした行いがどれだけ罪深いか幽閉先でしっかり考えろ」
その結果廃嫡して幽閉が決定したのだ。
廃嫡して幽閉は罰としては甘いかもしれないが、彼が行ったのはあくまで婚約者の悪評を仕立て上げて、公務を押し付けただけだ。
それに便乗した者も多くいるし、もっと決定的な事が行われる前に終わらせたのでそれ以上の罪は問えなかった。
「幽閉っ!! 待ってください父上!! それでは王太子の座はどうなりますかっ!! 他に誰もいないでしょう!!」
結婚しても子供がなかなかできず、やっと生まれた王太子には兄弟がいない。一人っ子だからと言ってこのような甘い考えでこのような事態を起こしたのかと教育係失格だと猛省するしかない。
「案ずるな。余には歳の離れた弟がいる」
「えっ……」
王太子……元が付くが、彼が驚くのも無理はない。誰も知らなかったのだ。大臣たちも信じられないとざわめく中。
「父上が……先王が隠居先の別邸でメイドに手を出して生まれた弟だ。……妃と結婚してなかなか子供が出来なくて妃が気鬱になっていた矢先に生まれたので妃は余が浮気をして作ったのではないかと疑っていたがな。それもあって公表も出来ずに不自由な思いをさせた」
妃は申し訳なさそうに陛下と……側近を見る。
「弟のアルベールだ。今日より王弟だと公表して、王太弟として公務にあたってもらう」
「よろしく頼む。――ああ、たかが王の側近として接していた者も居たようだが、そのことは水に流しておくと伝えておく」
だが、その対応を見て他の者たちにも同様だったのだろうから後で調べておくと堂々と告げる側近――いや、王太弟に誰もが動揺を隠せない。
それは元王太子にも言えるだろう。
自分しか跡取りがいないからとそれを盾に罪を軽くしてもらおうと思っていたのだろうがその公表に力が抜けたように大人しくなり、幽閉先まで連れて行かれるのも抵抗せずにそのまま兵士に連れて行かれた。
「先生!!」
リーリエ嬢が涙を流しながら、それでも人前では泣いてはいけないと教えてきたからか涙を止めようとしている様に、
「今は礼儀作法の時間ではありません。――気付けなくてごめんなさい」
王太子の教育も王太子妃になるリーリエ嬢の教育も行ってきたのに王太子が王になる手助けを出来ずに道を歪ませてしまった。そして、それに気づかずにリーリエ嬢を苦しめてしまった。
「いいえ!! 先生は気付いてくれました!!」
ずっと一人で戦っていたのだろう。いや、もしかしたら戦うのも諦めていたのかもしれない。それなのにそう言い切れるリーリエ嬢は強い子だと彼女の教育係だったものとして誇りに思う。
そんなリーリエ嬢をそっと抱きしめる。
「リーリエ嬢」
王太弟がそんなリーリエ嬢に声を掛ける。
「この後のことだが、王家が責任を取って貴方に賠償金を支払うが、何かこの先に希望があるのなら申し出てほしい。結婚相手でも結婚以外にやりたい事でも構わない。出来る限り応じよう」
王太弟の言葉にリーリエ嬢は考え込む。
「今は特に……」
「そうか。では、決まったら報告してほしい。では」
と何故かわたくしの肩に手を置いてリーリエ嬢から引き離す。
「あ、あのっ⁉」
「話がある。来てくれ」
とこの騒動の前によく見せていた怖い雰囲気を放ちながらテラスまで連れてこられて、
「君のおかげで助かった。まさか王太弟になるとは思わなかったが、国のためにはそれも必要だしな……それで……」
困ったように視線を彷徨わせている姿を見て、いつものじっと見てくる眼力が弱っているように思える。
「自分の立場が中途半端で結婚も出来ないと諦めていたが、陛下……兄からこちらが振り回し続けたから結婚は好きな人とすればいいと許可をもらえた」
緊張したように強張った顔。それはよく側近であった頃の彼がわたくしに向けていた表情。
「ずっと好きでした。俺と一緒に国を支えてくれませんか」
跪いて求婚されて………。
「――わたくし行き遅れの売れ残りですが」
実家でいろんなことがあって学士として教育係として家族と領民を養うことに一杯一杯だったのでいきなり言われても困る。
「分かっている。だから無理にとは言わない。ただ、意識してもらえたらいい」
怖がられるよりもましだからと告げる声に苦手意識を持っていたことがばれているのに気づいた。
それと同時にこんな可愛い方だったのかと意外な一面を見せてもらえて少し嬉しかった。
(奏上してこんな結果になるとは思わなかったけど)
と数日前と変わり過ぎた状況に今は何も考えられないのでとりあえず保留にしてもらったのだった。
実は陛下とくっつけようかと最後まで迷っていた。