パンドラの箱
「…で、此度は集まってくれたこと、本当に嬉しく思う。我々もそなたらの期待に答えられるよう精一杯精進していきたいと…」
…上から目線だなー。
隣でさらさらと言葉を紡ぐミスラの横で、私はぼんやりと欠伸を噛み殺した。ティムナを始め、大勢の配下や王族の者が並んで此方を見上げてきている。私とミスラは開式の辞を述べるために彼らの前にある壇上に上がっていた。
大勢の目線には慣れていた。この世界では小さい頃から(というかまだ五歳だけど)沢山の目にさらされてきたし、前世でも元から人前であがるような性格じゃなかったから。
ただ眠いだけだ。とてつもなく。
色々なことがありすぎて、昨日はなかなか眠れなかった。昨日というより正確には今日の昼だ。
今の私はヴァンパイアである。
王家があるこのお屋敷は大昔に人間が使っていて、それを百年ほど前から使っているらしい。ヴァンパイアの王族が住み着いているというのは広く知れ渡っているので、ここにいきなり攻めてくるような人間は居ない。
多分人間の一個軍隊くらいなら壊滅させる程度の戦力がここにあるからだ。
ティムナも実は指折りの実力者だったりする。
他のヴァンパイアは普段町の地下や森などにいるのだが、何かあったときはこうしてこのお屋敷の大広間に集まって貰うことになっている。
「ヴェネッタ」
ぼんやりしていると唐突にミスラに小声で名前を呼ばれた。寝かけていた私がハッとして隣を見ると、眉を寄せたままじっとそのまま見つめられる。
一瞬「?」となったあと、どうやらミスラが喋り終えたらしいことに気付いた。
お前の番だって事か。
「…私も右に同じです。」
「………。」
ティムナが思わず額に手をやるのが見えた。面倒くさいのは嫌いなのだ。というか、前日に口上を考えておけと言われたのを聞き流していた。前世の記憶が戻ってきてそれどころじゃなかったなんて言えないが、本当にそれどころじゃなかったのだ。
しかもこの世界が前世でやったゲームまんまだった、って、もうなにも手につかない。
…でもやっぱり流石にまずかったかな?
固まる一同の前に流石にちょっと思い直す。ミスラも顔にこそ出してないが黒いオーラが出ていた。
どうしようかと考えていると、後ろから咳払いして前に出てきた者がいる。ミスラが目をやって、すっと後ろに下がった。私も慌てて後ろに下がる。
入れ代わるように前に出てきた壮年の男、これが今の王であるトゥトだ。
ちなみに私の叔父でありミスラの父親に当たる。隣に控えているのは妻のモゥト。ウェーブした赤い長髪が綺麗に整えられている。
威厳のある態度でトゥトは集まった一同を見渡した。
「…いつかはこの日が来ると思っていたが。」
低い声が大広間に響き渡った。
ピリッと辺りの空気が引き締まる。
「…人間の戦が日に日に激しくなりつつある。彼らの持つ武器は恐ろしく目まぐるしく変化している。我等も剣を取るときが来たのだ。」
トゥトは強く、静かに断言した。
ヴァンパイアは人間が居ないと生きていけない。
動物の血であれば飲めないことはないが、それにしたって人間が家畜として育ててくれなければ全てのヴァンパイアにその血を分かつことはできない。
それにやっぱり人間の血は特別で、実際王族のほとんどは人間の血を吸血したり搾取して飲んで生きている。
死ぬまで飲むような事はないけど、それでも向こうも血を気前よくあげたりなんてしないだろう。
それにヴァンパイアの力は人間と比べ物にならないくらい強い。
脅威は常に迫害される立場にあるといつかトゥトが言っていた。その通りだ。
最近始まった吸血鬼狩りに対抗して、こちらも人間を統制しようという話になったのだ。
今日の式がその決断式。
…後に【opened pandora's box 〔開けられたパンドラの箱〕】と呼ばれる事になる。
ゲームのオープニングであったのだ。
主人公の勇者が生まれる100年前に、この式があった、と。
トゥトが腰から差していた剣を抜いた。
窓から射し込む月光を浴びて光るそれに向かって、ティムナが頭を下げる。
ぞろぞろと続くように、一同が頭を下げた。
次回で100年後に飛びます。