帰還後の世界
◇【高雄聖】◇
荻十学園2年C組。
修学旅行での移動中、突然バスが土砂崩れに巻き込まれた。
他のクラスのバスは無事で、巻き込まれたのは2年C組のバスのみであった。
また、現場の状況からかなり激しい土砂崩れであったと推測されている。
以下は現場状況からの推察である。
”天候の急変により土砂崩れが発生”
”雪崩れのような土砂が直撃し、バスが押し流された”
”コントロールを失ったバスはそのまま崖から転落”
”幸いそこまで崖の高さはなかったものの、だいぶ斜面を流された”
”バスは窓なども割れ、乗員の多くは外へ投げ出されている”
幸いだったのは、負傷者がゼロに近い点であった。
土や泥で制服が汚れたり破損している者もいたが、ほぼ無傷。
バス運転手も、教師も。
生徒も。
”このレベルの土砂崩れでこの程度の負傷で済んだのは奇跡に近い”
誰もがそう思うほど、ひどい土砂崩れであったようだ。
ただし――
その奇跡は安否の確認された人間の話である。
そう、生徒の中には行方不明者が出ていた。
行方不明者は七名(出席番号順)
戦場浅葱
小山田翔吾
苅谷幾美
佐久間晴彦
広岡秋吉
三森灯河
安智弘
彼らも土砂崩れに巻き込まれたとされ、現在も捜索が続いている。
また、現場にはいくつか不可思議な点があった。
一つは大半の被害者が土砂崩れの前後を覚えていない点。
どんな風に土砂崩れが起こり、巻き込まれたのか。
説明できたのはごく一部の者だけであった。
”おそらくショックによる一時的な記憶の混濁だろう”
この見解が、最も多くの理解を得た。
他にも――報道はされていないが――不可思議な点が一つ。
桐原拓斗という生徒の近くに破れた衣類が散乱していた点。
布地は破損もひどかった。
そのため原形は留めていなかった。
桐原拓斗は学園の制服を着た状態で発見されている。
ただし彼の制服は他の者と比べ、かなり着衣が乱れていた。
”元からその山肌に捨てられていた衣類の切れ端ではないか”
しかし衣類の生地は、まだそう古びていなかったのである。
けれども桐原拓斗はその衣類について、
”自分のものではない”
そう答えている。
つまり彼が修学旅行に持参した荷物に含まれていた衣類ではない。
これが不可解な点として残った――と、そう報告されている。
保護された教師と生徒、バス運転手はそのまま病院へと運ばれた。
検査を受けた者のすべてが特に異常なし――問題なしと判断された。
生徒たちはその後肉親らと再会し、それぞれの家へと戻っていった。
当初この件は報道やインターネット上の記事、SNSで少し話題になった。
が、この痛ましい災害の話題はすぐに世間から消え去ることになる。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった人気タレントの覚醒剤所持による逮捕。
人気動画配信者による不同意わいせつ動画のネット流出と、拡散。
前者は繰り返し報道され、各所記事の紙面を大きく飾った。
後者は主にSNSで”炎上”。
多くのネット記事や動画サイトが続々と取りあげた。
当然この両者の”事件”はしばらく各所の話題をかっ攫った。
報道メディアもネットも――濃淡の差はあれど――何度も取り扱った。
そう、まるで土砂崩れの話題を押し流すような絶妙なタイミングで。
数日間、世間はその二つの新鮮な”強い”話題で持ちきりだった。
これはそのタレントと動画配信者の影響力の大きさを物語っている。
二人は世間からすれば”まさか!”の人物だった。
この人ならまあ……と思われる人物だと話題性の爆発力はない。
けれど”まさかこの人が!?”となると、話題性は一気に膨張する。
しかし何より恐ろしいのは――
そのような話題でさえ一週間もすれば、下火となっていくことだろう。
人々は、すぐに忘れる。
あまりに、忘れっぽい。
だから一週間以上も前に起きた修学旅行中の土砂崩れ――
世間的には今やそんな話はもう、忘れ去られたに等しかった。
つまるところ世間上の”事件”などそんなものだ。
大衆とは”興味”という野次馬値とそこへぶつける”感情”で動く。
当事者や関係者でない限りそれらが薄まれば関心などあっさり失う。
真剣なようでいて――真剣ではない。
ざわめく感情は一時の嵐めいたもので、大抵、いとも簡単に過ぎ去る。
けれどもゴシップ的心理とはそういうものであり、それが”自然”である。
だから新たに湧いた”興味”と”感情”をぶつけられる”次”が現れたなら、自然とそちらへ移動していく。
まるで、蝗のように。
▽
荻十学園2年C組の修学旅行中に起きた土砂崩れ。
行方不明者の死体は、今も発見されていない。
しかしその捜索もいずれ打ち切られるであろう。
そして”真相”を知る者たちにとっては、心苦しくもある。
彼らの死体など出てくるはずがないのだから。
今、この世界に彼らは存在していない。
けれど当然それを伝えるわけにもいかない。
伝えられようはずもない(仮に伝えてもまず信じてはもらえまい)。
だから――捜索を続けてくれている人々。
あるいは彼らの無事を祈る身内の者たち。
日々、高雄聖は彼らに対しある種の申し訳なさを感じてもいる。
高雄樹が聖のベッドの上に背中から倒れ込み、言った。
「実はさー……今もアタシ、微妙に実感みたいのが湧かねーんだよなぁっ。なんか逆にこっちが異世界みたいな感じが抜けねー、っていうか……変な話さ、向こうに召喚された時の方がもっと平然としてた気がすんだよなー」
ここは高雄家の聖の部屋。
両親は今、家にいない。
父親は単身赴任中で、たまにしか戻ってこない。
母親は共に生活しているが今は買い物に行っている。
なので現在、この高雄家には姉妹二人のみである。
家でこういった話をする際は、念のため二人きりの時に限っていた。
デスクを背にし椅子に座る聖は、微笑む。
「そのうち馴染んでくるわよ、こっちの世界に」
夕暮れ刻。
薄いレースのカーテン越しに、橙の光が室内へ差し込んでいる。
樹が身体を起こし、
「桐原は、大丈夫そうだな」
「その前に……はしたないわよ、樹」
「別に姉貴に見られたところで、アタシはいつも通り気にしないぜ!」
言って片膝を立て、スカートの裾をくいっと摘まんで持ち上げる樹。
「そういう話ではないのだけれど……まあでも、桐原君の件についてはそうね。召喚前に比べて精神が微妙に不安定な風にも見えるけれど、あっちの世界の記憶がある様子ではない。それは、わかる」
というより、不安定なのは桐原拓斗だけではない。
他の生徒も今は精神に負荷を受けている様子だ。
これは仕方あるまい。
クラスメイトが七名も行方不明のままなのだから。
しかし時間が経てば記憶や感情も薄れ、癒えてゆくだろう。
確かに異常な忘れっぽさは国民性だが――時には、それが強みにもなる。
また、記憶については四人ともちゃんと保持されていた。
他に記憶の残っている節のある生徒もいない。
日数は、こちらの世界ではまだ1日しか経過していなかった。
つまり召喚された日の翌日、救助が来た計算になる。
いや、もっと正確に言えば24時間すら経過していない。
大半は救助直前まで気を失っていた。
最も早く意識を取り戻したのは、高雄聖。
そして、聖が意識を取り戻した約二時間後には救助が来ている。
「あのさー姉貴……桐原の向こうの世界の服のアレはさ、辻褄合わせみたいのが起きたって理解でいいんかな?」
「おそらくはね」
帰還時に多分、辻褄合わせの”世界改変”が起こっている。
「てか、どうなんかなー? 今まで考えなかったけど、向こうで過ごした日数は1日じゃ済まないわけじゃん? 向こうの世界で過ごした時間分、アタシの身体って歳取ってんのかな?」
「並行世界の理論に則れば、私たちは召喚前の世界とは別の並行世界に飛ばされた――そう考えることもできるでしょうけど、その辺りはどうなのかしらね。あの有名な玉手箱の話と少し構造は似ている気もするけれど、肉体年齢の齟齬や差についての計測は難しい気はするわね」
樹がサイドポニーの先を指で弄り、
「髪は……向こうの世界だとちょっと髪切るの忘れてる感じだった男子とかも、召喚前の長さに戻ってたよな? ってことは、肉体年齢もやっぱ召喚された日から一日くらいしか経ってないんかな?」
「さっきも言ったとおり、解析は難しいかもしれない。ただどうあれ――桐原君の服の件を考えれば、なんらかの世界情報の書き換えのようなものが行われたのは、確かだと思う」
スキルは、やはり失われていた。
ステータス補正も同じ。
もちろんステータスウィンドウなど出せない。
記憶以外は”元通り”と言ってよい気がする。
ステータス補正を失った違和感は、最初だけだった。
たとえば宇宙から地球へ帰還した時に感じる重力。
その時に覚える違和感に、感覚的には近いのかもしれない。
もちろん宇宙から帰還した経験など、ないけれど。
他にはスマートフォンの映像や画像もやはり消滅していた。
聖はそれを検証するため帰還前に異世界のそれらを保存していた。
灯河やロキエラはそれを認めてくれた。
高雄聖であれば問題ないだろう、と。
(信頼されたものね)
樹が、ベッドの上であぐらをかく。
「アタシらのクラス関係の報道が一気に下火になったのは、やっぱあの辺のスキャンダルとか炎上が出てからだよな? でもそこら辺は、その世界改変ってのは関係ねーよな?」
「だと思う」
「本家の連中ってさ……そんな力もあんの?」
「いえ――今回は、青志摩の力ではないと思うわ」
高雄姓は、聖の父方の姓である。
青志摩は、母方の旧姓。
また、青志摩では家を出て姓が変わった者を”分家”扱いとする。
これは、一般的な本家と分家の概念とはやや形を異にしている。
「それにほら、メディア方面は基本的に属性が表の世界だからね。マスメディアは特に。だから他の家に助力を求めたとしても……ベースが裏の世界である以上、青志摩にその領域は荷が重い」
「じゃ、やっぱ偶然かー……」
「……私は、十河さんの方じゃないかと思ってるのだけれど」
「え? 綾香?」
ちなみに樹は帰還後、十河綾香を名前で呼ぶようになっている。
「正しくは十河さんの身内、じゃないかしら」
「あ、そっか……綾香ん家って、でっかいグループ企業の創業一族だっけ? そういや綾香って生粋のお嬢様なんだよなー。アタシはなんか、まだ古武術勇者の印象の方が強くって……」
えへ、と照れたみたいに笑う樹。
「娘……あるいは孫娘のことでメディアにあまり騒ぎ立てられたくない……そう感じた身内がいた可能性はある。話題を”上書き”するには、投入のタイミングが絶妙すぎた。私は――作為を疑っているわ」
あれは、非常に巧みだった。
実に自然かつ的確なタイミングで行われた。
あれは、世間の関心が適度に燻り始めるタイミングだ。
そこへあのビッグスキャンダルに、告発系の暴露炎上。
人々の意識から最も忘却されやすいタイミング……。
二つの話題はそこを狙いすまして投じられた――と、聖は見ている。
「まあその辺りは十河さんを通して確認してみないことには、だけれど」
日常に戻ってから綾香とも何度か会話はしている。
ただ、踏み込んだ会話はまだあまりしていない。
それこそ、今話していたような内容は。
話したのはバスの運転手や、バス会社についてくらいか。
不幸中の幸いだったのは今回の件が、
”土砂崩れに巻き込まれた”
そう書き換えられた点だろう。
自然災害に巻き込まれた場合、運転手の過失にはならない。
突発的な災害なら、なおさらである。
運転手や被害を受けたバス会社ついては十河綾香が、
”悪いことにはならないように、私が働きかけてみる”
そう言っていた。
あの十河グループ会長の孫娘なら、その有言実行も現実的に思える。
(その点で言えば、十河さんが記憶を保持して帰還したのはよかったのかもしれないわね)
「じゃー今度アタシ、綾香にそこ聞いてみよっかなー」
こういう時、樹の率直さを羨ましいと感じる。
今の自分は気兼ねしてしまい、そこを話題に出しにくい。
以前より妙な気を回すようになった……気もする。
(私も……変化があったといえば、変化があったのかもしれないわね。さて……)
机の上のスマートフォンを手に取る。
メッセージアプリの通話機能を使い、コール。
「あれ? 姉貴、誰にかけんの?」
「身内の探偵……あるいは、情報屋さん」
「……蜜流さん?」
「そう」
青志摩蜜流。
彼女は聖の従姉妹にあたる青志摩本家の人間である。
電話が、繋がる。
「お久しぶりです、蜜流さん」
▽
通話は25分ほどで終わった。
予定では10分くらいで済ませるつもりだった。
しかし結果は、倍以上の時間がかかってしまった。
通話が終わるのを黙って待っていた樹が、はぁ、とため息をつく。
「やっぱ話し出すと長ぇーな、あの人は……でも話聞いてた感じだと、引き受けてくれるっぽい?」
「デートと引き換えだけれど」
「え? そんなやり取りあったっけ……? あ……姉貴がなんか渋々要求を受け入れたっぽかった、あの時か?」
樹が膝を抱えて丸くなり、達磨みたいにごろごろベッドの上を転がる。
「あーもう! アタシの姉貴だぞーっ!?」
「あの人も私なんかじゃなくて、ボーイフレンドの一人くらい作ったらいいのにね」
「…………」
「何?」
「あ、いや……アタシの周りだと”ボーイフレンド”なんて言い方するの、姉貴くらいだなーと思ってさ。あ、それが悪いわけじゃないよ!? 姉貴っぽいっていうか、逆に古風でいい感じっていうか……」
「ああ、今だと”パートナー”の方が主流かもしれないわね」
「え……そ、そうなん? いや普通に……カレシとか、彼ピとか……」
「か、かれぴ?」
聖にとってそれは、未知の突飛ワードであった。
なので思わず、微妙に戸惑ってしまった。
「お、姉貴の珍しい反応……」
(……ボーイフレンドって、死語なのかしら? いえ……)
今は”死語”というワード自体、そもそも死語感があるのか。
なんだか変な話ね、と聖は面白く思う。
「まー蜜流さん、昔っから姉貴のこと好きだもんなー」
「私は適度に世間と隔絶しているから、たまに話すと楽しいんですって」
「”適度に隔絶”って……なんか文章的に、矛盾してねーか? 相変わらず読めねーっていうか、変な人だよなー」
などと、樹は言っているが。
あの蜜流唯一の弱点が高雄樹なのも、また面白いところである。
――面白いといえば、もう一つ。
以前より蜜流と話しやすくなった気がした。
あるいは蜜流側に変化があったのかもしれない。
しかし、やはり大きいのは自分側の変化ではないかと聖は思う。
ヴィシス……戦場浅葱――――三森灯河。
あの怪物たちと関わったことが、大きいのではないか?
おかげで以前ほど蜜流を”怪物”と感じなくなった気がする。
視線を落とし、淡く微笑む聖。
(確かに……彼らの方が、よほど怪物だった気がするわね……)
とりあえず、と聖は話題を戻す。
「行方不明中の三森君の両親は――青志摩のツテと情報網を使って、捜してもらえることになったわ」
達磨ポーズを解き、樹が起き上がる。
「もし死んじまってたら、それはそれで安心かもだしな」
「調べて明らかにすることに意味がある、というわけね」
(そして……)
スマートフォンの画面を見つめる。
そこには、つい先日登録したばかりの連絡先が表示されている。
三森灯河の叔父の連絡先。
アポイントメントはもう取ってある。
当初は電話で済ませようかとも思っていた。
しかし彼の叔父の方から、
”もし聖さんがよければ、うちに来てもらいたい”
そう望まれた。
だから明日、直接会うことにした。
▽
翌日、高雄聖は三森家の玄関前に立っていた。
手首を上にし、腕時計で時間を確認する。
時間はぴったり。
一拍置き、チャイムを押す。
(……不思議なものね)
ふぅ、と聖は細く息をつく。
(あの王城でヴィシスに不意打ちを仕掛けた時でも、こんなことはなかったのに……どうやら私、少し緊張しているみたい)




