新しい朝に、鳥は鳴く
空間が、裂けた。
それらは、ヴィシスを取り囲むように出現した。
周囲に空間の亀裂――裂け目が、開く。
「うぅぅううううッ……く、くそ……」
なんとか逃れるすべを探ろうとしているのか。
ヴィシスは忙しなく周りをキョロキョロ見ている。
が、テーゼがいる以上――不可能だ。
今までの光景を見ていれば、俺にもそれはわかる。
「!」
赤、黒、緑、青、紫、白、黄……。
裂け目の向こうの空間は多様な色が蠢いていた。
まるで鈍く発光する無数の微生物みたいに。
マーブル色の空間から、何かが吐き出される。
激しい嘔吐にも似た決して綺麗ではない光景。
セラスはその不気味な光景を見て冷や汗を流し、
「あれは……腸……?」
ヴィシスの周囲に現れた裂け目から吐き出されたもの。
それは人間の腸を長く繋ぎ合わせた縄――みたいな。
いや、実際に腸ではないのかもしれないが……。
――その腸の縄が、ヴィシスを拘束していく。
ヴィシスは腕を刃に変化させ抵抗しようとする。
刃はひどく不格好な形で、決戦時と比べるとあまりに頼りなかった。
そして抵抗もむなしく――ヴィシスは、拘束される。
「ぐぅうッ!? よ、よせッ……や、やめろ……やめろ……やめろやめろやめろやめろぉぉおおおおおおおお――――――――ッ!」
腸の縄が動き、ヴィシスを仰向けに引きずり倒す。
「ぐっ!?」
すると突如――
ヴィシスの真下に、これまた亀裂と同じマーブル色をした岩が現れた。
薄いオムライスみたいな形をした岩だった。
なんとなくだが今のヴィシスは……
俎上――岩のまな板の上にのせられているようにも、見える。
当然、拘束されているのでヴィシスは動けない。
それでもどうにか逃れようともがいている。
しかし、腸の縄は揺れ動くもののまったく千切れる気配がない。
ヴィシスは首に腸の縄が巻き付いたままなんとか顔を上げ、
「テ、テーゼ様――助けて! 助けてください! お願いします! せ、せめて……消滅! どうか、ご慈悲を! 消滅を……ッ!」
「…………」
「こ、心を入れ替えると言ったのに……ひどい! 嘘でもないのに! 助かりたくて必死なのだから当然でしょう!? ふ――不公平! 限りなく……理不尽ッ! 誰もが耳を疑うほど、これは公正ではありません! 序列二位の立場にありながら、は、恥ずかしいと思わないのですか!? ロキエラに――ヒトにばっかり、肩入れして!」
「…………」
しかしテーゼは、答えない。
応えない。
決定は――覆らない。
ヴィシスもそれを悟ったか、
「ク――クソ……クソがぁぁあああああ゛あ゛! 死ねクソババアッ! ふざけやがってどいつもこいつもッ! ゲロゴミのクソガキどもに、アホカスの神族どもがぁぁあああああ゛あ゛ッ! 放せぇえ! 放せ放せ放せ放せぇぇええええぇィイヤだぁぁぁぁあああああああ゛あ゛――――ッ!」
数秒間――
ヴィシスはぎゃあぎゃあ喚き、呪詛をまき散らした。
しかし多くの者は――ヴィシスの真上。
上空を、見ている。
「…………なんだ、あれは?」
蛇。
何匹ものマーブル色の禍々しい巨大な蛇が絡み合い、蠢いている。
蛇とは違うが――そう、ウナギ。
籠いっぱいに詰め込まれた生きたウナギの映像を見たことがある。
あの蛇版の光景がそのままヴィシスの上空に現れたみたいな。
そんな、感じだった。
蛇たちは、目だけが空洞になっていた。
さながら虚空の深い洞穴。
ホラー的といえば、そうかもしれない。
ヴィシスはカッと目を見開き、その肌に大量の汗を滲ませていた。
異様な光景だった。
色味も。
状況によっては、マーブル色というのは。
こんなにも不気味で――おぞましいと、感じる色なのか。
「な、なんで……」
震える声で、ヴィシスが言った。
「なんで私だけが――――こんな目に」
……それは。
違うだろ、ヴィシス。
おまえだから、そんな目に遭ってるんだろ。
しかし俺はそれを口には出さない。
ヴィシスが――俺の方へ顔を向け、睨みつけてきた。
「こ、これで満足か……このゲロゴミのクソガキがぁぁああああッ!?」
「……………………」
俺もテーゼと同じく――答えない。
応えない。
声をかけてきたということは。
リアクションを求めている、ということ。
だから俺は。
無感動な表情でただ静かに、ヴィシスを見据える。
見届ける。
時に、何も反応しないことが最大の拒絶になる。
侮蔑と、なる。
メキィと、ヴィシスはヒビが入るほど歯を食いしばった。
その目は屈辱と憎悪で痛々しいほどに血走っている。
が、何かに気づきヴィシスは素早く上を向いた。
おそらく、上空の蛇に変化があったからだ。
「――――ッ!」
どろり、と。
蛇の舌から、マーブル色の滴が垂れた。
腸の縄の締め付けが強くなり、ヴィシスは一切動かなくなる。
否、動けなくなった。
そして――ジュゥッ、と。
滴がヴィシスの腹に落ちると、蒸発めいた音がした。
ヴィシスの腹に”穴”が、空いていた。
「ぎ……ぎぃぃぁぁああああああああああああああああ――――ッ!」
なんというか……ごっそり腹部だけが消滅した、とでもいおうか。
空いた穴の周囲――断面は、マーブル色の異空間になっている。
ロキエラが言った。
「あの滴が、ああやって次元の狭間にある浄化回廊まで少しずつ対象者を”小分け”にして転送していくんだ。一説によると……あの滴をその身に受けた時に発せられる悲鳴は、想像を絶する激痛のためとも言われているし……己がこの次元から消滅していくという、筆舌に尽くしがたい恐怖のためとも言われているらしい」
……なるほど、な。
蛇たちの舌を伝って、順番に、滴が垂らされていく。
落ちる先にある腸の縄は器用に動き、スペースを空ける。
滴が続々と接触し、ヴィシスの身体の部位を次々と”消滅”させていく。
「ぎゃぁぁぁぁああああああああッ!? あぁぁああああああああああああぁぁぁぁああああああああ――――――――ッ!」
滴を垂らした蛇は、役目を終えたとばかりに消えていく。
一匹ずつ。
痛みなり恐怖なりで完全に余裕を剥ぎ取られたのか――
ヴィシスも、もはや絶叫しか上げていない。
そうして……残りが、一匹になった頃。
ヴィシスの身体はもう、顔半分しか残っていなかった。
「ち――ちく……しょぉ……この、私……が……こ、こんな……末路、なんて……、――ぃ、嫌……」
最後の方のヴィシスが放つ感情はもはや、悔しさから、絶望に変化していた。
「こん、な……結末は……嫌……ぃ、ゃ――」
最後の一滴が、落ちる。
「ぁあああ゛あ゛ああああああああああああああああああああああああああああ――ぁ――――――、――――」
最後の滴が、ヴィシスの残った半分の顔に落ちたあと。
たとえばそう――突然、配信が途切れたみたいに。
女神の悲鳴はぶつりと消え去り、そして…………
残っていたヴィシスの半分の頭部も、最後の蛇と共に消滅した。
すると、マーブル色の岩も消えていく。
さらに腸の縄も、空間の裂け目へと引き戻されていく。
そして最後に……腸の縄を吸収しきった空間の裂け目が、閉じた。
ヴィシスを浄化回廊へ送るための一切が、この場から消え去った。
広場には、どこにでもある朝の空気が漂い始める。
誰もが――しばらく、声を発さずにいた。
どこかで鳥が呑気に鳴いている。
空気は清冽で、空は澄んだ青に染まり出していた。
緩く穏やかな風が吹き――優しく前髪を揺らす。
俺は空を見上げ……その明るさに、ゆっくりと目を細める。
世界に、朝が訪れた瞬間だった。




