ミスト・バルーカスの申し出
ミストの正面に移動する。
「あんたができることなら、なんでもするのか?」
ごくっ
ミストが唾をのむ。
彼女は、少し困ったように視線を逸らした。
「ひ、ひとまず……何をお望みか、おっしゃっていただけますか? 実際にできるかどうかは一度、望みを聞いたあとに考えさせていただけると――」
「ほら」
「え?」
竜眼の杯を差し出す。
不思議そうな顔のミスト。
「あ、あのっ」
「やるよ」
ぐいっと押しつける。
ゆっくり、手を離す。
「あっ」
両手でミストが杯を掴む。
「ハティ殿、この杯の対価としての望みは――」
「別に、望みはない」
「いえ、わ、私の沽券にかかわります! 荷物持ちでも食事係でも、護衛でも、なんなりとおっしゃってください!」
なんなりと。
あくまで気持ちの強さを表明するための言葉。
実際、本当に言葉通りなんでもするわけではない。
いや……。
相手を信用しているからこそ口にできる言葉、とも言えるのだろうか。
「あんた、先を急いでるんだろ? ま……とはいえ睡眠は適度に取ることだな。気を抜くと倒れそうな顔してるぞ」
俺は背を向けた。
「じゃあな」
「お待ちください! 必要ないといっても、いくらなんでも無償というのはあまりにも……っ」
「ハティ・スコルは反吐が出るほど甘い男なんだよ。おまけに心も優しいときてる。特に、美人にはな」
「う、嘘ですっ」
「ひどい言いぐさだ」
「すみません。ですが……」
ああ、そうか。
この女、大抵の嘘を見抜けるんだった。
息をつく。
「俺の目的は、竜眼の杯じゃないんだよ」
「竜眼の杯では、ない?」
「ああ」
床を指差す。
「目的はこの下にいる魔物だ」
「新層は、竜眼の杯のあるここまでだと思っていましたが……」
「とある場所で過去の偉人が残した文献を見つけた。文献の情報によれば、この下には今の俺に必要なモノを持つ魔物がいる。で、ちょうどここの攻略募集の時期と上手く重なったわけだ」
口もとに手をやるミスト。
「そういう事情でしたら、多少は頷けますが……いえ、しかし――」
「今の俺は金に困ってるわけじゃない。だから、どうしても竜眼の杯が欲しいわけじゃないんだよ」
他にもあえて手放す理由はある。
竜眼の杯はあの侯爵が血眼になって探していた代物だ。
功労者として歓待でもされたら面倒である。
この女もちょうど金が必要みたいだしな。
押しつけるにはちょうどいいだろう。
記憶から『禁術大全』の表記を呼び起こす。
大賢者のメモ。
祭壇と竜人の石像。
この二つのある部屋。
メモ通りなら、この部屋に隠し階段があるはず。
屈んで祭壇の裏を調べる。
この辺に、出っ張りがあるはずなんだが……。
お?
あった。
この出っ張りを押しながら、左回りに――
「あの」
「ん?」
まだいたのか。
俺は一度、立ち上がった。
「どうした?」
「ここよりも下の層へ、向かうのですよね?」
「あー……侯爵には黙っててもらえるか? アレコレ聞かれると説明が面倒くさい。竜眼の杯を渡したんだから、それくらいはしてくれていいだろ?」
「わかりました」
「ところであんた、異変の話は聞かなかったのか?」
「耳には入れました。ですが、むしろ好機かと思いまして」
そっちのパターンだったか。
「あの剣虎団が新層へ入らずに引き返してきた話が遺跡内で広がって、かなりの数の傭兵が地上へ一時的に戻ることにしたようです」
剣虎団とやらの影響力はすごいようだ。
「ハティ殿」
「ん?」
ミストが胸に手をあてる。
「せめてこの私に、護衛をさせていただけないでしょうか?」
「……何?」
「荷物持ちでもかまいません。それに未知の領域となれば危険もあるはずです。剣士として、腕に覚えはあるつもりです。お見受けしたところハティ殿は術式使い……であれば、精神疲労度の問題は避けられぬはず。ですが剣士がいれば、術式の使用回数が減り精神疲労度を抑えられます。ご安心ください。決して、足手まといにはならないと誓います」
詰め寄ってきたミストが見上げてくる。
ズイッ
「いかがでしょうか?」
精神疲労度。
MPは現地だとそう表現されているのだろうか?
ただ――MPの心配は皆無に等しいのだが。
「…………」
「あ――も、申し訳ありません」
勢い余って詰め寄りすぎたと感じたのか。
気まずそうに身を引くミスト。
「ですが、やはり竜眼の杯を無償でいただくわけにはいきません」
ミストが床に転がる竜頭へ視線をやる。
「見たところ、ここを守っていた魔物もハティ殿が倒したようですし……」
「欲しい素材があれば、あの頭の部位は好きに持っていっていいぞ」
「そ――そういうことではなくてですねっ!」
「この先は一人で行きたいと、俺がそう言ったら?」
「私の気がおさまりません。せめて、何かさせてください」
睡眠不足で判断力でも鈍っているのだろうか。
「先を急いでるんだろ?」
やや思案するミスト。
「竜眼の杯の報酬を得られれば、路銀の問題が一気に解消されます……今後の旅も一気に前進するでしょう。それを考えれば、数日くらいの遅れなど問題ありません」
引き下がる気配はない。
頑なな態度。
恩義に厚い性格なのだろうか。
さて、どうしたものか。
信頼できる相手――だとは思う。
積み重ねてきた信頼関係も一応はある。
…………。
剣士、か。
近接要員がいる状態で戦闘するとどうなるか?
少し試してみたい気はするな。
この世界の情報をアレコレ聞くチャンスでもある、か。
ピギ丸は空気を読んでか、息を潜めている。
それに……。
「条件を出しても?」
「はい」
「基本、俺の個人的な事情に踏み入る質問は避けること。あくまで俺たちは、護衛と雇い主の関係だ」
「承知しました」
「それから俺が一日で地上へ戻るとは限らない。だから、あんたが一人で上へ戻ることになっても俺は責任を持てない。それでもいいなら――護衛を頼む」
ミストの顔に安堵が浮かぶ。
「ありがとう、ございます」
すぐさま彼女は表情を引き締めた。
声は落ち着きを取り戻している。
「この身にかえても、必ずやハティ殿をお守りしてみせましょう」
やはり目の下の隈が気にかかった。
よく注視すると、顔色もよくない。
相変わらず寝不足なのだろうか。
「…………」
あのスキルで一度、どこかで軽く眠らせた方がいいかもな。




