私はきっと悲しかったんだ
グチグチした内容です。
不愉快に思われる方もいらっしゃるかと思いますが、気持ちの整理をつけたくて書きました。
先日、私の一番の親友の親御さんが亡くなりました。
突然死でした。亡くなるような年齢ではないため、とても驚きました。
このことを知ったのは告別式の当日でした。
友人経由で連絡が来て告別式に参加しないかと誘われました。
しかし、その日は仕事で当日に休みを取っても良いものかとても悩みました。
親友は私にとって本当にかけがえのない存在です。
高校からの付き合いですが、お互い進学や就職で地元を離れても頻回に連絡を取り合ったり、悩みがある時は相談しあうくらい何でも話せる仲です。
私の短い人生の中で一番のどん底にいた時、いつでも話を聞いてくれたり、外に連れ出してくれたりと沢山支えてもらいました。
あの時の親友の助けがなければ今の私はいなかったと断言できるくらいです。
また、親友の親御さんは学生時代、部活動で送り迎えをしてもらったことが数え切れないくらいありました。遊びにも連れていって下さったこともあります。
挨拶やお礼を言うといやな顔一つせず「ついでだから!」と言っていつも笑顔で温かく接していただいていました。
あまりお話はしたことありませんが、当時を支えて頂いたご恩があります。
最後にお礼とお別れを言いに行きたい。
考えれば考えるほど行くべきだという気持ちになっていきました。
言うだけ言ってみようと、上司に事情を説明し、ラスト3時間を有給を取れないかお願いしてみました。
厳しいのなら却下してもらっていいですと言いましたが、上司は即答で「行っておいで」と許可してくださいました。
私が抜けても支障がでないように、早退するまでの時間にやるべきこと・引継ぎしておくこと・後日に回せるものを仕分けし、超特急で仕事を片付けていると先ほどの上司に呼ばれました。
「ダメって言う話じゃないんだけど・・・」
と言いにくそうに切り出した上司を見て、なにか不測の事態が起きたのかと身構えた私に
「管理職へあなたが休みを取ることを報告しに行ったら、『なんで友達の親の葬式行くために急に休みをとるのか』と言われました。」
やっぱり厳しかったかと諦めかけた私に上司は「休みは取ってもらって構わないけど、管理職に言われたことと私の見解を伝えておきます」と前置きし、次のことを言われました
・友人の親という何とも言えない関係性の人の葬式へ行くために急に休みを取るのは常識的にどうなのか
・労基法上、有給の申請があれば基本的に拒むことはできない。今回の件は休まれると困る理由は人出が減る以外にないため許可するしかない(人が減っても業務は行えるため)
・却下して、仕事のパフォーマンスが落ちたり仕事を辞められたら困るから許可する
・あなたは休みも取ることもあまりないから休みを取りたいと言うことはよっぽどのことだというのは理解している
このようなことを聞かされた私は結局休んで良いの⁉ダメなの⁉どっち???
と混乱してしまいました。(結論は休んで良いに変わりはなかったです)
私としても急に休む人が出てきて周りが困るのは何度も経験があるのでなるべくやりたくありません。
もちろん、許可が出た後迷惑をかける人達へ謝罪とお礼を言いましたし、私が抜けても問題ないように片付けられる仕事は相当片付けました。
同僚からは、抜けても問題なく出来ると確認してもらっていました。
私は今の職場では体調不良で急に休んだ事もありませんし、有給も必要な時に事前に申請しています。
有給で休んだ翌日はいつもより30分ほど早く仕事へ行って前日の申し送りを読んだりして実際の勤務開始時間に支障なく仕事ができるようにしています。
「辞められたら困るからできるだけ長く働いてほしい」と言われたくらい一生懸命働いています。
休んでいる人がいてもお互いさまだと思っているのでマイナスの感情を持ったこともありません。
それくらい気を使って、何年も働いてきたのに、今回の件でこんなに言われなければならないのかと、とてもモヤモヤしてしまいました。
もちろん、当日急に言い出した私が悪いのは分かっています。
ですが、人の死はいつ訪れるか分かりません。
告別式に参列できたことは本当に良かったと思っています。
行かなかったら絶対に後悔していたでしょう。
帰宅し、このモヤモヤについてずっと考えていました。
最初は無理に休みを取った罪悪感からきているものだと思っていました。
しかし時間が経過し落ち着いてくると、私は悲しかったのだと気づきました。
休み希望を却下したら私が仕事を真面目にしないんじゃないか、辞めるのではないか。
そんな消極的理由で許可されたことが悲しかった。
毎日一生懸命働いて、同僚や上司からも「頑張ってる」「頼りにしている」と言われるくらい必死でやっているのに、今まで積み上げて来たものが意味をなさないのかと、そんなに信用できない人間だと思われているのかということが悲しかった。
「友人の親」という言葉だけでは薄い関係に思えるかもしれません。
ですが、私にとっては、今の私になる過程で出会って世話になった人です。
それを関係性だけで重要性のない人と言われたような気持ちになり悲しかったです。
ただの私の被害妄想かもしれません。
人が亡くなったショックで言われたことを重く受け止めすぎているだけかもしれません。
ですが、一度快く許可されたものをグチグチ言われてわりと傷つきましたし、ここで頑張ってきた私を否定されたようで悲しくなってしまいました。