第三話
そのまま僕の胸に飛び込む少女。突然の出来事に一瞬動きを止めてしまうが、そんな余裕は無く、少女を抱き抱えたまま共に倒れる形で横に転がった。
「**!」
倒れ込んだ衝撃が少々答えたらしく、少女は短い悲鳴を発した。
ほぼ同時に、僕と少女が元居た場所に敵の両足の爪が振り下ろされる。
そしてその場所を見て、僕は今の自分の行動を心から褒め称えたくなった。
敵の爪は地に深々とくい込むだけでなく、どれ程の力で攻撃を行ったのか、僅かに表面がクレーター状に窪んでいる。
もしあんな攻撃を食らっていたら、例え爪が無かったとしても、複雑骨折、当たりどころが悪ければ致死のダメージを負っていたはずだ。
「……冗談じゃないよ……」
目の前で行われた一連の攻撃の威力に、戦慄する。背中にじわっと嫌な汗が吹き出て、自分の額から頬を生暖かい水滴が滴り落ちていくのを感じた。
しかし等の敵はそんなことお構い無しに、さらなる追撃の矛をこちらに向けていた。
「グルルルルルル……」
「****!!」
突然、僕の腕に抱き抱えられた少女が、僕の胸元を叩きながら、後ろを見て何かを口にする。
言葉は分からなかったが、僕は直ぐにそれが危険を知らせるものだと理解した。
何が来ているのかを確認する事もせず、再度横に大きく飛び退く。
すると先程と同様に、僅かな間すらもなく、胴体横スレスレを敵がすり抜けて行った。目の前のとは別の個体だ。
僕に突撃を回避された敵は、勢いをそのままに少し離れたところまで飛び、頭部から生えた日本の角を僕に向けながら、殺意に満ちた表情で口から涎を垂らしている。
もし今、少女の助けがなければ、もしくは攻撃を確認しようとしていれば、僕は間違いなくあの2本の角で串刺しにされていた。
つまり僕は、10秒に満たないこの僅かな間に、2回も死にかけたのだ。
戦うのは余りにも絶望的な戦力差だ。目視確認で敵は12体。
それに対してこちらは戦闘ど素人の現代人に、傷だらけの少女が1人だ。
これが巷で言う《クソゲー》と言うやつだろうか。
見ると、あまりにも強く揺さぶりすぎたのか、少女は僕の腕の中で気絶していた。
抱き抱える少女を1度おろし、背中に背負い直す。その間も隙を見せぬよう、常に周りを見回しながら行動した。
逃げる余裕はない。それどころか360°、完全に包囲されている。
敵は僕たちを見つめながらゆっくりと周りを回っている。
――――女の子の方は、柔らかくて美味しそうな肉だ。
――――男の方は貧弱そうだし、そもそもタイプじゃないからいらないかなぁ。
なんつったりして、僕たちを今晩の食事にする相談でもしているのだろうか。
……いや冗談だけれども。
足元のリュックサックを拾い上げ、片方の肩紐は最大長に、もう片方は最短長にセットする。
それを左手で持ち、右手には槍。
簡易的な攻防スタイルだ。長い肩紐は敵のなぎ払いを行いたい時に、短い肩紐は近距離で攻撃を防ぎたい時に、それぞれ左手のみで持ちかえて使うつもりだ。
最初の2体以降の追撃がないのは、恐らく右手の槍を警戒しているのだろう。それでも、所有者である僕自身の弱さが露呈して、危険度が低いと認識されるのは時間の問題だ。
長引けば長引くほどこちらが不利になる。
リュックサックを盾にして無理やり突っきる……のは無理だな。
そもそも突っ切れたとして、その後逃げ切れるとは思えない。
いくら僕の足腰に自信があるからといって、相手はガチムチの四足歩行型野生動物だ。走る速さでは先ず敵わない。
つまり、僕たちが助かるには、ここでこいつらを確実に撃退するしかない。
「ガゥッ!」
「――――っ!」
僕に向かって、前後2体、敵は同時に飛びかって来た。
後ろの敵は左手のリュックサックを、前の敵は右手の槍を勢いよく振るう。
しかし両方とも空中で華麗に躱され、ダメージを与えるには至らない。
回避は間に合わない、なら――――
「ふんっ!!」
リュックと槍を握る両腕の前に水を生成し、振るった勢いのまま2体の横っ面に叩きつけた。こちらは見事に命中し、突然出現した水に怯んだのか、2体は僕達の目の前に降り立ち、そのまま一度後ろへと飛び退いた。
もし今の対応が遅れていたら、敵の爪は前後から僕と少女を深々と傷つけ、死に至らせていたであろう。
しかし分析する暇もなく、それを見た別の2体――――いや、4体が、四方から飛び出してきた。
再度水を作り出し、叩きつける。
が、一度に出せる水の量に限りがあるため、さっきは水を2分して出したのに対して、今回は4分せざるを得ず、必然的に威力は半減する。
今度も何とか怯ませることに成功はしたが、敵がこれを学習して怯ま無くなるまでそう時間はあるまい。
そう考えると同時に、更に別の4体が飛びかかって来た。
こいつら、一気にきたらお互いの邪魔になることを理解して、順番に追い詰める形で四方から飛びかかってくる。
過去に2度遭遇した一角の奴より遥かに知能が高い。
取り敢えず水を生成、叩きつける……が、遂に、怯まずそのまま突撃してくる個体が1体現れた。
「痛っ!!」
肩が焼けるような感覚を受ける。
何となく予想していたお陰で直撃は免れたが、敵の爪は僅かに右肩を掠め、見る見るうちに僕の内側の白地のシャツが赤く染った。思ったより深く肉を持っていかれたようだ。
敵もその隙を見逃す筈もなく、「好機!」とでも言わんばかりにこちらに向かって来る。
飛びかかるのではなく、地を駆けて確実に仕留めるつもりのようだ。
応戦しようと槍を握る手に力を込めるが、熱から完全な痛みに変化した感覚が、2度目の刺激として右肩を止めてしまう。
痙攣したように力が抜け、槍が僕の手から落ちた。
人間、死を目前とした瞬間に走馬灯を見ると言うけど、今僕がみているそれはまさに走馬灯そのものだった。
引き伸ばされた意識の中で、僕がこれまで生きた18年の記憶が一度に流れ出す。幼稚園時代、小学校時代、中学校時代、高校時代、そしてこの森に来る直前の瞬間。
走馬灯が終わった後も、僕の意識はスローのまま目の前の光景を受け取り続けた。
爪と牙をむき出しにし、地を引っ掻くようにこちらに走ってくる敵。
だけど、たとえ走馬灯を見ようとも、僕はまだ諦めていない。
「ァァァあああああ――――!!」
右肩の痛みを無視し、素早い動きで左手に持つリュックの短い肩紐を、もう片方の長い肩紐に持ち替える。。
次の瞬間、僕の左半身は、18年の走馬灯の中でも見たことはないほど、とてつもない速度で全方位の敵目掛けて、水平な円を描くようにリュックを振るった。
あとから考え直してみると、この時僕は無意識に《風》に分類される魔法を発動させ、無理やりに左手の動きを加速していたのだ。
炎や水同様、微弱な出力しか出せなかったであろう風を、当時の僕は所謂《火事場の馬鹿力》宛らの凄まじい速度の連続発動をした。
結果、風はジェットターボの様な働きをし、僕の腕はありえない加速を実現したのだった。
しかし――――
「ガウッ!!」
僕の最後の攻撃は、敵全体の「予想通り」と言わんばかりの息のあった飛び上がりによって、虚しくも真下の空を切ることとなった。
あ……死んだ。
「***――――!」
死を覚悟した直後、僕の周りを取り巻いていた敵は、突如として横から降り注いだ幾数本もの《氷の槍》によって、一匹残らず凪払われることとなった。
敵を殺すまでは至らなかったようだが、突然の強攻撃に慄いた敵は、体制を立て直すや否や、躊躇もせず森の奥へと走り去っていった。
状況が呑み込めない……が、これだけは分かる。
「助、かった……のか……。」
絶望的な戦力差を持った敵は、僕の目前から完全に消えた。
誰のおかげか分からないが、どうやら僕達は生き残ったようだ。
それを理解したと同時に、今の攻撃が行われる直前の、僕とも背中で意識を失ったままの少女とも異なる、低い男性の声を思い出す。
少女を背中からおろし、ゆっくりと、攻撃が放たれてきた方向へ目線を向ける。
僕の目に飛び込んできたのは、全身を軽量の鎧で包み、1本の大剣を片手に持ち、背後に10数人もの人影を連れた、1人の男。
「ひ…と……」
安心からの脱力からか、出血多量による貧血か、それとも純粋な疲労からか、僕は全身抗いようのない虚脱感に包まれる。
その後僕は、少女の隣に倒れ込んだ。