送る、言葉
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通路を走っている時、最初に気づいたのがイヴだった。
音が吸収されるこの迷宮内でもかなり遠い場所の音を聴き取れている。
ピギ丸よりも早く、イヴは進行方向の先にいるその声に気づいた。
どうやらカシマの声だ、と。
さらに、
『誰かは知らぬが、神徒らしき者がいる』
そいつのしゃべり方をロキエラが尋ねた。
聞いたあと、ロキエラは確信して言った。
『ヲールムガンドだ』
そしてイヴは、
『会話内容からして、おそらくカシマやアサギが危機に瀕している』
イヴとジオの二人はひとまず待機させ、俺たちは奇襲をかけることにした。
浅葱の固有スキルを失うのは痛い。
鹿島も――危機に瀕しているのなら。
俺はこの先の部屋に突入したあとの動きを伝え、
『おまえたちにも少しリスクを背負わせることになるが』
突入前にそう言い足した。
まず真っ先に、セラスが応えた。
迷いなく。
『行きましょう』
反対するヤツは、いなかった。
突入前、セラスが最後に決意を口にした。
『守ってみせます――――必ず』
突入直前。
敵が待ち構えているリスクを考慮し【スロウ】を発動。
飛び出した直後、ヲールムガンドと思われるやつを目視。
すぐさま【スロウ】を解除。
禁呪が発動する前に――【ダーク】を使用。
これは【女神の解呪】が付与されていた場合を考慮した。
禁呪が効く前に使用した状態異常スキルは無駄撃ちになる。
そして連続付与の禁止が適用された場合、別スキルを一つ挟む必要がある。
たとえば【パラライズ】を無効化されると一つ別スキルを挟まねばならない。
そこで無効化されても影響の少ないスキル――
かつ、連続付与禁止に引っかかっても影響の少ない【ダーク】を選んだ。
一方で【ダーク】は相手の視界を奪える。
アルスには効果がなかったが、相手によっては通れば効果的かもしれない。
しかし――やはりヲールムガンドにも【女神の解呪】は付与されていなかった。
石橋を叩きすぎるのも善し悪しか。
俺たちは部屋の壁に張り付いたロープ状のピギ丸に引っ張られ、壁に衝突。
衝撃は、ピギ丸がクッションとなり吸収してくれた。
即座に次の戦闘態勢へ移行する俺たちにヲールムガンドが迫る。
射程内のため【パラライズ】を付与するが神徒は止まらない。
赤い血を噴き出しながら、襲い来る。
迎撃に出たのは、セラス。
背後には俺とムニン、懐のピギ丸――ロキエラ。
セラスの光の刃とヲールムガンドのこぶしが、互いに弾き合った。
▽
「【バーサク】ッ!」
ヲールムガンドにも【女神の解呪】は付与されていなかった。
ならばもう【ダーク】で視界を奪えているはず。
が、こいつもおそらく視界に頼らず相手を感知できる。
アルスと、同じ。
「【ポイズン】……ッ!」
ヲールムガンドはもう狂乱状態にあるように見える。
こいつに【バーサク】は無意味かもしれない。
だが――無駄がない。
俺くらいの実力の人間から見ても。
仮に【バーサク】で正気を失っていたとしても。
このヲールムガンドという神徒の動きには、とてつもなく無駄がない。
少し、背筋の凍る感覚があるほどに。
ここまで純粋に戦闘特化した怪物が、いるものなのか。
”最強の神徒かもしれない”
ロキエラは、そう言っていた。
浅葱の強化バフは時間的にもう切れているが……。
俺たち相手には対神族強化が効果を発揮せず。
エリカの弱体化の対神族装置の効果がそこに加わり。
さらに、状態異常スキルを受けている状態で――
この、戦闘力なのか。
……俺は【スリープ】を決められる距離を測っていた。
微妙に射程が届かない。
ヲールムガンドの本能的な危機察知能力なのか。
超速のヒット&アウェイ。
それによりヲールムガンドは見事に間合いを調整してくる。
が、セラスはそれでも距離を”作ろう”としてくれていた。
だから俺も、何も口にしない。
背筋が凍りそうといえば――目の前で繰り広げられている攻防。
一瞬の油断や気の緩みが空隙と化す。
極限まで研ぎ澄まされた戦才同士のぶつかり合い。
起源霊装は――もはや出し惜しみなしの、完全状態。
いや、完全状態でなければ受けきれまい。
他でもないセラスが瞬時にそう判断したのだ。
……もう俺にできることは少ない。
驚くほど――口惜しいほど。
背後のムニンも、もう”動く”という選択肢が取れないようだ。
ロキエラは何か思うところがあるのか。
表情こそわからないが、何か複雑な感情を発露していた。
「ヲールム、ガンド……ッ」
それは。
変わり果てた過去の仲間に向けるかのような。
どこか、哀れみにも似た感情に思えた。
「…………」
アルス戦との、決定的な違い。
もう【フリーズ】の残数は、残っていない。
もし、このヲールムガンドも同じような性質を持っていた場合――
「――――――――」
今。
「【スリープ】」
距離が、成った。
最後の手持ちとも言える【スリープ】――発動。
が、
「…………ッ」
ヲールムガンド、止まらず。
どころか、
「進化……してる、のか?」
ロキエラが、
「戦いながら……ダメージを受けながら……進化、してる……」
いつの間にか、血は噴出しなくなっていた。
どうも蓋をされたみたいな状態になっているらしい。
血が、その体内で暴れているようだった。
ベコベコ、ボコボコ――と。
肌越しに白き巨体の各部が跳ね上がっては、引っ込む。
内部に小さな誰かが複数いて、内側から蹴りを入れている――
どこか、そんな風にも見えた。
そして――隆起。
ツノのようなものが。
ヲールムガンドの身体の所々から、生えてきていた。
まるで、鬼になろうとでもしているかのように。
セラスは、押されている。
全開の起源霊装であっても。
上回るのか――ヲールムガンドの方が。
「くっ……」
進化。
こいつもアルスと同じく進化でこちらを上回ってくるとすれば。
他の手が必要になる。
……読み違えたか?
あれは――あの考えはやはり、希望的観測にすぎなかった?
ここに来る途中、ロキエラとヲールムガンドについて話した。
浅葱の仮説を聞いてロキエラはこう言った。
『確かに【女神の解呪】と状態異常能力の関係性は不可思議なんだよね……実は、ボクも同じことをずっと思ってはいたんだ。この世界に限らず、ボクらの行き来するあらゆる世界で状態異常系統の能力は存在の意味自体が疑われるほど不遇な能力とされている。なのにボクたち神族には【女神の解呪】――は、ヴィシスがそう名付けてるだけで真名は【特殊自律性解呪術式】――が施されてる。そしてこの”呪”に該当するのは、状態異常系統の能力に限られている……つまり最もちんけな能力のはずなのに、なぜか神族には自動対抗術式が施されている……その理由は、ボクも知らない。知ってそうなのは、ありうるとすればオリジン様くらいかな……』
俺はこの話について、ロキエラに問いを投げた。
『ヲールムガンドってのは、神徒の中で唯一の元神族なんだよな?』
『うん』
『もし……状態異常系統の能力――状態異常スキルが神族に対して特効性能を持つ力だとしたら……』
『あっ』
『アルスの時より効果を発揮する可能性があるかもしれない……この仮説、どう思う?』
『うん……それは、ありうるかも』
『アルス戦よりも有利となる要素があるとすれば、そこか……そうあって、ほしいところだが』
『……あ、ちなみに……い、今の弱っちいボクで試しても検証は無理だと思うよ……?』
『わかってる。ていうか……ちなみにと言えばだが、あんたが俺の懐にいる場合は、神徒の対神族強化ってのは乗るのか?』
『ん? いや、対神族強化は相手の強さに応じて能力の底上げがされるはず。だから、まさに今の弱っちいボクが対象じゃ強化効果はないに等しいはずだよ』
「…………」
神徒化したヲールムガンドに【女神の解呪】が付与されていないなら。
状態異常スキルによる神族特効の方も、やはり適用されない?
これ、は…………
思い違い、か?
俺の――
「…………てる」
目の前の攻防に釘付けになっていたロキエラが、口を開いた。
独り言のように。
「落ちて、きてる」
俺は。
自分にしては、珍しく。
心臓の拍動が異様に速まるのを感じた。
……思い違い――では、ない?
――ピキッ、メキッ――
亀裂。
ヲールムガンドの身体には元から黒い線が走っている。
その線は、亀裂のようにも見える。
が……今、ヲールムガンドの身体に走っている線状の凹みは。
あれは――
確かな、亀裂。
なるべくセラスの集中力を削がぬよう黙っていたが。
俺も、口を開く。
「ロキエラ」
「うん」
「ところどころ……ヲールムガンドが攻撃を外してるように見えるのは、気のせいか?」
「……いや、気のせいじゃない」
つまり、と俺は言った。
「【スリープ】が効いてる」
規格外すぎて、そこを勘定に入れていなかった。
入れる意識がなかった。
あまりにも普通に戦えているように見えていたから。
しかし――眠りの状態に、入ってはいたのだ。
目を開いたまま眠っている。
眠った状態で、戦っている。
あるいは――闘争本能のみによって。
何かに、突き動かされるように。
ロキエラが、
「【パラライズ】のダメージも多分、確実に入ってる……あと、もしかすると……」
ここに来るまでにかなり再生力を消耗してきたんじゃないかな、と。
ロキエラは、そんな推察を口にした。
「ヴァナルガディアと戦った時と比べて……なんていうか――弱ってる」
ありうるとすれば。
十河か。
あるいは、高雄姉妹か。
……しかしそうなると、ヲールムガンドと戦ったヤツはどうなった?
ヲールムガンドが生きてここにいる、ってことは――
「…………ッ」
いや、それは後だ。
今は、この戦いを乗り切ることを考えるべきだ。
セラス。
もうここからは――おまえに、任せるしかない。
セラスの力が尽きるか。
ヲールムガンドが力尽きるのが先か。
アルス戦以上に――
ここから戦いはもう、俺レベルの人間が入り込める領域じゃない。
賭けるしかない。
ここに。
俺にとっての剣――セラス・アシュレインが、勝つ方に。
すべて、賭ける。
セラスはいまだわずかに押され気味。
……それにしても。
まったく感情に乱れが見られない。
最初からここまで。
ブレていない。
まるで、ブレがない。
防ぐ一方で攻撃には出られないものの――
精密機械のように、実に精確無比に敵の攻撃を捌いている。
派手さがない動きだからこそ、それがより顕著にわかる。
セラスは。
あるいはヲールムガンド以上に、無駄を排している。
徹底して無駄を排除しているからこその、ほぼ互角の状況。
思わず、俺も唾を呑むほどに。
冴えに冴えた。
限界まで、研ぎ澄まされた。
驚くべき――集中力。
華奢な背中。
なのに。
こんなにも力強くて――心強い。
心が。
強くなった。
「―――――――」
……今。
乱れた?
セラスの感情が。
背中からでもわかった。
顔は見えないが。
たとえばそう――感極まった、とでも言うか。
そんな感じで。
セラスの感情に、ブレが見えた。
しかし、
あの一瞬だけ、セラスが明らかに優位になった。
一撃を――深い斬撃を、入れた。
セラスの中でどんな思考、感情の動きがあったのかはわからない。
何がどう変化したのか、それはわからない。
けれど。
今の一撃がおそらくヲールムガンドに効いた。
入れ替わった。
セラスとヲールムガンド、両者の優位が。
ヲールムガンドが……弱ってゆく。
わかる。
……セラス。
敵にこれ以上、進化が起こらないのなら。
おそらくは。
ここを凌げば――勝ちだ。
おまえの。
このまま勝ったとして。
俺はこれを、俺の勝利とは思えない。
セラス――それは、おまえの手によって得る勝利だ。
そして、ここでようやく――俺は、鹿島と浅葱をまともに認識する。
鹿島は無事のようだ。
浅葱は――、……不明。
チェスターは五体満足だが気を失っているらしい。
狂美帝は足が一本やられていて、動けない様子だ。
神聖剣も手にしていない。
出血は気になるが――
「……ヲルム」
その時、ふと呟いたのはロキエラ。
俺の懐で戦いの行方を見守っている。
どこか辛そうに。
「…………」
――そうして、ついに。
その時が、やってきた。
ベキッ、と。
硬い音が、鳴った。
一等巨大な亀裂が、ヲールムガンドの全身に走る。
それでも。
巨躯の神徒は、攻撃の姿勢を貫く。
ヲールムガンドが、捻りを加えたこぶしによる一撃を放ってきた。
セラスはこれを受けて立つ構え。
揺らがぬ精確さをもって、迎え撃つ態勢に入る。
しかし――白き一撃は、
不発。
狙いを外し――力なく、空を切った。
ガラスの割れるような音が鳴った。
その音と同時に、ヲールムガンドの外皮が弾け飛ぶ。
攻撃の勢いそのままに、ヲールムガンドが、セラスの横を通り過ぎる。
通り過ぎ切らぬ位置で――神徒は、前のめりに倒れ込んだ。
こぶしを振り切った姿勢のまま。
セラスは立ち位置を変え、横手に倒れたヲールムガンドの反撃に備える。
……が、敗北の擬態ではないらしかった。
反撃は――来ず。
前のめりに倒れたヲールムガンドの身体が、煙の放出を始める。
溶解、している。
「……神徒の死だ。つまり――」
ロキエラが口を開き、
「セラスの、勝ちだ」
今のロキエラの語調。
確信が込められている。
……信じて、よさそうか。
「トーカ……ボクだけ少し、ここにいていいかな?」
「大丈夫か?」
「信じて」
「わかった」
ロキエラが俺の懐から飛び降りる。
セラスに一応の警戒を任せ、俺たちは鹿島のところへ走り寄る。
背後から、声がした。
「…………よぉ、ロキエラぁ……ゲラ、ゲラ……ロキエラ、だよなぁ? 目が、見えねぇ……アホみてぇに眠ぃし……ゲララ……正気を、保つのも……きつい、ぜ……状態異常に耐えて……少し、しゃべる力しか……最後の気力ってやつ、しか……もう、残って……ねぇ……」
かすかな間があって、
「負けたね、ヲルム」
「ゲラ、ラ……ヒト、だ……ヒトが……オラァに、勝った……」
「うん……キミは、ヒトに負けた」
「な? 言った、だろ? 正しく、すりゃあ……こうして神にすら、勝つ……可能性を秘めて、やがる……のさ」
「…………」
「いい、なぁ……ヒトは……なぁ、ロキエラ…………いいよ、なぁ……?」
「ヲルム、キミは……」
「あー……眠ぃ……ようやく、か……ようやく、本当の意味で……眠れ、る……ぜ……なんつー、かよ……長い……長い、悪夢を……見てた、みてぇだ……」
「…………」
「そんな、中でも……いい……出会いも、あった……ヒトはやっぱ……最悪で……最高、だ……ゲラ、ラ……」
最期に、ヲールムガンドは言った。
「ヒト……は……いい……よ、なぁ…………、――――――――」
……ヲールムガンドが、事切れたらしい。
鹿島と話す途中、俺はロキエラの方を一瞥した。
ロキエラは憐れみとかすかな寂しさを宿した目で。
溶解してゆくかつての同胞の亡骸を、見下ろしていた。
「……もしかしたらキミは、元からヴィシスの考え方には賛同できてなかったんじゃないか? 死に際に回収されて神徒にされたのも、ひょっとして不本意だったんじゃないのか? けれど……ヴィシスの神徒になった以上、キミは因子の命令に逆らえない。なぁ、ヲルム……キミはヴィシスの因子に逆らえないながらも――自分を殺してくれる誰かを、捜していたんじゃないのか? ボクはほら、卑怯だから……悪いけど、勝手にそう解釈させてもらったよ。ふふ……正直、キミが生きてるうちに答えを聞くのが怖かったんだな。ボクは……主神に反逆するなんて絶対ありえない臆病者だから……キミの目にも、ボクはそう映ってたんだろ……? いや……あるいはヴィシスとスコルバンガー以外の神族すべてが……、――だからさ……真面目すぎるんだよな、キミは」
ロキエラが、片膝をついた。
そして、
「さようなら、ヲールムガンド」
ほぼ溶けきりかけたヲールムガンドの亡骸に、そっと、手を添えた。
「眠れ――――かつて孤高なる 蛇神 の化身よ」




