前世の記憶
楽しんで頂けると嬉しいです。
ダーーンと凄い音がした。
『ゆーくんやっぱ格好良いよね』
バスケのゴールにボールが吸い込まれていくのを眺めながら、私はもう何度も聞いたその言葉をまた聞いていた。
そりゃそうだろう。
スポーツ万能成績優秀、その上めちゃくちゃ美形だったりするゆーくん。本名は鈴木優。
…で、実はそれは私の事だったりする。
小学校でも中学校でもそしてこの女子高でも、私は常に男みたいなポジションにおかれていた。
まず小学校はケンカ番長。
中学校では男子よりモテていた(女子に)。
高校は女子高だった為に最早学年の貴公子のような扱い。
そんなこと別に気にしては無かったけど。私はその頃部活のバスケに夢中だった。スポーツ全般大好きだし。確かにゲームとか漫画とか、男がやるようなのばっかやってたし。
高校になっても全然女らしくなんてなれなかったな…。
床に仰向けに転がったまま、高い天井を見上げながらぼんやりと思う。
小学校、中学校、高校…そこから先はない。じゃあ今は?
「…姫さま!!」
悲鳴のような声が上から降ってきた。
…あ、そうだ。今の私は王女だった。
頭を上げると、パラパラと砂が髪から落ちていった。
そーだ、自分で描いた絵画を飾ろうとして頭から落下したんだった。
納得して顔をあげると、お世辞にも上手いとは言えない絵画が無駄に豪華な額縁に収まっている。さっきまでは力作だと思ってたけど、前世を思い出した今となってはただの五歳児の落書きだ。
なに描こうとしてこうなったんだ。
「無茶をなさってはなりませんとあれほど言っていたじゃないですか!ああもう、コブになってしまって…」
おろおろとしながら私の額に手を当てているのは側仕えのティムナ。短い黒髪が素朴な感じで私は好き。
いやちょっと待って、それどころじゃないかも。
「あ、ごめん…ちょっと部屋で一人で休みたい」
「え?急にどうしたんですか姫さま、せっかくこれからお外で遊べるという時に…」
御気分が優れませんかとティムナが心配してくるのも無理はない。いつもなら大喜びで外に飛び出していく私が部屋に引きこもりたいなんて、確かに異常事態である。ただまあ異常事態なのも本当だけど。
「ちょっとまあそんな感じ?今日は外は良いや!」
「えっちょっと、姫さまー?」
だーっと廊下を自室に一直線に走っていく私を、後ろでティムナが呆然と見ているのが分かった。
バアンと勢いよく扉を閉める。考え事をする時一人になりたがるのは私の癖だ。
…前世からの。
私は思わずフラフラとベッドに向かって倒れこんだ。バフッと体が軽く跳ねる。
なんで今まで忘れてたんだろう。私は鈴木優だ。
高校2年の夏に寝坊して全速力で通学路を走って、日差しが朝から暑くて腕捲りをしながら普段から気を付けろと散々言われてた十字路に突っ込んで、同じく右側の道路から突っ込んできたトラックが私の真横に見えて。
で、死んだ。ダーーンという凄い衝突音が最後に聞いた音。ふわっと宙に体が浮いて、真っ青な空が見えた。
…すごい、生まれ変わりなんてほんとにあったんだ!!!
過去の事過ぎるからかあまり死んだことにショックを受けなかった。そもそも私は捨て子だったし。友達には悪い子としたけど、私が死んだからって一生引きずるようなやわな人達じゃない。
たぶんその場で悲しまれて終わりだったろう。
そんなことより大事なのは今、この瞬間。
つまり私は転生したのだ。それも王女という高貴な立場に。
って、知ってどうにかなるものでもないけど…。
でもまあ五歳児ならそれこそ人生これからって感じだしな。
その上次期王妃の身だ。
ヴェネッタ・クルス。
それが今の私の名前。
顔をあげるとベッドの前の窓に広大な庭が広がっている。噴水がキラキラと月の光に照らされていて、その奥に白い銅像が建っている。
偉大なる初代の王様ルガトの銅像だ。
まあ銅像である以上どこまで本人と似ているのか分からないけど、なかなか整った顔つきをしている。だからその血を継いでいる私も美人の部類には入ってる。赤い瞳はまさに王家の証。
今の私は王族の娘なのだ。そして将来は王の妻。
もっとも周りからお転婆王女と言われる程度には品性が無いけども。前世の記憶がなくてもそこはちゃっかりそのままらしい。
さすが私…、と思っていると、コンコンと部屋の扉を叩く音がした。
直感で、“奴”だ、と分かった。
「…ヴェネッタ、今日は外に出ないのか」
低い静かな声が扉越しに響いてくる。私はしぶしぶ立ち上がって扉に向かった。
やっぱ“奴”だった。
「ごめんなさい、ちょっと気分悪くて」
言いながら開けた扉の隙間から、静かに首を傾げている少年の姿が見えた。
こいつこそ奴、次期王候補のミスラ。
長い黒髪の間から覗く白い顔も、落ち着いた深い赤の瞳も、びっくりするくらい端正だ。
…そして堅い。頭が鉄かなんかで出来てるんじゃないかと思うほど考え方が固い。その場の感情で生きている私とは(自分で言うのもなんだけど)真反対の性格だ。
故に、王候補=私の将来の夫って事になるみたいだけど、お互いにあまり良い印象を持ってないのが本音。
愛想無く目を逸らすと、向こうも目を逸らしたのが気配で分かった。
「体には気をつけろ。ヴェネッタが明日の式に出席出来ないと私も困る…」
呟くようにミスラが言う。初めて聞く話にチラッと目を向けると、ミスラの口の端からちょうど八重歯がキラリと光ったのが見えた。
明日の式?なんだったっけ。あとでスケジュールをティムナに確認してみよう。
「おっけー、多分大丈夫。じゃあまた明日…」
適当に返事をして扉を閉めようとミスラを見ると、向こうはいつも切れ長の目を見開いて此方を見返してきていた。
…あ!!
「あっ、…ごめんなさいまた…明日!」
向こうが何か言う前に扉を閉める。
ヤバい!!
元から言葉遣いは良くなかったが、つい前世の喋り方をしてしまった。
気を付けないと。
ため息をついて、とりあえず私はベッドに戻る事にした。とんでもない日だ。
まさか前世の記憶が甦ってくるなんて。
…しかも転生したのがなぁ。
なるべく考えないようにしてたけど、もう思いつくのがこれしかない。
私は真っ暗な窓の外を見る。真っ暗といっても月は出ているし、私の目には闇なんて関係ない。
窓越しに私の姿が映る。赤茶の髪に真っ赤な瞳、不安になるほど白い肌、口から見える八重歯…ではなく牙。
私はヴァンパイアだった。
人間の血を飲んで生きる、吸血鬼だ。
実際に人間を見たことは無いけど、食事は確かにワイングラスに入った血液。
豚とか牛の血も飲んだことはあるけど、人間の血の方が断然美味しかった。
ただ今となっては飲む気になれない。
ティムナもミスラも他の者も、私の知る者は全てヴァンパイアだ。王というのも、一国を治める王ではなく、一族を従える王という意味。
…そういえば中学の頃男友達とやってたゲームにも居たなあ、吸血鬼。
寝転がったままふと思い出す。
バトルゲームで、一時期すごく人気だった。ヴァンパイアVS人類の戦いで、人間の勇者としてヴァンパイアを倒すという…うろ覚えだけどラスボス戦はよく覚えている。
吸血鬼の王との戦いなのだが、相手が明らかに桁外れのスピードで動くのだ。
ゲームバランスがおかしいのではないかと思ってたけど、倒せたときは感動ものだった。なんだったっけラスボスの名前。確かミラル…ミラス?いやミスラだ。
懐かしいなー、いかにも吸血鬼らしい長い黒髪に白い肌でっ
「ぇええええええええ!!!?」
寝かけていた頭がバチーンと醒めた。勢いよくベッドの上で跳ね上がって床に着地し、そのまま突き破るように扉を開ける。
「あれ?姫さま?お体の調子は…」
「もう治った!」
廊下を歩いていたティムナが驚いたように私を見る。すれ違い様にガッツポーズで元気になりましたアピールをしながら、そのままミスラの部屋に飛び入った。
「今日は忙しいですね」と苦笑いしているティムナの声が耳に痛い。
「…ヴェネッタ?どうした」
窓際にもたれて本を読んでいたらしいミスラが、流石にいくらか驚いた様子で私を見た。そもそも普段私から彼を訪ねていくことがないから、それは仕方ない。しかもついさっきは向こうが来てたわけだし。
肩で息をしながら、私はどうにか壁に手をついてミスラを見た。改めてじっくりと眺める。
…長い黒髪。ぞっとするほど白い肌。下睫毛が長い。ちょっと引きつっているけど(私のせいだ)端正な顔だ。
「…ラスボスだ…」
「は?」
ぽかんとするミスラをよそに、私は思わず膝から崩れ落ちた。
間違いないあのゲームだ!!
思い返せば他にも何人か私が知っているヴァンパイアにキャラが一致する者がいる。何よりこのミスラ自体、幼い事を除けば完全にあのラスボスだ。
…でも。
ふと気付いて私は自分の両手を見た。
ヴェネッタ・クルス?
そんなキャラはあのゲームには出てきてなかった。うろ覚えではあるけど、出てきたら思い出すはず。あれ?じゃあ。
「…私って、なに?」
謎だ。全くもって全部謎だ。
此方を窺うように目を細めるミスラをよそに、私は呆然として呟く。
…かくして私のめちゃくちゃな転生ライフが幕を開けたのだった。