第三話:魔王となり候
「おはようございます。魔王さん」
目を開けるとさっきのケモミミ少女が長い銀髪をかき上げ、また私の目を覗き込んでいた。三畳ほどの
立方体の部屋で、どこもかしこも灰色の岩石で出来ている。
「服、ちゃんと着るんだな」
「ちょっと、私が変な人みたいな言い方しないでください。あっちの世界に服を持って行けなかっただけです」
彼女は赤無地の半袖に鋲が打たれた革鎧を装備していた。真新しい革鎧とは対照的に、茶色の革ズボンはかなり履きつぶされているように見えた。
ふと自分の体を見ると、ここに来る前と変わらないあの埃っぽい道着のままだった。右手にはしっかりと白鞘の刀が握られている。
「私は大丈夫みたいだ」
「裸じゃなくてよかったですね」
「ああ、ところで魔王って言うのは私のことか?」
「あなた以外に?」
「私は井原鉄斎だ。その阿呆みたいな呼び方はやめてくれ」
「ま、魔王さんはアホじゃありません。それに呼び方じゃなくて、あなたは魔王さん、私たち魔族の王様です」
「魔王? 私はそんなこと聞いてはいないぞ」
「ええ、言ってません。いきなり魔王になってくださいなんて言ったらびっくりすると思って――」
私はとっさに刀を左手に持ち替え下段に構えた。
「あああああ、ちょっとやめてください。しーにたーくなーいよー」
「うるさい。説明しろ」
「じゃあ、とりあえずここから出ましょう。出口、低いですから頭に気を付けてくださいね」
この娘の気の持ちようはどうなっているのだろうか。もしや心を病んでいるのか……。
「ちょっと、私のことおかしい人だと思いませんでした? 思いましたよね。その顔、そうですね」
「心を読んだのか」
「やっぱり。そうです、魔族ですから。魔力は気持ち、魔法は願いです。私と話した人の感想なんて手に取るように分かるんですよ。だいたいみんな一緒ですから」
ケモミミ娘に少し同情しつつ石の部屋を出ると、足元が芝生に変わった。さっきまで狭苦しいところに暑苦しい娘と一緒にいたからか、見上げた空は無限の青をきらめかせていた。
そして外にはこれまた暑苦しい板金鎧を着こんだ、二本足で立つ獣の男たちが我々を取り囲んでいた。
「ま、魔王様ぁー。ご顕現―」
兎獣人の小柄な男がそう号令をかけると、獣男たちは手に持った武器で自らの鎧を一斉に叩いた。さっきの娘も私の後ろで、掌を革鎧にぺしぺしと打ち付けている。
「私はどうすればいい?」
「うーんと、今後のホウフとか?」
「魔王様! 私がお話いたします」
すっとんきょうなネコミミを遮って、チェインメイルに分厚い板金胸当てを装備した虎男が前に躍り出た。
「名乗りが遅れてしまいました、お許しください。私、魔族東部方面軍指揮および北部防衛要塞作戦司令、縞虎族のブランであります」
「私は井原鉄斎だ。ブラン君、私は何をすれば?」
ブランは筋骨隆々、縞模様の体を縮こませ「はっ」と短く答えた。
「魔王様は月夜神様からお力を賜ったはずでございます。いくつかの願いと我々の言葉、それと月夜の巫女の犠牲と祈りによって空を覆うほどの魔力が――ん? なぜお前が生きている?」
「あっ」
「えっ」
こういった気まずい沈黙は私の人生で初めてで新鮮であった。まるで死んだような空気だ。当の本人は特に気にしてはいないだろうが。
「私にはこの刀で十分だ。あと、私には政治が分からぬ。兵法もしかり。私はこの娘と共に戦場へ出る。私の好きにして構わないか? お前たちに悪いようにはしないつもりだ」
「ああ、えっと、このブラン承知いたしました。人間共が召喚した勇者の聖剣は二千の兵を一瞬で葬ったとの話もありますし、我々がおそばにいては迷惑でしょう。では、一つお願いがあります。前線へ出られる前にこの国の現状をご覧になっていただきたいのです」
「わかった。一応王としての職務は果たせということだな。では行こう。最も近い人間の街はどこだ?」
「私、ミーナ・ライラックが月夜の巫女として魔王様のおそばで仕えさせていただきます。一番近いのは、えーっと、そうですね、ここから真っすぐ北に行った辺境の街ですかね。私、馬車操縦できるんですよ。私が巫女でよかったですね。できるネコミミ女ですから。あ、これからはミーナって呼んでください。私は鉄さんて呼びますから」
そう早口でまくし立てた暑苦しいネコミミ少女、もとい月夜の巫女ミーナ・ライラックは長い髪を乾いた風になびかせ、将軍たちが乗ってきた簡素な馬車を拝借しに駆けて行った。