第八話 少女
僕の前にコーヒーが一つ置かれる。テーブルには一つしかコーヒーがない。
「…………」
何も喋れない、今、目の前に美少女さんが居るのに。
そりゃそうだろう。
美少女さん、格好が明らかにおかしい。
パーカー、カーゴパンツ、リュック。そのリュックにつけられた夥しい数の缶バッチ。それが予め決めてあった目印だ。
そして、フードを深く被っている、異様なまでに頭が膨らんでいる。ヘッドフォンつけてる。
それだけじゃない、一番は……仮面のようなものを被っている。ロボットの顔のような仮面を。
しかし、こうしても居られない。話かけよう。
三秒経ったら話かけよう。
三、二、一……いや、やっぱり勇気が出ない。いや! 頑張れ! よし!
「あの……」
「えっ!?」
体がビクッと震えてしまった。急に大声出さないでくれよ、ビックリする……って、おじさんの声じゃないな……。
女の人、だな……身長と体つき的には、同じ年くらいだろうか。
「ボクの事、見えるの……?」
と、彼女は言う。幽霊なのだろうか、幽霊なんだな。そうか、僕はずっとゴーストと遊んでいたのか。怖いな、僕そういうの無理なんだよ。
「あの、美少女さんですよね」
「ああ、うん。始めまして……って、始めましてでもないね」
その返事に曖昧な返事を重ねてしまうと、彼女は前のめりとなった。
「そうじゃない、ボクの事見えてるの?」
「見えて、ますけど」
「……无幻くんは、崩術師なの?」
崩術師、お父さんはそうだったが、僕は違う。崩術の一つも使えやしない。
「いいえ。でも妖怪は、見えます」
自分で言っていて気づいた。そうか、彼女は。
妖怪なんだ。
「そっか……ボクの正体についてはもう、わかってるよね」
「はい、妖怪ですよね……って、そうだ。見えない可能性のほうが高いのに、どうして会おうと思ったんですか?」
「オフライン大会に出場できない理由の説明にはこれしかないかなって。筆談でもしようと思ったんだよ」
美少女さんの手元には確かに、シャーペンと小さなメモ帳がある。なるほど、僕が見えない側だったとすると、こうなるわけだ。
まず店に入って席に座る、そうすると、メモ帳にさらさらと文字が書かれる。そこで僕は知るわけだ、あぁ、幽霊だ、と。
それはそうと、彼女の変な格好にも納得がいった。妖怪っていうのは、基本的に衣服も含めて本体だ。お洒落な妖怪なんかは、意図して衣装を変える事ができる……彼女のファッションは現代チックすぎるが、きっと趣味だろう。
「ごめんね无幻くん。大会、出たかったでしょ? 何なら、ボク抜きでも」
「僕も出たくなかったので、むしろ助かりました。プレッシャーが凄いですからね、大会は」
少し声が震えた僕に、彼女の肩がワナワナと震える。
「ぷくく……无幻くんらしいや」
「美少女さんってそういう感じなんですね、意外でした」
いい終わったと同時にコーヒーを口に運ぶ。ブラックコーヒーを頼んでしまったが、案外おいしい。昔はぜんぜん飲めなかったのにな。
僕も成長したという事だろうか。学校にも行けない時点で、成長なんてしてないか。
「嫌だったかな」
「いえ……」
もう一度コーヒーを口に……って、もう無い。そんなに飲んだっけ。いつ飲んだっけ。緊張していたから、覚えていない。
「場所、変えよっか」
美少女さんは少し視線を反らした。僕も釣られて見ると、店員さんがとんでもない顔をして僕を見ていた。
「あ、そうですね、はい」
扉を開け、外へ出る。もう暗くなりつつある空は、僕の気持ちを移しているように見えた。
正直、僕は彼女を警戒している。
妖怪っていうのは、基本的に純粋で、本音で生きている。都合が悪ければわかりやすい嘘をついたりもするが、まぁわかりやすいものだ。人間みたいに頭が良くて、ずる賢いという事は無い。
だが、美少女さんは違う。MGOにおいて、彼女の練る作戦は非情だ。
人間の心を思いのままにコントロールし、弱さをつく。
長丁場に持ち込み、楽になりたい、そう思うであろうタイミングで摘む。
一人一人じっくりと甚振り、逃げたい、怖い、そう思うであろうタイミングで摘む。
だから僕は、彼女が妖怪だなんて思いもしなかった。事実として今は受け入れているが、彼女自身の事は受け入れられないでいる。
ここまで狡猾な妖怪は、始めてだ。
「无幻くん、たまに鋭い時あるから、ボクが妖怪なの気づいてるかもなって思ってたんだけどね」
たまに鋭い、か。神経質すぎて考えすぎてしまうだけだ。いや、それにしたって。
「ヒントも無しに気づく訳ないでしょう?」
「ヒントならあげたよ。ほら、あの銃の動画」
当てもなく歩き続けながら、僕は追憶する。銃の動画、って何だっけ。
そう、そうだ。RS&Rカスタムというリボルバー銃の組み立て動画か。僕が銃に興味あるって言ったら、いい動画があるって教えてくれたんだよな。あれがヒントって、どういう事だ?
「ちょっとわからないです。なぜあれがヒントに?」
「あれアップしたのボクだし。だから手とか一切画面に入ってなかったでしょ?」
なるほど……確かに手が映りそうな部分は、画面外にあった様な気もする。そうか、美少女さんが撮ったのか、あれ。大変だっただろうな、美少女さんが直接、銃のパーツに触ると映らないんだから。
「気づかなかったです。いや……美少女さん、あれ実銃ですよね?」
「もちろん。さすがに日本じゃ違法だから、あっちで組み立てて撮ったよ」
あっち。妖怪たちの世界か。動画タイトルも英語だったし、やっぱり狡猾だ。
「ここら辺で休もっか」
住宅街にポツンとある小さな公園。もう辺りは真っ暗で、街灯がベンチを照らしている。
「わかりました、美少女さんは座っていてください。ちょっと飲み物買ってきますから」
僕はそう言い残して、自販機の前でゆっくりと息を吐く。
「…………」
美少女さんは妖怪とは思えないほど狡猾だ。でも、一年間遊んできた人だ。掴みどころのない人だ。でも一緒に居ると楽しい人だ。
コーヒーが二つ、ゴトンと音を立てて落ちてくる。
美少女さんは、友達だ。
元々頭が良いのは知っていたんだ。妖怪だったからなんだ、警戒する事ないじゃないか。おっさんだったら素直に受け入れていたのに、妖怪だったから受け入れないって、それは違うよな。
僕、元々妖怪は好きだし。
菫さんも、妖怪だし。
「よし」
両手に持ったコーヒーが、気持ちのいいくらい冷たい。
気持ちが軽くなると、足取りも軽くなるものだ。僕はあっさりと、美少女さんの元へ戻ってこれた。
「どうぞ」
「ありがと」
美少女さんはコーヒーの蓋を外して、口元へ……って、ロボットみたいな仮面付けてるのにそのまま飲むのか? それって仮面じゃなくて素顔なのか? そういう妖怪なのか?
凝視していると、口の部分がシャッと開いた。シャッと開いた……カッコイイ……。
「ん? あぁ、珍しいよね」
「え、はい……それ、自分で作ったんですか?」
「ううん、一年くらい前に買ったんだよ。それからずっと付けてるんだ。便利なんだよね」
へ、へえ。妖怪の世界で買ったのかな。いや、一年前なら僕とゲームしてたな。って事は日本で……? ハイテクな玩具だなぁ。どこで売ってんだろう、欲しい。それよりも、時間も時間だ。しなきゃいけない話をしよう。
「美少女さん、僕、サブアカでSINKってプレイヤーに負けたんですよね」
「……SINK、知ってるよ。ボクも戦った事あるし」
「へ、へー、勝ったんですか?」
「勝ったよ」
うわ、言いにくい。
「そっか、それで自信無くしてたの?」
美少女さんは知ってたんだ。
「はい……」
「バカだなぁ」
今日始めて会ったのに、何だろうな、この感じ。
不思議だ、居心地がいい。
「じゃあ別のゲーム一緒にやろうよ。MGOなんてスパッとやめてさ」
おもわず、「ひぇ?」と声を上げてしまった。
「いいんですか?」
「いいんだよ。ゲームは飽きたり、楽しくなくなったらやめればいい」
とても、国内一位の日本最強のプレイヤーの発言とは思えないな。
「ボクはね、无幻くんと一緒に遊ぶのが好きなんだよね」
「…………」
僕は本当に馬鹿だなぁ。
「王雅です、本名」
「ボクは、アリス」
僕の、今はたった一人の、友達の名前。
アリスさんの白い手が僕へ差し出される。僕はその手を、すぐに握った。
「冷たい」
「コーヒー持ってたので、すみません」
「王雅くん、ボク妖怪だけど、これからも遊んでくれる?」
アリスさんの素っ頓狂な質問に、思わず笑ってしまった。
「今更ですか」
「これでも結構緊張したんだよ。ボク、妖怪だし。見える人のほうが少ないでしょ? 今日で无幻くんに会えるのは最後かなって思っててさ」
「僕も緊張してました。おっさんだって思ってたので」
僕が言い切った瞬間、美少女さんが勢いよく立ち上がって、背伸びをした。息を漏らすように笑って。
「そう思われるように工夫してたからね。おっさん相手ならVCしようなんて気も起きないでしょ?」
VCか。簡単に言うと電話だ。おそらく、監視カメラに映らない妖怪は、電話したって相手に声が届く事は無いのだろう。
うまい事やるな。
「ついでに言うなら会ってからも、警戒してました。美少女さんほど、その、頭のいい妖怪は見た事が無いので」
懺悔するように、言わなくてもいい事まで言ってしまった。
「じゃあ、もう信用してくれたんだね」
僕の予想とは裏腹に、アリスさんは喜んでいた。てっきり怒られるか、悲しまれるか、嫌われるか、そんな所だと思っていたのに。
「王雅くん、そろそろ帰らなくて大丈夫?」
「あ、そうでした。もう遅いですもんね」
「送ろうか?」
「逆でしょう? アリスさんが女の子なんですから」
銃で撃たれたようなうめき声を上げてアリスさんが止まった。え、何、キモかった? そうか、そうかい。別にいいよ、知ってるし。
「照れちゃうね、女の子扱いなんて」
「からかわないでくださいよ、キモいって思ったでしょう」
「ホントに照れただけだよ」
僕も立ち上がって、同じ歩幅で歩き始める。
入り口までほんの三十秒ほどで着いてしまった。少し心惜しい気もする。
「今日は、遠いところからわざわざ、ありがとうございました」
「あぁ……言い忘れたけど、ボク、近所に住んでるんだよ」
「あ、そうなんですか、え? あ……僕もです」
そうなのか、凄い、偶然だな。
「じゃあ、またいつでも会えるね」
「そうですね、また、会えますね」
「危ない危ない、最後までこれじゃあ、失礼だよね」
アリスさんがロボット仮面を指差していた。あぁ、そういえば素顔見てなかったな。
彼女はゆっくりとフードを脱いで、髪の毛を正して、ヘッドホンに手をかけた。ヘッドホンとその仮面、一体型なんだ……カッコイイ。
と思ったら、仮面が変形していって、ヘッドホンだけになった。
「……っ」
一瞬、菫さんかと思った。
よく見ると、菫さんではなかった。
でも、これでもかというくらい瓜二つだった。
菫さんを中学生にしたような、少女が立っていた。
「またね」
そう言い残して、その少女はポケットに手を突っ込んだ。菫色の毛先は菫さんよりも短く、その上の菫色が混ざった白は暗闇でハッキリと浮いていて。
菫色の瞳が僕からゆっくりと外れていく。頭の中がその色たちに埋め尽くされる。
止まってしまったような景色の中、脈打つ胸が、時を進めた。