第九話 全ての始まり
朝には陽が昇り、夜には月が昇る。空は青く、たこ焼きは茶色。
黒の学ラン、中学校の制服。
そして、痛すぎる腹。腹痛の春。
緊張しすぎて眠れず、眠気を覚ます為にブラックコーヒーを六杯も飲んだのが原因だろう。腹を下すとは不覚なり。
しかしこの長内王雅、今日からは高校生だ。腹痛に負けずに、やるべき事がある。
クラスメイトの自己紹介は終わった。この中から僕は……話の合いそうな人と怖そうな人を見分けなくてはいけない。目立つ人には目星をつけた。
寺田さん。あの人は金髪だし、目つきが怖い。おそらくヤンキーだろう。なるべく関わらずに行きたい。
た、たに何とかさん。影が薄そうで実に僕と気が合いそうな人も居た。おそらくは、オタクだろう。口調等が特にそう思わせてくれた。名前は忘れたが。
一際目を引いたのは、う、何とかさんだ。寺田さんが怖すぎてその他の名前全て忘れてしまったが、一番目立ったのは彼だろう。
何と言ってもその顔面。ちょっとびっくりするくらいイケメンだ。テレビか何かのドッキリで、男性アイドルが混じってるんじゃないかってくらいイケメンだ。
ちょっとでいいから分けてほしい、その顔。男の僕でもドキッとしちゃうくらいだ。
そんな事を考えてながら、ちょっとした休み時間にジトたんを読む。もう三度も読んだ巻だが、読む度に新しい発見がある。神だぁ……。
「お、おうがなのか……?」
……え?
「しゅみません……あぁあ、あの、どこかでお会いしましたっけ?」
イメージと何ら変わらないイケメンが目の前に居る。というか、僕に話かけてきた。なんだこれ、ギャルゲーか? ギャルゲーが始まる。僕がヒロインだ、どうやら。
「いや……何でもないんだ。俺は漆真、空。よろしくな」
始まらないらしい。漆真さん、彼はそう言い残して自分の席へと戻っていった。
僕はヒロインになれなかった、負けヒロインですらない。サブキャラクターかモブだ。
これだから嫌だ、僕はよろしくするつもりは無いからな。
住む世界が違うんだ、高身長イケメンと僕みたいな冴えない男はな。
なんて毒気を噛み切りながら、手元に視線を戻す。
癒されるよジトたん。腐りきった心を浄化してくれてありがとう。
「ンヒッ……ンフッ……」
あ。たになんとかさんだ。何だこの安心感、何なんだよ……。
「ンフ、ジトたん、好きなの?」
「は、はい! そうなんです!」
これは友達を作るチャンスだ。付いてるな僕……帰りにラスベガスカジノでも行こうかな。そしてジャックポットでも当てて、この学校とはおさらばしよう。さようなら、たになんとかさん。
「ンフ、ジトたん、今度アニメ化するよね。キャストは……」
とも思ったが、どうやら僕はツいていなかったようだ。
僕はあまり声優やスタッフに興味が無い。でも彼はどっちかっていうとそっちが好きみたいだ。帰りにベガスに行くのはやめよう……お払いでもしようか。
結局僕は一方的に話をされた。途中から相槌をやめても、された。
担任となる人に色々説明されて、放課後となった。
それぞれが両親と帰路を共にする中、僕は一人、トボトボと歩く。
何だか頭がクラクラする。まるで僕じゃない、誰かの体の様だ。景色もボヤける、体が重い、思考にモヤがかかる。
一体何なんだろう、この、異世界感は。
夕陽に燃やされながら、やけに人通りの多い歩道を歩く。隣を走り去る車が寒い風を運んでくれる。実に凍死だ。
寒さだけは現実味がある、もう春だと言うのに桜の花弁もありゃしない。ピンクがゼロだ。
赤い。
「おう、が……長内、王雅」
彼は赤い。元々赤みがかった髪や瞳が夕陽に染められて更に燃え盛っている。
漆真さんだ。
彼は人混みの中からスルリと現れた。あれ、僕より後に帰ったはずなのに、僕の先から現れた。どういう事だ……? テレポートでもできるのか?
「少し話しがある、いいか?」
「……な、何で? ですか?」
何でこのイケメンは僕に話しかけてくるんだ……僕が悪い事でもしたのか? 昨日ちょっとエッチなサイトを見た事か? 未成年が見ちゃだめだったんだやっぱり。彼は警察だ、未成年者エロサイト閲覧取締特殊警察だ。
おかしいと思ったんだ! 正直ちょっと前までは中学生だったなんて信じられない! イケメンだし、身長高いし! 何か大人な感じするから!
まさか潜入捜査だったとは。エロサイトは重罪だった。
「どうしても確かめたい事がある。三分で済む」
逮捕されるんだ、僕。
観念しよう、逃げたり拒否したりしたら罪が重くなりそうだ。
「わかりました……」
そう伝えると彼は振り返り、歩き始めた。
やがて人混みの無い路地裏へと誘い込まれた。
彼は手錠を取り出すのか? それとも警察手帳?
「オウガ、お前は……」
漆真さんが僕に歩む、一歩。
「記憶喪失、か?」
「は?」
何を言われたのか一瞬わからなかった。記憶喪失? いや、何? わからない。
「僕は、記憶喪失じゃありません……」
「俺に見覚えも無いか?」
「さ、さっき見ましたけど」
意味がわからない。
「こことは違う別の世界に……」
それって、妖怪たちの……と思ったら漆真さんはちらりと上を見て、言葉を止めた。
「いや、何でも無い。すまなかった」
何かと思えば、彼はそのまま夕陽に向かって歩みを進めた。
彼は妖怪と何か関係しているのだろうか……それともただの中二病なのだろうか。僕が記憶喪失? 確かに覚えてない事も多いし、お父さんの事もあるけど……と言っても短期間だ。彼は何か関係しているのだろうか。
考えてもわからないな。それに漆真さんは妖怪という単語を一切出さなかった。僕に何かを聞きたいのなら、妖怪や崩王、餓鬼というワードを出すだろう。
論理的では無いけど、漆真さんは妖怪に関係していないと思う。直感だ、ただの。
にしてもここ、臭いし生ぬるいし気持ち悪いな。さっさと出よう。
「おめでとう」
「あっ」
ア、アリスさんだ。
「入学式おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
いつもの格好で、パーカーのポケットに手を突っ込んだアリスさんが居た。やっぱり何度見ても、菫さんに似ている。
けど、きっとアリスさんは菫さんと同じ種の妖怪なだけだろう。河童だって見分けつかない程似ているし、と僕は結論付けた。
「ところで君、入学初日なのにイジメられてるの?」
「へ? あ、さっきの見てたんですか?」
結局あれはイジメではなかったと思う。別にお金も取られていないし、暴力も暴言も無かった。彼はおそらく。
「彼はイメケンですが、中二病なんだと思います」
「ならいいんだけどね」
彼女はポケットから手を出し、僕に背を向けた。
「それはそうと、王雅くん」
肌寒さが強くなった。
「ボクの事、避けてるよね」
僕が? 僕がアリスさんを避けている? どうしてそう思うんだ。そんな事無いと思うんだけどな。
「ボクが素顔を見せてから、君はボクと目を合わせなくなった」
「いや……」
「ボクと会うまで、君はゲーム上で敬語を使う事は無かった。でも今はゲームでも敬語だ」
畳み掛けるように彼女は言う。
「何より、ボクを見た時のギョッとした顔。分かりやすいんだよ、王雅くんは」
あぁもう、アリスさんどころか自分を騙す事すら難しそうだ。
「すみませんでした」
僕は素直に頭を下げた。そうするしかないと判断した。分かっていた。分かりながら、封印しようと決めていた。
僕が弱いから、僕の。
僕の、気持ちを……封印した。
「僕は、その、好きな人が居ます」
「……ん?」
「好きな人が居るんです」
僕は菫さんが好きだ。
菫さんに人生を救われた。
お父さんを失って一人ぼっちになった僕が、おかしくならなかったのは菫さんのおかげだ。
菫さんが居なければ立ち直れなかった、一人に耐え切れなかった、学校にだって来れなかった……生きて、いられなかった。
幸せが何なのか、わからない。でも菫さんのおかげで僕はきっと、幸せに近いか、幸せか、多分どっちかだ。
彼女を見れば、胸が温まる。
でも、怖かった。菫さんには既に契約者が居て、共同生活をしている。妖怪にとって契約者は、恋人よりもっと特別な存在だ。
言うなれば、親や夫婦。
一説では、妖怪と契約者は魂で繋がるとも言われている。
だから、もしも菫さんの契約者が、契約とは別に菫さんと特別な絆を結んでいたら。
そうでなくても、契約者が僕と菫さんの仲を禁じたら。
そもそも妖怪には恋愛という文化が無いし、ていうか。
菫さんに拒まれたら。
「ボクはてっきり、ボクの顔がよっぽど好みじゃないんだと思っていたよ」
「へ? いや、そんなわけないじゃないですか」
だってほぼ菫さんと同じ顔だよ? そりゃもう、あれだよ。言葉にはしないけど、あれだよ。
「そっかぁ、好きな人か」
「はい、すごく良いひ……」
いや、ありゃ。
「……良い子です」
「ボクとはもう、連絡取らないほうがいいかな」
アリスさんは、あらかた気づいているのかもしれない。
僕がアリスさんを避ける理由。
菫さんに、似ているから……たったそれだけの、世界で一番酷い理由。
「いえ、今日も遊びましょう」
「ありがとう、王雅くん……じゃあまた、夜に」
ごめんなさい、アリスさん。
僕は悩んだ。悩みながら歩いた。
気分と同じくらい暗い空を一度見て、俯く。
最低だ。
勇気が出せない、怖い。菫さんを失ったらと思うと怖い。
本当は毎日、怖い。だからそれを思い出させるアリスさんの顔が見れない。
最低だ。
決めた。
僕は、菫さんに聞いてみよう。
菫さんの主、契約者はどんな人なのか。菫さんはその人を、どう思っているのか。
決意の力が腰を伝わり、足に落ち着く。
僕は走った、恐怖から逃げ惑うように走った。決意したのにやっぱり怖かった。
「はぁ……ぜはぁ……ヒィィ……」
ようやく我が家にたどり着いたのは良いものの、汗だくだ。しかも体力が無さすぎて、死にかけている。灯りがついている所を見るに、菫さんはもう来ているな。
息を飲んで、扉を開ける。
「ただいま、です」
あれ、返事が無い。いつもは迎えてくれるのに。
僕は不振に思いながら、靴を脱いでリビングへの扉を開ける。
安っぽい爆発音が響いた。
襲撃だ、ゲリラかテロリストだ。資金難に違いない、手作り爆弾だ!
なぜ僕を狙う! やはり僕がエロサイトを……!
「入学おめでとうじゃ、王雅」
そこにはクラッカーを持った菫さんが居た。火薬の匂いと共に良い匂いがする。
「あ、ありがとうございます」
テーブルの上に華やかな料理が散りばめられている。少し手をつけられているようだ、菫さんの口端に食べカスが……かわいいなぁ菫さんだ。
これからは僕が学校から帰ってきた頃に来てもらう事になっている、話せる時間が減るなぁ。なんて、それよりも。
こんな感情を、生活を、失う事になるのかもしれないんだ。
「菫さん」
「うむ?」
それでも、こんなの嫌だ。
「聞きたい事があるんです」
ずっとこの感情を抱えて、彼女を曇った目でしか見られない。それが一番怖くて、一番辛い。菫さんは純粋に僕を祝ってくれてるのに、こんなの失礼だ。
関係の無いアリスさんに迷惑を掛けるのも、失礼だ。
「菫さんの主、契約者さんは……その、どういう人ですか?」
「えっ……なんじゃ唐突に……えーと、そうじゃなぁ」
長い、言い出すまでが長い。
「あ、そうじゃ。よく告白されておる」
告白されるのか……イケメンなのか。
「後は……面倒見の良い奴じゃの」
クソ……いい人なのか。
「菫さん、あの……菫さんは、その人の事……」
言える、僕なら言える。がんばれ、振り絞れ。
「好きなんですか?」
「うむ」
驚くくらい、あっさり菫さんは言い放った。
停電したのかと思うくらい視界が暗くなった。思考にも闇が掛かった。
あぁ、そうか。
僕は、失恋したんだ。