思い出の場所
◇【女神ヴィシス】◇
(ようやく少し、落ち着いてきた……)
迷宮内を走るヴィシス。
現在地はまだ――王城内。
(ゲロカスどもはすでに城内に侵入している……そう考えるべきだろう)
そのカスどもは分散して移動しているだろうか?
(……違うな)
分散させる強みはない。
合流した連中はひとかたまりになっているはず。
手分けして自分――ヴィシスを見つけたとして。
さすがにそれで勝てると思うほど愚かではあるまい。
いや……心根は愚かなのだが生き汚さ――小賢しさはある。
賢ぶっている以上、小賢しさの想定はしなくてはならない。
そう、存在そのものが恥さらしのような人間であっても……。
局所的な悪知恵だけが妙に働く人間というのは、存在する。
ヴィシスは思考を引き戻す。
……そもそも。
向こうはそれなりの人数を迷宮に突入させた。
人命を優先し少数精鋭で目標達成できるなら、最初からあの数は必要ない。
”命を捧げ、肉の盾となり散るだけの役割”
突入前にあの甘ちゃんがいた以上、その案は採用されまい。
今までの向こう陣営のやり方とも合致しない……。
であれば、
(それなりの数を用意することに何か、意味のある策……)
――しかし、となれば極端な戦力の分散は考えにくい。
これは、
”ヴィシスを見つけたら終わり”
というたぐいの戦いではない。
そして、向こうが自分の動きを察知する手段もないはずである。
(……個人的には適当に分散してもらって個別撃破できた方が、楽といえば楽なのですが)
元々、神創迷宮を現出させた目的もそれであった。
舌打ちする。
ヲールムガンドの消滅後、向こうの情報を得られていない。
あの役立たずの消滅時に”眼”を通し確認できた映像が最後……。
視界を覗く機能を実装できたのが神徒のみだったのが悔やまれる。
(通常の聖体にも、視界の共有機能を持たせられていれば……)
しかし、それは叶わなかった。
ヴィシスはほんのわずか、自らの過去の行為を悔いた。
禁忌の魔女――アナオロバエル。
あれを味方に引き入れられていたなら……。
もしあの魔女に協力させ、使い魔を研究できていたなら。
聖体との視界共有も可能となっていたかもしれない。
ギリッ、と歯の根を軋らせる。
(それにしても、あのクソ蠅……)
アルスやヲールムガンドの眼を通して見た、あの立ち居振る舞い。
……まるで、いっぱしの強者にでも生まれ変わったみたいだった。
気に入らない。
まったく、癪に障る。
「廃棄直前に私へ悪態をついたあの態度がトーカ・ミモリ……ミモリの本性だったということなのでしょう……」
なんて――――気持ち悪い。
こうして考えてみれば。
廃棄という選択は完全に正しかった気がしてくる。
あんな邪悪がまじっていたら、大魔帝討伐すら達成不可能だったのではないか。
「…………」
迷宮化した城内は、本当に静かだ。
稼働中の聖体もほとんど王城外の迷宮へ送ってしまった。
「うーん……この聖なる静寂を身勝手な羽音で汚すというのですから、罪なものです……」
(しかし……)
一人残らず八つ裂きにするつもりで出てきたはいいものの……。
想定外。
誰とも、遭遇しない。
まさか……入れ違いになった?
そもそも――ここまで出てきたこと自体、正解だったのだろうか?
途端に自分の今いるここが、非常に安定性を欠いた場所に思えてくる。
――いや、錯覚だ。
あのまま王の間にいた方が危険だったのは間違いない。
こんなものは所詮、堂々巡りが引き起こす”不安酔い”にすぎない。
「ふふふ……これも、思考の迷宮というわけですか――――」
ガッ、と。
不意に、足を止める。
……気づけば、ここに足を運んでいたらしい。
警戒気味に歩を進める。
迷宮侵蝕はあるものの、見慣れた場所。
侵蝕を受けてはいても元の空間の形は残っている。
前方には階段が見える。
今いる場所は二階部分。
廊下の先の空間に、落下防止用の凝った手すりが続く。
あの手すりの位置から一階部分が見渡せる。
この空間は、一階と二階が吹き抜けになっているのだ。
一階部分が望める位置までヴィシスは移動した。
目下の床には長い絨毯が敷かれている。
手前の階段を降りた先の空間の壁、右手側――
そこには、巨大な女神ヴィシスの画が飾ってある。
絵画も迷宮の侵蝕を免れていたらしい。
ここはヴィシスにとって、ちょっとした”思い出の場所”でもあった。
そう――かつて裏切ったヒジリ・タカオと、一戦交えた場所。
ヴィシスは、眉間に皺を寄せて視線を一階部分に向けた。
(何か、気配がある……)
まだ距離は遠いが……。
階下の端――出入り口の先に、気配がある。
「…………」
しばらく動かず待ってみる。
が、気配の方も動かない。
位置的に、その姿を確認はできない。
(向こうもこちらの気配に気づき、様子見している……?)
もしくは……。
まだこちらの気配には気づいておらず、あそこで何か待っているのか。
(……仲間が追いついてくるのを、待っている?)
誰だ……。
(気配の数は少ない……三……いや、二つ……?)
クソ蠅どもの数……。
この王城突入前にはそれなりの数が合流していただろう。
後続を城の手前でしばらく待った可能性はある。
少なく見積もっても二人以上はいるのは確実。
であれば――あまりに気配の数が少なすぎる。
気配を高度に希薄化し、隠している……?
(隠そうとして……今の私に対し、そこまで気配を消せるものか……?)
その時、とある人物が思考の俎上に載った。
(ミモリでなく――ヒジリか? あの小細工特化の……無駄に応用力の高そうなザコ姉のインチキスキルなら……)
そういう小賢しい真似ができても、おかしくはない。
あとは……二つという気配の数も。
気色悪いほどあの姉妹はいつもベッタリだった(特にあのバカ妹)。
一緒にここまで来ていても不思議ではない。
もし姉妹が他の神徒の死を知らないとすれば……。
自分たちの身を守るべく味方を捜し移動していてもおかしくはない。
あの気配が姉妹のものなら……。
本命――ミモリたちと合流できないまま、ここまできたか。
支援くらいならできるとしても……。
姉妹は、今の自分たちではヴィシスと戦える状態にはないと判断した。
だからあの位置で味方の到着を待っている……。
…………捕らえておくか。
あるいはタカオ姉妹ではないかもしれない。
が、同じような条件でクソ蠅どもより先に到達した敵ならば。
使ってやろう。
このヴィシスの、肉の盾として。
(あの甘カス相手なら最大効果を得られそうだが……まあクソ蠅なりブスエルフなり、味方のブザマな死を見せつけて少しでも嫌な気分にさせられれば、それでいいでしょう……そう、ただ殺すだけではスッキリも何もない……この理不尽に傷つけられ曇った私の心は、ただ普通に勝つだけではきっと晴れないですからねぇえええ……)
カスどもがたとえ容赦なく肉の盾を見捨てたとしても。
そこをタネに煽れば、きっと自分は気分がよくなる。
瞬間――ヴィシスは、加速した。
跳躍。
ふわり、と宙に飛び出す。
次いで、ぽふ……と、ごく小さな音を立てて。
階段を踏むことなく絨毯の上に、着地する。
前屈み気味な着地姿勢。
彼女の右手側には、背景めいて自らの絵画がある。
そして、ヴィシスの金眼は左手側の先を見つめていた。
この空間へ続く出入り口――扉は、開け放たれている。
開いた扉の先にある通路は、薄らとした暗がりになっていた。
ヴィシスの目は、その一点を捉えている。
セラス・アシュレイン。
セラスは、剣を構えていた。
こちらを認識したセラスの全身が光を放つ。
手にしたその剣も発光していた。
今のセラスの姿はヲールムガンドと戦った時のものと違っていた。
噂の霊装とやらは進化――変形機構のようなものを備えているらしい。
「…………」
セラスの立つ通路の先に溜まった薄闇。
霊装の放った光により、その闇が一時的に照らされる。
ハイエルフの姫騎士の斜め後ろに、
そいつは立っていた。
黒き沈黙を、従えて。
ヴィシスは緩慢に……しかし同時に、神経をさらに研ぎ澄まし警戒意識を最大まで増幅させながら、身体を起こす。
「ふふ……………………おまえか」
▲
『もし生きて戻ったら――覚悟、しておけ』
『生きて戻ったら? ふふふ、冗談きつすぎですね――ありえません。最期に底辺らしい強がりの遠吠え、ご苦労さま』
▼
トーカ、ミモリ。
ヴィシスはカッと目を見開いた状態で、静かに……己が憎き障害を睨みつけ――――
自らの身体からもう一人の自分を、分裂させた。




