第七話 未来への闇夜
十四歳、中学二年生の秋。冬目前の秋。
僕は、僕たちのクランは、MGO世界大会への参加権を得た。
普通ならば、五十対五十で行うクラン対抗バトルが大会の趣旨だ。
クランとはすなわちチームが大規模がしたもの。
だが僕たちはたった四人のクランで日本の頂点に立った。こんなんじゃチームと同じだと言うのに、対策の取れない変則的な戦術と、美少女さんの圧倒的な技術で、優勝できた。
日本大会はオンラインで行われた。会場に赴く必要もなく、自宅で出来た。
それでも大会という重圧は凄まじく、プレッシャーにやられ、しばらく僕は寝込んでしまった。
もしも通常の、五十人のクラン戦ならばこうはならなかったかもしれない。責任が分散し、自分一人がヘマをした所でリカバリーがきくから。
しかし、幾ら考えてもうちは四人クラン。その上、世界大会は海外の会場まで行く必要がある。とってもじゃないが、無理だ。
大体、僕は日本国内でも中堅くらいのプレイヤーだ。優勝できたのは全て、美少女さんのお陰だ。時にはただのお荷物と噂される。時には、日本最強のプレイヤーの一角として噂されて。どちらにせよ、僕の心を串刺しするのは十分な噂。
もう、ゲームが楽しめなくなってしまった。
「王雅」
パソコンを目の前に座る僕に、菫さんが割って入った。
「ここずっと、顔色が悪いのじゃ。少し横になっておれ」
「わかりました……もう少ししたら、横になります」
極めつけは、SINKというプレイヤーにタイマンで負けた事だ。
その時僕は、サブアカウントを使い、自分の力量を確かめる為に、よく一対一のPvPをしていた。
メインアカウントで、美少女さんと戦えば負ける相手ではなかった。MGOでは、操作不可能と名高い複座式の機体、アーディアならば。まぁ、うちが四人クランなのはこの機体を使用しているせいなのもあるが。
コストというシステムがある。機体を構成するパーツにコストが定められており、五十人全員でコスト内に納めて戦うのだ。
しかし、アーディアは一機で四十八人分のコストを食っている。だから参加できる人数は残り二人。僕と美少女さんと二人のメンバーで、四人。
もちろん、コストを減らしてクラン人数を多くしようと訴えた事もあったが、美少女さんは聞く耳を持たなかった。
思考が逸れた。
SINKというプレイヤーとの戦い。あの一戦が、ずっとずっと僕の胸を締め付けている。
僕はサブアカウントで、最もスタンダードで最も強力な、癖一つない機体を使っていた。負ける事もあったが、手も足も出ないという事はなかった。
しかし、SINKさんとの戦いは違った。SINKさんの機体は、いや、機体と呼べるものではないか。あれはパワードスーツだ。MGOにおいて最弱。ネタにすらされないようなもの。それに、一方的にやられた。
彼は反射神経も、戦略も、全てにおいて僕に勝っていた。その上、彼はあるシステムを使わなかった。いや、あるいは知らなかったのだろう。初心者のアカウントであったし、本当に初心者だったのかもしれない。
初心者の、最弱の機体に僕はやられた。既に完成されたドラマに、ただただ踊らされただけであった。
僕の心は、その瞬間ぽっきりと折れた。
「ふぅ」
クランメンバーにログアウトする旨を伝え、僕はパソコンの電源を落とそうとしたその時。
美少女さんのチャットが目に入った。
『PT』美少女:少し話があるにょ~☆
美少女さんか。しかもプライベートチャット……何だろう。
少し緊張するけどちょうどいい、大会に参加したくないという素直な気持ちを仄めかしてみよう。反応によっては、腹を括るしかない。
「え……?」
『PT』无幻:珍しいな、何?
『PT』美少女:世界大会には、参加できない
一年間付き合ってきて、こんな真面目な口調の美少女さんを見るのは始めてだ。別人なんじゃないかって思う程に。
本当にアカウントを乗っ取られているんじゃあるまいな? と勘繰ってしまったが、よくよく考えればさっきもスーパープレイを見せてくれてたな。
『PT』无幻:どゆこと?
『PT』美少女:出来れば、リアルで会って喋りたい
リアル、リアルって、現実? 現実世界で顔合わせしたいって事?
『PT』美少女:ダメかな
三分間くらい、僕は返事をしなかった。そして彼もまた、続け様に何かを言う事は無かった。考えに考えて、僕は結論を出す事にした。
『PT』无幻:わかった、いいよ
これ以上のプレッシャーには耐え切れない、と僕は考え。明日会う事になった。場所はこっちに任せてくれたから、近所の喫茶店にした。
それから数時間が経って、菫さんと夕食を取った後。今日はやけに菫さんが近かった。
最近は夕食を取った後ものんびり居てくれる事が多い。
「…………」
僕、変な匂いしないよな。汗かいてないかな。
「王雅、さっきよりも顔色が悪くなっておる。病気じゃないのかえ?」
彼女は心配そうな表情を浮かべて、僕の手を……手を、握った。
暖かい手。菫さんと触れ合ったの何て、何時ぶりだろうか。気恥ずかしさから、肉体的接触を避けていた僕にとっては、まったく意図せぬ出来事である。
「いえ、病気じゃないんですけど」
「妾に申してみよ。力になれぬかもしれんが、吐露するだけで違うと言うじゃろう?」
ただ、緊張は解きほぐれた。プレッシャーからも解放されたように感じる。何というか、胸が羽のように軽くなったような。
菫さんは、本当に凄い人だ。こんなに小さいのに、巨人のように大きい。
「実は……」
菫さんはあまりゲームというものに明るくない。ネットにも明るくない。オフ会だとかを説明するのに、少し時間がかかった。
終始菫さんは真面目な表情で聞いてくれた。
「それで、明日会う事になったんです」
「信用できる人物なのじゃな?」
「はい、多分」
昼間はログインしてない事を考えると、恐らく社会人だろう。しかもあの薄ら寒い口調、おじさんに違いない。安全だろうか……安全だと思う。
この一年、伊達に毎日彼と遊んではいない。社会人がわざわざ僕みたいな奴を誘拐したり、殺したりするだろうか。無いなぁ、リスクが高すぎる。
「菫さん、ありがとうございます」
「ふふ、何のこれしき、じゃよ」
その幼女は、若年寄のような笑みを浮かべる。大人のような佇まいで、僕へ微笑みかけた。そのギャップが、アンバランスさが、僕の胸をうつ。
「もし不安なら、妾もついて行くが?」
「一人で行きます」
僕も菫さんに格好いい所を見せたい。切実に、どうしても。
「明日はお昼から居ないので、来るのは夜くらいで大丈夫です」
一度頷いた菫さんが、僕の背中をポンと叩いた。彼女に握られた手が、叩かれた背中が、やけに暖かい気がして。
しばらく忘れられそうにない。
「第一夜、堕ちし太陽」
今、何か聞こえた? いや、辺りが急に暗くなった。停電か?
手を動かしてみても、足を動かしてみても何にも当たらない。地面が無い、僕はどこに、居るんだ?
思い出せない。さっきまで何をしていたか。
僕は長内王雅、それだけは覚えている。それだけしか覚えていない。
夕闇が見えた。
「第二夜、溶けた翼」
初めて感覚が生まれた。風が吹いている、下から上へと。頭から足へと。ゆっくり、景色が流れる。勢いよく雲を突き抜ける。
地面は見えない、感じる、これは、怖い。
「第三夜、残らぬ足跡」
迷路。
「第四夜、失う制御」
手が。背中が。
「第五夜、消え行く境界線」
暖かい。
「第六夜、歓迎する亡霊達」
忘れちゃいけなかったのに、どうして僕はこんな事をしていたんだ?
助けるって、約束したのに。
「王雅……!」
あれ、眩しい? 目が見えない。真っ白だ。
「……僕は死んだ……?」
「王雅! 体は大丈夫かの? 昨日突然倒れたのはわかっておるのか?」
「菫さん……僕は死んだみたいです。目の前が真っ白で何も見えないんです」
「あ」
見えた。光の残像がやけに染み付いているけど、目の前に菫さんが居る。
「すまぬ、てれびで倒れた人の目に光を当てているのを見ての! こうすれば起きるかと思ったのじゃ!」
それ死んでるかどうか確認するためにやるんじゃないのか? 瞳孔が開いているか閉じているかの確認みたいな。
「王雅、どうして泣いておるのじゃ! ああ、そうじゃ、眩しかったんじゃな!」
どうしてって、何かが落ちた、そんな気がするからだ。とても大切な何かを、また失ってしまった気がする。何だったっけ。何なんだろう。
それを忘れたいのか、僕は菫さんを見つめていた。キラキラと輝く髪。人間の形をしているのに、人間ではないと言い切れる美しさ。そして、見る見る歪むその表情。
「やっぱりまだ具合が悪いんじゃな……起こしてすまなかったのじゃ。ずっと起きないから心配での」
「ずっと?」
夕焼けがやけに眩しい。僕が寝たのって夜だよな、夕焼けだから朝じゃないよな。いや、朝陽か? 時計見ればいいじゃんか!
あ、やべ、やばい。
あれからずっと寝てたのか? あれ、約束の時間まで一時間しかない。あれ、やばい、あれ、やばい、すごくやばい。
「菫さん! 間に合わないかもしれないです!」
「え!? 行くつもりじゃったのか!? 昨日倒れたんじゃぞ!?」
「眠たかっただけです! 行きます!」
僕はそう言い走ってお風呂場でシャワーを浴びる。スピーディーにスピーディーに!
「菫さん! 僕行きます!」
「速いの!?」
無我夢中、無心の境地だったからもう何も考えていなかった。
「行ってきます!」
早足で外に出た。携帯忘れた。関係ないか、どうせ連絡取る相手も居ないし。
走って汗でビシャビシャだと引かれるよな。ていうか行ってきますって言ったの久しぶりだな。いつ振りかな。どうして菫さんは居たんだろう、僕が寝ていたからか。いや、寝ていたって、ああ、そうか、いきなり眠くなって倒れたんだ。
じゃあずっとそばに居てくれたのか、謝らないと、お礼言わないと。
心が軽い。
物思いに耽っているだけで目的地についてしまった。小洒落てもない喫茶店。でも、入るのは緊張するな。ここまでそれ所じゃなかったから、余計に。
「……ふぅー」
三秒と待たずに意を決して、僕は踏み込む。
「……うわ」
美少女さんが居た。
おそらく、今、美少女さんと僕が出会った。