第十九話:宿屋事件
「ここか。入るぞ」
「え、もう行くんですか。ちょっと心の準備が」
「早くしないとミーナが何しでかすか、僕は気が気じゃないです」
私たちの目の前には、木造三階建ての宿屋が朝日を浴びて立っている。一応アリスとユーリに通りの市で買った鉄ヘルメットを被らせた。お揃いで兄妹のようにも見える。
「早くしないと馬車の延長料金が掛かる。さっさと行くぞ」
正面の木戸を勢いよく開いた。
「私は井原鉄斎、お前らの言う所の偽物の魔王だ。ミーナに用がある。通してくれ」
「ミ、ミーナはどこだ!」
「ちょ、いきなりすぎますよ。あ、なんかやばくないですか。やばい気がし――」
「アリス、私のエクスカリバーを使え。ユーリ、殺すなよ。一人殺せば、どちらかが全滅するまで終わらないと思え」
受付の裏から、いかにもなフードを被った大柄が手に柳葉状の剣を持って現れると、居合わせた宿泊客たちが荷物もそのまま命からがらの形相で私たちの横を走り抜けていった。
客のいない玄関は妙な緊張感に包まれた。誰もが誰かの視線に意識を尖らせる。その緊張を解いたのはユーリだった。
「紫電よ、我にまといて敵をほだす枷となれ――ウェアラブルショックボルト」
ユーリの鞘に入ったままのサーベルが静かに電気を帯びる。スタンガンのようなものか。
「ぼ、僕はこいつを何とか――」
「お先に失礼」
「頑張ってください」
何かもの言いたげなユーリを残して二階へ上がる。木の階段がきしんで音を立てる。
二階は食事場だろうか、広く間仕切りの無い部屋が一つあった。三階への階段はこことは対角の位置にある。
「ど、どうします。いっぱいいますね」
「アリス、背中は任せた。そのヘルメットを信じろ」
「わ、私そんな強くないですって」
「冗談だ。離れるなよ」
身軽そうなウサ耳の男が両手にナイフを持って飛びかかってくる。交差させた腕を同時に抜き放って繰り出される斬撃を、二本の剣筋が重なるタイミングを見切って鞘で弾く。重心が下がったところにすかさず大外に足を掛ける。
一歩前へ。今度は魔術士か。
「風のいたずら、雲は断たれり――風刃」
半透明に空気を歪めて三日月の刃が部屋を走る。それを居合に斬り裂く。消えずに残った旋風が木枠の窓をガタガタと鳴らした。
もう二歩前へ。屈強な熊男が拳に力を溜め突進してくる。
魔力強化か。正面で受けては吹き飛ばされる。刀を収め、腰を低く構える。体重が乗り爆発的に繰り出される右ストレートを左肩をそらして避け反転、引ききれない右手首を捕らえて背負い投げる。
背後で空が鳴る。左足を軸に回転、その勢いのまま鞘を引き抜刀、風を斬る。
さらに三歩。サーベルを持った二人に挟まれた。
「うおぉあぁぁぁぁぁ」
木剣エクスカリバーを振り回してアリスが威嚇する。余りの剣幕に気を取られた正面の牛男を、視線から逸らした意識外の剣筋で殴る。突然の衝撃を受け牛男は泡を吹いて倒れた。
今にも斬られそうなアリスを後ろ手に抱えて反転、左逆手に持った鞘で縦振りを受ける。競り合いになった相手の剣を上に弾き飛ばし、そのまま頭上で抜刀。サーベルを根元から叩き斬る。
「えくすくぁりぶぁぁぁぁぁあ」
呆然となった犬剣士をアリスがぶっ叩いて意識を奪う。
「やるな」
「はぁはぁ、ゴブリンよりマシです」
「大地めぐる風、草花は命を散らしたり――風刃乱れ斬り」
板の間に幾筋もの傷跡を刻みながら、風が斬りかかってくる。だがやることは同じだ。
一歩、また一歩。風を斬り落としながら魔術師へ迫る。肩で息をするイタチ女を鞘の尻で小突いた。
「これで全部か」
「急ぎましょう。窓から逃げたりしそうです。この人たち」
三階への階段は長く感じられた。
そこを抜けるとまた大きい広間だった。
「貴様、何のつもりだ」
「ミーナに話がある。通せ」
「これは魔族の話だ。よその世界の人間が首を突っ込む話ではない」
「お前たちが呼んでおいて都合のいいことを。お前らはみんなご都合主義なのか」
「人間に頼らなければいけない屈辱がお前に分かるか」
「知るか。この世界に来てまで戦争の駒にされてしまってはミーナに連れてこられた意味がない」
「ミーナが死んでお前が戦えば、魔族は、我々は再び人間共に牙をむくことができるのだ」
「知るか。推し通る」
「魔族の命運、断たれてなるものか。死なない程度に殺してやる」
この男、何とか司令のブランだったか。彼が刀を抜いた。




