第二話
鬱蒼と茂る名前も分からない針葉樹の葉が空を覆い隠し、月明かりは地上まで届いていない。辺り一面は闇に包まれている。
その中で、ぱちぱちと音を立てて、小さな焚き火が、洞穴の石壁を暖かな橙色に照らしている。
その灯りを頼りに、ノの字を2本、その逆を――――
「1、2、………8、9」
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木よりも遥かに固い石面に刻み込むには、かなりの力が必要となった。
今日の日付は7月29日、現在時刻Pm8:42(実質00:42)
僕がこの森に来てから、既に2週間が経過した。
僕の予想を遥かに超える長期滞在。
そして僕は、想定を遥かに超えるしぶとさを発揮している。
まず初日に予想した通り、救助活動が行われている雰囲気は一切ない。
勿論、あれから誰とも遭遇していない(寂しい)
大体4日目くらいで、僕は救助を待つのを諦めた。
次に、見たことも無い動物に2回ほど襲われた。
全長2m程で、灰色の毛に堅牢そうな角、パッと見では角の生えたオオカミという風貌をしていた。
それが大体2、3匹程の群れで行動している。
動きは早いし見た目も怖いが、知能が高い訳では無いようで、1回目は足跡のブラフと、僕の匂いが染み付いてるであろう下着を使った囮で巻けたし、2回目の時は急ごしらえの罠に引っかかり、挙句の果てに自分で木に衝突し、頭蓋の複雑骨折で死んだ。
そのおかげで《毛皮》《大量の肉》《刃渡り(?)15cmの角》等、思いもよらぬ収穫をすることが出来た。
毛皮は寒さから身を守るのに使えるし、肉に関しては食料だ。殆ど全て乾燥させて干し肉にして持ち歩いている。
野生動物を素人目で解体、調理して食べるのは危険なのだけど、とりあえず暫くはこの干し肉が食料だ。
あ、あと、マッチが湿気てて使えなかった。
おかげで初夜は寒さでほんとに死ぬかと思った、うん。
え、火が使えないのにどうやって調理したり、夜をしのいでるかって?
こうやったんだよ。
「ふっ!」
目の前に掲げた掌の先に、1cm程の小さな炎が突如として発生する。
そう、│魔法《ご都合展開》だ。
どうやら僕は、小規模の魔法を使えるらしい。(どれだけ僕が喜んだかは割愛させてもらう)
まず、今やったように、小さな炎を発生、操作する魔法。《小炎魔法》と命名。
そして、これまで僕の喉の乾きを潤してきた、少量の水を生成、操作する魔法。《小水魔法》と命名。
さらに、鉄? のような金属を、自由な形で発生させる魔法。ただし、発生させられるのは体感で1㎤。あと、1分くらいしたら光粒子状に霧散する。今の所小さいナイフとかを必要な時にこれで作り出して使っている。《小金属魔法》と命名。
今まで使ったのは以上3つのみ。いずれも本当に必要だと思った時に、自然に使えるようになった感じだ。
小炎魔法は初夜の極寒に耐えきれず『暖かい暖炉にでも当たりたい』と思った時に。
小水魔法は5日目の朝に、あまりの喉の乾きで倒れそうになっていたところで使用可能に。
小金属生成魔法はつい先日あのよく分からない一角狼――勝手に命名したが――に襲われ、武器を熱望した時に――あまりにも小さくて役に立ったとは言えないけど――使用可能に。
僕が2週間も耐えて生きのびているのは、疑いようも無くこれらの魔法のお陰だ。
たぶん、他にも色々あるんじゃないかと思う。
でも、ある意味で本当に重要なのはそこではないのだ。
魔法が使える、そんな事は地球上ではありえなかった。
冷静に考えて魔法が使えるなんてどうかしてる。
何も無い場所から突如、発火、放水、金属生成と来た。余りにもファンタジーだ。
最初の頃は精神的に極限状態に陥って幻覚を見ているのかとも思った。
「つまり、ここは僕のいた世界、もしくは時間ではない。」
今僕が踏みしめている大地も、肺いっぱいに吸い込んでいる空気も、見上げれば空にあった太陽も、今も微かに見える月も。
どれもこれも、僕が見知ったものでは無いのだ。
それを裏づける証拠もある。僕は見てしまったのだ。
月の模様が、明らかに違う。日本人なら月の模倣は【餅をつくうさぎ】と言ったところだが、そんな模様は全くなかった。
その代わりに、とても綺麗な円形の模様が、月の表面に刻まれていたのだ。あの精度は最早人工的なものとしか思えない。
加えて、北極星やそのほか星座等、僕が培ってきた天文学(?)が1つも通用しなかった。小学生の頃覚えさせられた《夏の大三角》も、無かった。
初夜はそれに気が付かず、必死に北極星を探す作業をする事になった。北極星無かったけど。
まあ、詰まるところ。
僕は、もう二度と元の世界に戻れ無いかもしれない。
2週間と言う区切りを目前に、ここ連日感じていた気持ちがいっそう大きくなる。
いや、ここに来てからずっと余裕がなくて、そんなことを考える余裕もなかったのだ。
幸とするべきか不幸とするべきか、生命の危機が常に隣り合わせな2週間のサバイバル生活は、その危険を持ってして、心細さから僕を護ってくれていたようだ。
灰となった薪の割合が増えだした焚き火に、新たに数本、よく乾燥された枝を投げ込む。
小水魔法の応用で、水操作を上手く使って薪内の水分を飛ばしてある。最初は小炎魔法で出来ないかと思ったが、表面が焦げるだけで乾燥までは至らなかった。干し肉もこの方法で作った。
目の前の焚き火も、小炎魔法で着火したし、細かい作業は小金属生成魔法で工具を作って行った。
「段々と、適応してきてるんだよなぁ……。」
この世界への適応が、逆に僕がもう戻れないのでは無いかという予感を強めていく。
実際、既に僕は大きな移動を辞め、今居る洞窟を仮拠点にして、数日間居座っている状態なのだ。
戻れないどころでは無いかもしれない、もしかしたら僕は一生この森から出られないのでは無いだろうか。
夜というのは不思議なもので、こうして考え事をすると自然と悪い方向にばかり思考が発展してしまう。
それに、僕はこう見えて寂しがり屋なんだ。
「孤独……だなぁ……。」
その場で横になり、洞窟の入口の木々の隙間から空を見上げる。
こうしていると、余計な事を考えずに心を落ち着かせることが出来るのだ。
そして、世界も違うし、知らない星ばかりだけど、敢えて言葉を飾らずに言えば――――
この世界の夜空は、とても綺麗だ。
* * * *
「…………」
ふと目が覚める。いや、それ以前にいつの間に眠ってしまったのだろう。
最後に記憶があるタイミングから、あまり時間は経っていないようだ。
左腕の時計で時刻確認。
Pm10:31、つまり今は深夜2:31と言う事になる。
「なんでこんな時間に目が覚め――――」
チリン…チリン……
「!」
呟き終わるよりも前に全てを理解する。
寝起きでキリがかかったような頭の中は、青天の霹靂という言葉がピッタリなほど瞬時に冴え切った。
この鈴の音の出処は、僕がここ数日間で仕掛けた物だ。
そこら辺の蔓を沢山集めて、小金属生成魔法で作った鈴をつけ、木と木の間に吊るす形で、僕を中心に20m感覚で僕を中心とした円を描くように設置する。
最外部は半径100m。
何かが近づいてくれば、完全に僕のところに来るまでに計5回、鈴に接触して音が鳴る仕組みだ。
つまり僕は、この音で起きたのだろう。
「何だ……何が通ったんだ?」
音が鳴った方にじっと目を凝らす。
まだ姿は見えない、どうやら2度目――ここから距離60mの地点――の鈴の音で起きた様だ。
しかし次の瞬間、僕は戦慄することとなる。
チリン…チリンチリン…チリンチリンチリンチリン……
「――――!?!?!?!」
何だこの音の数……一体全体、何体の何が近づいているんだ……!?
異常事態であることは瞬時に察知出来た。
何だ、例の一角狼が群れでこっちに向かってきてるのか。
足元の棒を手に取り、音の方向へと向ける。これもこの拠点で作ったものだ。
先端に一角狼の角をつけている。即席の槍とはいえ、角のおかげでかなりの殺傷力を誇る立派な武器だ。
やがて間も無く、僕は、鈴の音を鳴らした主の先頭を目撃した。
その姿を目にして、僕は言葉を失った。
「**…**……」
それは、ボロボロになった服を身にまとい、紺色の長い髪をなびかせながら、何も履いていない傷だらけの足でこちらに走ってくる――――
「女の子――――!?」
更にその後ろからは――――
「えっちょっ、エェェェエエエエエ!?」
パッと見だけでも10数体、今まで僕がこの森で見てきた一角狼とは異なる、真っ黒な体に2本の角を生やした敵が、全速力で後を追って来ていた。