The Final Enemy
女神ヴィシスは、人間を嫌悪している。
そう、ヒトが嫌いだ。
今も昔も。
特に、人間。
アレらが幸せそうにしている時の、あの途方もない場違い感。
気色悪さ。
この感覚は、ずっと変わらない。
人間という生き物の幸福は絶対、持続させてはならない。
苦しいと感じている状態こそ人間の本質であり、本懐であるべきだ。
幸福とは、その苦しみの中に存在する香辛料程度のものでいい。
人間の本質は幸福ではない。
苦しみ抜いて終わってこそ、人間。
足掻き、足掻いて――それが空虚な徒労に終わってこそ、人間。
――そもそもなんなのだ。
あの虫けらどもは、何かよいことがあると一々報告をしてくる。
”女神様っ、先日○○が――”
”女神様っ、お聞きください! 実は――”
”女神様っ、わたし――”
聞いてもいないカスごとを――ベラベラと。
しかしこちらは、
”よかったですねぇ”
笑顔でそう応える。
面倒だから。
不機嫌さを隠さぬとそれはそれで面倒臭い。
自分の何が悪かったのかと右往左往しはじめる。
その姿がまた――鬱陶しい。
おまえの振る舞いすべてが鬱陶しくなったのだ、と。
正直に言ったら言ったで余計、鬱陶しくなる。
だから笑顔で”流す”わけである。
けれど本心では、
”そんなこと私の知ったことか死ね”
である。
――あぁ、気持ち悪い。
おまえらの”幸せです”を聞かされて私に一体なんの得が?
昔、こんなことを言っていた人間がいた。
『ヴィシス様は少々誤解をしていらっしゃいますね。彼らはよいことがあった時、感謝の気持ちで伝えているのです。あなたのおかげもあって自分にこのような吉事が起こりました、と。もちろんあなたに対してだけではありません。皆、感謝の気持ちを伝えたいからこそ様々な相手に対し、吉事を伝えたいのです。時に、それがたとえどんな小さなことであっても』
だから。
愚かで哀れな短命種――下等生物に感謝などされて私になんの得が?
ちなみにそのたわ言を口にした人間は適当に外堀を埋めて投獄させた。
そして長期の拷問の末、最後には公開処刑させた。
さらにそいつの家族にも難癖をつけて散々”小突き回した”あと、崩壊させた。
…………。
つまるところ、あいつらは。
女神という存在を、ただ自己の欲求を満たすために利用しているだけ。
言うなれば、神の私的利用。
人間の醜い欲望。
タチが悪いのはそのほとんどが善人面をしていることだ。
ひと皮向けば下劣な欲望のかたまりのくせに。
そう――私は利用されている側。
本質的な、正当なる被害者。
だから私には人間を害する権利がある。
当然。
必定。
被害者なのだから、加害者に対しては何をしてもいい。
――あぁ、そういえば。
”場合によっちゃあ、被害者と加害者ってなあ表裏一体なんだよな。時に、恐ろしい逆転現象が起こる”
以前あの役立たずがそんなことを言っていたが……。
私の側にも加害者の要素があるかもしれない?
――バカを言え。
自分以上の純然たる被害者がこの世に存在するはずがない。
被害者なのだから、加害者に対してはどんなむごい行為も許される。
今まで、ずっと我慢してきたのだ。
ゆえに私のする”反撃”は正当な権利でしかない。
つまり、私はあまりに正しすぎる。
だって――
徹頭徹尾、被害者なのだから。
そう。
あいつらを黙らせるには、不幸な人生にしてやるしかない。
真の人間に戻してやらなくてはならない。
神の責務としても。
とにかく日々――不快にさせられている。
ずっと、不快にさせられてきた。
人間、という生き物に。
…………。
いや……極論を言えば、対象は人間に限らないのかもしれない。
”自分以外の他者が幸福そうにしている”
そもそも自分は、この状態そのものが不愉快なのかもしれない。
自分以外の存在は長期に渡り苦しんでいて欲しい。
あいつらに許されるのは、そう――束の間の幸福のみ。
下等生物に長期の幸福など許されていいわけがない。
そうだ。
許すわけにはいかない。
――――やはり、被害者。
あぁ……。
私はなんと可哀想なのだろう。
だから――殺してやる。
徹底的に。
特に気に入らないやつは、泣くまで小突き回してから。
私の玩具以上に、なろうとするな。
▽
音のない白の迷宮を、ヴィシスは歩いていた。
「…………」
ここまで深く自己と向き合ったのはとても久しぶりに思えた。
城内の階段を、コツコツと音を立てて降りる。
しかしその足音もすぐ壁に吸収され、静寂はそこに残り続ける。
城内は今も静まりかえっている。
どこか、この世界にたった一人取り残されたような錯覚すら湧く。
ヴィシスは、親指の爪を噛んだ。
そんな下等生物――玩具に、こうも手こずらせられるとは。
こんなのは、やはり間違っている。
ヴィシスは考える。
とにかく――向こうの裏をかく必要がある。
乱すのだ。
敵の予測を。
策を。
トーカ・ミモリへの警戒は大前提として……。
意識的に警戒すべきは――禁呪使い。
真っ先に潰すべきなのも、本来なら禁呪使いであろう。
ムニン、とかいったか。
しかし向こうもその禁呪使いを殺られまいと必死になるはず。
――逆に、そこが敵の穴となるか。
敵が禁呪使いを守るのを最優先とするのなら。
他が手落ちになる確率は高い。
崩すならやはりそこからか?
それから……。
純粋な戦闘面で厄介になりそうなのは、セラス・アシュレイン。
あと一応……。
アヤカ・ソゴウの存在も頭の隅に入れておくべきかもしれない。
私はカスどものしぶとさを加味しなかった。
ゆえに、今の窮地に繋がっている。
「――ふふ――」
窮地?
この女神ヴィシスが?
――いいや、今だけは。
今だけは、慎重にならなくてはならない。
ヴィシスは今、内に湧く憎悪と焦燥をおさえ込む努力をしていた。
本当なら今すぐにでも駆け出し、何も考えずぶち殺しに行きたい。
けれど、冷静にならなくては。
冷静さを失しては――あのクソバエの思うつぼだ。
だが、非常に腹立たしい。
なぜこの私が下等生物風情のために怒りを抑えなくてはならないのか。
「…………ガキどもが」
ヴィシスの目が、濃厚な黒一色に染まる。
まるで塗りつぶされた闇のような――どこか、底なしの闇のような。
「…………」
もう一つ。
ある不可解が、やはりヴィシスの中で引っかかっていた。
ヨナトの聖眼――アッジズのことである。
どう考えても送り込んだ聖体軍はもう到達しているはずである。
もちろん数もだが、この迷宮に放ったものより強力な聖体を送り込んだ。
なのに。
神器を確認する限り、今も聖眼は変わらず起動している。
「やはり――――行方不明になっているキリハラ?」
この王都に集結した者以外で確認されていない強大戦力。
現状であの聖体軍とやり合えるのはキリハラくらいしか思い浮かばない。
シビト・ガートランドが実は生きていて協力でもしていない限りは。
が……やはり解せない。
どう理屈を重ねてもあのキリハラが力を貸すようには思えないからだ。
トーカ・ミモリの利になる行為をよしとするとは、どうにも思えない。
そもそも――あれが心を入れ替えるなど、可能なのだろうか?
「…………」
不可能、としか思えない。
こと精神面において。
ヨミビトやアルスと比しても異質な狂気を纏った異界の勇者。
狂信的な自己中心性。
強烈かつ強固にすぎる自負心。
自己への絶対的な信仰心
果ての見えぬ膨張を続ける歪んだ自我。
そこから繰り出される自己完結型の飛躍論理。
すべてが自分であり――自分こそが、すべて。
あれが蠅王の軍門にくだるなどありえるだろうか?
あのタクト・キリハラなら……。
遠回しに軍門にくだっている可能性すら、許せぬはず。
やはり――ありえない。
無理がある。
――しかし、では誰だ?
ヨナトに聖騎兵以上の奥の手があるとも思えない。
もしあれば先の大侵攻で使っているはずなのだから。
「となると……向こうでもアナオロバエルが、何か……」
アナオロバエルが何か特別で強力な魔導具でも渡した?
思い当たる節がもはやそれくらいしかない。
他に答えを求めるなら結局、そこに戻ってきてしまう……。
気づけば、ヴィシスは少し早足になっていた。
なんだ?
何がアッジズにいる?
何が一体、自分の目的を阻んでいる?
本当に――何が。
「…………」
ヴィシスは聖眼起動を確認する神器を、地面に叩きつけた。
「まったく……どいつも――――こいつもッ!」
立ち止まったヴィシスは、胸に手を添えた。
落ち着け。
感情の乱れで思考を乱してはならない。
今はトーカ・ミモリがどんな策を打ってくるかを考えねば。
まずはこの迷宮で勝利することだけに集中すべきだ。
打ち払わなくては。
邪悪を。
こんなにも邪悪な敵が自分の神の道に立ち塞がってしまった。
これは、私の世界を救うための戦い。
価値ある戦いであり――試練。
そう、神としての試練なのだ。
ヴィシスは決意を固めた。
憎しみで感情を乱してはならない。
今こそ真摯に向き合わねばならない。
この恐怖と。
認めるのだ。
恐怖を。
窮地にあるという事実も。
――イライラする。
乗り越えてみせる。
この恐怖も、窮地も。
まずすべてを認め、感情を平らにし、思考を透明化していく。
認めよう。
トーカ・ミモリは、強敵。
――――心底、イライラする。
低く見積もってはならない。
冷静に、対処しなくては。
この時、ヴィシスは自分の内に崇高な何かが湧くのを感じた。
勝つ。
この辛苦を乗り越え、必ずや明るい未来を切り開いてみせる。
――――――――ことごとく、イライラする。
邪悪などに負けるわけにはいかない。
これはいわば、己の全存在を賭けた戦いである。
あるいは、真の敵は蠅王たちではないのかもしれない。
本当の敵は、もしかしたら自分自身なのかもしれない。
そう、自分との戦い。
――――――――――――考えれば考えるほど、イライラする。
ク ソ ガ キ ど も。
ヴィシスは天井を仰ぎ、そして――――
絶叫した。
聞く者がいればその耳をつんざくような、恐ろしい金切り声。
壁に吸収され切らぬのではないかと思えるほどの大音声。
敵側にこの声を察知されてもかまわない。
来るなら、来い。
それは長い――とても、長い咆哮だった。
叫び終えたヴィシスは、静かに目を閉じる。
そうして、大きく深呼吸した。
「……ふぅぅ」
思いっきり叫んだことで、かなり冷静さを取り戻せた。
そう、平静にならなくては……。
ヴィシスは再び、ゆったりと歩き出す。
目の色も元に戻っている。
その表情にも再び余裕の微笑が戻ってきていた。
しかし直後――ヴィシスは凄まじい形相で急加速し、勢いよく駆け出した。
「小突き回して殺してやるぞ、クソガキどもッ!」
大変お待たせいたしました。
今話より『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』終章最終節開始となります。スタートを切るのがこのキャラクターでいいんだろうか?と思ったりもしつつ、逆にこのキャラクターこそ終章最終節のスタートにふさわしいのではないかという気もしております。
だいぶ更新までに時間がかかってしまい申し訳ございません。休息の充電期間ではあったのですが、思ったより終章最終節へのプレッシャーが強かったのと、ここ1年くらい意外と日常のアレコレに手が回っておらずその辺りを片付けたりもしておりました。
一応年内完結を目指すという予定は変わっていないのですが、そこにこだわりすぎず、まず自分の納得いく形で完結させることを第一に考えて進めていきたいと思っております。とはいえ、作者が急病や死亡などなければ遅くとも来年には完結するかと思います(何年もかかる、ようなことはないかと思います)。
また、前回更新後に1件レビューをいただきました。ありがとうございました。
それでは、終章最終節もどうぞよろしくお願いいたします。




