通る道
ニャンタンは息を呑む。
――ここまで。
ここまで、先を見越すものか。
見越そうとするものか。
「もちろん、だからといってここで想定できるのは”痺れを切らしたヴィシスがどこかの段階で、今までいたであろう王の間を離れるんじゃないか”くらいだ。例の黒い玉を使って想定以上に自身を強化してるかもしれないし、王の間を離れたタイミングによっては、むしろこっちにとって悪い方に転がる可能性だってある」
ロキエラが、
「だとしても、ヴィシスなら決戦用に特殊な強化術式くらいはその場に刻んでるはずだからね。その場から引き剥がせるだけでもかなり大きいと思う。ボクもヴィシスと同じく強化術式――神の刻印関連には詳しいからさ。時間をかけて定着させたであろう術式の有無が与える影響の予想はつく。戦うにしても――それがあるのとないとじゃ、やっぱり違うよ」
確かに何もかもこちらの思惑通りヴィシスが動くわけでもあるまい。
それでも――王の間から引き剥がせるだけでも十分、ということか。
ロキエラが腕を組み、
「で……トーカとしてはこっから、どう動くつもりなの?」
「まだ未合流の――分散してる仲間を可能な限りヴィシスとの戦いの場に集められれば、と思ってる」
「確かに最低限の合流はできたけど、迷宮化のおかげで数が揃い切ってはないもんね……アヤカちゃんや、タカオ姉妹も」
「……ま、その三人が必ず無事って保証もないがな。特に、十河は――」
トーカはそれ以上言わず、このあとの目標に話を変えた。
「それを踏まえて一応、俺たちが目指す場所は決めてる」
彼は一旦、迷宮の出口――王の間を目指すつもりらしい。
この辺りについてもロキエラから以前、説明を受けていた。
”終了地点は迷宮の中心に設定される”
ならば、位置的に王の間辺りが出口でほぼ間違いあるまい。
そして、
”最初に設定された終了地点に突入側の誰かが辿り着かない限り、概念魔法は解除できない――されない”
つまり誰かが出口に辿り着けば、迷宮は消え去る。
トーカが王城の方を見て、
「ヴィシスが王の間を離れたなら、出口には格段に辿り着きやすくなるはずだ。障害があったとしてもせいぜい聖体を残しておく程度だろう。もちろん途中で遭遇したら、迷宮状態のまま戦うことになるが……」
迷宮化したままだと思うように残る味方が合流できないかもしれない。
ニャンタンはここで、決断をくだした。
「わたしから一つ、提案があります」
▽
わたしは知っている。
この城で長らくヴィシスの傍に仕えていたのだから。
迷宮化しても王城の構造自体は変わっていない。
そして――きっとこの突入組の誰より王城内の構造を把握している。
ヴィシスが城を出る時、日頃どのような経路を選びがちだったか。
逆に最も使わない経路はどこか。
”最も使わない経路”
裏を掻こうとそちらの経路を使うかもしれない。
では、その”中間”ならどうか?
中途半端に使ったり使わなかったりだった、いくつかの経路。
その”中間”の経路なら、ヴィシスは”最も選ばない”のではないか。
”追い詰められた時、人の思考は極端へ走りやすい”
ならば”最も使う”か”最も使わない”かの二択説は、説得力を持つ気もする。
ニャンタンはトーカに、
『この”中間”の経路を行けば……ヴィシスに遭遇せず、王の間に辿り着ける確率は高い気がします』
これには――トーカも、納得を示してくれた。
さらに彼はもう一つ、ヴィシスが選ぶ経路について推測を口にした。
『狙い通りヴィシスが不安の真っ只中にいたなら……その時、無意識下でどこを目指すか――自分が窮地に追い込まれた時、それを乗り越えた場所を目指す……これは、あるかもしれないな。言い換えれば、直近の成功体験のあった場所を選ぶ……なくもない、気はするが……』
女神の天敵に等しかった大魔帝の邪王素。
この邪王素の影響下で反逆の勇者を”乗り越えた”場所……
『そう……脅威と化した高雄聖を”乗り越えた”場所。無意識にそこを目指し――通るのは、一つ想定として入れておいていいかもな……』
経路の想定。
『もしタイミングが合えばそこでヴィシスを待ち伏せもできる……いや――様々なものがまだ不確定なこの状況だと、ひとまずそこを目指す方針でいいだろう』
もちろん逆側の裏手の門から出て行く場合もありうる。
トーカたちとの遭遇を避け、逆方向へと逃亡する場合である。
それならそれで、ヴィシスを追いつつ遭遇者からの合図を待つ流れになる。
トーカは、そう語った。
『ただ……無駄に上から人を煽りたがる傾向からして、ヴィシスはプライドが高すぎるきらいがある。そんな人格の持ち主だと、これ以上の逃げは精神の方が耐えられない気もするんだが……』
トーカはこう読んだものの、
『とはいえ常々言ってるように、何ごとも絶対はない。俺もやっぱり、確率を高める以上のことはできないからな。今回も、その場その場で最善と思える手を信じて打ち続けるしかない』
”全員まとまって動いた場合、王の間に辿り着く前にヴィシスと遭遇するかもしれない”
この場合、残る味方との合流が敵わず決戦突入になるかもしれない。
でなくとも、かなり遅れるかもしれない。
しかし――二手に分かれればどちらかは辿り着くはず。
そうなればきっと、合流を早められる。
トーカたちは”成功体験の場所”経路で王の間を目指す。
途中で、ヴィシスと遭遇する確率が高いことを想定して。
一方のニャンタンは、別経路で王の間を目指す。
途中で、ヴィシスと遭遇する確率が低いことを想定して。
これがニャンタンの提案であった。
反応からして皆には一定の理解を得られたらしい。
ただ――トーカだけが、微妙に乗り気でない様子だった。
理由は、
『……あんたはニャキの”ねぇニャ”だ。ニャキのことを思うと、な。あんまり危険なことをさせるのはと――そう思っちまう。あぁ、自分でもわかっちゃいるさ。それでも、ニャキとリズのことになるとどうもな……俺は、甘さが出る』
ありがたく思いながらもニャンタンは、
『その気遣いには感謝します。ですが、ここに来ている誰もが同じ条件のはず。誰もが大切な何かを失う覚悟をしてここにいる――わたしやニャキだけが、特別でいいはずがありません』
『……ぐぅの音も出ないな』
ニャンタンはこの時ちょっとだけ、笑ってしまった。
それは不意に出た笑いだった。
常に自信と確信に満ちているように映るあの蠅王が。
やり込められたような反応をしたのが、少し意外で。
そして自分から出たその笑いはきっと――嬉しかったから、なのだろう。
そのあと”ニャンタンについていく”と名乗り出た者たちがいた。
イヴ、ジオ、ロキエラの三名である。
『ニャンタンを止めぬなら、我がついてゆくのも止めはしまいな? そうだな……仮に我ら側がヴィシスと遭遇した時は、誰かが盾となり、残った者がトーカたちの経路を目指すとしよう。つまり目論見が外れた時はヴィシスをその場所へ連れてくる――これでよいな?』
『王の間に聖体が残ってるかもしれねぇなら、戦力は多少積んどいた方がいいだろ。それに……イヴやオレは足こそ速ぇが戦闘の方はもう万全じゃない。移動力を活かす方が役に立つ』
『気休め程度だけど、ボクなら他の神族が近くにいればわかる。本当に近い距離だけどね。ただ、その気配から離れるように行動すればヴィシスと遭遇する確率を低くできると思うよ。それと……あとのことを考えたら、ニャンタン側にボクがいた方がいいんじゃないかって思うんだ』
トーカは若干の躊躇を見せつつ、彼らの提案を受け入れた。
そして現在――
「到、着」
王の間から続く王が使用する部屋――”出口”にて、ロキエラが言った。
ニャンタンたちはヴィシスに遭遇せず――目標地点に、到達。
「とりあえずこっちは、上手くいったみたいだね」
薄れゆく迷宮の壁を見て、ロキエラは言った。
「あとは――そっちが上手く運ぶことを祈るよ、トーカ」
■
一方――――ヴィシスの絵画が飾られたその”成功体験の場所”は。
迷宮の侵蝕が消え去り、王城としての元の姿を取り戻していた。
「…………、しかし――だから、どうだと……この局面で得意げに、迷宮を消したからといって――――」
青筋を浮かべるヴィシスの視線の先。
最終蠅王装の手から――光を帯びた玉が、落下した。
それは、迷宮の現出が未想定だった時点では使用される予定だった。
が、
”神創迷宮は音を吸収する”
そのため、今まで使用ができなかった。
否――使用しても、無意味だった。
離れた場所にいる者同士の連絡手段として想定されていた魔導具。
アライオン十三騎兵隊との戦いにおいても使用されたその魔導具の名は、
音玉。
そして迷宮が消え去った、この今ならば――
音が、通る。
床に落ちた音玉が強烈な光――大音を放った。
鳴り響く音によって示す合図の内容は違う。
どの音が何を意味するかは、事前に取り決めてあった。
そして今、この場で鳴った音が示すものは――――
―――――― ヴィシス、遭遇の合図 ――――――