残言
一方、ヴィシスも無闇に動けずにいた。
あのクソ蠅は並の敵ではない。
これは――不本意だが――ヴィシスも認めている。
一手間違えればそれが命取りに繋がりかねない相手。
言葉――感情でこそ絶対的虫けらのように思ってはいても。
本能と情報では”強敵”と理解している。
当然だ。
自分の未来がかかっているのだから。
この局面で向こうの力量を甘く見積もる意味は、ない。
…………待て。
この時、ヴィシスの中に一つの疑念が生まれる。
(あの蠅王装の中身……そもそも――)
トーカ・ミモリなのか?
神徒の視界を通して見た時、ミモリはあの装束を着ていた。
仮面も。
状態異常スキルも使用していた。
だから”中身はミモリである”という先入観があった。
本人に直接色々言ってやりたくて、その前提で認識していたのもある。
しかし……冷静に考えてみれば、中身が違うという説は決して弱くない。
仮面はいわずもがなだが……。
後期蠅王装は、前期蠅王装と比べてゆったりした装いである。
つまり中身の体格差――男女差の見分けもつきにくい。
ヴィシスは急速に周囲への警戒を強める。
が、すぐにドッと胸の奥で警告音が鳴った。
(……逆か?)
あえて中身を、ミモリ以外だと思い込ませる狙い……?
いや、もしそうだとして――だからなんだ?
どうせ禁呪を通さねば状態異常スキルに存在価値はない。
中身がミモリかどうかなど些末な問題ではないか。
――本当に些末か?
あの男がまったく無意味なことをするだろうか?
復讐の旅の目的を前にした、この決戦で?
(……分身を攻撃に出して、せめてあの蠅王装を切り裂くことができれば……中身はそれで、簡単に確認できる……しかし――)
安易に分身を動かしてもよいものか。
(いや……こういう思考にさせることで私を躊躇させ、時間稼ぎをしている? 時間を稼いで何か狙っているとすれば……あまりここで足踏みするのも、愚策……)
状態異常スキルを使ってくれれば話は早い。
使用した時点で中身がミモリだと確定するのだから。
しかし【女神の解呪】の存在は知られている。
中身を隠したいなら、ここで使用してくるはずがない。
(ちっ……ガキ、がぁ……ッ)
「――――――――」
ここで、はたと気づく。
(……あぁ)
なぜこれを忘れていたのか。
口もとがニヤリと変形する。
今限定でなら、自分は愚昧の二文字を受け入れてもいい。
(やはり冷静さを失していた……反省、ですねぇ)
”加護情報の表示”
あの時キリハラとの会談でやったように。
ヴィシスは勇者本人以外で唯一、自らウィンドウを強制表示できる。
これで中身がトーカ・ミモリかどうか判別できるではないか。
そして、
(この距離……強制表示の効果範囲内にある……ッ!)
スッ、と手を前へ向ける。
薄闇の向こうの、蠅王に対して。
――――ステータス、強制表示――――
「……ふっ」
ヴィシスは、微笑んだ。
ステータスウィンドウは出ない。
そして強制表示は、確かに実行されている。
「…………」
ヴィシスの微笑は――やや、引きつっていた。
できればこちらの目は出て欲しくなかった。
無事ウィンドウが表示され、中身がミモリだと確認したかった。
いや……強制表示を実行して何も出ないなら、中身はミモリではないのだ。
どころか、勇者ですらない。
これが”答え”でよい――はずである。
が、
(何か……小細工をしている線もありうるのか? そういえば、向こうにはロキエラがいる……)
あれも本来、戦闘型の神族ではない。
自分と同じ学究型とでもいおうか。
たとえば。
聖眼など謎の多い古代兵器にも興味関心が強かった。
強制表示のこともロキエラならもちろん知っている。
本来の力が出せぬとはいえ……。
何か入れ知恵なり小細工なりを打ったかもしれない。
飄々としているが、一応あの地位にまでのぼり詰めた女神なのだ。
元から大嫌いだしドブスではあるが――並外れた能力は、確かにある。
(……ちっ)
出た結果通り、
”あの中身はミモリではない”
私は本当に、そう考えてしまっていいのか?
「ぐっ……」
不味い。
思考が完全に、堂々巡りの迷宮と化してきている。
(くそ……がぁああ……)
◇【鹿島小鳩】◇
鹿島小鳩は、王城手前の物陰で待機していた。
彼女はここに残り、王城突入組には加わらなかった。
ちなみにほぼ戦闘不能に近い狂美帝。
彼の護衛として残ったチェスター・オルドも一緒である。
小鳩の目の前には、ステータスウィンドウが表示されている。
これは、小鳩のステータス表示ではない。
(三森君の、ステータスウィンドウ……)
もう一人――――
勇者本人とヴィシス以外で、ステータス表示に干渉できる者がいる。
固有スキル【管理塔】を持つ、鹿島小鳩。
ウィンドウの情報は非表示状態にあり、ステータス情報は表示されていない。
当初、このステータスを隠す機能になんの意味があるのか理解できなかった。
これについて過去に戦場浅葱に話した時、彼女はこう言った。
『あーそれは……ほら、あれぢゃね? 小鳩の固有スキルってさ、みんなのウィンドウを移動させて、ずらっと自分の前に並べたりできるじゃん? もし世界線が違ってポッポちゃんが有能キャラだったら、そのホログラフィックウィンドウちっくな表示をいくつも並べて、SF系の司令官ばりに色んな指示を出したりするのが本来の使い方だと思うんよね。まあポッポが頭ポッポだから、あんま意味ない機能になってるけど』
『でも……表示を隠す機能の存在意味って、なんなんだろう……』
『視覚情報――視覚による認識情報の処理ってさ、思った以上に疲れるもんなのよ。スマホの見過ぎとかでも言われる脳疲労ってやつ。あと、部屋に物が多い人なんかも日頃から視覚情報過多で脳が疲れやすい、なんて話もあるくらいでさ。逆に、部屋に物をほぼ置かないミニマリストなんかは脳が疲れにくい、なんてことも言われるね。いや……いつも同じ場所に同じもんが配置してあれば、疲れなくなっていくんかもしれんけど――まあともかく一般的には、集中したい時ってのは余計な視覚情報は少なければ少ないほどいいわけ。ほら、ごちゃごちゃしてるサイトとかソシャゲのインターフェースって、なんか見てるだけでドッと疲れるっしょ? つまり人間って、目を閉じるだけで実はかなり脳疲労を軽減できるのよ』
『?』
『いやだからさ……ずらっといくつもステータス表示が並べてあると、視覚がごちゃって判断能力が落ちたりするわけぢゃん? つまりその機能は、今見なくてもよさそうな情報を非表示にして、必要な情報だけに集中しやすくするための機能なんじゃねーの、って話。パソゲーとかでもたまにあるのよ、ごちゃついてる画面のUIの一部を非表示にできたり――あー……ポッポにゃ、この喩えだとわかんねーか』
喩えは確かによくわからなかったけど。
自分の固有スキルは”ステータス情報を隠す”ことができる。
この機能を灯河に話した時、
”クソ女神の強制表示にも効果があるなら、組み入れてみたい能力かもしれない”
こう言っていた。
さらに彼は、
『聖や十河の話を聞く限り、どうもヴィシスは勇者のスキルを自在にコントロールできない印象がある。あのクソ女神は日頃から自分が与えた力のように吹いてたらしいが……実は召喚の儀を執り行えるだけで、ステータスそのものやスキルには干渉できないのかもしれない』
自在にコントロールできない――つまり、干渉の程度が低いのなら。
ステータスを強制表示する能力をヴィシスが持っていたとしても。
必ずしもそれが勇者のスキル――小鳩の固有スキルを優越するとは、限らない。
灯河は、こう分析していた。
『もしヴィシスの干渉が勇者のスキルに優越するなら……話を聞いた印象からすると、聖や十河、桐原にあそこまで手を焼いていない気がするんだ。もっと言えば、圧倒的な干渉の優越があるなら、俺の状態異常スキルをそこまで警戒する理由もないんじゃないか――ってな。ま……この予想が外れてヴィシスの強制表示の方が優先される場合は、こっちの手札が一枚減った状態でやるしかない』
(三森君の予想通り……もし、わたしのスキルがヴィシスの干渉に”優越”するなら……)
三森灯河のステータス表示は――今この場以外に、存在しない。
「…………」
あの時――死に際に。
浅葱が小鳩に、耳打ちした時。
『おまえの固有スキルな――ちょっと離れてると視力的に表示が見えない時があるからって……おまえ、自分の方に他の勇者連中のウィンドウ……移動させたりしてただろ?』
小鳩はこの時、そんな状態でする話ではないと思った。
だからかすれ気味の小声で、
『浅葱さん今、そんなことっ――』
『すぐ済むから聞けって』
『……う、うん』
『三森は多分……おまえの固有スキルでステータス情報を隠してヴィシスとの決戦に挑むつもりだ。いや、アタシは信用されてねーから作戦の中身は知らねーよ? けど……蠅王の衣装をたくさん用意したり、あのゆったりした動きにくそーな最終形態蠅王みたいな格好からして……中身を隠して、なんかやるつもりなんだろ』
浅葱はそこまで読めていたらしい。
『けどウィンドウそのものが表示されなければ、ヴィシスはもっと迷う』
『え?』
『情報が見えなくても、ウィンドウが表示されてりゃあ”勇者の誰か”だってのはわかるからな……一人分”勇者の枠”を消費しちまうわけだ。けど……ウィンドウそのものが表示されないなら?』
『あっ……』
中身が勇者かどうかすら、わからなくなる。
『……おまえの固有スキルは、出しっぱなのを忘れても問題ないくらいMPを消費しない。だからヴィシスと三森が戦ってる時、スキル使用状態で自分のとこにずっとウィンドウを”強奪”しとくくらい、わけねーだろ。ま……ヴィシスちゃんがそれを無効化するほどの干渉力を持ってたら、無意味な策だケド』
王城突入前、小鳩は灯河にその話もした。
灯河にとって最も重要なステータス情報はMP。
しかしこの決戦でMP確認が必要になる局面は考えにくいという。
また、仮に必要になれば灯河が表示をオフにし、再びオンにすればいい。
そうすれば灯河の前にウィンドウが表示される。
灯河は――戦場浅葱の話を下敷きにしたその案を、採用した。
当初は”ステータスを隠す”だけだった策。
これが”ウィンドウそのものを隠す”策へと変わった。
突入前、小鳩は三森灯河のウィンドウを自分の前方に移動させた。
このまま灯河がウィンドウ表示をオフにしなければ、
(ヴィシスが強制表示を行っても……ヴィシスは、ウィンドウを確認できないかもしれない……)
三森灯河がこれをどう作戦に利用するのかまではわからない。
だけど――わたしは、わたしにできることをする。
(おこがましいかもしれないけど……できれば、あなたの分まで)
浅葱さん。
(……ステータス情報を非表示にする機能がついてる意味のこともだけど……わたしにはこんな使い方、思いつきもしなかった)
小鳩は両膝をついて座っていた。
浅葱のことを思い出し、微笑む。
「…………」
あの時――耳打ちされた時、浅葱は最後にこう囁いた。
”アタシが伝えるより……あとでおまえの口から伝えた方が、三森も信用するだろ……今おまえだけに話したのは、そういうこと”
「やっぱり――」
ぽたり、と。
小鳩の膝の上に、一粒の涙がこぼれた。
「すごいね、浅葱さんは」




