第九話:魔王と呼ばれて
横穴の奥深くから、腹に響く鐘の音が鳴り響く。そして、目の前のゴブリンが皆地面に伏せったのを確認するや否や、それは矢でした。ひゅうと気の抜けた音を発しながら、闇の中から何条もの矢が私たちを襲いました。
「盾がある。俺の後ろに隠れ――いだい。ひ、膝に矢、矢、や、や、や、ゃ、やめ、うがぁぁぁああああっ」
膝に矢を受け動きが止まった剣士を、立ち上がったゴブリンが一突きにしました。
「私がヒールを!」
「もうダメよ。下がって。私がしんがりを務める」
「だ、ダメって――」
「早く! 次が来る前に、逃げ、な、たす、け」
彼女の体が一瞬硬直し、その胸から何か金属の棒が生えてきました。えっと、あ、これは何でしょうか。そう。私は神官。ヒールを。
「わ、私はこ、こんなところで。ひ、火よ、穿て穿て穿て! は、はははは。あははは」
魔法使いは火矢の魔法をゴブリンに向け撃ちまくりました。いや、撃ちまくっている自分を妄想していました。
「武闘家さん、しっかり! い、いまヒールを。天にまします、わ、我らの神よ。き、きづ、傷ついた我らに慈悲の癒しを――ヒール。あれ、ど、どうして、ヒール。ヒール。ヒール! どうして!」
「イヤっ、やめなさい。汚らわしい雑魚の分際で。や、やめ、私に、近づか――あっ」
魔法使いは後ずさりをしたつもりでしたが、その足は震え、一歩も踏み出すこともできず尻餅をつきました。そのあとを私は見ることができませんでした。
ゴブリンは槍を持って、剣を持って、ナイフを持って私に近づきます。私は、わた、わ、し、死にたく、ない。し、し、死ぬってどんな。案外楽だったり――
「や、や、め。こ、殺さないで」
ゴブリンは焦らすようにゆっくり近づいてきます。
し、死にたくない。怖い。ちょ、あっ――
「うがあああああぁぁぁぁっ。足、足が」
「おい神官」
聞いたことのある声でした。
「て、てっさい、た、たす」
「できん」
「たすけ」
「実はお前たちを見ていた。初めに殺した小さい緑の奴の声、どう聞こえた」
こ、こえ?
「あれは恐怖だ。私は何度も聞いてきた。貪られる者の恐怖。いま死にゆく者の叫び。家族親類に同じ悲劇が及ばぬことを祈る声」
あ、あ、あ。
「次に焼け死んだ者の声。あれは無念だ。自ら命を賭しても守れぬ自分への嫌悪」
あ……。
「お前たちは何をした。クエストか。冒険か。いいや、虐殺だ。弱きを殺す虐殺だ。お前を殺そうとしている者の目を見ろ」
お尻が妙に温かい。
手、真っ赤だった。ゴブリンの目、真っ赤だった。
私と同じ。泣いていた。
「我々魔王軍は人間の戦争に介入するほどの兵力を持ち合わせてはいない。死にたくないなら自分で何とかすることだ」
矢が顔をかすめた。逃げなきゃ。逃げなきゃ。ごめんなさい。太ももに突き刺さったナイフが引き抜かれ熱い血が溢れる。頭の中が点滅する。血を滴らせる杖を握りしめ出口へ。ごめんなさい。ごめんなさい。私は叫んだ。獣のように叫んだ。声にならない喘ぎを。服が引っ張られ、引き裂かれる。でも、止まったら、止まったら私どうなっちゃうんだろ。いっそのこと、無茶苦茶に壊されたら神は許して下さるだろうか。
「魔王様、あれでいいんですか」
「自分で選んだことだ。ミーナはいいのか、ギルドから任された仕事だろう」
「いえ、あなたは魔王様ですから。それに勝手な行動ですし、ある程度は自己責任です。あ、グロいのは大丈夫かって話ですか。それは、まぁ、私あなたについて行くって決めたんで。あ、やっぱちょっと……うげぇぇぇぇ」
少し薬草臭い。何をつまみ食いしていたんだか。だが、この洞穴に充満する血と肉の焼けた死の匂いに比べれば幾分かマシだった。
「だから外で待っておけと」
「いや、大丈夫です。すっきりしました。いや、嘘です。あの、神官の女の子、どうなるんですか。同じ女の子として、あの、乱暴されて、その、私、怖いっていうか、想像したらつらくて、ごめんなさい。私、魔王様の側近なのに」
「じゃあ泣くな。それにこの三人、なるべく苦痛の無いように効率的に殺されている。訓練された者たちの殺し方だ。凌辱はもっと凄惨な、むせかえる匂いがする」
それがあの世界での私の居場所だった。
「ここを仕切っている者に会いに行く。来るか」
「はい、魔王様」
「急ぐぞ、遅れるな」
私は血沼の中からまだ消えていない松明を拾い闇の奥へ進んだ。