その者の名は
「着替え終わりました、トーカ殿」
セラスが着替えを終えたようだ。
今、俺たちは黒竜騎士団の死体から離れた場所にいた。
まだ森の中だが。
俺は振り向いて言った。
「元の服は、悪かったな」
セラスは服の細かなところを整えながら言う。
「いえ、あの服は予備もありますから」
セラスの前の服は破かせてもらった。
破いた切れ端には血を付着させた。
染み込ませたのは騎士団の死体から得た血である。
血の染みた衣服の切れ端。
これを少し撒いてきた。
また、今いる場所と逆の方角に目印を残してきた。
セラスの靴で作った足跡と森の奥へ続く血痕を。
「すぐ見破られる確率は高いが、気休めの目くらましくらいにはなるだろ」
セラスが重傷を負ったように見せかける。
目的はそれだった。
”セラス・アシュレインは怪我をしているぞ! この出血ではそう遠くまではいけないはずだ!”
要はこう思わせたい。
怪我をしているという情報が広く出回ればもっといい。
探す連中は”怪我をしている人物”に目がいく。
「さて、今後の方針だが……俺はあんたを連れて予定通り金棲魔群帯へ向かう」
セラスが出立の準備の手を止める。
「本当に、よいのですか?」
「言ったように、あんたを助けた理由は護衛の必要性だけじゃないからな。あんたさえよければ、こっちの問題は何もない」
セラスはここから少し食い下がった。
俺に累が及ぶのをやはり危惧しているようだ。
「…………」
シビトたちの死はそのうち外へ伝わるだろう。
が、セラス一人でやったと思われるだろうか?
多分、想像力のあるやつは協力者の存在を考える。
シビトの件はいずれ女神の耳にも入るはずだ。
俺の存在に行き着く可能性だってある。
例の調査隊から何か報告が上がっているかもしれない。
廃棄遺跡に変化があった、と。
三森灯河の生還もいつかは気づかれる。
少なくとも行動はその前提で組み立てるべきだ。
希望的観測はなるだけ避けたい。
備えあれば憂いなし。
最悪の事態は、常に想定しておきたい。
「ん?」
遠吠え?
狼、か?
死体に集まってきたのだろうか。
ふむ。
獣にとっては死体も食料。
死体が食い荒らされてボロボロなら、死因がぼやけるかもしれない。
ミルズ遺跡の”異変”を思い出す。
毒スキルによる死は奇怪に映るらしい。
が、死体の損傷が激しければそう映らないかもしれない。
つまり状態異常スキルの隠れ蓑になる。
女神に気づかれる確率を下げられる。
できるだけあの場は急いで離れたかった。
なので、死因を偽装する余裕はなかった。
しかし結果として獣が偽装工作をしてくれそうだ。
舞台がこの森だったのは、僥倖かもな。
さっきと同じことを俺は手早くセラスに言い含めた。
方針を変えるつもりはない、と。
セラスがついに折れる。
「わかりました。トーカ殿がそう言うのであれば、これ以上その件については何も言いません。その代わり――どうかこの命は、お好きに使ってください」
胸に手をあてるセラス。
誓いを立てる騎士みたいなポーズだ。
元々、忠義に生きる騎士とかに向いてる性格なのかもな……。
セラスが荷物の準備を終える。
「では、先を急ぐとしましょう。五竜士にはまだ”勇血殺し”が残っているようです。噂だと”人類最強”をいずれ越えるかもしれない逸材とも聞きます。血を好む好戦的な性格で、他の五竜士も手を焼いていたとか――」
訝しむ顔をするセラス。
「……トーカ殿、どうしました?」
俺は口もとに手をやる。
「五竜士の騎乗していた竜ってのは、他の黒竜とサイズが違ったよな?」
「え? は、はい……」
記憶を引っ張り出す。
「多分だが――もう、潰してる気がする」
「え?」
「あんたのいた場所へ来る途中、他の黒竜を墜としてきたって言っただろ? その中に、俺を見るなり襲いかかってきたやけに好戦的な竜騎士がいた。そいつの黒竜が他より大きかったんだ。ちょうど、さっき殺した五竜士の騎乗竜と同じくらいの大きさだった。鎧の感じも、他の竜騎士とは違ってた」
名はわからなかった。
しばらくは副長だったと思っていた。
グリムリッター。
確かシビトがそう呼んでいた。
シュヴァイツとやらの息子なのだったか。
思い返せば、あったかもしれない。
シュヴァイツの面影が。
「あの男がその”勇血殺し”で、ほぼ間違いないと思う。だから、もう五竜士の心配はしなくてもいいはずだ」
そう。
やれたのだ。
他の四人の五竜士までなら。
魂喰いより楽な相手だった。
相手が”勇血殺し”であろうとも。
つまるところ”人類最強”こそが、唯一にして最大の障害として降臨した。
あいつだけは、仕掛けるしかなかった。
騙し討ちするしか、なかった。
セラスが脱力する。
「ではあなたはあの”勇血殺し”すらも、あっさりと倒してしまっていたのですか……」
「らしいな」
準備を終えた俺たちは森の中を歩き出した。
灯りは使わなかった。
人がいるのを知らせる目印になってしまう。
まあ、視界は確保できている。
闇に慣れた目。
月の光。
廃棄遺跡と比べれば大分マシだ。
「ピッ♪ ピッ♪ ピィ〜♪」
ピギ丸はいやに上機嫌だった。
さっきはセラスと再会を喜び合っていた。
彼女と合流できて嬉しかったのだろう。
なんというか、微笑ましい光景だった。
「そういや例の聖王の実態は、あんたの認識とかなりの齟齬があったみたいだが――」
歩きながらセラスに尋ねる。
「ネーアにいた頃、その王への違和感はなかったのか? ウソがわかるんだろ?」
「時おり王が何かウソをついているのは感じていました。ですが、ウソは姫さまも日頃からついていましたし」
セラスが懐かしむ顔をする。
「姫さまに言われたのです……自分はセラスにウソをつくことがあるけれど、ウソの中には優しいウソもある。偽りすべてが悪意とは限らない、と」
なるほど。
賢い姫さまだ。
セラスの力はウソの内容までは感知できない。
真か偽か。
判定できるのはそこまで。
ウソ発見器みたいなものだ。
なら、予防線を張ってしまえばいい。
優しいウソという予防線を。
自分のウソはあなたのためを思ってついているウソなのだ、と。
ならばウソをついていると気づかれても問題ない。
ネーアの姫さまが善人かどうかはわからない。
話を聞く限りだと善人っぽい感じだが……。
ま、聖王のセラスへの気持ちも”悪意”とは言い難い。
セラスが実態に気づけなかったのも、仕方なく思えた。
「そういえば、姫さまのことはいいのか?」
セラスが頷く。
やや寂しげに。
「今の私はアライオンの女神から快く思われていないはずです。今回の黒竜騎士団の一件もありますし――ですので、私が接触すれば姫さまにも悪い影響が出るでしょう」
「まあ、そうかもな」
「私は国を見捨てた逃亡者……そう思われていた方が、ネーアにいる者たちの身は安全なはずでず。姫さまの身も」
「その姫さまは、それもすべて承知で?」
「はい」
セラスが服の胸もとを少し開いた。
胸もとから首飾りの宝石を取り出す。
「姫さまからいただいたものです。向こうでは、私が盗んだことになっているはずですが」
ネックレスっぽい感じだ。
「これを売って路銀にしろと姫さまに渡されたのですが……どうしても、売ることができませんでした」
「で、路銀を稼ぐ必要があったわけか」
「はい。自分でも愚かだとは思っています。もちろん足がつかぬよう、王家にゆかりのある品ではありませんが」
セラスが微笑む。
ただ、声には泣き出しそうな気配があった。
「姫さまがくださったこれを、私はどうしても手放すことができませんでした」
「好きだったんだな、姫さまのこと」
「はい」
セラスがネックレスを胸もとにしまい直す。
彼女はしみじみとした顔をしていた。
確かに愚かなのかもしれない。
が、責める気にはなれなかった。
おかげで、俺はセラスと出会えたようなものだしな……。
「ところで路銀といえば、例の金貨300枚は手に入ったのか?」
「……いえ」
「俺の方針としては、あの侯爵は無視するつもりだ。無闇に痕跡を残したくない」
あの侯爵が、黒竜騎士団を潰した相手を追ってくるとも思えないしな。
「はい、私もそれがよいかと。ただ……路銀の足しを作れず、申し訳ありませんでした」
「問題ない。俺には金貨や銀貨もけっこうある。それに、ほら」
懐から小袋を取り出してセラスに放る。
「――っと? あの、これは?」
「開けてみろ」
「……っ!? まさか、す、すべて青竜石……なのですかッ!?」
「まあな」
「あなたは本当に、何者なのですか……」
「シビトに伝えた通りだ」
「復讐者、とおっしゃっていましたね?」
セラスの声が強い真剣味を帯びた。
「禁忌の魔女に会うのは、その復讐に必要なことなのですね?」
「ああ」
セラスとの旅は途中まで。
復讐を果たすまでの仲間ではない。
だから、話す必要はないと思っていた。
足を止めるセラス。
「誰への復讐、なのですか」
立ち止まる。
俺は振り向き、復讐する者の名を告げた。
「女神ヴィシス」




