第一話 ツッコミどころ(物理)
現状を整理しようと思う。
まず僕こと<鈍祈 紡>は、さっきまで何の変哲もない通学路を、今日も元気いっぱい相棒の自転車と共に走っていたはずだった。
しかし、突如出現した『木』に前輪から思いっきり突っ込んでしまった。
それだけに留まらず、舗装されていたはずの道は木の根と土で覆われた道無き道に、一軒家・アパート・マンション何でもござれな住宅街は、なんとも立派な木で構成された薄暗い森に大変身を遂げた。
余りにもあっさりとした説明だけど、これが如何に超怪奇な現象であるかは、数秒ほど反芻してみれば分かるはず。
ツッコミどころしかない。
いや実際物理的に突っ込んだ訳だ、木に、自転車で。
「いててて…ここどこ?」
ぶつけた箇所が痛むけど、そこまで酷いダメージは行けてないようだ。
自転車は…傷だらけ、だけど奇跡的に壊れてない、まだ使えそうだ。
自転車と自分の安否が確認でき、ゆっくりと立ち上がりながら辺りを見回す。
見覚えのない場所。高校に通いだしてから早2年、ずっと同じ通学路を利用しているがこんな場所は見たことがない。
ドッキリか何か…?
しかし僕の頭からは既に、これがドッキリであるという可能性は排除されている。
木々の間から目視確認する限り、僕を中心にしても確実に数百メートルは森が続いているのだ。いくらドッキリとはいえ、瞬時に大地を作り替え、辺り一面に木を生やし、森を作るなどまず不可能なはず。
眠らされて別の場所に運ばれたという可能性も考えたけど、木にぶつかる瞬間まで確かに僕の足は自転車のペダルを漕いでいた。
何よりの証拠として、僕の左腕のアナログ時計はAm7:28、端っこの日付は7月15日を指している。
誰かに細工でもされていない限り、これは僕が最後に時間を確認してからそう大差ない時刻だ。つまり時間のズレは起こっていない。
というより、もう7:30手前だなんて、登校時間が少々不味いんじゃ…って、今そんなこと考えてる場合じゃないか………。
今まで無遅刻無欠席を守ってきただけあって遅刻を案じてしまう。
取り敢えずここがどういう森か把握したい。あまりにも状況が把握出来て無さすぎる。
自分がぶつかった木の枝のうち、比較的太くてギリギリ折れそうな枝をへし折る。
尖った葉っぱに、荒い断面でも分かるくっきりとした年輪。
<針葉樹>の典型的な特徴――――って、
「あっお!? なにこれ青!?」
今まで見た事もないほど、枝の内部は真っ青。
青みがかったというレベルではない。教科書に出てくるような三原色の青だ。
日本にこんな木があったか……?
嫌な予感。
ポケットからスマホを取り出し、すぐ様現在地を確認する…が、案の定と言うべきか、回線マークは圏外の2文字に切り替わっている。
文明の利器ってのは便利だけど、回線が無くなるだけでただの光板に成り下がるのは如何ともし難い。まあ、太陽光パネル付きの充電池あるお陰で実質充電は無限みたいなものだから、懐中電灯位にはなるけど…。
何はともあれ、18年生きて、今までこんな針葉樹は見た事がない。
「つまり僕はなんの前兆もなく、見たことも聞いたことも無い謎針葉樹が生えた、回線すら通っていない謎の森に放り出されたわけか…」
超常現象だ。いや、これは超常現象とかいう域を超えている。
という事はこの場所では、さっきまでの街中と同じ認識でいたら非常に危ない。
誰か見つけるまでサバイバルを強いられる可能性が高い。もしどこかで山道か何かに出れればいいんだけど、最悪の場合ここで野垂れ死に…なんてことも。
全力で慌てたい所だが、現状をあやふやとは言え把握した僕の頭は、予想に反して冷静だ。
「まずは所持品の確認だな」
ドッキリの可能性は切り捨てたつもりだが、もしこれが何かしらの企画物なら、僕が今持っているリュックサックの中身が何かしらのサバイバルグッズに変えられているかもしれない。
ジッパーを開き、中に入っているものを丁寧に一つ一つ取り出す。
まあ…普段通りの内容物だった。
でもでも、もしかしたらサバイバルに使えるものが入ってるかもしれないからね。
という訳で見つかった物は
①各科目教科書 地理・数学III・英語・化学・物理
②A4サイズのルーズリーフ 70枚パック×2+数枚
③筆箱と文房具 アルミ定規・シャープペン・ボールペン・消しゴム・鋏
④空のペットボトル
「うーん…使えないことは無い…のか?」
せめてライターとかあったら便利だなって思ったけど、そもそも高校生だし煙草を吸う訳でもないから有る筈ないか…。
暗い溜め息を一つ吐き出し、順番に荷物を片付けていく。
とその時、サブポケットの僅かな膨らみが目に止まった。
念の為…と、開いて中身を確認する。と、中に入っていたのは――――
「マッチィィいイイイイ!!」
直ぐに中身を引きずり出し、本数を確認する。1本、2本、3本…
「3本もあるじゃん。何時マッチなんて入れたんだっけ。あ…――――」
思い出した。
確か2年前、当時中学3年生だった僕は修学旅行で沖縄に行った時、泊まったホテルで見つけたこのマッチを物珍しさで持って帰ったんだっけ。箱をよく見ると、掠れてはいるけど真っ黄色のシーサーらしき絵が描き込まれている。
「…中3の僕ナイス…!」
間違いなく今もっている物の中で最も役に立つものだ。小さなガッツポーズをし、僕はマッチを慎重に制服のポケットに捩じ込んだ。
現在時刻Am8:02、今頃だと太陽は20°位の高度にある筈だけど…見上げた木の隙間から見える太陽は、かなりの高度にある。
地理の教科書を開き、世界地図のページで止める。
もし日付と月が時計通りだとしたら、緯度を考慮しなかった場合日本より+4時間程時差がある。
「緯度無視だからガバガバ計算だけど、時差+4時間ってことは、4×15°で60°。元いたのが大体東経135°だから…」
必死に数えながら地図の経線を60°分東へと進め、人差し指で辿って行く。
最終的にたどり着いたのは――――
「西経135°、現在地はアメリカ合衆国北部、もしくはカナダ…かぁ」
まあ、ここが地球だったらの話だけどね…。
もし仮にここがアメリカンな合衆国やカナディアンな国だとすると…。
例え7月だとしても、この夏服使用の学校指定制服では凍え死ねる…!
「マッチはあまり使いたくないし、あと7時間以内に、どこか身を休められる安全な場所を見つけないとな…」
思った以上に時間が無い。
ポケットからアルミ定規を取り出し、目の前の木に体重をかけて、ノの字を1本、その逆を5本刻む。
ノが日付の10の位、その逆が1の位だ。歩いた場所と、日付の目印の意味をもつ。移動したと思って同じ場所をぐるぐる回ってしまう…なんてのだけは勘弁だ。
「さて…山で遭難したら下れとも登れとも言うけど、ここは森だから。初期位置と方角把握して一方向に歩き続ければ、最悪いつか抜けるかな。」
ある意味楽観とも言える思考回路は、もしかしたら正常性バイアスから来るものかもしれない。
しかし、逆に言うとそれ以外どうしようもないというのが現状だ。
まずここは僕がいた場所とは確実に違う。
僕がいた通学路では、突如として僕が消滅して、学校の方では無断遅刻として問題になっているはずだ。
公共機関のお世話…つまり学校側が警察に電話して捜索開始…となるのは、最低でも数時間後と推測できる。
それまでしばらく待機するというのも悪くは無い。
一般的な遭難では、素人は余計な真似はせず救助が来るまで待機、と言うのが正しい対処法らしい。
だけど――――
「警察が動いたとして、僕をここからみつけだせるとは思わないんだよなぁ…」
突如消えた高校生を、一体全体どうやって救助しようと言うのか。
はっきりいって内心、このまま救助が来ない確率の方が高いと踏んでいる。
いやまあ、どれもこれも推察の域を出ないわけだけど…。
それでも、このままじっとしておくよりは何かしらのアクションを起こした方が生存率が高い気がする。
日が沈めば気温がダダ下がりするし、もしこの真っ青な木が、構造の特徴通り針葉樹で、ここが針葉樹が生えるような、亜寒帯気候の地域なら、夜の寒さはシャレにならない。
加えてどんな動物がいるとも分からないこの森で、救助まで待てって言う方が恐怖で狂いそうだ。もしかしたら、数時間後には熊とかに襲われて肉片になってるかもしれない。
マッチで火を起こせる内はまだいいけど、所持数はたったの三本。そうそう長く持つとは思えない。
「つまりほんとに助かろうと思ったら、今から日が沈む前に、仮拠点にでもできそうな洞穴を見つける、もしくは適当に作る。マッチを1日1本使うとして3日。もしそうじゃないとしても、水と食料を所持していない以上、今後も手に入らないと仮定して肉体の限界値的にMax5日。その間に人に会うなり何なりして、確実に助からないと死ねる、ってことか。」
うっへえ、少々難易度高すぎやしないかな…。
自分の指で1日ずつ数えながら、現状の厳しさを悟る。
まあ、それでも頑張るしかないか……。
木々で隠れる空を仰ぎ見ながら、深いため息を付き、そのまま深呼吸。
大丈夫、僕はまだ生きてる。
「よしっ。行くか…!」
両膝に力を込め、グッと立ち上がる。
そして目前に聳え立つ『死の危険』という壁に、自らのサバイバリビティー一つを頼りに、その一歩目を踏み出し――――
「あ…自転車どうしよう」
なんとも不安な感じで、僕のサバイバルは開始された。