第二十八話:居場所
「うぉーりゃ!」
ミーナの純粋すぎる突きを右前に半歩踏み込んで躱す。勢い余った右手首から訓練用木製ナイフを叩き落とし、前のめりになったミーナの襟元を捉え、背負い投げる。
「まだまだ!」
ミーナは最小限の受け身を取ってすぐさま足払いを掛ける。見え見えの反撃だ。だが、ナイフを拾う目的なら間違いではない。
「むきゃー、どうして当たんないんですか」
「ミーナに一本取られるぐらいなら、ここに来る前に私は死んでいる」
足払いを避けた3歩分の距離。1歩、倒れるような体重移動で詰める。腰の木刀を居合の要領で中段に横薙ぐ。銀髪に括られたオレンジのリボンが視界の中を落ちていく。
ミーナの少し伸びた銀髪が落ち着く暇もなく、縮こまった体を斜め45度に発射する。木刀の柄で爆発的に迫るナイフを上に逸らす。
ばんざいの姿勢でミーナと向かい合う。獣臭い甘い匂いがする。
「今、胸かすりませんでした?」
「いいや、少し襟元が緩んでいただけだ」
「世界はそれを、かすったって言うんです」
「私の世界では違うな」
「寂しいこと言わないでください。約束のチューですからね。チューって、ちょっと」
一本とれば接吻するなんて、交わした覚えのない約束だ。そんなミーナをよそ眼に、まだ見えぬ目的地に目を向ける。いや、一本取られてはいないのだがな。
「外は恥ずかしいですか。わかります。でも、それはそれで」
「もう一度次のミッションとやらを説明してくれ」
「もう、いいですよ。寝てるときに襲いますから。シャイな彼氏を持つと困りますねぇ」
「何か言ったか」
「みゃっ、わ、分かりましたよ。はぁ」
私はミーナと2人である小さな町を目指している。
勇者に襲われてから1週間がすぎた頃、ミーナのもとにレジスタンスから過激派の情報が寄せられた。なんでも、魔族の生き残りを駆逐することを公約に掲げた町長が誕生したようだ。
レジスタンス曰く、前町長が魔族に融和的で魔族人口が増加したのと、干ばつによる不満が過激派の町長を誕生させる起因であったようだ。
「目的はあくまで偵察、視察、観察です」
ミーナは声を小さくして続ける。
「魔族の同志が危険な目にあっていればそそっと助けます」
「町長は殺らないのか」
「適宜、です」
こうも適当なミッションがあったものだな。まぁ、ゴブリン狩りや勇者狩りに比べれば幾分かマシであろうか。
砂を払い馬車に乗り込む。御者台で並んで座るミーナから水筒を受け取った。
「アリスちゃん、元気にしてるかな」
「さあな」
「心配ですか」
「メルロリーチェ、だったか。少しはな」
「どうして私には素直じゃないんでーー痛いです」
ミーナの猫耳の外側をグリグリする。アリスは辺境の街でゴブリンに襲われていた女、メルロリーチェの看病に当たっている。見習い魔法剣士のユーリも一緒らしいので、アリスの心配は必要ないだろう。被害者の彼女のことは自分で背負うと決めたアリスを信じるほかない。
「あ、見えてきました。ここが最後の宿場村です。明日の昼前には目的地に着けそうですね」
「おい、ミーナ、止めろ」
「最近、いっぱい名前呼んでくれて、ミーナはうれしいですよ」
「バカ、早く」
「うーっす」
ミーナはアゴを突き出していじけていたが、何かを感じ取ったのか、荷台から新調した大ぶりのサバイバルナイフとコンポジットボウ、矢筒を持って、馬車を降りた。私も12,000ゴールドの洋剣と同じ弓を持ってミーナに並ぶ。
「なにか、嫌な匂いがします」
「人が焼ける匂いだ。こっちが風下でよかったな」
「ゴブリン、でしょうか」
ゴブリン、か。彼らには凌辱を楽しむ趣味はないだろう。
「地獄の入口だ。帰ってもいいんだぞ」
「なにを今更、です。死んでもついて行きますから」
「死ぬな」
「好きです」
「死んでみるか」
「わ、分かりましたよ。気合入れますから」
ミーナは猫耳を撫でて、顔を叩き、弓に矢をつがえた。私は剣を抜きミーナより10メートル先行して進む。今のミーナの弓の腕では、これ以上離れると背中を撃たれかねない。
村まで100メートルぐらいのところだ。細く黒い煤柱が何本か立っている。
「匂いの割に静かですね」
ミーナが誰もいないと感じ取ったのか、通る声で話しかけてくる。
「そうだな、油断はするな。矢はつがえたままで来い」
私を追い越し先行したミーナが足を止める。
「こ、これはどういうことですか」
ミーナが見たのは、人間に殺された人間だった。
「魔族への不満なんてものは、単なるきっかけに過ぎないということだ」
「私には、分かりません。魔族が憎いのにヒト族同士で殺しあうなんて」
「殺しあう、か。本当にそう見えるか」
道端の骸は錆びた鎌を握りしめて事切れていた。背の低いゴブリンでは到底届きそうもない首元の傷跡に、ハエが群がっている。
「まだ生きてる人がいるかもしれません」
「やめておけ」
ミーナは目の前の民家の玄関口で泣き崩れた。そこにあったのは四肢を失い、死してなお弄ばれた親子の姿だった。
胸焼けのする地獄の光景だ。この世界にも私の居場所が用意されていた。
「ミーナ、お前は帰れ。ここはお前の居場所ではない」




