最強と成りし、すべてを蹂躙する者
◇【女神ヴィシス】◇
エノー王城――王の間。
ヴィシスは玉座で、潰れたロキエラの頭部を眺めていた。
足を揺すりながら。
ヴィシスは親指の爪を噛み――
ドガァンッ!
脇に置いてあった卓を叩きつけ、破壊した。
「……カスどもが」
まさかロキエラも分身を作れたとは。
絨毯の上で白い肉塊となっているあの頭部は、本体ではなかった。
ヴィシスは疑念を抱く。
(ロキエラがここに置いていった、あの頭部……)
どこまで見ていた?
あの頭部からロキエラに情報が筒抜けだった可能性は?
情報は、どこまで伝わってしまっていた?
(いや……)
頭部のあった場所を考えれば、重要な情報は与えていないはず。
「…………」
思考を切り替える。
アサギ・イクサバの裏切りについて。
裏切りは想定していた。
だがあまりに――演技が、上手すぎた。
……演技だったのか?
固有スキルを使用した時、アサギ自身も驚いているように見えた。
あれは。
アサギ自身にとっても想定外の行動、だったように見えた。
見誤った。
(いいやそもそも――)
異界のゴミクズの力など借りようとしたのが間違いだったのだ。
さらには神徒も想像以上に役立たず揃い。
ほとんど勇者を殺せていないではないか。
せいぜいアサギ・イクサバがくたばったくらいだ。
心の底からの――役立たずども。
役立たずどもが揃えていた。
雁首を。
さらに悪いことに、あのクソヒジリまで生きていた。
しかもまさか神徒――ヨミビトを倒してしまうとは。
よもや、とヴィシスはさらなる疑念を抱く。
キリハラやオヤマダ、もしかしたらあのヤスまで生きているのでは?
あいつらが敵に回っている?
――バカな。
あの戦力がここにいればここまで温存するはずがない。
死亡……あるいは戦闘不能で、間違いない。
三人とも。
(……何よりも、だ)
蠅王――トーカ・ミモリ。
アルスもヲールムガンドもあれと遭遇し、殺されている。
「やはり一番の障害はあのクソ蠅……トーカ、ミモリ」
さらに。
あのクソ蠅をさらに厄介にしているのが、セラス・アシュレイン。
そもそもである。
遡ればあのカスエルフが、逃亡などしたからではないか。
逃亡したから五竜士が――シビトが追跡することになった。
おかげでシビトは死に、セラスがクソ蠅の駒になってしまった。
なんだあれは。
本気と思われるヲールムガンドの攻撃をすべて捌くだと?
あれほどの強者だったなんて、聞いていない。
あれでは……下手をすれば――シビト級ではないか。
……クソ。
クソ、クソ……クソクソクソクソぉおお――――ッ!
「クソが」
ヴィシスは、両手で頭を抱えた。
吐きそうだ。
何もかもが、上手くいかない。
いっていない。
聖眼もまだ破壊できていない。
アッジズに送り込んだ連中は何をやっているのだ?
一体、何をそんなに手こずっている?
クソの役にも立たないではないか。
「……全部」
あいつ。
あいつだ。
あいつの、せいだ。
やることなすこと――邪魔しやがって。
あれもこれも。
私のすべてが、踏み躙られている。
なぜこちらのやることなすこと――
すべて、蹂躙されなくてはならない?
あんな――――カスに。
「あいつさえ、いなければ……ッ! 結局すべてっ――」
あいつのせいだ。
あいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだ――――――――――
「 ふざけ、やがってッ! 」
ダァンッ!
ヴィシスは目を剥き、地団駄を踏んだ。
ふと、分身を通して聞いたアサギの言葉が脳裏に蘇る。
『廃棄せず手もとに置いて、早い段階のどこかで確実に処分すべきだったんだ』
悔しいが――あれだけは一理ある。
廃棄せず殺しておくべきだった。
確実に。
たとえ、次元の歪みが発生しようと。
「…………」
トーカ・ミモリの固有スキル。
結果的にあれが、最悪の要因となってしまった。
あのスキルさえなければ――そこまでの敵ではなかったはずなのだ。
あんな最底辺など。
そう、状態異常スキル――――
あれがトーカ・ミモリを最大の強敵――最強へと、押し上げてしまった。
「……面白くない。まるで、面白くない。実に――絶対的に、不愉快です……至極、不愉快です」
クソカスにいいようにやられている自分が。
心から、面白くない。
腹が立つ。
こんなにも苛々させられたのはいつ以来か?
とはいえ。
所詮、虫けら。
何を恐れる必要がある?
「…………」
そこで――なぜだ、と。
ヴィシスは自問する。
なぜ分身だけに任せ、自らは打って出なかった?
本体の自分が神徒に加勢していれば結果は変わったのではないか?
王の間を見渡す。
”強化術式を刻んだこの場で待ち受ける”
待ちながら、聖眼の停止を待つ。
これこそが確実な勝利の道筋のはずなのだ。
この領域なら負けはない。
セラスだろうと。
アヤカだろうと。
ここで戦えば――負けるはずがない。
ゆえに私は、間違っていない。
何も。
(そうだ……)
神徒と分身を使って反抗的なゴミカスどもの情報を集める。
隠された力も含め、どんな能力を持っているのか。
どんな戦い方をするのか。
どこに弱点があるのか。
それらがわかればここでの”決戦”でより安全に戦える。
さらにクソカスどもが道中で消耗し、深手を負い、数が減れば。
もっと楽になる。
確実に勝てる。
「…………」
……本当にそれが、正解だったのか?
「――――――――まさか」
何度か指摘らしきものを受けた……かもしれない。
(私は――)
恐れている?
あのクソ蠅を――トーカ・ミモリを……?
(あのクソガキを……? この、私が……?)
ヒジリとイツキはあの様子ではもう戦力になるまい。
いや……かろうじてヒジリはまだ参戦してくるかもしれない。
ヒジリは――確か、MPがなくなったとまでは聞いていない。
が、ヨミビト程度に苦戦しているようでは――やはり雑魚の部類。
そもそも。
元々が邪王素で弱っていた自分に負ける程度の雑魚なのだ。
アヤカ・ソゴウも、恐るるに足らず。
あれは所詮ヲールムガンドより格下だったようだ。
ヲールムガンドはカスな信念のせいでクソの役にも立たなかったが……
まあ、アギトを素材にした合成聖体が出た時点でアヤカは脱落しただろう。
「ふふふ、あの甘カスちゃんは何もできず泣き喚いておしまいでしょうね♪ 変わり果てたアギトを目にした時のアヤカの顔を拝めないのは、残念だったが……」
となると――やはりクソ蠅。
ロキエラも鬱陶しい存在だが、戦闘能力はないと見ていい。
自分には対神族強化も施してある。
駆逐し損ねた禁字族も単体では脅威になりえない。
だから――あのアサギの分析は、まさに的を射ている。
あいつらの最大の強みはトーカ・ミモリだが――
「同時に最大の弱点も、トーカ・ミモリ」
ゆえに最大の障害は蠅の王。
あいつこそ――元凶。
すべての。
すべて……すべてすべて――すべてッ!
「ふぅぅ……」
落ち着け。
考えろ。
なぜ自分は敗北寄りの前提で考えている?
余裕で、勝てる。
強化術式の刻まれたこの空間にいる以上――――
「――――――――」
ヴィシスは、気づく。
(待て……)
あの蠅が、想定しないだろうか……?
ロキエラがいるならこの強化術式については知っているはず。
あるいはニャンタンからも何か漏れているかもしれない。
あの蠅が……のこのこと素直に、この王の間に入ってくるだろうか……?
何も、策を打たないだろうか?
……いや。
ここを自分が動かないと想定し――何か、仕掛けてくる。
あの蠅がこちらの思惑通りに動くなど……ありえない。
これまでの戦いでそれは証明されているも同然。
ならば、ここにとどまるのは――悪手。
……本当に?
実は、私がそう考えてここを離れる……。
逆にそれこそが真の狙いなのでは?
そもそも、何ができる?
何をやれる?
「…………ッ」
今までのことを考えると。
なんでもやってくる気しか、しない。
あいつは捻り出してくる。
意地でも。
執念で。
「くそ……くそ、が……ッ! クソ、ガキが……ッ!」
神創迷宮。
”迷宮入りした者が本当に迷い込むのは思考の迷路かもしれない”
かつてそう説明を受けた記憶が、脳裏をよぎった。
……まったく、馬鹿げている。
この迷宮を顕現させた自分こそが、
思考の迷路に、陥っているなど。
「ぐっ……」
どうする?
どうすればいい?
待つか?
やはり、待つべきではないか?
そうだ……下手に動かない方がいい。
これこそがあいつの狙いに違いないのだから。
この場所から自分を動かすために……。
そう――待ちだ。
待ちでいい。
これが、正解。
「……………………」
ヴィシスは――玉座から、立ち上がった。
だめだ。
やはりあの蠅は、ここに自分が残ることを想定している。
王の間に残る方が明らかに”こちら”にとって勝率が高いからだ。
合理的に考えれば……。
誰だって勝率の高い選択肢を取るに決まっている。
大事な勝負であればあるほど、そうする。
私は。
ここで待ち構えるのなら、特に不安要素はない。
やつはそこを突いてくる。
そう。
こちらが”想定外”にならなくてはならないのだ。
想定外の動きをし――やつを出し抜く。
乱さなくてはならない。
あいつの整えた策を。
ヴィシスは王の間を飛び出し――廊下へと、躍り出た。
□
たとえば、夜の森で迷った時。
意外とジッとしている方がマシだった、というケースは多い。
無闇に歩き回ると、より深いところへ迷い込みかねないからだ。
時に、捜索隊も想定していないような場所にまで踏み入ってしまう。
体力も無駄に消耗するし、危険も増す。
しかし。
それでも動き回ってしまう者は、多いという。
これは人性を持つ神族も――
少なくともヴィシスは、同じ感覚を持っていた。
持ってしまった。
多くの者は、耐えられないのだ。
ジッとしていることに。
動かずジッとしている方が、不安が膨らんでゆく。
闇の中にいる時は特にそうだ。
懐中電灯なんかを持っているとさらにタチが悪い。
光源があるから――移動してしまう。
早く助かりたいと思ってしまう。
これが正解だと、自分に言い聞かせてしまう。
もちろん。
それが正解だったというケースもある。
ゆえに、すべては結果論にすぎない。
ともあれこの局面におけるヴィシスは――――
ジッと待つことには、耐えられなかったのである。
▽
迷宮化した城内を歩きながら、ヴィシスは一つの覚悟を決めた。
黒紫玉。
これを一つ作るのには膨大な時間が必要となる。
困るのは一つずつしか作れないことだ。
だから、コツコツと積み重ねてきた。
作り続けてきた。
この力の源を――ようやくこれだけの数、揃えた。
天界での戦いに備えて。
主神のオリジンや序列二位のテーゼとの戦いを、想定して。
けれど――もうそれは思考から除外する。
今はただあの蠅を、
始末する。
ヴィシスは手に握った五つの黒紫玉を口の中へ一気に放り込み、
――バリッ、ボリッ――
噛み砕き、飲みくだす。
単なる強化だけではない。
有用な分身をまた作るためにも、ここで黒紫玉を追加するしかない。
「殺してやる――――どいつも、こいつも」
おそらく自分は、安心できないのだ。
あの蠅の王が生きてる限り。
多分……聖眼が破壊され、天界へ逃れたとしても。
あの廃棄した男が生きている限り自分に安眠は訪れまい。
ゆえに。
何より優先して始末すべきは、あの男――
「トーカ、ミモリ」
殺してやる。
殺す。
ヴィシスはもう、どうでもよくなってきていた。
天界のことなど今はもう、どうでもよいと思えてきている。
ただ――殺したい。
安心したい。
ちなみに。
黒紫玉を最初から飲んでいないのは、減衰の問題があるためだ。
飲んだ瞬間からその強化値は少しずつ目減りしていく。
さらに減衰した分の領域――容量は、しばらく空かない。
つまり約ふた月ほどの期間、上限値が低いままになってしまう。
100の上限値があるとする。
黒紫玉で5の数値を強化し、その5が日数と共に減衰し0になった場合。
その時点での強化上限値は95となる。
つまり約ふた月、上限値が95のままになってしまうのだ。
何より――強化効果は、たったふた月で完全に消えてしまうわけで。
それでは貴重な黒紫玉をただ無意味に消費することになる。
そのため、先に黒紫玉を飲んでおくという選択肢はなかった。
さらに。
容量の足りない状態で追加の黒紫玉を飲んだ場合、どうなるか?
たちまち身体への負荷が膨れ上がる。
つまり、危険な状態となる。
限界までは試したことがないから最終的にどうなるかまではわからない。
器から溢れるほどの力は、大事な器にヒビを入れてしまうかもしれない。
限界を越えた先は――危険領域。
知ったことか。
憎い――あまりにも。
だから……
場合によっては、この虎の子の黒紫玉を使い切ってでも。
最悪、差し違えてでも――――
殺してやる。
鬱陶しく飛び回る、あの蠅を。
いずれにせよ、
「あいつとは…………神創迷宮で、決着をつける」
この私が――――終わりにしてやる、ここで。
すべてを。
さあ……幕を閉じよう。
「トーカ、ミモリ」
というわけで終章第3節、お付き合いくださりありがとうございました。
ついにここまで辿り着いた感も出てきた第3節、いかがだったでしょうか。
第3節ではいよいよという感じの展開も起きつつ、終結へ向けていくつかの人物のあれやこれやが開示されていった節でもありました。さすがにここまで来ると書かなければならないことも多く、プロット段階では取捨選択や構成にもなかなか悩まされた記憶があります。
そして恒例の感謝の言葉ではありますが、第3節でも温かいエールやご感想、そしてレビュー、いいねなどなど、ありがとうございました。また、これだけ長い連載ながらも、ブックマークや評価ポイントをいまだに入れてくださるかたもいて、こちらもありがたく思っております。総合評価点などはディスプレイ上に映し出される「数字」ではありますが、これは皆さまに積み上げていただけた(あるいは一緒に積み上げてきた)作品の一部だとも思っております。ありがとうございます。
正直なところ(全体としてのプロットは決まっていながらも)上手くまとめられるか不安になる時もあったりします。自分なりに(叶うなら、読者の方々にも)納得のいく着地点を書きながらさらに探っていけたら、と思っています。
……しかし今回もやはり少しお休みが欲しいくらいヘトヘトになってしまいましたので……少しばかりお休みをいただきつつ、回復してきたらちょこちょこと次節の執筆に取りかかっていけましたらと。
それでは皆さま、次節――終章最終節で、またお会いしましょう。




