女子高校生士族の居合術
常時一キロ前後の重量が腰にかかる煩わしさに、治安の向上に伴う護身の必要性の低下、そして一目で士族と判別される事で生ずる無用のトラブルの回避。
そうした諸々の事情から、帯刀せずに街へ出る士族が若年層を中心に一定数存在しているのは、ある程度は止むを得ない事なのかも知れません。
明治四年に公布された散髪脱刀令により、大小の二本差しは義務ではなくなったのですから。
しかしながら、そうした「若者の帯刀離れ」が社会問題化すると、それに抗おうとする保守層の動きが活発になるのもまた必然。
士族階級出身の文化人や士族会上層部等が声高に叫ぶ帯刀振興の主張は、城下町の観光PRや祝祭日の歴史イベントと結び付く事で広く認知され、少しずつではあるものの相応の効果が現れているようです。
我が岸和田市立五風高校で六月に開催された校内演武会も、そうした帯刀文化を守ろうと志す保守派士族の活動の一環と解釈出来るでしょうね。
私こと先山千光も旧岸和田藩藩士の末裔である以上、この校内演武会と無関係ではいられません。
五風高校の士族会よりSNSで通達された、最低一種目の出場要請。
それは書類の上では任意で御座いましたが、我が先山家の士族会における立場を考えれば不参加は許されません。
SNSの通知に対する返信の文面は、最初から決まっていたのでした。
もっとも、出場する種目に関しては自分なりの意見を反映させて頂きました。
何しろ私が学んでいるのは旧岸和田藩士の過半数が所属する流派ではなく、堺市内に指南所を構えている淡路一刀流なのですからね。
もしも仮に対人戦の種目を選んでしまえば、必然的に他流試合となってしまいますよ。
「他の出場者も演武会である事は踏まえているのだし、何もそこまで気を遣わなくても良いのに…」
父母や担任教諭、そして士族会の年長者。
私が相談をお願いした方々の反応は、大体このような感じでした。
愚直なまでの堅苦しさに、半ば呆れているかのような。
しかしながら、私が出入りをさせて頂いている淡路一刀流の方々の御意見は、また違っていたのです。
「確かに他流試合を通じて学べる事は沢山あるよ。それは私も否定しない。だけど、それは双方の武芸者が高潔な魂を持ち合わせていた場合に限られるの。」
こう仰ったのは、淡路一刀流師範代の岩屋茉穂先生でした。
二十代の若さで師範代を務めていらっしゃる岩屋先生は、秀でた武芸者である事は言うまでもなく、武士としての誇りを何よりも重んじる清廉にして高潔な精神の持ち主なのです。
「精神修養の未熟な武芸者が他流試合で敗北した場合、『自分や流派の面子を潰された』と勝者を逆恨みする事だって有り得るのだからね。ましてや参加者の全員が高校生である以上、その危険性は計算に入れておくに越した事は無いよ。参加する高校生の子達が、みんな先山さんみたいに分別のある子だったら良いのだけれど。」
敬愛する師範代に相談内容を全面的に肯定して頂けたばかりか、「分別のある子」と御誉めの御言葉を頂けた。
この先山千光、門下生として光栄の至りで御座いますよ。
「だから先山さんが出場種目に居合術を選んだのは、私も良い判断だと思うの。据え物や投擲物を両断する居合なら、あくまでも自分との勝負だからね。」
こうして師範代の御墨付きを得た私は、校内演武会に居合で出場する決意を固めたのです。
校庭の土や植木の新緑を眩い程に照らす陽光の暖かさが、梅雨シーズンから初夏へと移ろいゆく季節を感じさせる六月下旬の午前中。
全校学習の時間を利用する形で開催された校内演武会は、武芸による精神修養を目指す私にとって素晴らしい学びの機会となりました。
何しろ剣術や槍術は勿論の事、棒術に鉄扇術に鎖鎌術と様々な武術の妙技を間近で拝見出来たのですからね。
パソコンやスマホを使えばネット動画で手軽に鑑賞出来るとしても、やはり生の迫力と緊張感に勝る物は御座いませんね。
とはいえ、各種目を呑気に鑑賞してばかりもいられません。
何しろ私の出番は、もう間もなくなのですからね。
「登下校時の護身用として帯刀していながら、四月の入学以来一度たりとも抜刀の機会に恵まれなかった我が愛刀…いよいよ校内で抜き放つ時が来ましたか!」
学生服の腰間に差した業物を合法的に抜き放つ事が出来る歓喜と、士族の名に恥じない太刀捌きを見せねばならないという緊張感。
これらの二つの感情がせめぎ合う心を抑えながら、私は愛刀を片手に進み出たのです。
丁寧に掃き清められ、敵に見立てた巻藁の配置されたグラウンド。
このような晴れの舞台を賜わる事が出来て、士族として光栄の至りで御座いますよ。
「淡路一刀流門下生、先山千光!お願いします!」
さっと一礼して頭を上げた私が努めたのは、一切の雑念を捨てて心を静める事だったのです。
無念無想にして明鏡止水の境地。
只ひたすらに、それだけを目指して。
「それでは…始め!」
「むっ!」
腰間へ手を走らせ、左の親指で鍔を押し上げて鯉口を切る。
カチリと鳴り響く外切りの音が、何とも小気味良いですね。
そうして緋色の鞘から迸らせたのは、抜けば玉散る氷の刃。
審判の号令から抜刀に至るまでの一連の動作は、指南所で励んだ鍛錬の通り。
身体に叩き込んだ居合の型を的確にこなせる快感に、御先祖様から脈々と受け継いで来た武士としての本能が疼いているのを実感させられますよ。
「はっ!」
その心地良い本能的な高揚感を「理性」という名の手綱で制しながら、無我の境地で迸らせた太刀風。
それは周囲八方向に配置された巻藁を的確に捉え、小気味良い切断音を響かせたのです。
この確かな手応えと心地良さは、何度やっても飽きる事は御座いませんね。
「うむ…」
数刻置いて顔を上げた時、私は先の手応えが間違いで無かったと改めて実感したのでした。
敵に見立てた八個の巻藁が、次の瞬間に一斉に崩れたのです。
「むっ!」
そして背後で動く気配へ直ちに応じた私は、虚空へサッと二筋の刀風を迸らせたのです。
右薙ぎ、そして唐竹割り。
風切音を伴って放たれた斬撃は、身の丈よりやや高い位置で十文字に交差し、小さな破裂音として結実したのでした。
そして後に残るのは、グラウンドへ舞い散る色とりどりの残骸があるばかり。
最後の標的として投げられた鞠を十文字に切り結べた事を確認した私は、愛刀を静かに鞘へ納めると、一般生徒が鳴らす万雷の拍手に送られながら立ち去ったのでした。
他流派の方達との間に余計な遺恨を残す事もなく、それでいて居合を仕損じて家名や流派に泥を塗る事もなく。
此度の校内演武会を無事に終える事が出来て、私としても何よりですよ。
そんな安堵の思いと感謝の念を稽古の後にお伝え申した私に、師範代は更なる御教示を下さったのです。
「校内演武会で居合を成功させた時に、先山さんは確かにホッとしたのだと思うの。だけど、それ以上に…清々しくて晴れやかな、ある種の心地良さに満たされたとは思わない?」
「あっ…!」
姉のように御慕い申し上げている師範代の一言で、私は校内演武会の席で感じた不思議な感覚を思い出したのです。
そう、あれは確か…
「一般生徒の注目と拍手を一身に受けながら選手席へと戻る時、何とも晴れやかで誇らしい思いに駆られた物でした。帯刀の許される士族の家に生まれた事、そして剣術を通じて武士道を学んだ事。それらへの喜びを改めて認識出来たからこそ、あの誇らしさを私は享受する事が出来たのですね。」
「よく気付けたね、先山さん。五風高校士族会の人達も、その誇らしさと喜びを知って欲しかったからこそ、校内演武会を開いたんだと思うよ。先山さんを始めとする、若い士族の人達にね。」
師範代である岩屋先生の御言葉に頷きながら、私は帯刀した業物に改めて視線を落としたのでした。
見慣れた朱塗りの鞘も、腰に馴染んだ重みと質量も、今は何時になく誇らしくて喜ばしい。
それはきっと、士族である事への誇りと喜びにも繋がっているのでしょうね。
この誇りと喜びを忘れないようにするためにも、より一層に剣術へ邁進していきたい所存で御座いますよ。