魔女
「その人物が詳しいと思える根拠を聞いても?」
「かつて”禁忌の魔女”と呼ばれた人物がいました。禁忌の魔女の名は、ご存じですか?」
「いや」
魔女、か。
「彼女はこの世の禁忌に関する膨大な知識を持っていたために危険視され、住む土地を追いやられたと聞いています」
それで”禁忌”と呼ばれた、と。
話しぶりからして伝聞の体か。
確定情報ではないようだ。
だとしても、貴重な手がかりではある。
「仮に会いに行くとしたら、どこを目指せばいい?」
「大遺跡帯はご存じですか?」
「初耳だ」
「その大遺跡帯という場所のどこかにいるのではないか、と言われています」
「確定ではない?」
「はい、あくまで噂の域は出ていません」
「ここから遠いのか?」
「北上すれば辿りつけます。ただ――」
女が一瞬、言葉に詰まる。
彼女から伝わるもの。
成立性の低さ。
「魔女のところへ辿り着くのは、困難かと思われます」
「理由は?」
「大遺跡帯は別名”金棲魔群帯”と呼ばれています」
次々と聞き慣れない単語が飛び出す。
当然だ。
俺はこの世界の知識がないに等しい。
なので何もかもが新鮮な単語となる。
そう考えれば仕方ない面もある――のだが。
初出の覚える単語が多すぎる。
濁流のように脳内へドッと押し寄せてくる。
あとで一つ一つ、暇な時にでも整理し直そう。
「名前から察するにそこは、広範囲の魔物の生息地帯か」
「はい。この大陸の中央に位置する危険地帯です」
「そうか」
魔女はそこへ身を隠した、と。
危険地帯として指定されている領域。
言い方からして大陸の共通認識と思われる。
が、逆に世の中の目から身を隠すにはもってこいの場所か。
「わかった。貴重な情報、感謝する」
ゲージに目をやる。
もう数分で【パラライズ】が切れる。
この女は信用できそうだ。
が、効果が切れた途端に襲いかかってくる確率もゼロではない。
クソ女神も最初は慈愛に溢れた女神を装っていたしな。
「…………」
この辺りが潮時、か。
「他に何かありますか?」
「十分だ。助かった」
女が苦笑する。
「これで貸し借りなし……とは、さすがにいきませんよね。命を救ってもらった恩返しと考えると、対価としては不十分――」
「いや」
「え?」
「今ので貸し借りなしでいい。今の俺にとっては、十分すぎる情報だった」
人里へ到着する前にこれだけの情報を得られたのは僥倖だろう。
「これから俺たちはここで別れる。それでいいか?」
「は、はい。あなたが、よろしいのであれば」
義理堅さがうかがえる。
よくも悪くも実直にすぎる印象。
さぞ生きづらいだろうと、いらぬ心配をしてしまうほどに。
誰かに似ている。
…………。
ああ、そうか。
叔母さんか。
人がよすぎてこちらが心配になる。
少し、似ている。
叔母さんの存在が、善人の実在を俺の中で担保している。
「じゃあな」
「あの、この動作阻害の術式は――」
「身体が動かないその”術式”は、あと数分もすれば自動的に効果が切れる。その間、身の安全は保障できないが」
先ほど俺は”スキル”と口にした。
が、女は術式と認識しているようだ。
「わかりました。もう少しすれば解除されるのですね」
疑念を抱いていない……。
真偽を見極める手段を何か有しているのは、ほぼ確定か。
「あんたは話が早くて助かる」
「あなたは何か、急いでいる風でしたから」
ゲージを気にしているのも感じ取っていたらしい。
「俺の方に合わせてくれたわけか。気が利くな」
「恩人ですので」
「あんたみたいな人間は嫌いじゃない。ま、不意打ちをかけておいてこんなことを言えた義理でもないんだが……一応、道中の無事を祈っておく」
身を翻して別れを告げると、俺はその場を離れた。
少し歩くと、ピギ丸がローブの中から姿を現す。
「ピ」
「ん?」
「ピユ?」
「あの女は見逃すのかって?」
「ピ」
緑に変化。
「俺への悪意は感じなかったしな……こっちの質問にも的確に答えた。俺への殺意や害意がなければ痛めつける理由もない。俺は別に虐殺が趣味なわけじゃない。無意味な殺しはしないさ。俺は、俺のルールに則って殺すだけだ」
「ピムピム……」
ピギ丸の突起が上下運動する。
ふむふむ、と頷いている感じだ。
「とはいえ動けるようになったあの女が追ってくる可能性も否定できない。背後への警戒は引き続き頼む……頼りにしてるぞ、相棒」
シュバッ
敬礼っぽい角度を作り、ピギ丸が緑に変色。
「ピッ!」
まあ、甘さがまじったのは否めまい。
仕方ない。
実の親に似ているならいざ知らず。
叔父夫婦と似たものを感じた相手には対応にも一考の余地がある。
これも俺のルール、か。
当然、ルールには特例も存在するが。
▽
途中で小さな水場を見つけた。
湧水でできたものだろうか?
「……ここで軽く、身体を洗うか」
ピギ丸に見張りを頼んで水場に近づく。
透き通った水。
水面に自分の顔が映り込んだ。
人相が前より悪くなった気がする……。
実の父親の言葉がフラッシュバックする。
『気味の悪い目をしやがるガキだ』
いや――元に、戻っただけか。
あるいは元々こんな顔だったか。
水を手で掬う。
生水。
飲み水としては避けるべきだろう。
とはいえ、水は確保しておきたい。
何かの役には立つだろう。
俺は空のペットボトルに水を汲んだ。
次に服を脱ぎ、畳んで水辺に置く。
制服の一部を破いて作った布きれを手に持ち、足を入れる。
肌寒い気温でないのは幸いだ。
木漏れ日を見るに、まだ日は暮れていない。
肌を水に晒すなら今のうちだろう。
張りつめていた神経が、緩んでいくのがわかる。
カサッ
葉擦れの音。
緩みかけた神経が、一瞬で引き締まる。
腕を気配の方へ突き出す。
「あ――」
「……あんたか」
先ほどの金髪の女だった。
女は草むらから踏み出した姿勢で停止している。
ただ――さっきの鎧や装具が見当たらない。
肩に麻袋を担いでいる。
あれに入るサイズではなかった記憶があるが……。
さりとて捨ててきたわけでもあるまい。
俺たちはしばし見つめ合った。
女がヌルリと、視線を逸らす。
「……失礼、しました」
女が頭を下げた。
「この水場、あんたも使うつもりだったのか? 俺は身体を乾かしたら、すぐ出発するが――」
「いえ大丈夫です。どうか、お気遣いなく」
女は踵を返すと、そのまま林の中へ消えて行った。
水辺に戻り、布きれでサッと身体を拭く。
かなりサッパリした気分になった。
「ピ……ピィィ……」
草むらから平べったくなったピギ丸が出てきた。
ノロノロ近寄ってくる。
「ん? どうした?」
「ピュュゥゥ〜……」
落ち込んでいるのか?
どこか申し訳なさげでもある。
俺はその理由に思い至った。
「もしかして……あの女が近づいていたのを察知できなかったことに、責任を感じてるのか?」
「ピィィ……」
ゆったりと緑に変色するピギ丸。
俺は屈み込み、ピギ丸に手を伸ばした。
「ピ……ッ」
小突かれると思ったのか。
覚悟を決めた反応をするピギ丸。
フニフニ
俺はプルプルした表面を優しく撫でた。
「ピ?」
「気にするな。手を抜いてたわけじゃないだろ?」
「ピ! ピ!」
なのに、ピギ丸が気づけなかった。
女が去った方角を見る。
やや気が緩んでいたにせよ、俺もまったく気づけなかった。
何より、ピギ丸は俺より周りの動きや音に敏感だ。
そのピギ丸が警戒していても察知できなかった……。
あの女には”何か”ある。
「さっきの女は何か、音とか気配を消す手段を持っている気がする……おまえが気づかなかったのも仕方ないさ」
ふむ。
思えばあの四人組は、それでもあの女を追跡し続けられていたわけだ。
おそらく優れた能力の持ち主たちだったのだろう。
「ピ、ピ、ピィィ」
ピギ丸は必死に謝っている風だった。
思わず微苦笑が浮かぶ。
「だからそんなに責任を感じるなって。安心しろ、こんなことで相棒を解消したりしねぇよ」
ピンク色になったピギ丸が足に擦りついてきた。
「ピィィ〜♪ キュィィィ〜……♪」
とりあえず、元気になったようだ。