痩せ薬
美奈子は自分が思う程太ってはいない。しかし「太り気味」だと思い込んでいる。
ダイエット関連のものは通販からホームセンターまであらゆるものに手を出した。
しかし効果はなかった。
彼女はすでに「ダイエット」に取り憑かれているだけだった。
ある日、商店街を買い物がてら歩いていると、その端に見覚えのない薬局があるのに気づいた。
「こんなところにこんな店あったかな?」
美奈子は幅が2メートルとない小さな店の前に立ち止まった。商店街の店舗の並びを思い出してみたが、この薬局のある情景が浮かんで来ない。
「存在感がなかったということかな」
美奈子はそう判断した。
彼女が足を止めたのは、薬局の前に建てられている看板の内容に興味が湧いたからだ。
「飲むだけで痩せられます」
看板には「偽り」があるものだと理解していても、「ダイエット」がある意味趣味となってしまっている美奈子にとってその言葉は「殺し文句」に近かった。
「すみません」
美奈子は引き戸を開け、薄暗い店内に向かって声をかけた。
「?」
返事がない。人のいる気配もない。
「誰もいないのかな・・・」
美奈子が諦めて帰ろうと踵を返した時、
「いらっしゃい」
と声がした。美奈子はビクッとした。恐る恐る振り返るとそこには腰の曲がった老婆が白衣を着て立っていた。美奈子はその老婆の半笑いのような表情にゾッとしながらも、
「表の看板を見たんですけど」
「はいはい。痩せ薬ね」
老婆は笑ったようにも見えたが、そうでないかも知れない。
美奈子は早くここを出た方がいいと思った。しかし何故か足がすくんで動けない。
「これですよ。一日一錠。飲むだけで痩せられます」
老婆はいつの間にか美奈子の目の前に立っており、錠剤の入ったビンを差し出していた。
「・・・」
美奈子は恐怖のあまり声が出なかった。老婆はまた笑ったようだ。
「お代は効果があったら頂きます。さあ」
老婆はビンを美奈子に渡すと、
「絶対痩せられますから。心配しないで大丈夫ですよ」
「は、はい・・・」
逆らったら逆上されるかも知れないと思い、美奈子はそのビンを受け取ると挨拶もそこそこに店を飛び出した。
彼女は無我夢中で走り、家に戻った。どこをどう帰って来たのかもわからないほどだった。
その夜、美奈子は自分の部屋で老婆から渡された薬のビンを見つめていた。
「本当に飲んで大丈夫なのかな?」
ビンに張られている使用上の注意を読んでみる。どの薬にも書かれているようなことだ。
一点だけ違うのは、
「絶対に一日一錠だけにして下さい」
と赤字で書かれていること。製薬会社名は聞いたことがないものだ。
また不安感が増す。
「飲んで死んじゃったらどうしよう?」
しかしそんな薬が売られているわけがない。好奇心が恐怖心に勝つのに時間はあまりかからなかった。
「一錠だけ飲んでみよう」
それで効果がなかったら返しに行けばいい。いや、返す必要もない。効果があったら代金をもらうと老婆は言ったのだから。
美奈子は意を決してビンの蓋を開け、錠剤を一粒取り出し、口に含むとミネラルウォーターで飲み下した。
「えっ?」
驚愕した。飲んだ途端に自分の身体が痩せて行くのを実感したのだ。
「凄い!」
彼女は姿見の前に立った。明らかにさっきの自分とは違う。
弛んでいた首がすっきりし、二の腕のプヨプヨはなくなった。
ウエストも腿も脹脛も細くなり、履いていたジーパンがユルユルになった。
「何これ? 魔法?」
美奈子はその現象の異常さに思いを致すこともせず、狂喜した。
「凄い、凄いわ! もうダイエットなんてしなくて平気!」
美奈子は小躍りして叫んだ。
しかし翌朝。
鏡の前にはいつもの自分がいた。
昨夜は大き目のパジャマだったが、今はピッタリサイズだ。
Tシャツも身体に「フィット」している。ブラもきつい。
「どういうこと? 何で一晩で元に戻っちゃうのよ?」
どうやら効果が長時間持続しない薬らしい。
彼女はここでも判断ミスをした。
「一錠じゃ効果が長持ちしないのね」
注意書きに「一日一錠厳守」と書かれていたことを彼女は実にあっさりと反故にした。
「二錠くらいなら大丈夫よね」
半分自分に言い聞かせながら、美奈子は錠剤を二錠飲んだ。
「美奈子! 何してるの? 会社に遅刻するわよ」
いつまでも食事に降りて来ないズボラな娘に呆れながら、母親が美奈子の部屋の前に来た。
「美奈子! 起きてるの?」
返事がないのでドアを開く。
「あら? トイレかしら?」
母親は部屋が無人であることに何も疑問を感じていない。
「こんなところにパジャマを脱いだままで、もう!」
母親はパジャマの下にTシャツも下着もあるのに気づいていない。
まるで脱出マジックの如く美奈子は消えた。
以降彼女は行方不明のままである。