女王の決意 & 月夜の出会い
本文が短かったので、もう少し後で書くはずだったミスラとヴェネッタの初対面の事をかきました。キャラを掘りさげるの好きなので度々やってこうと思います。
よろしくお願いします。
「また奴が出たらしいですね」
声を聞いて、ミスラは顔を上げた。少しうねっている黒髪の間から明らかに寝不足の顔が若い配下を見上げる。腰かけた椅子の前にある机に、大量の紙片やらインクやらが散っていた。
「ああ…先程聞いた。今度は東だったな」
「ええ。恐らく周囲の同族をあらかた殺した上で此処を叩きに来るつもりです。」
銀の短髪を軽くかきむしって、配下──ロアは窓の外を見た。外はまだうっすらと明るいが、既に夜が近付いている。とはいえ、この時分から動いているのはロアとミスラの他にこの屋敷でも数名ほどだろう。
「ミスラ様、あまり無茶をなさらないで下さい。御体を壊しては元も子もありません」
「壊れる前に終わらせるのだ」
その言葉に、ロアは黙って王を見た。
己に厳しくしすぎるのは先代王のトゥトの性格を継いでいるからだろう。一年前、突然現れた人間の勇者に殺されるまで、トゥトもまたほとんど休まずに一族が生き残る術を模索していた。
「無茶をしなくては一族が滅びる。無論私が死んでも一族が終わるのは見えている。」
ペンを持ったままの手を額に当てて、ミスラは呟くように言った。
「…休むのは全て終わってからだ。」
なんといったものか、とロアは少し黙った。ティムナなら問答無用で彼から紙とペンを奪い取るに違いないが、自分には恐れ多くて出来そうもない。
結局ため息をついてロアは一礼した。
「承知しました。しかし…私共も居ることをどうか、お忘れならぬように。」
「…分かった。」
返事を受け止めてから、部屋を後にする。扉を閉めようとしたとき、不意に「ロア」と名前を呼ばれて、ロアはぱっと顔を上げた。
「ヴェネッタを呼んでくれ。話がしたい」
「はっ」
素早く返事をして部屋を去っていく配下に、「すまない」と追うように声をかけてから、ミスラはぐーっと背もたれに体重を預けた。ペンを投げ出すように机に置いて、両手で顔を覆う。
「…疲れた…」
ゴンゴンゴンゴン、と部屋の扉を叩かれている音で目が醒めた。まだ窓から日がうっすら射しこんでいる。
「…あと5分ー…」
「ヴェネッタ様、ミスラ様がお呼びです」
ティムナだと思って呑気に返事を返したら、違う声が返ってきた。
「…あれ?ロア?」
「はい。ミスラ様が呼んでますよ」
あー、なるほど。
なんでミスラの側仕えのロアが私の部屋に来てるのかと思ったらそういうことね。
伸びをしてからぱっとベッドから降り立つ。思いの外反動がついて、ベッドの縁でガンっと足を打った。
「いたっ!」
「痛い?…大丈夫ですか」
「…っ何でもない!この体まだ慣れなくてね」
「ああ」
なるほど、とロアが苦笑したのが扉の向こうながら気配で分かる。
あの決断式から数年後、私とミスラは成人の儀に入っていた。
ヴァンパイアには成体と幼体があって、幼体の間は人間と同じくらいのペースで成長していく。成人の儀で成体になったあとは、個体差もあるがほとんど体は変化しなくなる。
成人の儀といっても、棺桶の中で眠るだけだ。あとは起きたら大人の体になっている。ただその状態になるまで100年ほどかかるらしく、それを知らなかった私は起きてからめちゃくちゃ驚いた。
成人の儀が終わったのはつい先日の事で、未だに自分が100歳を越えているという自覚がない。見た目もせいぜい18とか20とか、それくらいだし。
「100年もそんなに長い年月ではないですよ」とティムナがすまして言っていたけど、いやいや、流石にそれは。
元人間としてはなかなか慣れることが出来ない。
「ロアっていつもこの時間に起きてるの?早いよね」
廊下に出てロアと歩きながら、寝癖のついた髪を直す。あー、とロアが考えるように視線を上にあげた。
「大体この時間…ですね。俺よりミスラ様の方が早いけど」
「へー」
「まあヴェネッタ様が遅すぎるのもあると思いますけどね」
さらっと言われて顔がひきつる。返す言葉もない。ミスラと居るときと比べて、私と居るときのロアは若干さくさくと物を言う。確かにミスラは王様だしきっちりしてないといけないんだろうけど、それを言ったら私も王妃のはずなんだけどな。
ミスラの部屋の前に着くと、「では」と一礼してロアは向こうへ歩いていった。
さてと。何の用だろう。
お互い大人になっても子供の時と同じで、あまり馬が合わないのは変わらなかった。普段はどちらかに何かしら用があってあまり会えてもいないし、こうして顔を会わせるのは久し振りかもしれない。
「ミスラ、入って良い?」
扉越しに聞いてみると、「入れ」と返事があった。
「失礼します…」
なるべく音をたてないように扉を開けてするっと中に入りこむ。
ミスラは椅子に座ったまま、机に両腕をついてこちらを見返してきていた。
「えーっと…ロアから話があるって聞いて…」
「ああ、別に大した用ではないのだが…少し聞いておきたい事というか。」
珍しくミスラの言葉の歯切れが悪かった。いつもなら相手の目から視線を外さずに喋るのに、今日は逸らされたままだ。
「何?」
ミスラの視線は定まらない。
「…ここから離れたいか」
呟くように、そう言われた。
…ん?離れたい?
「ここからって、…この邸の事?」
ミスラがゆっくりと頷く。
邸から出ていく?ちょっと状況についていけない。急にこんなことを聞かれると思っていなかった。いつもどうでも良いような事を少し交わして終わりなのに、なにそれ。
あらかさまに顔に出たようで、ミスラが初めて私の顔を見た。
「人間の勇者のことは聞いているか」
「あ、うん。最近よく聞くよ。」
というかそれは主人公だ。私がコントローラーで操ってた、ミスラを倒した人間だ。
…倒した?ちょっと待って。
「東の仲間がやられたと通達が来た。…ここも最早安全とは言えない。お前を危険に晒したくはない。」
ぽつぽつとミスラが続ける。私は話し半分に聞いていた。じわっと頭が痛くなった。
そうだ、ゲームでやってた時は何とも思わなかったけど、倒すって、死んじゃうんだ。ティムナもロアもミスラも他の皆も死んでしまう。
私は?本当はあのゲームには存在しないキャラクターだけど、ここに居たらやっぱり危ない?
そうかもしれない、だって仮にも王妃だし。
「ずっと、という訳ではない。安全になり次第元に戻ってきてもらう。たかが人間一人、恐らくすぐに片付くと思うから…」
言ってしまえばすぐ調子が戻ってきたのか、ミスラは私を見据えて落ち着かせるように言った。
いや駄目だ。みんな死ぬ。ストーリー通りにいけばだけど、なんとなくその確信がある。東の仲間がやられたっ…てことは、まだここに主人公が来るのはかなり後だけど。
「…嫌だ。」
ぐっと睨み返して、はっきりとそう言ってやった。ミスラが眉間に皺を寄せる。
「だがそれだとお前を守りきれないかもしれない。…それは困る。」
「でも嫌なものは嫌なの。」
私を守る前にミスラが死ぬ。
ミスラじゃない、私が皆を守るんだ。
ロアもティムナも、他の皆も。そうだ、私が本来居ないキャラで転生したってことは、ちゃんと意味があるはずだ。
私がこのストーリー、変えてやる。
「私はここに居るの」
言った瞬間、不意にミスラが息を飲んだ。あれ?何か私変な事したかな。
「いや。…返事が聞けて良かった。」
私が首をかしげると取り繕うように、大丈夫、とミスラが軽く手を振る。照れたようなその仕草が可愛くて、思わず笑ってしまった。
おかしいな。こんなに人間味のある人だったっけ。そういえばずっとゲームのキャラのイメージでミスラを見ていたけど、あの時はもっと冷徹だった。ティムナもロアも、画面越しに敵として見てたときと何だか違う。
「…じゃあ、邪魔したら悪いから戻るね。」
「…ああ。わざわざすまなかった。」
「いえいえ…あ、あと。」
部屋から出かけて、ふと思い出して振り返る。話してるときにずっと気になってたんだけど、目の下に隈が出来ていた。
「頑張りすぎないでね」
言いながら、ぱっと扉を閉める。
ふっと笑うような声で、分かった、というのが扉の向こうから聞こえてきた。ふふ、と此方まで声が出る。二人で話して自然に笑ったのいつぶりだろうか。
さてと。
ぱっと前を向いて、私は長い廊下を見つめた。
せっかくストーリーの流れを全部知ってたというのに何故皆が死んでしまうのを考えてなかったのか、自分で自分が謎だ。でもこれでやることは決まった。…流れを変えるのだ。誰一人殺さない方法で、誰一人殺されないようにする。
まずは主人公に会ってみることから始めないとな。それから…。
計画を練りながら、私は廊下を一人歩いていった。自分の部屋につく頃には、あらかたやるべき事が決まる。
よし大体こんなもんか。さっそく明日からやっていこう。
「あ、ヴェネッタ様。もう王の話は終わりましたか。」
「ロア!」
…いや、明日からじゃ遅い。やると決めたらすぐにやろう。
黙っている私にロアが不思議そうに首を傾げる。
「…ねえロア」
「?…はい。」
「私と勝負しない?」
自信満々な王妃を前に、は?と、ロアは間抜けな声を出したのだった。
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闇に生きるヴァンパイアの未来を照らすように。王として確乎不抜の精神を持つ者となるように。
「ミスラ様」
ロアの声に、窓の外を眺めていた少年が振り返る。
「ロア」
「ヴェネッタ様が参られましたよ」
ああと頷いて、ミスラは椅子から立ち上がった。ヴェネッタという名は物心ついた時から何度も聞いてきた名である。
自分の将来の妻になる少女の名だ。
きっと向こうも何度も己の名を聞いているだろう。威厳あるトゥト王の元で常にプレッシャーを感じていたミスラとしては、同じく生まれながらに将来を定められた彼女に同情する気持ちもあった。
とはいえ顔を合わせるのはこれが初めてである。王子と王女はある程度までは別々に育てられ、5歳となって初めて対面するのだ。
「楽しみではないのですか?」
窓を閉めていると、後ろから遠慮がちにロアが尋ねるのが聞こえた。窓が反射して、こちらを見ているロアと目が合う。
「…?何故そう思う。」
「あ、いえ不敬でした。お忘れください…」
「顔だろう」
いつの間にか扉の前に、トゥトがやって来ていた。驚いたように慌てて「トゥト様」と頭を下げるロアの横で、服を整えながらミスラが「顔?」と訝しむように聞き返す。
そうとも、とトゥトは可笑しそうに息子を見返した。
「私とモゥトの子だというのに、お前は顔に表情が無いな。未来の妻だぞ。期待とか不安だとか、お前には無いのか?」
「…父上も式の時は…」
「馬鹿者、わしが顔に出せば皆の心意気が変わるのだぞ。あれは仮面だ。」
ミスラは瞬きして父を見た。
確かに無表情というのはよく言われてきた。これは仮面ではなく生来のものである。
母であるモゥトがいつだったか、「赤子の頃の貴方は三月に1度しか笑わなかったのよ」と言っていた。冗談か本当か分からないが、本当だとしたらなかなか重症である。
「楽しみでないというわけではないのですが…」
「なら笑え。」
「トゥト様、無理にさせるものでも無いのでは。」
「形から入るのでもこの際構わんだろう。」
肩をすくめるトゥト王と苦笑するロアを横目に、ミスラは黙って黒い装束に腕を通した。
別に楽しみというほどでもない。興味はあるが、会ってしまえばそれまでだろう。妻といったって王族である以上、一般の夫婦のように四六時中共に過ごすわけでもないのだから。
「ミスラ」
支度を終えて部屋を後にしようとするミスラに、トゥトが呼びかけた。
「笑え。」
しつこい無茶ぶりに、ミスラは困ったような笑みを浮かべる。しかしそれすら、どこか作られた不格好な笑顔だった。
式場につくと、まだ準備が終わってないらしいとロアが控え部屋にミスラを連れていった。
「申し訳ありません、少々ここでお待ちください」
「…ロア!」
ミスラが頷くのとほぼ同時に、廊下の方から声がした。ロアが顔だけ出すようにして廊下の方を向く。ミスラからは見えなかったが、女の声らしかった。
「ティムナか、どうした?」
「ヴェネッタ様見なかった?私がちょっと目を離した隙に居なくなっちゃって…!」
「はっ!?」
ティムナ?
初めて聞く名前である。それにヴェネッタとは、もしかせずともあのヴェネッタの事ではないだろうか。
焦ったようにロアが出ていきかけて、はっと思い出して此方を見つめているミスラを振り返った。
「すいません、俺ちょっと向こうを手伝ってくるんで…ミスラ様はここでお待ちください」
「分かった。」
頷くのを確認するやいなや、ロアが勢いよく駆け出していく。
ミスラは暫く閉められた扉を見てから、部屋の方に向き直った。がらんとした広い部屋の椅子に座って、窓の外を見る。
「…ん?」
暗闇の中でなにか動いた気がして、ミスラは目を細めた。
気のせいだろうか。今確かに割りと近くの方で、何かが動いていたような。赤い目をじっと細めて辺りを見回す。
気のせい?まさか人間が攻めこんできたのだろうか?
「………。」
ミスラは眉間に皺を寄せて窓を開けた。喉から唸るような声を出す。ヴァンパイア特有の、筋肉を麻痺させる波動を放つ威嚇だ。
…やはり誰の姿も見えない。
唸るのをやめて、ミスラは息をついた。
「…気のせいか。」
「何が?」
「いや誰かの気配がしたと、……。」
ロアだと思って返事をしてしまってから、彼の声にしては高いのに気付いて沈黙する。ゆっくりと下を見下ろすと、窓の真下に同い年くらいの少女がいた。座りこんでいたから、今まで視界に入らなかったらしい。
ドクッと心臓が音をたてた。
(…赤い目…)
間違いなくヴァンパイアだ。
とりあえず敵ではないだろうが、何故こんなにも息苦しいのだろう。自分は臆しているのだろうか。せいぜい同い年程度の、この少女に。いや違う、惹きつけられている。それが恐ろしい。
それは得体の知れない美しさだった。
月明かりが彼女の赤い髪を照らしている。
「貴方も連れてこられたの?」
凛とした声が密やかに問いかけてくる。
それがやけに夜闇に心地よく響く。
「連れてこられた?」
問い返すと、少女がぱっと立ち上がった。瞬間、思わずミスラが身を引く。
触れてはならないような儚さがそこにある。
「そう、連れてこられたの。シキがあるからって。私じっとしてるの苦手だから、逃げてきたんだ。」
ニコニコと無防備に笑いながら、少女が言う。
シキ…式?皇子皇女対面の儀の事か。
確かに今日は多くの貴族が集まる日だから、彼女もまたどこかの貴族の娘なのだろう。
しかしこんな少女は今までの式や行事では見たことがない。
まるで雪の結晶のようだ。
触れたところから溶けて空中に消えてしまいそうである。後に僅かに透明な水滴を残して。
ポタ、とそれが地に落ちて吸い込まれていくところを無意識に想像して、ミスラは息をつめた。
これは一体誰だ?いや、“何”だ?
この、現世に存在していて良いものではないような美しさは。赤々とした瞳も、口から覗く鋭い牙も、恐ろしいほど白い肌も、まるで同族のものとは思えない。
「貴方の名前は?」
首をかしげて少女が問いかけた。その声にハッとする。
「……ミスラ」
ミスラだ、と、ぎゅっと窓縁をつかんで言った。この名を知らない者はいない。案の定、少女は驚いたように目を見開いてから、ああ、と再び笑った。
「じゃあ貴方が皇子だったの。良い名前だね。」
「…そうだろうか」
「うん、意味知ってるよ。栄光。未来を明るく照らす。強い意思。」
「ああ。…確乎不抜の精神。」
得意気に言う少女につけ足す。
いつも重荷になっていた名だが、少女はそれを知らない。
遠くからロアの声が聞こえた気がした。
少女がはっとそちらを見る。
「ダメだ見つかる…行かなきゃ」
“ティムナ”に叱られる、と呟いて、少女が駆け出した。聞き覚えのある名に違和感を抱く間もなく、「あ」と声をあげて、ミスラは思わず身を乗り出した。待って、と声が無意識に漏れる。
「待って」
少女が振り返る。赤い髪がうねる。
「…名を教えてくれ」
本当はそちらに行きたいのだが、流石に窓から出ることは出来ない。ロアに部屋で待てと言われている。
ニコッと少女は笑った。
「ヴェネッタ。」
ヴェネッタ・クルス。
ミスラはぽかんとして少女を見つめた。
───ヴェネッタ?
「祝福された。神は誓う。クルスは十字架の意味。」
よろしく、と少女は、ヴェネッタは笑いながら走り去った。
「ミスラ様」
窓の外を呆然と眺めている主人に、ロアが呼びかける。
「すみません、ちょっと式が遅れるかもしれないらしくて…その、ヴェネッタ様が見つかり次第始める、と。」
「………」
「どうも随分わんぱくな方らしくて…」
「……………くっ」
ミスラの肩が震えた。
「ミスラ様?」
「ふ、ふふっ…あはは」
…皇女。
おかしいと思ったのだ、何故あんなにも惹かれてしまったのか、何故なんなに目が離せなかったのか。
“ヴァンパイアの王妃”の血族の子。
王の血を持つ者が心を奪われてしまう、その血液。
だからあんなに美しかったのだ、他と比べ物にならないほどに。
こういうのを人間は運命と言うのだったか。
「…分かった」
戸惑うロアに、ミスラが振り返る。その笑顔に、ロアが驚いたように目を丸くした。
「待っていると伝えてほしい。」
ミスラは窓の外を見る。
ぽっかりと浮かんだ月の光が美しかった。