豹人
豹人はカウンター席に座った。
両隣の席は空いている。
俺は店の主人の反応をうかがった。
馴染み客を相手にする雰囲気。
一応、アシントの様子も確認する。
奥の席で満足げに酒を飲んでいる。
豹人を強く意識している様子はない。
態度は悪い感じだが……。
豹人自体は見慣れている印象だ。
それは店全体にも言えた。
見慣れた著名人が来店したくらいの反応。
ただ、話しかける者はいない。
「さっきの禁忌の魔女の話が本当かどうか、本人に直接聞いてみます」
俺は同卓の男に言った。
男は笑って俺の肩から手を離した。
「若いのは度胸があっていいねぇ。さぁて、おれたちはそろそろ出るかな。今日はいつもより飲んだから、酔っちまった。外の空気が恋しいぜぇ……うぃぃ〜」
同卓の二人組が席を離れる。
二人は千鳥足で酒場を出て行った。
セラスのところへ戻る。
耳打ちを終えると、俺は銀貨を手にした。
「じゃ、行ってくる」
「何かあれば、すぐ割って入ります」
「荒事にするつもりはないが、いざとなったら頼む」
ここでのスキル使用はできれば避けたい。
こういう時に頼りになるのは、セラスの戦闘能力だ。
「頼りにしてるぞ」
引き締まった顔で胸へ手をやるセラス。
「お任せを」
俺はカウンター席へ足を運んだ。
豹人の隣に座る。
ハーブ入りの水を注文。
銀貨を一枚、豹人の前に置く。
「何か、奢らせてもらえませんか?」
豹人が視線だけで俺を見た。
やや黙ったあと、
「なんの用だ」
と尋ねてきた。
人語はいけるようだ。
よかった。
話は通じる。
豹人の声は力強かった。
その一方で落ち着きがある。
声質はそう野太くない。
通りのよい澄んだ声だった。
「あなたの噂を聞いて、一度お会いしてみたいと思っていました。僕はハティといいます。傭兵をやっています」
「イヴ・スピードだ」
名乗ったあと、しばらくイヴは凝視してきた。
「豹人を見るのは初めてか?」
「はい」
「その割に、あまり物珍しそうな反応をしないのだな」
迂闊な返答はできない。
どこで逆鱗に触れるかわからないからな。
俺はニコニコして言った。
「旅の途中で様々なものを目にしてきました。失礼かもしれませんが、豹人くらいでは驚きませんよ」
というか廃棄遺跡には人型の双頭豹の魔物だっていたのだ。
他にも合成獣っぽいのがわんさかいた。
あの魔物たちに比べれば驚きも少ない。
ブチィッ!
イヴが骨つき肉を豪快に噛みちぎった。
てのひらの油を彼女はペロペロと舐め始める。
その間も猫目はジッと俺を見ていた。
「いい食べっぷりですね」
「ふむ、野蛮人を見る目をしないか」
何か測られていた。
いきなり見せつけるようにあんな食べ方をした。
俺の反応を見たかったようだ。
「僕は上品な人間とは言えません。それに食事は形よりも、おいしく食べるのが一番です。ああ、そういえば血闘士って――」
「目的を、言え」
「…………」
「そなたは血闘士としての我に会いたかったわけではない。違うか?」
俺は困った笑みを浮かべる。
「バ、バレましたか……さすがですね……」
まあ、そういう空気はあえて出していたのだが。
むしろ気づいてくれてよかった。
「我にどんな用件だ」
ふむ。
聞く耳は持ってくれる、か。
恐る恐るの体で聞く。
「あなたは、禁忌の魔女の居所をご存じとのことですが……」
「魔女は金棲魔群帯にいる。この噂なら誰もが知っているだろう」
「あなたはその魔群帯の”どこにいるか”を知っていると、聞いたのですが……」
「くく」
喉奥でくぐもった笑いを鳴らすイヴ。
「そなたもひとり歩きした噂を信じ込んだクチか」
「ということは、例の噂はガセなのですか?」
「そうだ。確かに我は魔女がいるという金棲魔群帯へ踏み入ったことがある。しかし、禁忌の魔女に会ったことなどない」
「血闘士仲間に居所を知っていると話したとか」
「……我には二週間ほど魔群帯を彷徨った経験があってな。生きて戻れたのは、禁忌の魔女が魔法で助けてくれたのかもしれない――以前、確かそんな冗談を他の血闘士に言った」
「なるほど、その冗談が改変されて伝わっただけなのですね……つまりあなたは、禁忌の魔女の居所を知っているわけではない?」
「悪いが、その通りだ」
俺は肩を落とした。
「そう、ですか」
「期待にそえず悪く思う。が、それが真実だ」
イヴが肉を平らげる。
手を拭きながら、彼女は俺に尋ねた。
「なぜそなたは禁忌の魔女を?」
「探究心、ですかね? 僕の将来の夢は、学者なのです」
今日買った器具の一部を懐に入れておいた。
それを見せる。
学者志望がいかにも持っていそうな道具。
まあ、俺のイメージだが。
「このモンロイで傭兵を雇い、魔群帯の魔女に会いにいこうと僕は考えているのです。未知の植物なんかも、あるかもしれませんし――」
「やめておくことだ」
力強くイヴが遮った。
「あそこは人が踏み入って生き残れる場所ではない。ここウルザの血闘場で最強と言われている我ですら、半月で根をあげた場所だ。失礼を承知で言うが、そなたのような者では三日と生き残れまい」
俺は俯いて微笑した。
感謝の情をまじえて。
「イヴさんは、僕のことを心配してくれているのですね。ありがとうございます」
イヴが少し意外そうな反応を示した。
豹の顔でもけっこう表情がある。
「ふん」
呆れたようにイヴが息をつく。
「お人好しだな、そなたは」
俺は照れ臭そうに頭を掻いた。
「よく言われます」
確かによく言われた。
叔父夫婦に引き取られたあとの話だが。
「見たところ、そなたはまだ若い。命は大切にすることだ」
俺が置いた銀貨をイヴが手に取る。
彼女はそれを、俺の前に置いた。
「といっても……命を粗末にする代名詞のような血闘士の我が言っても、説得力など皆無かもしれぬがな」
そう言い残して、イヴは酒場を出て行った。
俺は銀貨を懐にしまって席を離れた。
イヴの消えた酒場の扉を眺める。
「…………」
少し、似てるかもな。
俺は背後の”彼女”に声をかけた。
「ミスラ」
「はい」
イヴとの会話中、セラスはずっとカウンター席の近くの柱に寄りかかって待機していた。
「出るぞ」
「はっ」
俺たちはそのまま酒場を出た。
少し歩いて、立ち止まる。
「さっきのイヴ・スピードの話、どう思う?」
ひとまず必要だったこと。
眉唾か否か。
最初に明らかにすべきはそこだった。
そう――
「彼女は、ウソをつきました」
”禁忌の魔女の居所を本当に知っているのか?”
この問いにイヴは”知らない”と答えた。
セラス・アシュレインはウソがわかる。
指示通り、セラスは近くの柱に寄りかかって俺たちの会話を聞いていた。
真偽を判断するために。
「否定することで、逆説的に証明してしまったわけだ」
つまり――
「イヴ・スピードは禁忌の魔女の居所を、知っている」




