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エッセイ

斎宮

作者: 入江 涼子

 私は昔におられた斎宮――斎王(いつきのきみ)に心惹かれます。


 皆様は斎宮についてどこまでご存知でしょうか?

 斎宮の初代は史実でいうと天武天皇の皇女である大来皇女だと言われています。彼女は若くして伊勢神宮に派遣され、天皇の御杖代――代役として巫女として役目を果たしました。

 大来皇女が遺した和歌でだと。


 わが背子を大和に遣るとさ夜深けて あかとき露にわが立ち濡れし


 この歌が有名ですね。政治の権力争いに巻き込まれ神意を姉である彼女に伺いに来た弟の大津皇子を見送った際の歌と思われます。意味は(我が弟が大和に帰るのを見送っていたら。夜が更けて暁の露に気がついたら立ち濡れていた)という意味になるでしょうか。大津皇子はこの後に世を去り、大来皇女は斎宮を解任されて退下します。彼女は四十代まで存命だったと言われていますね。


 次代の斎宮は託基皇女と言われています。彼女は大来皇女が退下して十二年近く経ってから選ばれました。任期は二年程でしたが。退下した後は志貴皇子と結婚したのでした。春日王という息子も生まれて穏やかな生涯を送ったようです。


 ちなみに斎宮は卜占という方法で選ばれます。決まると卜定(ぼくじょう)されたと昔は言っていました。こうして正式に選ばれるとまずは自邸で精進潔斎に入ります。この後に嵯峨野の野宮に赴き、一年は滞在しました。野宮での精進潔斎を終えると内裏に行き、時の天皇に髪に櫛を挿していただくという別れの儀式を行います。正式に斎宮としても認められると伊勢に出立します。

 この時、斎宮は決して振り返ってはいけないというしきたりがありました。これを破ると縁起が非常に悪かったとか。

 伊勢神宮に着くとこの時の天皇が退位なさったりするか身内に不幸があったりとかの非常時を除いてずっとこちらで役目を果たす事になります。忌み言葉などの幾つものルールを守り朝方には沐浴を行い、非常に厳格な生活を歴代の斎王は送っていました。


 斎宮女御と呼ばれた女性も有名ですね。彼女は琴や和歌が得意だったと言われています。退下した後に時の天皇の要請があり妃になったとか。ただ、斎宮に選ばれた女性は大体は独身を貫き通すのが慣わしでした。

 神に仕えると仏罰が下ると昔は信じられていたのである程度の年齢になると剃髪して尼僧になっていたのです。仏門に入って修行を積む事により仏罰を免れるためにも剃髪をしていたようですね。


 そんな斎王の歴史も鎌倉時代になって終焉を迎えました。斎宮はこの時代に、斎院も室町時代辺りに終わったと伝えられています。斎院だと賀茂祭――葵祭が有名ですね。今は斎王代と呼ばれる女性が勤めていますが。


 いかがだったでしょうか。どうも読んでいただき、ありがとうございます。それでは失礼します。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても興味深いエッセイでした。言われてみれば知らないことが多かったです。書いて下さりありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ
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