2話 市民になりました
1話からだいぶ間が空きましたが、ようやく、異世界生活での基盤となる住居にたどり着きます。
さて。異世界に転生することになったわけだけど、何はなくとも
まずは衣食住だ。
幸い、衣類は旅行のときに持ってきたものがとりあえず使えるし、住居は神様に指定された
都市に行けばあるようだ。
食については後で考えよう。
「暑い……」
転生した地点からもう1時間は歩いた気がするけど、目的とする都市はまだ見えてくる様子はない。
地図を見ると、あと1/3といったところか。
道には休憩所といった便利なものはなく、照りつける太陽をもろに浴びる羽目になっていた。
「少し、休憩にしましょ」
若菜がそういう。
少し情けないけど、お言葉に甘えることにしよう。
トランクを置いて、街道から少し外れた木陰に座る。
そよ風が吹いてきて涼しい。
「はい。お水」
若菜が水筒から水を注いで僕に渡す。
「ありがとう。ってどこから持ってきたの?」
「荷物の中にまだ残ってたのよね」
「水がなかったらやばかったな」
スタート地点にたどりつく前に水分不足で死にました、なんて洒落にならない。
「ぷはー。生き返るわ」
「それ、おっさんくさいよ」
「いいじゃないの」
お酒を飲んだわけでもあるまいに。
休憩しながら周りを観察すると、辺り一面が草原で、風にたなびいている。
時折、背丈の高い木がまばらにあるといった感じ。
草も木も青々と茂っているし。
暑さも考えると、今はこの世界での夏だろうか?
「今は夏なのかな」
「そうかもね。聞くの忘れちゃったけど」
「ちゃんと聞いておけば良かったね」
異世界ということで、文明がどの程度なのかがまず関心事で、
気候や植生といったことについては聞くのをすっかり忘れていた。
「仕方ないわよ。なるようにしかならないんだから」
「そうだね。まずは、都市にたどりつかなきゃ」
休憩を終えて再び歩きだす。
しかし、平らな道が前提のトランクだが、現代のように平らに舗装されているわけではないので
少ししんどい。
(持っていくものに、ザックとか登山用品を入れておけば良かった)
そんな言っても仕方がないことを考える。
それから30分程歩くと、高い城壁に囲まれた都市らしきものが見えてきた。
神様から聞いたところによると、「マルシェ」という都市らしい。
どうやらここが目的地らしい。
「やっと着いた」
「そうね。でも、衛生環境が心配だわ」
「そうそう。それについてなんだけど」
「それ?」
「衛生環境について。どのあたりが心配なんだい?」
「色々ね。まず、上下水道完備なんてことは期待できないでしょう。伝染病も流行っているかもしれないわ。トイレも川や街中に垂れ流しにしているかもしれないし……」
「こういう設定のライトノベルだと、そういう生臭いことは描写されないよね」
「そうそう。読者がそんなのを読んでもつまらないってことはあるでしょうけど、実際に異世界転生をした私たちにとっては他人事じゃないわ」
「そうだね……」
城門の入り口には、検問がしかれていて、出入りする人たちは皆そこを通るようだ。
僕たちもその列に並んで、検問を待つ。
そういえば、異世界に来る前に渡された金属の札があったことを思い出す。
これを検問で見せればよいらしい。
僕たちの番が来たので、札を渡すと
「よし。通っていいぞ」
と言われたので、そのまま通って都市の中にはいる。
「あれ?」
都市の中に入ったときにふと沸いた疑問があった。
「どうしたの?」
「いや、なんで日本語が通じるんだろうって」
「神様が言ってたじゃない。言葉は通じるようにしてあげるって」
「いやそうなんだけどね」
衛兵の唇の動きや音を聞くと、どうも日本語とは微妙に違う言葉をしゃべっている気がしてならない。
僕たちが異世界の人たちに向けて言葉をしゃべっているときにも、だけど。
「あんまり深く考えても仕方ないわよ。まずは、生活のことを優先しましょ」
「だね」
疑問に思ったことを追求するのは悪いことじゃないけど、
今はそれどころではない。
僕らが住む都市は人口1万人の大都市らしく、そこかしこに人がひしめきあっている。
現代日本の感覚からいうと、人口1万というとド田舎だけど、
城壁で覆われた狭い土地に1万人が住むとなると話は違ってくる。
露店やなにかよくわからない店が立ち並ぶ区画、上流階級あるいは支配階級と思しき人たちが住む区画、
不自由民たちが住む区画を横目に歩いてく。都市の中はおおむね、長方形の区画で仕切られている
ようだった。
僕たちは身分としては自由民に属するらしい。違いについてはいまいちよくわかっていないけど、
現代社会に住む人が普通に持っている権利をある程度持っている、くらいの理解だ。
若菜が言うには、もっとややこしいらしいのだけど。
「あれ?水道があるわ」
若菜が唐突にそんなことを言い出した。
まさか道端に水道管が突き出ているわけでもあるまいし…と思いながら、指さした方向を見る。
すると、橋らしき建造物を水が流れているのが見える。
「古代ローマだっけ。その紹介で似たようなのを見たことがあるような」
「そうね。それに、よく見ると、下水道もあるわ」
道をよく見ると、隅に深い溝があって、そこを汚水(?)が流れている。
「衛生事情が心配だったのだけど、これならマシかもしれないわね。最悪、道端に糞尿垂れ流しを覚悟していたけど」
「確かに、それだったらきつかったかもね」
特に女性である若菜にしてみれば、衛生事情がまず気になっていたのだろう。
街を歩いているときも、それほど悪臭がするところは多くなかった。
都市に入って歩いて15分といったところだろうか。
ようやく、僕らの新居に到着した。
そこは石造りの1階建ての建物だった。
早速、住居に入って間取りを確かめる。
「現代日本だと1ルーム10畳、バストイレ共用ってとこかしら。トイレがあるのは意外だけど」
「そういえば、その辺りも心配していたね」
「糞尿は、下水が洗い流してくれるわけね。色々気になるところはあるけど、まずまずね」
「当然だけど、冷蔵庫はないね」
「乾燥させたり、塩漬けにしたり、色々考えないといけなさそうだわ」
「お風呂もできれば入りたいところだね」
「いざとなったら、自作しましょ。五右衛門風呂くらいならやってできなくはないはず」
今後の生活について、ああでもないこうでもないと話し合う。
「そういえば、やけに色々揃っているわね」
「うん。簡単だけど、寝床もあるし。神様が手配してくれたのかな?」
「かもしれないわね。そういえば、お腹が空いたわ」
「実は僕も」
さっきから実は、お腹がグーグー言いっぱなしだった。
しかし、街はもう夜になり始めているし、土地勘どころか世界観の無い僕らが
うかつに歩くのは危ないだろう。
「今日は疲れたし。これでしのごう」
そう言って、トランクの中から、お土産用に買ったチョコレートを取り出す。
「思わぬところで役に立ったわね……美味しい。疲れが取れていくわ」
「うん。美味しい。でも、明日からどうしようか」
「それなんだけど。そこに、神様からの手引書と一緒に金貨ぽいものが100枚くらい置いてあったわ」
そう言って、金色に光る貨幣を見せてくる。
確かに、金貨ぽい感じがする。
ほんとに金かどうかわからないけど。
「とりあえず、それで食いつないでくださいってことかな」
「みたい。あと、手引書によると、私たちはマルシェの商人ギルドに登録されているそうよ」
「商人ギルド?」
「歴史の授業でやらなかった?同業者組合みたいなものよ」
「ああ、やった覚えがある」
「詳細はまだ読んでないけどね。商人として生計を立てていくことになりそうよ」
「商人かあ。商売は苦手なんだけど、そうも言ってられないか」
「私も協力するから。二人で頑張りましょ」
そう言って、若菜が肩を叩いてくる。
「そうだね。頑張ろう。とりあえず、今日は寝ようか。疲れちゃった」
「私も」
異世界転生に加えて、暑い中の行軍。未知の世界と、色々疲れた。
この暑い中だとクーラーがあればいいんだけど、ないものは仕方がない。
そうして、前途多難な異世界生活が始まったのだった。